長門裕之

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ながと ひろゆき
長門 裕之
長門 裕之
本名 加藤 晃夫
かとう あきお
生年月日 1934年1月10日
没年月日 2011年5月21日(満77歳没)
出生地 日本の旗 日本京都府京都市中京区
死没地 日本の旗 日本東京都文京区
血液型 A
職業 俳優
ジャンル 映画、テレビドラマ、舞台
活動期間 1940年 - 2011年
配偶者 南田洋子(1961年 - 2009年)
家族
祖父(竹芝傳蔵
父(沢村国太郎
母(マキノ智子
弟(津川雅彦
叔父(加東大介
叔母(沢村貞子
外祖父(牧野省三
母方の外叔父(マキノ雅弘
母方の外叔母(轟夕起子
母方の外従弟(マキノ正幸
義妹(朝丘雪路
姪(真由子
公式サイト 人間プロダクション:長門裕之

長門 裕之(ながと ひろゆき、1934年1月10日 - 2011年5月21日)は、日本俳優。本名は加藤 晃夫(かとう あきお)。

来歴・人物[編集]

日本を代表する俳優の一人。妻は女優南田洋子、実弟は俳優の津川雅彦、父は沢村国太郎、母はマキノ智子、叔父に加東大介、叔母に沢村貞子、祖父には「日本映画の父」と呼ばれる牧野省三狂言作者の竹芝伝蔵、姪に女優の真由子をもつという芸能一家。沖縄アクターズスクール校長マキノ正幸は母方の従兄弟。真由子からは「アーチー」(意味は晃夫おじさん)と呼ばれた。南田との間に子供はいなかった。

京都府京都市中京区生まれ。花園高等学校卒業から立命館大学文学部中退。元阪神タイガース監督の吉田義男は同学年であり大学時代の同期だが、吉田も中退している。

映画初出演は1940年の『続清水港』。第二次大戦前の少年期から名子役として広く知られた。学生時代は俳優を一時休業するが、戦後、映画製作を再開した日活に入社。太陽族映画の第一作となる『太陽の季節』に主演し、デビュー間もない石原裕次郎と共演したほか、今村昌平監督とコンビを組み、印象深い演技を残した。しかし、実弟の津川や後輩の石原らに人気を奪われる形となった。1961年に南田と結婚、翌1962年に日活を退社してフリーとなり、各社の映画に出演するほか、テレビドラマにも進出、大映テレビ作品や2時間ドラマなどに出演した。

1982年からKBS京都が主催する交通遺児支援のチャリティー番組『かたつむり大作戦』のキャンペーンパーソナリティー(南田は1984年から)として2005年の同キャンペーン終了まで出演を続けた。

同い年の愛川欽也大橋巨泉財津一郎坂上二郎藤村俊二睦五郎森山周一郎らと「昭和九年会」を結成し、チャリティ事業などに取り組んだ。

1985年11月に『洋子へ』(データハウス)を出版。妻の南田への告白という形で、自身の奔放な女性関係などを実名で赤裸々に記し、いわゆる暴露本として世を騒がせた。これに対し、実名を書かれた女優池内淳子などが強く反発した。長門(データハウス)側は初版を回収し、問題箇所を書き直した改訂版を出したうえ、池内に対しては新聞に謝罪広告を掲載した。長門は「ゴーストライターによる口述筆記だったため真意が伝わらなかった」などと弁明したが、南田とともにすべての出演番組、CMの降板を余儀なくされるなど、この騒動が以後の芸能活動に大きなダメージを与えたとされる。ワイドショーの多数の取材を受け、長門が「こんな本はダメです!」と、自著を机に叩き付ける場面がテレビで放送された。

長年かけ復調し、脇役や敵役を含むゲスト出演を多くこなし活躍した。晩年は「(浮気や、前記の著書で迷惑をかけた人々へのお詫びなどを含め)苦労をかけた洋子への恩返し」として認知症になった南田の介護に取り組みつつ、「リタイアした洋子の分まで」と発起し、精力的な活動を行った。同時に、長年確執があったとされた弟の津川との共演に加え、津川がマキノ雅彦名義で監督を務めた映画作品にも出演した。

2009年10月21日、妻・南田洋子がクモ膜下出血により76歳で死去した。倒れた前日に続き、当日も明治座での舞台公演後に記者会見を開き、『これからは女房のない世界に踏み出していきます。思い出の中で洋子は生きてますから。これは永遠のものです』、また『4年間、僕が介護することで、僕の人生をよみがえらせてくれて、人生観を変えてくれました』と涙を浮かべながら記者陣に対しコメントを述べた。

