町山智浩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
町山 智浩(まちやま ともひろ、1962年7月4日 - )は、映画評論家、コラムニスト。東京都出身。放送作家の町山広美は実妹。既婚者で家族は妻と一女。
元宝島社勤務、洋泉社出向。映画秘宝創刊後、退社し渡米。米国カリフォルニア州バークレー在住。
ガース柳下こと柳下毅一郎との対談コンビ「ファビュラス・バーカー・ボーイズ」ではウェイン町山を名乗る。なお、ウェイン、ガースは『ウェインズ・ワールド』のボンクラ・コンビの名前。「ファビュラス・バーカー・ボーイズ」は映画『ファビュラス・ベイカー・ボーイズ』のもじりである。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] 思春期まで
在日韓国人一世の父親と、日本人の母親との間に生まれた。 韓国人の父親については、死の直前に父親の病床を訪ねて彼の来歴を聞いた、雑誌『hon-nin』連載の自伝「Who's your daddy?」に詳しい。 それによれば町山が中学生の頃に両親は離婚し、彼は母の籍(町山)に入り、日本に帰化した。
父親からは韓国関係のことを一切教わらず、それなのに学校で「朝鮮人の子供」として差別されることに理不尽な思いを抱く。
早稲田大学高等学院、早稲田大学法学部卒。大学では、早稲田大学漫画研究会に在籍。最初のアルバイトは高校卒業直前から大学1年まで早稲田大学正門前のセブンイレブン深夜担当。思春期は映画マニア、SFマニアとして過ごす。
[編集] 出版との関わり
学生時代からバイトで出入りしていた編集プロダクション「スタジオ・ハード」(漫研の先輩の高橋信之が創設)でケイブンシャの大百科シリーズ(『怪獣ものしり大百科』)ほか多くのアニメ書籍を執筆。そこで紹介された宝島社(旧JICC出版局)において学生バイト兼編集デスクとして任された別冊宝島「ゴジラ宣言」が早々に増刷。その評価をもって入社が決定する。
学生バイト時代は、SF劇場アニメ『レンズマン』などの科学考証にも参加。また、「このビデオを見ろ!」などのムックも編集している。
入社後、まず1980年代中期パンク雑誌だった頃の『宝島』本誌を担当した。担当はみうらじゅん、デーモン小暮、坂東齢人、根本敬、三留まゆみなど。特にみうらとは仲が良く、バカの町山の称号(褒め言葉である)を与えられており[1]、現在でも町山はみうらを師と仰いでいる[2]。また『宝島』編集部の同僚として、後にコンビを組む柳下毅一郎とも出会っている。
1989年12月に、浅羽通明らを起用した『おたくの本』を企画編集。この本がベストセラーになったことと、同年の7月に宮崎勤事件が起きていたことなどが相まって、「おたく」という言葉が一般に認知される。
『別冊宝島』では他に、『裸の自衛隊!』『いまどきの神サマ』などのベストセラーを企画編集。『裸の自衛隊!』では習志野第一空挺団(大月隆寛とともに)と元フランス外人部隊脱走兵(毛利元貞)が指導する事が売りの傭兵訓練に自ら参加している。
また、後の『映画秘宝』の流れにつながる『映画宝島』シリーズを企画、自ら取材執筆している。1991年、『映画宝島・異人たちのハリウッド』はハリウッドスターをエスニシティという視点から読み解いた研究書で、自ら父方の姓(柳)を名乗った。
その後、月刊誌『宝島30』編集部で、当時は政府もマスコミも認めていなかった朝鮮総連のスパイ行為や北朝鮮の日本人拉致問題をいちはやく追及し、左翼文化人や岩波書店を名指しで攻撃、送られてきた内容証明を誌上で公開するなどした[要出典]とされる。なお、1989年6月に発生した天安門事件における中国人民解放軍によるデモ隊の虐殺を、「『天安門広場内での虐殺はなかった』それは現在、公式の事実として国際的に政治レベルでも確定している」、「誤報」、「ウソ」であると否定している[4]。
1995年 宝島社の子会社・洋泉社に出向。『トンデモ本の世界』をベストセラーにして、と学会を売り出した。また『映画秘宝』シリーズを創刊した。
1996年、第3回みうらじゅん賞受賞。
1996年、『映画秘宝・底抜け超大作』に載った中原昌也の原稿の事実関係の間違いを、老舗の映画雑誌『キネマ旬報』の副編集長が「こんな映画いじめの雑誌はダメだ」と批判した。それに対して町山はキネ旬編集部に乗り込み、シェービングクリームで作ったパイを副編集長にぶつけた。キネマ旬報は弁護士を通じて洋泉社に抗議文を送り、町山はキネマ旬報に謝罪するとともに依願退職し、妻とともに渡米した。
宝島社及び洋泉社勤務時代の「宝島サブカルチャー黄金期」については、『サブカルチャー世界遺産』(ISBN 4594030491)に掲載された本人のインタビューに詳しい。
[編集] 渡米後
