自由学校

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自由学校』(じゆうがっこう)は、獅子文六による小説。『朝日新聞』にて1950年5月26日から12月11日まで連載された。本記事ではそれを原作とした映画、テレビドラマについても記載する。

あらすじ[編集]

南村五百助と駒子の夫婦は、五百助が辞職して家出したことをきっかけに、それぞれ別の道を歩み、様々な人々と交流・交際していくことになる。「お金の水橋下」として登場するお茶の水橋下の住居、神田駅付近の闇市など、著者自身が神田駿河台に住んだ際の見聞を取り入れ、敗戦後の東京を諷刺、戯画化した小説となっている。

映画[編集]

映画化にあたっては松竹、大映とが競作、同じ週に封切られる異例の作品となった。また、5月初めの連休に公開され、2作品とも興行成績がよかったため、「ゴールデンウィーク」という用語が生まれた。

松竹版[編集]

1951年松竹の配給で映画化された。佐田啓二の「とんでもはっぷん」や「ねえ、おばさま」、「ネバー、ネバー」などの台詞が大流行した[1]。配給収入は5823万円[2]

スタッフ[編集]

左から佐分利信、高峰三枝子

キャスト[編集]

大映版[編集]

五百助役の小野文春は、公募で選ばれた文藝春秋社の出版企画部長だった。配給収入は8000万円[2]

スタッフ[編集]

キャスト[編集]

テレビドラマ[編集]

1965年版[編集]

新・自由学校』のタイトルで、1965年2月1日 - 4月26日東海テレビ15分昼ドラマ枠にて放送された。

スタッフ[編集]

キャスト[編集]

1978年版[編集]

新自由学校』のタイトルで、1978年1月9日 - 2月3日NHK総合テレビジョンビ銀河テレビ小説』にて放送された。

スタッフ[編集]

  • 脚本 - 松木ひろし
  • 音楽 - 竹田由彦
  • タイトル画 - 脇田和
  • 演奏 - コンセール・レニエ

キャスト[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 川本三郎筒井清忠『日本映画 隠れた名作 昭和30年代前後』(中公選書2014年)による。
  2. ^ a b 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)80頁

外部リンク[編集]

東海テレビ制作 昼ドラマ
前番組 番組名 次番組
われ泣きぬれて
(1964年11月3日 - 1965年1月29日)
新・自由学校
(1965年2月1日 - 4月26日)
この世の愁い
(1965年5月3日 - 7月30日)
NHK総合テレビジョン 銀河テレビ小説
前番組 番組名 次番組
友情
(1977年12月5日 - 12月23日)
新自由学校
(1978年1月9日 - 2月3日)
女たちの家
(1978年2月6日 - 3月10日)