南田の死から1年7か月後、2011年5月21日午後5時20分、東京都文京区順天堂医院で死去した[1][2]。77歳没。同日夜に実弟の津川は、病状について「肺炎をきっかけにした合併症であったが、前日は元気であった」と述べ、当日になって容体が急変したことを明かした。長門とはプライベートで60年来の友人であった浅丘ルリ子も津川と一緒に駆けつけてマスコミの取材に応じた。

長門の訃報を受けて『昭和九年会』メンバーで長年親交が深かった橘家圓蔵落語家)は「(玉置宏、坂上二郎に続いて)どんどん仲間がいなくなっちゃう」と哀悼のコメントを発表した[3]。この他にも『どんど晴れ』(NHK)で共演した比嘉愛未が自らのブログで長門を悼むコメントを記し、『池中玄太80キロ』(日本テレビ)で共演した西田敏行が「玄太は泣いています」と語るなど[4]、長門と縁のあった人々が哀悼のコメントを寄せた。長門・南田夫妻から実弟のように可愛がられて長年親交があった萩本欽一は、弔問に訪れた際「最高の先輩で、友達で、兄貴だった」と声を詰まらせながら話した[5][6]

葬儀・告別式は5月24日、東京都港区善福寺で弟の津川が喪主を務めて営まれ、遺体は品川区桐ヶ谷斎場で荼毘に付された。23日の通夜では中井貴一笹野高史が、24日の葬儀・告別式では黒柳徹子奥田瑛二が弔辞を読んだ。法名は「極芸院釋浄晃」(ごくげいいんしゃくじょうこう)。

最後の映画出演作品は『青い青い空』。

エピソード[編集]

  • 妻の女優・南田洋子は、大映から日活に移籍して長門裕之の同僚となった。当時、南田洋子がすでに“大物女優”であったのに対して、長門裕之はまだ“駆け出しの俳優”であった。南田洋子は、日活の専用車で自宅まで送り迎えをしてもらう身分であった。その頃、偶然、南田洋子の自宅と長門裕之の自宅が同じ方向であることが分かり、運良く長門が南田洋子を送迎する車に一緒に乗せてもらうことになった。長門はこのチャンスを生かし、毎日車の中で南田洋子に猛アタックをし続けた。その結果長門は、憧れていた格上の南田洋子の“彼氏”になることができた。
  • 長門裕之はプライドが高かったため、交際していた南田洋子より自分のほうが年収が低いということに、“引け目”を感じていた。そのため長門は、自分の年収が南田洋子の年収より多くなるまでは南田洋子と結婚しないと決め、仕事に励んだ。長門が南田洋子と結婚したのは、自分の年収が南田洋子の年収を上回った1961年のことであった。
  • 妻・南田洋子が出産適齢期だった頃、夫婦で『ミュージックフェア』の司会を長年続け、“おしどり夫婦”と呼ばれていた。そのため長門は仕事を優先させ、南田洋子との間に子供をつくらなかった。そのことについて長門はテレビ番組のインタビューで、「妻を妊娠させて番組を休ませるなんてことは考えられなかった」と述べている。
  • 以前、長門は芸能プロダクションを経営しており、その所属タレントだった紺野美紗子が独立した際には、紺野と激しく対立した。紺野はテレビ番組のインタビューで、長門から「芸能界にいられなくしてやるぞ」と言われたと告白している。また、長門が書いた芸能界の暴露本『洋子へ』の中でも、紺野のことを「男ぐせの悪い尻軽女だ」と書いている。
  • 日本テレビ系『行列の出来る法律相談所』に出演した時、出演した2時間ドラマを南田と見ていたら、偶然にもドラマに長門本人が手を出したことのある女優が全員出ていて、冷や汗が出たことを同郷出身の島田紳助に暴露され、ニヤニヤしながら「うんうん」と頷いていた。
  • 麻雀に深い造詣を持ち、自宅に雀荘部屋を持っているほど。色川武大も入り浸っていた。このことから長門邸は一時「芸能界の雀荘」の異名をとったこともあったが、2年前[いつ?]に自宅をマンションに建て替えの上、マンション住まいに切り替えた。
  • 映画スター達が独立プロダクションを設立する流れもあり、長門自身も人間プロダクションを設立。自ら祖父マキノ省三を演じ話題となった『カツドウ屋一代』(1968年毎日放送)といった制作本意の意欲作ドラマを作るが、それが祟り赤字を出してしまう。しかし、夫婦そろってCM出演やミュージックフェアの司会などの仕事をこなし、完済に励んだという。
  • 同郷の近藤正臣が永らく出演していた金鳥の蚊取りマット(リキッド含む)のCMで、一度だけ「ニセたぬき」として出演。CM中では本たぬきの近藤から追いかけられた。
  • 弟の津川と同様、関西が舞台のテレビ・映画・舞台作品では、きちんと関西弁で演じている。
  • 笑って許して!!』(日テレ)に第1期の回答者としてレギュラー出演していた時に、マッハ文朱がゲスト解答者として出演し順調に正解を重ねてパーフェクト(全問正解)を狙っていたが、長門が第5問を正解してそれを阻止したため、マッハを号泣させてしまった。阻止した時点で長門以外の解答者、そして観客、さらには司会の所とうつみから長門に非難の声が相次いだ。長門は「ごめん! 当たっちゃたんだよ!」と詫びた。しかしマッハは第6問を正解してトップ賞(5問正解)を獲得し、この出来事は番組史上最大の出来事となった。
  • 問題の著書『洋子へ』では、物議を醸した一例として松田聖子について、「社会人としての態度がなっていない」「歌は聴くに耐えない」と酷評している。
  • 長く芸能界に携わっている事もあり、邦画・洋画・TV番組などジャンルを問わず7,000枚を超えるLD(レーザーディスク)を所有していた。また、親友でもあった石原裕次郎ら芸能人の私的時間を写した8ミリフィルムも多数所有していた[7]
  • 南田の介護の様子はテレビで公開された(『報道発 ドキュメンタリ宣言』第1回、2008年11月3日、テレビ朝日)。小型カメラ2台などにより、生々しい介護の様子、日常生活が明らかとなり反響を呼んだ。視聴率は関東で22.9%、関西で20.6%、瞬間最高視聴率は27%と2008年のテレビ朝日放映番組1位の視聴率を獲得。
  • 2009年4月1日、南田が認知症悪化による意識混濁の状態となり、自宅から都内の病院に緊急搬送され入院。その後長門本人より、南田の病状について会見を行う。「意識は行ったり来たり。このまま植物状態になったらどうしよう、とも考えていた」と、長門は涙ながらに苦しい心境を語った(その後南田は4月18日に一旦退院していた)。5月に手記『待ってくれ、洋子』(主婦と生活社)を刊行した。

