牛頭天王

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牛頭天王と素戔嗚尊の習合神である祇園大明神(仏像図彙 1783年)

牛頭天王(ごずてんのう)とは、日本の神道における神の一柱である。その起源は定かではないが後述のようにインドで信仰されていた神の一柱が原型であるとの説が提示されている。日本においては素戔嗚尊と習合し、その本地とされた。

目次

[編集] 起源

牛頭天王の起源としては以下の説がある。

  • ゴーマ・グリーヴァャ・デーバラージャ(漢音訳:瞿摩掲唎婆耶提婆囉惹)「望月仏教大辞典」より。
  • ギャバ・グリーヴァGavagriva ・・・ 典拠は不明。
  • ゴーズ ・・・祇園精舎の守護神といわれる。

[編集] 歴史

[編集] 備後国風土記の蘇民将来説話

釈日本紀』に引用された『備後国風土記逸文に「武塔神」と「蘇民将来」兄弟の話が出てくる。親切に迎え入れた兄の「蘇民将来」に対しては疫病を免れしめたというがこれは「蘇民将来」説話の最古の例であり、この段階ではまだ「蘇民将来」説話と牛頭天王は結びついていなかった。

[編集] 中世

牛頭天王は疫病の神であるところから「蘇民将来」説話と混淆し、牛頭天王は武塔神と同一視されたり父子関係とされたりするようになる。また日本の神素盞鳴尊と習合した。

その結果、さまざまな説話のバリエーションがある。

一例に八坂神社などでは赤い地の紙に金色の文字で「蘇民将来子孫之門」という札の由来となった次の説話がある。(赤い紙に金色の文字は陰陽道で「疫病神が嫌う色」とされているからとされる。)

昔、牛頭天王が老人に身をやつしてお忍びで旅に出た時、とある村に宿を求めた。このとき弟の巨丹将来は裕福なのに冷淡にあしらい、兄の蘇民将来は貧しいのにやさしく迎え入れてもてなした。そこで牛頭天王は正体を明かし、「近々この村に死の病が流行るがお前の一族は助ける」とのたまった。果たせるかな死の病が流行ったとき、巨丹の一族は全部死んでしまったのに、蘇民の一族は助かったという。

また他の、一例では牛頭天王は武答天皇の太子として登場し、牛頭天皇とも表記され、八大竜王の一、沙竭羅竜王の女を妃として8人の王子を生んだという。その姿は、頭に牛の角を持ち、夜叉のようであるが形見かけは人間に似ていると考えられた。

平安時代都市部で信仰されるようになり、祇園御霊会祇園祭)において祀られるようになったとされる。京都祇園の八坂神社に祀られ除疫神として尊崇された。

仏教では、東方・浄瑠璃世界の薬師如来垂迹ともされる。またスサノオと習合したことから、新羅牛頭山に関係する神ともいわれる。牛頭天王・スサノオに対する神仏習合の信仰を祇園信仰といい、中世までには日本全国に広まった。

[編集] 近世・近代

八坂神社広峯神社津島神社氷川神社およびその分社で祀られていた。単に天王といえば、牛頭天王をさすことが多い。明治の神仏分離において仏教と神道が混交した牛頭天王信仰は徹底的に弾圧され、これらは牛頭天王ではなくスサノオを祀る神社として再編された。ただし、天王神社など牛頭天王を祭神とする神社は今でも全国各地に点在している。 また牛頭天皇と呼ばれることもあり、奈良や滋賀の天皇神社はスメラミコトとしての天皇ではなく牛頭天王が祭神である

天王洲アイルの「天王洲」など、各地にある「天王」のつく地名の多くは牛頭天王に因むものである。

[編集] 関連項目

[編集] 参考文献


[編集] 外部リンク