非常線の女

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非常線の女
Dragnet Girl
タイトル
監督 小津安二郎
脚本 池田忠雄
原案 ゼームス・槇
出演者 田中絹代
岡譲二
水久保澄子
撮影 茂原英朗
照明 中島利光
編集 石川和雄
栗林実
製作会社 松竹蒲田撮影所
配給 日本の旗 松竹キネマ
公開 日本の旗 1933年4月27日
上映時間 120分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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非常線の女』(ひじょうせんのおんな)は、1933年(昭和8年)製作・公開、小津安二郎監督による日本の長篇劇映画サイレント映画である[1][2][3][4][5]

目次

略歴・概要 [編集]

本作の撮影は、同年3月8日から4月にかけて行われた[1]。本作の原案にクレジットされた「ゼームス・槇」という筆名は、当初、伏見晁池田忠雄、小津、北村小松の共同筆名あるいは仮名として生まれたものであった[6]。池田による脚本は1週間で完成し、同年1月24日、「本読み」が行われた[6]。しかしこの当日、小津は同年2月9日に公開日が決定している『東京の女』を演出することを会社から打診され、月内に撮影を開始しため、本作の撮影開始が遅れたのであった[6]

「特別応援」としてキャストにクレジットされている「フロリダダンスホール」とは、1929年(昭和4年)8月、東京市赤坂区溜池町30番地(現在の東京都港区赤坂2-4-1)に開場したダンスホールで、1932年(昭和7年)8月8日に一度焼失しているので、翌年に撮影された本作への協力は復興後の同ホールである[7]

本作における田中絹代は、昼間はタイピストを務める勤勉なビジネスガールであるが、夜は一転してギャングの情婦という役どころである[8]山本喜久男の指摘によれば、ジョセフ・フォン・スタンバーグが監督した『暗黒街』(1927年)や『非常線英語版』(1928年)の影響が濃厚であり、本作に先行する『朗かに歩め』と『その夜の妻』(1930年)が、小津における暗黒街ものであるという[9]筈見恒夫は本作にウィリアム・A・ウェルマン監督の『暗黒街の女英語版』(1928年)からの影響を指摘し、「小市民作家」のエネルギーを浪費しているといい、本作への失望を表明している[10]。本作は同年4月27日に公開されたが、小津の『出来ごころ』が第1位となった同年度の第10回キネマ旬報ベストテンには、本作は入選しなかった。

2013年(平成25年)1月現在、東京国立近代美術館フィルムセンターは、119分尺および120分尺の35mmフィルム、120分尺の16mmフィルムの3種類の上映用ポジプリントを所蔵している[3][4][11]マツダ映画社は、本作の上映用プリントを所蔵していない[12]ビデオグラムについては、1993年(平成5年)11月21日に松竹ホームビデオがVHSベースで発売しており、2003年(平成15年)12月25日には松竹が発売した「小津安二郎 DVD-BOX 第四集」に収録された[5]

スタッフ・作品データ [編集]

主題を象徴するスチル写真、左・田中絹代、右・岡譲二
レコード店の店員、水久保澄子
ニッパーのいるレコード店から見える街のセット。丸善の看板が見える。

キャスト [編集]

脚注 [編集]

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  1. ^ a b Hijosen no onna, インターネット・ムービー・データベース (英語)、2013年1月29日閲覧。
  2. ^ 非常線の女日本映画データベース、2013年1月29日閲覧。
  3. ^ a b 非常線の女、日本映画情報システム、文化庁、2013年1月29日閲覧。
  4. ^ a b c 非常線の女東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年1月29日閲覧。
  5. ^ a b 非常線の女allcinema, 2013年1月29日閲覧。
  6. ^ a b c 都築[1993], p.46-48.
  7. ^ 和田[2004], p.45.
  8. ^ a b c 生誕百年 映画女優 田中絹代 非常線の女、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年1月29日閲覧。
  9. ^ 山本[1983], p.436.
  10. ^ 筈見[1937], p.78.
  11. ^ 所蔵映画フィルム検索システム東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年1月26日閲覧。
  12. ^ 主な所蔵リスト 劇映画 邦画篇マツダ映画社、2013年1月29日閲覧。

参考文献 [編集]

関連項目 [編集]

外部リンク [編集]