大竹伸朗

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大竹 伸朗(おおたけ しんろう、1955年10月8日 - )は、日本現代美術家。

経歴[編集]

「はいしゃ」(直島家プロジェクト

東京都目黒区出身。

小学生の頃は漫画家になりたかったため、アニメのキャラクターを描き溜めては近所にあったアニメスタジオへ見せに行っていた。スタッフの人が褒めてくれ、帰りにセル画を貰えるのが嬉しかったという。中学生時代にはサッカー、ロック、絵に没頭する。兄の持っていたレコードや画集を見聞きし、もの凄く影響を受けたという[1]

小学校時には大田区六郷に住んでいて巨人の多摩川グラウンドによく通った[2]広岡達朗のファンだったという[2]。小学校3年の時、練馬区に転居[2]

1974年東京芸術大学に落ち、武蔵野美術大学油絵学科に入学するも、一週間で休学。北海道別海町牧場で働く。翌年から北海道各地を巡り絵を描いたり写真を撮ったりして過ごす。

1977年から1978年イギリス留学。同地で様々な情景を撮影、またスケッチなどをし、その作品をまとめて作品集を出版する。

1980年、武蔵野美術大学油絵学科卒業。ノイズバンド「JUKE/19」結成し、自主制作でアルバム発売。

1982年から個展を開始。以後絵本写真、立体、コラージュパフォーマンスといった多種多彩な表現をみせ、一躍時代の寵児となる[要出典]。またアメリカなどでも個展を開催している。ガラクタや巨大なゴミを媒介にしての作品を特徴とし、海外でも評価は高い[要出典]

1988年より愛媛県宇和島市に移住。以降、活動の拠点とする。

1995年山塚アイとパフォーマンスユニット「パズル・パンクス」を結成する。

2006年東京都現代美術館で大回顧展「大竹伸朗 全景 1955-2006」を開いた。また、以前働いていた北海道別海町の牧場で個展を開いた。香川県直島家プロジェクトの「はいしゃ」に作品「舌上夢/ボッコン覗」を発表。

小説家ウィリアム・バロウズが「私は彼の信奉者である」と公言したこともある[要出典]。また、坂本龍一和田ラヂヲとも親交がある[要出典]

2009年香川県直島で、銭湯I♥湯(アイラブゆ)」をオープン。

2012年ドイツカッセルで5年に一度開催される第13回ドクメンタに参加。

2014年芸術選奨文部科学大臣賞美術部門受賞。

著書[編集]

  • 倫敦/香港 1980(1986、用美社)
  • EMZD(1987、用美社)
  • DREAMS(1988、用美社)
  • 大竹伸朗:アメリカ、アートランダム VOL.1(1989、京都書院)
  • Shipyard Works 1990(1990、UCA)
  • SO 大竹伸朗の仕事 1955-91 (1991、UCA宇和島現代美術)
  • ジャリおじさん(1993、福音館書店) 小学館絵画賞
  • 東京サンショーウオ(1993、京都書院)
  • カスバの男(1994、求龍堂)
  • Morocco-paper & needle(1994、UCA)
  • Pipeline(1995、UCA)
  • In Shinjyuku 120%(1995、UCA)
  • ドンケデリコ(1996、作品社)
  • ポートレイツ・バイ・アヴェンドン 18th July 1979(1996、UCA)
  • ATlanta 1945+50(1996、Nexus Press, Atlanta)
  • Printing Painting(1997、トランスアート)
  • YMCB(1997、トランスアート)
  • ぬりどき日本列島(1998、新津市美術館)
  • ネガな夜(1998、作品社)
  • 部分(1998、リトルモア)
  • 既にそこにあるもの(1999、新潮社
  • 日本景 / ジャパノラマ(1999、朝日新聞社
  • 18(2002、青山出版社)
  • テレピン月日(2002、晶文社)
  • UK77(2004、青山出版社)
  • 権三郎月夜(2006、月曜社)

主な作品収蔵先[編集]

Shipyard Works: Cut Bow(ベネッセハウス

テレビ出演[編集]

出典[編集]

  1. ^ 日本造形教育研究会 2012『新 美術 表現と鑑賞』開隆堂出版 138ページより
  2. ^ a b c 『ぼくのしょうらいのゆめ』プチグラパブリッシング、2006年、42ページより

関連項目[編集]

外部リンク[編集]