アメリカでは英語を学ぶとともに、映画学校にも通う。妻の仕事の関係でカルフォルニア州モントレー、コロラド州ボルダーなどアメリカのあちこちを移り住んだ後、1997年より米国カリフォルニア州サンフランシスコ・ベイエリアに在住(ベイエリア内ではオークランドから2007年にバークレーに転居)。
その後、日本人のあまり知らないアメリカ映画の動向やアメリカの人気テレビ番組、B級文化、政治状況などを、『映画秘宝』『TVブロス』『サイゾー』『週刊現代』等、日本の新聞・雑誌・ラジオ・テレビ等で紹介している。
2004年、アメリカで、友人の日本映画マニアパトリック・マシアスとの共著『Cruising the Anime City: An Otaku Guide to Neo Tokyo』を出版(英語)。
また、2004年にマイケル・ムーア監督が制作した、ブッシュ政権のイラク戦争政策を批判するドキュメンタリー作品『華氏911』を、「アメリカで暮らし、税金を払っている者」として支持し、自身のブログや様々なメディアで発言。
2005年、日本で配給会社がつかなかった映画『ホテル・ルワンダ』の日本公開を求めてラジオや雑誌で訴え、これに呼応して有志が署名運動を起こした。同作は、2006年1月に日本公開が実現した。同様の経緯で、2008年には『ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン!-』が公開された。
また、2008年6月発売の、雑誌「hon-nin」vol.07から、回顧録の連載を始めている。
[編集] 映画評論のスタイル
主要な著書である、『〈映画の見方〉がわかる本』シリーズでは、論証対象の映画ができあがるまでの、原作者、脚本家、監督、俳優、プロデューサー等それぞれの、思想・考えや行動、偶然のできごとなどの、エピソードなどを事細かにとりあげ、論じている。いわばオーソドックスな「映画評論」のスタイルといえる。
そのため、蓮實重彦が提唱して映画批評界に大きな影響を与えた「映画をその映画内に表現された内容のみで論じる」という「表層批評」と、大きく敵対している。なお、町山は、蓮實については、「70年代に雑誌『映画芸術』でB級映画を褒めていたころは好きだったが、映画『スカーフェイス』に対する「下品だ」との評を見てはらわたが煮えくりかえった」と語っている。
なお、『映画秘宝』誌に連載された『〈映画の見方〉がわかる本』シリーズは、70年代編・80年代編・90年代編とあるが(90年代編は単行本が未刊行)、ハリウッドでは1970年代・1980年代は「映画作家」たちが自分たちの表現欲をもとに面白い映画をとっていたが、1990年代以降はプロデューサー主導の「ビッグバジェット・ムービー」が主流となってしまい映画が面白くなくなったとしている。
また、映画ファン・映画評論家、双方から評価が高い「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズを、「レーガン政権的思想を体現した映画」として批判している。
町山が影響を受けた映画評論家としては、川本三郎、石上三登志、双葉十三郎、増淵健、(かつての)蓮實重彦、山田宏一、淀川長治らの名前を挙げている[5]。
一方、字幕翻訳家の大御所である戸田奈津子を「デタラメな翻訳で英語字幕を独占している!」と名指しで批判している。
[編集] 「コラムの花道」内での発言
TBSラジオ『ストリーム』の「コラムの花道」に出演時の発言。
- 複数の雑誌にスター・ウォーズ エピソード3の政治的暗喩について書いたところ、配給会社である20世紀FOX日本支局によって検閲された事情を「コラムの花道」で暴露。さらにアメリカのジャーナリストを通じてルーカス・フィルムにもFOX宣伝部の検閲行為を伝えたところ、本人いわく「そこ(FOX)から仕事が来なくなった」そうである。
- 同番組では、2007年5月に、同じコーナーでブッシュ大統領が弾劾裁判で失職する可能性が出てきたという話をしていて最後に突然、「宮崎哲弥は2004年の大統領選挙でこんなブッシュを支持する発言をしていたんですよ」と批判を始めた。その後、宮崎哲弥本人からTBSラジオ及び町山本人に抗議が来たようで、翌週の同コーナーにおいて『筑紫哲也の番組でブッシュ支持と反ブッシュで同じ人数に分かれて討論する演出だったが、ブッシュ支持の人数が足らず、番組に頼まれてイラク戦争には反対だが日本人には投票権がないし関係ないかと思い渋々ブッシュ支持に回った。そういった裏事情はラジオや活字媒体で説明済みである』という宮崎の反論を放送。町山もそういった裏事情を知らなかったということで謝罪した。しかし、「イラク戦争は日本人に関係ない訳ではない。ブッシュがイラク戦争のために北朝鮮問題を軽視している」と批判している。
[編集] 勝谷誠彦との関係
