サディスティック・ミカ・バンド

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サディスティック・ミカ・バンド
基本情報
出身地 日本
ジャンル ロック
活動期間 1972年 - 1975年
1989年
2006年 - 2007年
メンバー
加藤和彦リズムギターボーカル
高中正義リードギター
小原礼ベース
高橋幸宏ドラムス
木村カエラ(ボーカル)
旧メンバー
福井ミカ(ボーカル)
つのだ☆ひろ(ドラムス)
今井裕キーボードサックス
後藤次利(ベース)
坂本龍一(キーボード)
松任谷由実(ボーカル)
桐島かれん(ボーカル)
  

サディスティック・ミカ・バンド(Sadistic Mika Band)は、日本ロックバンド

1972年デビュー。1975年発表のアルバム『黒船』は日本のロック史における名盤と評されており、当時英米でも発売されていた。活動中の1976年にはイギリスでツアーを行っている。解散後もこれまでに2度、ゲストボーカリストを迎えて再結成されている。

バンド名の由来であるが、ジョン・レノンが結成していた「プラスティック・オノ・バンド」をもじったものと言われている。また、ボーカルのミカの包丁使いがあまりにサディスティックだったことに由来するとも。

目次

[編集] 来歴

[編集] 結成から解散まで

ザ・フォーク・クルセダーズ加藤和彦ギターボーカル)、加藤ミカボーカル)、角田ひろ(ドラムス、現:つのだ☆ひろ)のメンバーで結成される。そこに高中正義リードギター)が加入し、1972年にシングル「サイクリングブギ」でデビュー。

その後まもなくして小原礼ベース)が参加し、ほぼ同時期に角田が脱退する。そこにドラマーとして高橋幸宏が加入し、1973年にファーストアルバム『サディスティック・ミカ・バンド』を発表[1]。このアルバムは発売当初は数千枚しか売れなかったが、イギリス、特にロンドンで評判となり逆輸入という形で日本でも評価されるようになった。

ファーストアルバムを聴いたイギリスの音楽プロデューサー、クリス・トーマス(当時ビートルズピンク・フロイドを手掛けたことで有名になっていた)からプロデュースの話があり、セカンドアルバム『黒船』を発表[2]。このレコーディングには実に450時間が費やされた。

その後、小原礼が脱退し、後藤次利がベースとして参加。サードアルバム『ホット!メニュー』をリリース後、1975年には、ロキシーミュージックの全英ツアーにおいてオープニングアクトを務めた(アルバム『Live In London』での今野雄二の解説によると、ロキシーの時間も大幅に食ってしまったとのことである)。[3]

その後、加藤和彦・ミカの離婚により、1975年11月に解散した。

[編集] 解散後の活動

解散後、今井裕、後藤次利、高中正義、高橋幸宏の4人でサディスティックスとして活動した時期がある(1978年頃には自然消滅)。

1985年には加藤和彦、高中正義、高橋幸宏、後藤次利に坂本龍一松任谷由実を加えた「サディスティック・ユーミン・バンド」として、国立競技場で開催された国際青年年の記念音楽イベント「All Together Now」に出演。

1989年には加藤和彦、高中正義、小原礼、高橋幸宏の4人に桐島かれん(ボーカル)を加えて Sadistic Mica Band(ミカの表記が下線のとおり変更)として再結成。アルバム『天晴』を発表した。先行シングル「Boys and girls」はマツダ・ファミリアCMソングにもなり、オリコン13位を記録。2007年3月現在までに、サディスティック・ミカ・バンドとしては唯一のオリコントップ100入りシングルとなっている。また、このメンバーでライブが行われ、後にライブアルバム『晴天』として発売された。

[編集] 再々結成

2006年、加藤和彦、高中正義、小原礼、高橋幸宏の4人に木村カエラ(ボーカル)を加えて、Sadistic Mica Band Revisitedとして再々結成。このメンバーでキリンラガービールのテレビCMに出演し、CMには新しく録音された「タイムマシンにおねがい」が使用された。フルバージョンで聴きたいという希望が多かった(CMではサビの部分が使用された)為、着うたインターネットで音楽配信されることが決定。iTunes Music Storeの配信ランキングで1位を獲得するなどの記録を残した。

