復活 (小説)

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復活』(ふっかつ、ロシア語: Воскресение)は、レフ・トルストイの晩年の長編小説、および同作を原作としたイタリアアメリカ合衆国等の映画の日本語タイトルおよび日本の映画である。トルストイの小説は、彼の代表作の一つに数えられる。1899年、雑誌への連載で発表。若い貴族とかつて恋人だった女の、贖罪と魂の救済を描き、それを通じて社会の偽善を告発する。

略歴・概要[編集]

作者はこの作品の印税を、当時弾圧を受けていたドゥホボル教徒のカナダへの移住のために献金した。1901年、トルストイはロシア正教破門されたが、その直接の理由は、『復活』の中で「聖書を勝手に解釈したり正教を冒涜したりした」ととられたためである。これは一般民衆の反発を買ったが、現在に至るも破門は解除されていない。

当時実際にあった類似の事件に触発され、また作者自身の過去の行状に対する悔恨の情を織り交ぜながら書いたといわれる。

あらすじ[編集]

若い貴族ドミートリイ・イワーノヴィチ・ネフリュードフ公爵は殺人事件の裁判に陪審員として出廷するが、被告人の一人である若い女を見て驚く。彼女は、彼がかつて別れ際に100ルーブルを渡すという軽はずみな言動で弄んで捨てた、おじ夫婦の別荘の下女カチューシャその人だったのだ。彼女は彼の子供を産んだあと、そのために娼婦に身を落とし、ついに殺人に関わったのである。

カチューシャが殺意をもっていなかったことが明らかとなり、本来なら軽い刑罰で済むはずだったのだが、手違いでシベリアへの徒刑が宣告されてしまう。ネフリュードフはここで初めて罪の意識に目覚め、恩赦を求めて奔走し、ついには彼女とともに旅して彼女の更生に人生を捧げる決意をする。

映画[編集]

小説の発表後10年が経過した1909年(明治43年)、ロシア国内とアメリカ合衆国でまず映画化され、翌1910年(明治44年)にはすでに日本で映画化されていた。下記は世界中で製作された本作を原作とした映画の一覧である[1]。日本で公開されているものには日本語題名を付した[2]

溝口健二監督の『愛怨峡』を除き、いずれも東京国立近代美術館フィルムセンターは所蔵していない[3]

日本における受容[編集]

日本では早くから博愛主義の作家としてのトルストイが受け入れられ、なかんずく『復活』は彼の代表作として知られていた。ただしこれは作品の宗教的・社会的な面よりも、悲恋物語として受け入れられた面が強い。

1905年(明治38年)、内田魯庵によって初めて翻訳された。1910年(明治43年)、日活の前身の一社である吉沢商店新派の俳優・佐藤歳三を起用して、サイレントの短篇映画を製作・公開している[4]。これは前年に映画化したロシア、アメリカ合衆国に次いで、全世界で3作目に当たる[1]

1914年(大正3年)3月、島村抱月によって舞台化されて大人気を呼び、カチューシャ役・松井須磨子の歌う『カチューシャの唄』も人口に膾炙した。同年8月、日本キネトフォンが、『カチューシャの唄』として、松井が出演するPV的な短篇の先駆的トーキーを製作・公開している[5]。同年10月には、日活向島撮影所女形立花貞二郎をカチューシャ役に『カチューシャ』を製作、日活がこれを公開して大ヒットとなり、続編がつくられた[6]。上記を含めて、日本では合計8回映画化された。なかでも、1937年(昭和12年)、監督溝口健二が監督した『愛怨峡』は、『復活』を下敷きにした川口松太郎の原案を原作としたことで知られる[7]。溝口の同作以降は、日本では映画化されていない。日本以外の諸国での映画化作品も、8作が日本で公開されている[2]

テレビドラマ[編集]

日本に舞台を移して翻案されたドラマが制作・放送されている。

宝塚歌劇[編集]

主な日本語訳[編集]

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  1. ^ a b Leo Tolstoy - インターネット・ムービー・データベース(英語), 2009年11月29日閲覧。
  2. ^ a b キネマ旬報 映画データベースキネマ旬報、2009年11月29日閲覧。
  3. ^ 所蔵映画フィルム検索システムでの検索結果、東京国立近代美術館フィルムセンター、2009年11月29日閲覧。
  4. ^ 復活日本映画データベース、2009年11月29日閲覧。
  5. ^ カチューシャの唄、日本映画データベース、2009年11月29日閲覧。
  6. ^ 『日本映画発達史 1 活動写真時代』、田中純一郎中央公論社、1968年、p.218-223.
  7. ^ 『溝口健二の世界』、佐藤忠男筑摩書房、1982年、p.97.