勝谷誠彦とは、ともにTBSラジオ『ストリーム』の「コラムの花道」の出演者という関係であったが、町山が火曜日、勝谷が水曜日のレギュラーなので、共演する機会はなかった。
町山は、2004年3月13日付けのブログにおいて「その奇妙な今枝擁護記事を書いたのはたしか勝谷ナントカとか言う男だった。」とマルコポーロ時代の勝谷を名指しで批判している[6]。
2005年7月19日には、「コラムの花道」で別れた父が在日コリアンであることを明かした際、勝谷の批判を突然始めたことがある。その週は、クリスチャン(キリスト教徒)とムスリム(イスラム教徒)が互いの立場を逆転させて生活するテレビ番組を紹介していた。差別の苦しみは差別されなければわからない、なので知識も背景もわかろうともせずに無用な差別はしてはいけない、というのが町山の結び。その結びの際(17分20秒)にいきなり「勝谷なんとかという奴」という表現で話にあげ、「彼をそのテレビ番組に出演させて、中国人や韓国人として生活させれば少しは言われる側の気持ちがわかるだろう」という趣旨の発言をした。ただ、翌日(2005年7月20日)の勝谷はこのことについて直接言及することはなく、それ以後も町山自身もこのことについて触れることはなかった。これは、「番組リスナーのためにも交戦してほしくない」という同番組ディレクターの仲介によるものである[7]。
なお、2007年7月の勝谷出演の「コラムの花道」では、勝谷は、パーソナリティの小西克哉が前日に町山と酒席をもったことを気にしているような態度を取り、そのときに「アメリカからいやなヤツが来てるんでしょ?」といった表現で、名指しはしないものの初めて町山に言及した。この日の番組のエンディングで小西は「勝谷さんと町山さんを2人だけで会わせたらどんなことになるか」と発言した。
2007年10月9日に町山が「コラムの花道」で、アメリカの超保守で過激な発言で知られる女性コラムニスト(アン・コールター)の話をした際、小西に「日本でいうと誰に例えればいいでしょうね」と問われると、町山は「ストリームに明日出る人」と答えた(ただし、勝谷はアン・コールターと全く同じではないと否定している。また町山は、アン・コールターはニューヨーク・タイムズの社屋を爆破すべきだと言うが、勝谷は朝日新聞を爆破しろとまでは言わないと言っている)。
2008年3月12日の放送で勝谷は、コラムの花道の本が出ることについて、「表紙のオレの名前が町山さんの後ろにある」と、初めて町山の名前を直接挙げた。さらに、コーナーの出演者全員でサイン会をやったらどうかと提案し、その後、客と出演者で飲み会をやって、「オレと町山が殴り合いをする」と言った。
2008年3月に出版されたコラムの花道の本では、勝谷が町山に言及した回が取り上げられており、その注釈で、約20年前に町山と勝谷に何らかの対立があったらしいと明記されている。
ただ、2008年4月1日放送のコラムの花道において番組内で使われる自身のキャッチフレーズに対する不満を述べた際に、「勝谷さんはどうなんですか?」、「時限爆弾(勝谷のキャッチフレーズ)の方がまだいいじゃないですか、エロの伝道師(町山のキャッチフレーズ)よりも」と述べたり、2008年4月22日の放送で「勝谷さんがイラクに行ってフセインが入っていた穴に入って・・・」と述べるなど、以前とは多少違った形で勝谷誠彦に言及しはじめている。
なお、町山は『宝島30』の編集者だった1992年に、張明秀の朝鮮総連内部告発の連載を担当し、辛光洙(シン・ガンス)の対日工作の詳細や日本人の拉致や北からの工作員上陸に総連が関わっている事実を告発している。この件を当時勝谷が所属していた週刊文春にも取り上げてくれるよう頼んだが、当時は拉致問題に対するメディアの関心は低く、まったく相手にされなかったと自身のブログに書いている(町山は当時は岩波書店に代表される左派論壇をエセ左翼として徹底的に批判していた)[要出典]。
[編集] その他エピソード
週刊現代の連載を打ち切られた後に同誌に江原啓之の新連載が始まったことに腹を立て、「霊能力があるんだったら、オレを呪い殺してみろ、このデブ!」と江原を罵ったことがある[8]。
村上隆を嫌っている[9]。村上のアートをアニメ・漫画の模倣、それを高額な値段で販売していると批判している[10]。
[編集] 著書
- 『アメリカ横断TVガイド』 洋泉社、2000年9月。ISBN 4-89691-484-8。
- 『映画の見方がわかる本―「2001年宇宙の旅」から「未知との遭遇」まで』 洋泉社、2002年9月。ISBN 4-89691-660-3。
- 『底抜け合衆国―アメリカが最もバカだった4年間』 洋泉社、2004年9月。ISBN 4-89691-843-6。
