笠智衆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
りゅう ちしゅう
笠 智衆
笠 智衆
映画『東京物語』(ポスター)での笠(右端)
本名 笠 智衆
生年月日 1904年5月13日
没年月日 1993年3月16日(満88歳没)
出生地 日本の旗 日本 熊本県玉名郡玉水村立花
(現 玉名市
民族 日本人
職業 俳優
ジャンル 映画テレビドラマ舞台
活動期間 1928年1992年

笠 智衆(りゅう ちしゅう、1904年明治37年)5月13日1993年平成5年)3月16日)は、日本映画俳優

目次

[編集] 来歴・人物

熊本県玉名郡玉水村(現玉名市)立花で父淳心、母トシの次男として生まれる。生家は浄土真宗本願寺派来照寺。「笠智衆」というやや変わった名前は本名である。玉水村立玉水尋常小学校、熊本県立玉名中学校を卒業後、旧制の東洋大学印度哲学科に入学。大学は実家の寺を継ぐために進学すると両親には告げていたが、実際にはその気はなかったという。

1925年大正14年)に大学を中退し、松竹キネマ蒲田撮影所の第一期研究生として入所。俳優になることは本心ではなく、住職以外ならどのような職業でもよかったのだという。それでも同年7月に父淳心の死で一度住職を継ぐが、結局兄にその座を譲り1926年(大正15年)再度上京。以来、松竹映画の俳優としての道を歩み出す。しかし当初は大部屋俳優時代がしばらく続き、映画は大半が端役での出演であった。

師と仰ぐ小津安二郎監督作品初出演は『若人の夢』。以後断続的に出演し、1935年の『東京の宿』以降は、『淑女は何を忘れたか』を除く全ての小津作品に出演した。『一人息子』(1936年公開)でまだ32歳だったのに初めて老け役を演じ、好演。この老け役の成功が、笠の俳優としての地位を築くものとなる。そして『父ありき』(1942年公開)では小津作品で初の主役を演じ、その父親像が評判となった(極度に感情を抑え、淡々とした語り口が日本人の父親の原点と言われるまでになった程)。国内・海外を問わず、小津映画を研究する者は小津作品における笠を小津映画の語り部小津の分身と称えている。

小津没後も活躍は続き、1969年からは山田洋次監督作品の『男はつらいよ』シリーズへ出演。一連の小津映画に並ぶ笠の代表作となった。

1965年、NHK朝の連続テレビ小説『たまゆら』の主演で、テレビドラマへも進出。1989年放送の『春までの祭り』まで約90本のドラマへ出演。 早坂暁、向田邦子、倉本聰、山田太一といった名高い脚本家からの指名で出演することも多かった。 倉本總とは『幻の町』『波の盆』、山田太一は『ながらえば』『冬構え』『今朝の秋』などで主演・脚本というかたちでコンビを組みいずれも高い評価を受けている。『今朝の秋』ではテレビドラマ最高齢主演記録(放映時、83歳)を樹立した。

1993年3月16日、満88歳で没。亡くなる数年前からは膀胱癌を患うなど健康を害していたが、最期まで現役をまっとうし存在感を維持し続けた。 亡くなる約3ヵ月前に封切られた映画『男はつらいよ 寅次郎の青春』(シリーズ第45作、1992年)が遺作となった。

没後も2000年キネマ旬報による「20世紀の映画スター・日本編」で男優部門の5位に選ばれるなど、根強い人気を誇っている。

[編集] エピソード

[編集] 「明治の男は泣かない」

笠は演技について演出家と対立するようなことはなかったが、自ら泣くシーンを演じることは拒否していた。「明治生まれの男が泣くことはめったにない」というのがその理由である。小津作品でも小津安二郎の「言われたとおりに演技をした」笠であるが、『晩春』のラストで笠が林檎の皮を剥いてから慟哭するというシーンに対して「これはできません」と申し出、小津がそれを認めて、うなだれるシーンに変更した。後にこのシーンを「居眠りをしている」と批評した評論家に対して、大変憤りを感じたと語っている(『大船日記』より)。

泣くシーンとしては『ながらえば』で入院している妻に「寂しい」と言って涙を拭うシーンとして登場するが、これは涙を拭う真似をしているだけで、本当は泣いていない。初めて泣くシーンは『冬構え』で、自殺を図るが未遂に終わり、旅館で1人泣く場面である。このシーンの撮影に際しても笠は泣くことを拒否したが、脚本を担当した山田太一の依頼に応じ演じたものである。山田太一は「美しい」と感動したが(『あるがままに』より)、笠は違和感を覚えていたという(『大船日記』より)。しかし、1983年のテレビドラマ『波の盆』では日本の敗戦に悔し涙を流し、死期の迫った妻の前で号泣する老人の役を好演している。

[編集] 「日本の父親」から「日本のおじいさん」へ

1990年代に入ってからは「御前様」の印象から、特に若い女性層から「優しいおじいさん」として人気が高かった。NHKでは笠の亡くなった直後に追悼番組として主演ドラマ『今朝の秋』を放映したが、放映後笠を悼む感想が多数寄せられた。その中でも多かったものが、笠を自分の祖父のように思い、笠の死が自分の祖父が亡くなったように思えて悲しい、という内容であった。NHKではこれらの感想を中心に構成された番組を放映。笠との共演が多かった杉村春子がナレーションを担当した。杉村自身も手紙の多さに驚き、笠の人気の高さに感動したと述べている。

[編集] 熊本訛り

笠には出身地の強い熊本訛りがあった。この訛りは生涯抜くことができず、笠の台詞回しの大きな特徴となっている。デビュー当初は、この訛りが障壁となって、俳優としての出世を遅くさせる結果となった。しかしこの強い訛りが、笠の実直で朴訥とした性格を滲み出し、他の俳優にない独特の個性を引き出すことになった。戦後小津安二郎以外の多くの著名な監督の作品に出演できたのも、この熊本訛りにより表出される実直さや素朴さに依るところが大きい。

昭和初期から中期までの映画の世界では、俳優は東京出身でなくても東京の言葉で台詞を話すのが基本となっていた。その中でこのように訛りを個性にした俳優は、他には「シェイ(姓)は丹下、名はシャゼン(左膳)」で知られた福岡県豊前市出身の大河内傳次郎がいる程度で、日本の俳優では稀有な存在であった。

なお、山本夏彦は、『写真コラム』に『笠智衆だいっきらい』という、笠の熊本訛りを批判した一文を記している。このコラムは大きな反響を呼び、抗議の投書が殺到したという。

[編集] 主な受賞歴

[編集] 出演

[編集] 映画

[編集] テレビドラマ

[編集] テレビCM

  • 春詰み烏龍茶(1992年、キリン)

[編集] 文献

[編集] 著書

[編集] 関連文献

  • おじいさん - 笠智衆写真集(小沢忠恭(撮)、小田豊二(文))(1993年、朝日新聞社)
  • 春風想―父・笠智衆の思い出(笠徹)(1994年、扶桑社)

[編集] 関連項目

個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス
他の言語