主な受賞歴[編集]

  • 1959年(昭和34年)度ブルーリボン主演男優賞ホワイトブロンズ男優賞『にあんちゃん』
  • 1963年(昭和38年)度毎日映画コンクール助演男優賞『古都』

出演[編集]

映画[編集]

  • 続清水港(1940年) - 当時の芸名は沢村アキヲ
  • 無法松の一生(1943年) - 当時の芸名は沢村アキヲ
  • 次郎長三国志
    • 次郎長三国志 第六部 旅がらす次郎長一家(1953年)
    • 次郎長三国志 第七部 初祝い清水港(1954年)
    • 次郎長三国志(1963年)
    • 次郎長三国志 甲州路殴り込み(1965年)
  • 濡れ髪権八(1954年)
  • 此村大吉(1954年)
  • 照る日くもる日(1954年)
  • お役者変化(1954年)
  • 七つボタン(1955年)
  • 恋天狗(1955年)
  • 大岡政談 人肌蝙蝠(1955年)
  • 未成年(1955年)
  • 隣の嫁(1956年)
  • 銀心中(1956年)
  • 愛情(1956年)
  • 裏町のお転婆娘(1956年)
  • 暁の逃亡(1956年)
  • 太陽の季節(1956年) - 石原裕次郎のデビュー作として有名だが、主演は長門。
  • 狂った果実(1956年) - 海岸の学生(特別出演) - 役
  • 人間魚雷出撃す(1956年)
  • 沖繩の民(1956年)
  • 月下の若武者(1957年)
  • 十代の罠(1957年)
  • お転婆三人姉妹 踊る太陽(1957年)
  • 唄祭り喧嘩旅(1957年)
  • 江戸の小鼠たち(1957年)
  • 十七才の抵抗(1957年)
  • 素足の娘(1957年)
  • 鷲と鷹(1957年)
  • 危険な関係(1957年)
  • 反逆者(1957年)
  • 池田大助捕物帖 血染の白矢(1957年)
  • 続 夫婦百景(1958年)
  • 銀座の沙漠(1958年)
  • 麻薬3号(1958年)
  • 悪魔の爪痕(1958年)
  • 盗まれた欲情(1958年)
  • 野郎と黄金(1958年)
  • 夫婦百景(1958年)
  • 地獄の罠(1958年)
  • 果しなき欲望(1958年)
  • 危険な群像(1958年)
  • 大阪の風(1958年)
  • 俺は情婦を殺す(1958年)
  • 青春蛮歌(1959年)
  • 絞首台の下(1959年)
  • 逃亡者(1959年)
  • ゆがんだ月(1959年)
  • 不道徳教育講座(1959年)
  • われらの時代(1959年)
  • 街が眠る時(1959年)
  • 第三の死角(1959年)
  • 才女気質(1959年)
  • その壁を砕け(1959年)
  • にあんちゃん(1959年) - 安本喜一 役
  • けものの眠り(1960年)
  • 密航0ライン(1960年)
  • 狂熱の季節(1960年)
  • 天下を取る(1960年)
  • 十六歳(1960年)
  • 傷だらけの掟(1960年)
  • 白銀城の対決(1960年)
  • 「キャンパス110番」より 学生野郎と娘たち(1960年)
  • 天に代わりて不義を討つ(1961年)
  • セールスマン物語 男にゃ男の夢がある(1961年)
  • 助っ人稼業(1961年)
  • 一本杉はなにを見た(1961年)
  • ろくでなし野郎(1961年)
  • 堂堂たる人生(1961年)
  • 街に気球があがる時(1961年)
  • 夜の挑戦者(1961年)
  • 豚と軍艦(1961年)
  • 一石二鳥(1961年)
  • 愛と死のかたみ(1962年)
  • 秋津温泉(1962年、松竹) - 河本周作
  • 当たりや大将(1962年) - 大将(主人公) 役
  • 憎いあンちくしょう(1962年)
  • 危いことなら銭になる(1962年)
  • 裸体(1962年)
  • 人間狩り(1962年)
  • 破戒(1962年)