2006年8月30日にはライブ形式の無料PV撮影会を行った。10月25日にはアルバム『NARKISSOS(ナルキッソス)』を発表。この際に、バンド名のアルファベット表記を、カエラの名前を入れたSadistic Mikaela Band(カナ表記はそのまま)としている。

2007年3月8日NHKホールにおいて、ミカバンド名義としては18年ぶりのライブを行った。引き続き木村カエラがボーカルとして参加した他、アンコールにはカエラや小原との親交が深い奥田民生がゲストとして登場。同年秋には、このライブの映像を含むドキュメンタリー映画『サディスティック・ミカ・バンド』(監修:井筒和幸)が公開された。なお、ライブの模様が収録されたアルバム『ライブ・イン・トーキョー』ではSadistic Mica Bandとなっている。このアルバムでは桐島かれん在籍時の音源は無い。75年の神田講堂でのMika Bandの音源があるがブートレグである。こちらはアルバム『Live In London』にて本来採用されるはずだったものであるが、ロンドン公演の方が良かったからとアルバムで解説の今野雄二が明かしている。長い間世にでることがなかったが、このような形で日の目を浴びることになった。


[編集] 加藤ミカ評

初代ヴォーカルの加藤ミカ(福井ミカ)は、「調子外れの歌」、「ただギャーギャー言っているだけ」と他のメンバーに比べて過小評価されがちであるが[要出典]、以降のニューウェーブのボーカリストへの影響は大きく[要出典]、また、1994年に発表された彼女のセルフプロデュース(全曲自身による作詞作曲)アルバム『ジャラン ジャラン』のサウンドは、限りなくミカバンドに近く、彼女のミカバンドにおける存在は小さなものではなかったとの説が台頭しつつある[要出典]松任谷由実が1996年8月13~15日に中野サンプラザにて荒井由実名義で行ったライブ「Yumi Arai The Concert with old Friends」で、加藤ミカを尊敬していると明かした。

デヴィッド・ボウイの1980年製作アルバム『Scary Monsters』の1曲目「It's No Game, Pt.1」において、日本人女性のナレーションをミカに依頼したが、断られたというエピソードがある[要出典]

ミカ自身は再結成に際し、「呼ばれてもいない」ということで「ミカ・バンド」というグループ名を再結成バンドが掲げることに対し、遺憾の意をインタヴューで表明している。

[編集] 在籍したメンバー

(期数・メンバー名については1987年に発売された「20 SONGS TO 21ST CENTURY」の小倉エージ氏の解説を元に、「ミカのチャンスミーティング」(1988年版/JICC刊)などにより補足)

  • 第1期(1971年11月 - 1972年9月) シングル「サイクリングブギ」
    • 加藤和彦・ミカ・つのだひろ
  • 第2期(1972年9月 - 1973年10月) アルバム『サディスティック・ミカ・バンド』
    • 加藤和彦・ミカ・高橋幸宏・小原礼・高中正義
  • 第3期(1973年11月) シングル「ハイ・ベイビー」
    • 加藤和彦・ミカ・高橋幸宏・小原礼
  • 第4期(1973年末) この時期の音源なし
    • 加藤和彦・ミカ・高橋幸宏・小原礼・永井充夫
  • 第5期(1974年2月頃 - 1975年6月) アルバム『黒船』
    • 加藤和彦・ミカ・高橋幸宏・小原礼・今井裕・高中正義
  • 第6期(1975年6月頃) この時期の音源なし
    • 加藤和彦・ミカ・高橋幸宏・今井裕・高中正義・ジャック松村
  • 第7期(1975年7月~1975年11月) アルバム『ホット!メニュー』『ライブ・イン・ロンドン』
    • 加藤和彦・ミカ・高橋幸宏・今井裕・高中正義・後藤次利[4]

[編集] ディスコグラフィ

[編集] シングル

タイトル リリース日 レーベル CDコード 備考
タイムマシンにおねがい 1992年6月17日 EMIミュージック・ジャパン TODT-2860 フジテレビ系アニメ「まぼろしまぼちゃん」主題歌