- 『USAカニバケツ/超大国の三面記事的真実』 洋泉社、2004年12月。ISBN 4-87233-893-6。
- 『ブレードランナーの未来世紀 〈映画の見方〉がわかる本―80年代アメリカ映画 カルトムービー篇』 洋泉社、2004年12月。ISBN 4-89691-974-2。
- 『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』 文藝春秋、2008年10月。ISBN 4-16370-750-6。
- 『キャプテン・アメリカはなぜ死んだか 超大国の悪夢と夢』 太田出版、2008年12月。ISBN 4-77831-152-0。
- 『オバマ・ショック』 集英社新書、2008年10月。ISBN 4-08720-477-4。 越智道雄との共著
- 『新版 底抜け合衆国 ~アメリカが最もバカだった4年間』 洋泉社、2009年1月。ISBN 4-86248-374-7。
- 『アメリカは今日もステロイドを打つ USAスポーツ狂騒曲』 集英社、2009年2月。ISBN 4-08780-516-6。
[編集] 柳下毅一郎(ガース柳下)との共著
- 『ファビュラス・バーカー・ボーイズの地獄のアメリカ観光』 洋泉社、2002年5月。ISBN 4-89691-357-4。
- 『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判』 洋泉社、2002年5月。ISBN 4-89691-629-8。
- 『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判2』 洋泉社、2004年9月。ISBN 4-89691-845-2。
- 『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判3』 洋泉社、2007年2月。ISBN 4-86248-125-2。
[編集] 翻訳
- アーロン・マッグルーダー 『ブーンドックス/ブッシュが最も恐れた小学生』 幻冬舎、2004年8月。ISBN 4-34400-665-8。
- パトリック・マシアス 『オタク・イン・USA~愛と誤解のAnime輸入史』 太田出版、2006年8月。ISBN 4-77831-002-0。(編集も:原題 "Cruising the Anime City: An Otaku Guide to Neo Tokyo")
[編集] DVD
- 監督・出演『ウェイン町山のLA秘宝』DVD
[編集] 出演
[編集] ラジオ
- 『ストリーム』(TBSラジオ、2004年4月~2009年3月、「コラムの花道」にレギュラー出演(火曜日))
- 『小島慶子 キラ☆キラ』(TBSラジオ、2009年4月~、「コラムニスト」でレギュラー出演(金曜日))
[編集] テレビ
- 『松嶋×町山 未公開映画を観るTV』(TOKYO MX、2009年4月~)
- 出演松嶋尚美。町山は日本未公開の海外ドキュメンタリー映画のセレクト及び紹介を担当。
[編集] 脚注
- ^ 一方、同じく「バカ」の称号を持っていた、『宝島』出身のライターでみうらと親しい佐藤克之とは、町山が濃いサブカル野郎、佐藤はサブカルの知識ゼロのため、犬猿の仲であった。
- ^ 「ストリーム」2009年2月17日
- ^ いしかわじゅんのエッセイ漫画「フロムK」によると、「フロムK」中で佐藤克之の結婚式で裸踊り(「サブカルジェッター」第20回によると、みうらじゅんや野沢直子にけしかけられたという)をする町山をいしかわが描いたため、それを見た社長が激怒し『別冊宝島』に異動させられたという。
- ^ 「ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記」2004年3月13日 http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20040313
- ^ 「映画秘宝」ができるまで ~C○T、侍ジャイアンツ、蓮實重彦~ 町山智浩インタビュー その2
- ^ 2004-03-13 - ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記
- ^ WEBダ・ヴィンチ|4ちゃんねる! - 水道橋博士
- ^ 「『霊能者はいなくなればいい』江原啓之イベントに大観衆」 サイゾー、2008年8月30日。
- ^ 「2004-02-17」 ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記、2004年2月17日。
- ^ 「昨日の絵は1500万円」 ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記、2007年12月9日。