  • 猫が変じて虎になる(1962年)
  • 青春を返せ(1963年)
  • 秘剣(1963年)
  • にっぽん昆虫記(1963年)
  • 結婚式・結婚式(1963年)
  • 「可否道」より なんじゃもんじゃ(1963年)
  • 危い橋は渡りたい(1963年)
  • 憂愁平野(1963年)
  • 古都(1963年)
  • 第三の悪名(1963年) - インテリヤクザ・修 役
  • いれずみ半太郎(1963年)
  • 無宿人別帳(1963年) - 占部小十郎 役
  • 人生劇場 続 飛車角(1963年)
  • 美しい暦(1963年)
  • 拝啓天皇陛下様(1963年) - 棟田博/ナレーション 役
  • 日本侠客伝シリーズ
    • 日本侠客伝(1964年)
    • 日本侠客伝 関東篇(1965年)
    • 日本侠客伝 浪花篇(1965年)
    • 日本侠客伝 血斗神田祭(1966年)
    • 日本侠客伝 雷門の決斗(1966年)
    • 日本侠客伝 斬り込み(1967年)
    • 日本侠客伝 白刃の盃(1967年)
  • 拝啓総理大臣様(1964年)
  • 無頼無法の徒 さぶ(1964年)
  • 図々しい奴シリーズ
    • 図々しい奴(1964年)
    • 続・図々しい奴(1964年)
  • 成熟する季節(1964年)
  • にっぽんぱらだいす(1964年)
  • 人生劇場 新・飛車角(1964年)
  • 駈け出し刑事(1964年)
  • 大日本コソ泥伝(1964年)
  • 任侠男一匹(1965年)
  • 大阪ど根性物語 どえらい奴(1965年)
  • 暖春(1965年)
  • 関東果し状(1965年)
  • 色ごと師春団治(1965年)
  • 続青雲やくざ 怒りの男(1965年)
  • 無頼漢仁義(1965年)
  • 大根と人参(1965年)
  • 顔役(1965年)
  • 大日本ハッタリ伝(1965年)
  • 小判鮫 お役者仁義(1966年)
  • とべない沈黙(1966年)
  • 太陽に突っ走れ(1966年) - 増田健吉 役
  • ド根性大将(1966年)
  • 男の勝負(1966年)
  • 男の顔は切り札(1966年)
  • 日本一のマジメ人間(1966年)
  • 暗黒街シリーズ 荒っぽいのは御免だぜ(1967年)
  • 嵐来たり去る(1967年)
  • 喜劇 夫婦善哉(1968年)
  • 侠客列伝(1968年)
  • 喜劇 競馬必勝法 大穴勝負(1968年)
  • 夜明けの二人(1968年)
  • BG・ある19才の日記 あげてよかった!(1968年)
  • 新網走番外地(1968年)
  • ひばり・橋の花と喧嘩(1969年)
  • 博徒無情(1969年)
  • 残酷おんな私刑(1969年)
  • 緋牡丹博徒 二代目襲名(1969年)
  • 日本残侠伝(1969年)
  • でっかいでっかい野郎(1969年)
  • やくざ非情史 刑務所兄弟(1969年)
  • 女の警察 国際線待合室(1970年)
  • 昭和残侠伝 死んで貰います(1970年)
  • 喜劇 おめでたい奴(1971年)
  • 任侠列伝 男(1971年)
  • 傷だらけの人生 古い奴でござんす(1971年)
  • 緋牡丹博徒 仁義通します(1971年)
  • 純子引退記念映画 関東緋桜一家(1972年)
  • 日本暴力団 殺しの盃(1972年)
  • あゝ声なき友(1972年)
  • バージンブルース(1974年)
  • 赤ちょうちん(1974年)
  • 青春狂詩曲(1975年)
  • 遺書 白い少女(1976年)/土屋医師役
  • どんぐりッ子(1976年)
  • 瞳の中の訪問者(1977年)
  • 人間の証明 Proof of the Man(1977年)
  • 仁義と抗争(1977年)
  • 白熱 デッドヒート(1977年)
  • 雲霧仁左衛門(1978年)