[編集] オリジナル・アルバム

タイトル リリース日 レーベル CDコード 備考
1st SADISTIC MIKA BAND 1987年8月5日 EMIミュージック・ジャパン CA30-1495
1992年6月24日 EMIミュージック・ジャパン TOCT-6577
1998年3月18日 EMIミュージック・ジャパン TOCT-10138
2006年8月23日 EMIミュージック・ジャパン TOCT-11161
2nd 黒船 1988年4月5日 EMIミュージック・ジャパン CA30-1410
1992年6月24日 EMIミュージック・ジャパン TOCT-6578
1998年3月18日 EMIミュージック・ジャパン TOCT-10139
2000年12月6日 EMIミュージック・ジャパン TOCT-10748
2003年6月27日 EMIミュージック・ジャパン TOCT-25113
2005年3月30日 EMIミュージック・ジャパン TOCT-16012
2006年8月23日 EMIミュージック・ジャパン TOCT-11162
3rd HOT! MENU 1987年8月5日 EMIミュージック・ジャパン CA30-1496
1992年7月22日 EMIミュージック・ジャパン TOCT-6579
1998年3月18日 EMIミュージック・ジャパン TOCT-10140
2004年2月25日 EMIミュージック・ジャパン TOCT-25340
2006年8月23日 EMIミュージック・ジャパン TOCT-11163
天晴 1989年4月8日 EMIミュージック・ジャパン CT32-5432
ZT28-5432
マツダ「ファミリア」CMソング
2006年8月23日 EMIミュージック・ジャパン TOCT-11165
超別嬪 2006年5月24日 EMIミュージック・ジャパン TOCT-26020
NARKISSOS 2006年10月25日 コロムビアミュージックエンタテインメント COZA-227/8(DVD付き)
COCP-33931(通常盤)

[編集] ライブ・アルバム

タイトル リリース日 レーベル CDコード 備考
Live In London 1989年4月26日 EMIミュージック・ジャパン CT30-5445
1993年4月7日 EMIミュージック・ジャパン TOCT-6983
1998年3月18日 EMIミュージック・ジャパン TOCT-10141
2006年8月23日 EMIミュージック・ジャパン TOCT-11164
晴天 SADISTICK MICA BAND LIVE IN TOKYO 1989 1989年7月12日 EMIミュージック・ジャパン CT32-5508
ZT28-5508
2006年8月23日 EMIミュージック・ジャパン TOCT-11166
LIVE in Tokyo 2007年5月23日 コロムビアミュージックエンタテインメント COCP-34374/6

[編集] ベスト・アルバム

タイトル リリース日 レーベル CDコード 備考
ベスト・オブ・サディスティック・ミカ・バンド 〜20 Songs to 21st Century 1988年1月25日 EMIミュージック・ジャパン CT32-5092
幕の内 (S.M.B. SUPER BEST) 1989年12月6日 EMIミュージック・ジャパン TOTT-5596
TOCT-5596
別嬪 〜サディスティック・ミカ・バンド・ベスト 1992年9月3日 EMIミュージック・ジャパン TOCT-6701
サディスティック・ミカ・バンド ゴールデン☆ベスト 2002年6月19日 EMIミュージック・ジャパン TOCT-10861
NEW BEST 1500 2005年8月24日 EMIミュージック・ジャパン TOCT-11036

[編集] Boxセット

タイトル リリース日 レーベル CDコード 備考
サディスティック・ミカ・バンド CD-BOX 1989年6月7日 EMIミュージック・ジャパン CT25-5466/9
PERFECT! 1994年3月23日 EMIミュージック・ジャパン TOCT-8330/5

[編集] 脚注

  1. ^ ファースト・アルバムにサポート的に参加していた今井裕キーボードサックス)は、次作の『黒船』から正式メンバーになる(ちなみに小田和正もファースト・アルバムでサポート・メンバーとしてピアノを弾いていた)。
  2. ^ 幻のセカンドアルバム『駅前旅館』は諸問題により頓挫、後に「お花見ブギ」のみがBest盤に収録され日の目を見る。
  3. ^ 「塀までひとっとび」は1989年及び2007年の再結成ライブの際にも、終盤に演奏され観客を沸かせた。ライブ盤『晴天』(1989年)、『Live in Tokyo』(2007年)で聴くことができる。
  4. ^ 後藤は正式メンバーではなく、サポートメンバー扱いだった

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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