  • 九月の空(1978年)
  • 正午なり(1978年)
  • くるみ割り人形(1979年 サンリオ製作の人形劇アニメ) 文学博士
  • 茗荷村見聞記(1979年)
  • ガラスのうさぎ(1979年)/主人公の父役
  • 五番町夕霧楼(1980年)
  • 不良少年(1980年)
  • 父よ母よ!(1980年)
  • 典子は、今(1981年)
  • 連合艦隊(1981年)
  • 巣立ちのとき 教育は死なず(1981年)
  • ふるさと(1983年)
  • ナナカマドの挽歌(1983年)
  • 雨が好き(1983年)
  • 泪橋(1983年)
  • 湾岸道路(1984年)
  • テイク・イット・イージー(1986年)
  • 旅路 村でいちばんの首吊りの木(1986年)
  • 母さんの樹(1986年)
  • 南へ走れ、海の道を!(1986年)
  • 片翼だけの天使(1986年)
  • (1986年)
  • おれは男だ! 完結編(1987年)
  • ハチ公物語(1987年)
  • スケバン刑事(1987年)/暗闇指令役
  • さくら隊散る(1988年)
  • TOMORROW 明日(1988年)
  • リボルバー(1988年)
  • スケバン刑事 風間三姉妹の逆襲(1988年)/暗闇指令役
  • 死線を越えて 賀川豊彦物語(1988年)
  • 砂の上のロビンソン(1989年)
  • 将軍家光の乱心 激突(1989年)/多賀谷六兵衛役
  • 226(1989年)/木戸幸一
  • 女帝 春日局(1990年)/本多正信
  • リメインズ 美しき勇者たち(1990年) - 県会議員役
  • 浪人街(1990年)
  • さわこの恋(1990年)
  • 当選確実(1992年)
  • 遠き落日(1992年)北里柴三郎
  • 女殺油地獄(1992年)
  • 武闘派仁義(1993年)
  • 夢の女(1993年)
  • 民暴の帝王(1993年)
  • 眠れる美女(1995年)
  • XII - 1118 PROMISE THE MOON(1996年)
  • なにわ忠臣蔵(1997年)
  • 現代仁侠伝(1997年)
  • OL忠臣蔵(1997年)
  • 陽炎3(1997年)
  • シベリア超特急2(2000年)
  • しの(2003年)
  • 極道の妻たち リベンジ(2000年)
  • 弱虫(チンピラ)(2000年)
  • 手紙(2002年)
  • ミラーを拭く男(2003年)
  • 許されざる者(2003年)
  • おにぎり(2004年)
  • 男前 日本一の画家になったる!(2005年)
  • 寝ずの番2006年)/笑満亭橋鶴役(監督:マキノ雅彦
  • スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ(2006年)/暗闇警視役
  • 俺は、君のためにこそ死ににいく(2007年)/芋飴屋役
  • 転校生 -さよなら あなた-2007年6月23日公開 角川映画)
  • 22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語(2007年夏公開 角川映画)
  • 裁判員〜選ばれ、そして見えてきたもの (2007年)
  • 夢のまにまに2008年)/木室創役
  • 火垂るの墓(2008年)/町会長(御影)役
  • 次郎長三国志(2008年 角川映画) - 鬼吉の父(監督:マキノ雅彦)
  • 黄金花(2008)(監督:木村威夫) - 浴陽荘院長 役
  • プライド2009年)/星野権三郎 役
  • 特命女子アナ 並野容子(2009年)/白川重助会長役
  • 新宿インシデント(2009年)/大田原 役
  • 旭山動物園物語 ペンギンが空をとぶ(2009年)/韮崎 啓介 役
  • 青い青い空(2010年)/お寺の和尚 役
  • FLOWERS -フラワーズ-(2010年)/遠藤壮太朗 役

テレビドラマ[編集]

※ヒロインは叔母の沢村貞子がモデルであるため、自らの祖父に当たる役であった
石原裕次郎の病気療養後の復帰エピソードに犯人役としてゲスト出演
※パート1は前半は一話完結、後半は続き物という体裁であり前半は声とシルエットだけの出演、エンディングでのキャスト紹介で大きく「」とされていた。後半の途中で顔が出て以降は名前がクレジットされた。
なおパート2は暗闇指令が主人公サキを裏切るハードな展開で、最終回で正義を取り戻すシーンがシリーズを通して唯一決戦場に自ら足を運んだ、最大の見せ場となった。「?」の表記されていた時、当時見ていた者の大半は声と口調から長門とピンと来た者も多かった。

舞台[編集]

吹き替え[編集]

チャリティーキャンペーン番組[編集]

バラエティ[編集]

Vシネマ[編集]

  • 雀鬼(2話)
  • 真・雀鬼シリーズ(麻雀裏プロの代打ち"牧野"役として複数話出演、麻雀の腕と役の演技力を桜井章一は高く評価している)

ドキュメンタリー番組[編集]

CM[編集]

以下は全て妻の南田と共演。

ラジオ[編集]

  • 終戦の日特集・奇跡の生還から67年 餓島ふたたび
  • ラジオ深夜便 4時台〔明日へのことば〕「妻・南田洋子とわたし(1)俳優 長門裕之」(2010年11月11日、NHK第1放送)
  • ラジオ深夜便 4時台〔明日へのことば〕「妻・南田洋子とわたし(2)俳優 長門裕之」(2010年11月12日、NHK第1放送)

著書[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ “長門裕之さん死去…ユーモラスで哀感のある演技”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2011年5月21日). オリジナル2011年5月22日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20110522174802/http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20110521-OYT1T00777.htm 
  2. ^ “長門裕之さんが死去 俳優、演技派の名脇役”. 47NEWS. 共同通信 (全国新聞ネット). (2011年5月22日). http://www.47news.jp/CN/201105/CN2011052101000887.html 2011年5月23日閲覧。 
  3. ^ “橘家圓蔵、絶句「友人がまたいなくなった」”. SANSPO.COM (産経デジタル). (2011年5月22日). オリジナル2011年5月25日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20110525081033/http://www.sanspo.com/geino/news/110522/gnj1105220504002-n2.htm 2011年5月22日閲覧。 
  4. ^ “西田敏行、沈痛…「池中玄太は泣いている」”. デイリースポーツオンライン (デイリースポーツ社). (2011年5月24日). オリジナル2011年5月25日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20110525044255/http://www.daily.co.jp/gossip/article/2011/05/24/0004097840.shtml 2011年5月24日閲覧。 
  5. ^ 朝日新聞別刷り「Be on Saturday」2011年6月18日付、b9面「順風満帆―萩本欽一(中)」より
  6. ^ ちなみに同年3月10日には、萩本欽一の長年の相方(コント55号)であり、長門と共に昭和九年会の盟友でもあった坂上二郎も亡くなっている。
  7. ^ LD・ビデオ類のコレクションの事については、死亡後の2011年5月23日放送の『とくダネ!』で、月曜レギュラーのピーコも発言している。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]