フランス外人部隊

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創設以来、180年以上に及ぶ歴史の中で、のべ60万人以上が軍務についた。

フランス外人部隊(フランスがいじんぶたい, 仏語Légion étrangère, 英語French Foreign Legion)は、フランス陸軍所属の国籍を問わない志願兵で構成される正規部隊である。1831年の創設以来現代まで一貫して存続している。「フランス外国人部隊」とも呼ばれる。

目次

[編集] 概要

1831年にフランスの北アフリカ植民地支配を確保を支援する目的から結成されるが優秀であったため他へも利用されることになる。本部はアルジェリアのシディ・ベル・アベス、1962年からはコルシカに移動。[1]

フランスに限らず、ヨーロッパにおいては戦争の際にスイス人など外国人傭兵が活躍することが多かったが、近代になるとほとんどの国で軍隊は徴兵制による国民軍の形態を採るようになった。これはフランス革命戦争およびナポレオン戦争でフランスの国民軍が他国の職業軍人集団である傭兵隊に対し圧倒的な強さを見せたためである。

しかし、ナポレオン戦争によって人口が激減し、その後も人口が伸び悩んだフランスは、兵力の確保に問題を抱えるようになっていた。また、1830年から始まったアルジェリア征服戦争でフランス国民軍に非常に多くの死傷者が出たため、国民の非難を受けることを怖れた政府は外国人部隊の起用に踏み切った。1831年3月10日ルイ・フィリップ国王の署名により外人部隊は誕生した。こうして皮肉なことに「国民軍」を生んだフランスにおいて、国民軍に代わって職業的戦士集団としての外人部隊が戦闘で重要な役割を果たすことになった。初期の外人部隊はアルジェリア戦線で活躍し、その後もアルジェリアに駐屯することが多かった。

[編集] 戦歴

外人部隊の兵士

[編集] 19世紀

ナポレオン3世の第二帝政下で、フランスはクリミア戦争イタリア統一戦争に参戦し、メキシコの内政に武力介入するなど多方面で戦争を繰り広げ、フランス外人部隊は各地の戦闘で活躍した。後にアンリ・デュナン赤十字を創設するきっかけとなった1859年ソルフェリーノの戦いでは外人第2連隊がオーストリア軍を相手に敢闘した。また、1863年メキシコカマロンの戦いではダンジュー大尉率いる部隊がメキシコ軍と外人部隊史上に残る激戦を展開し、敵軍司令官から「こいつらは人間ではない、鬼だ」と賞賛された。さらには、普仏戦争敗戦後のパリ・コミューンを鎮圧したヴェルサイユ軍においても外人部隊3個大隊が中心的役割を果たし、清仏戦争でもインドシナ派遣軍に参加した外人部隊が清朝軍と戦闘を交えた。これ以外にもスーダンダホメーマダガスカルカサブランカと植民地での活躍は数え切れない。

[編集] 二つの大戦

第一次世界大戦が勃発すると、100ヶ国を超える国の国民が外人部隊に志願し、とくに初期にはリソルジメントの英雄ガリバルディの孫が率いる「ガリバルディ旅団」がドイツ軍相手に奮戦した。記録によれば、1930年から1939年にかけて日本人も60名参加している。なお当時最も多かったのはイタリア人約6,000人、ロシア人約5,000人であった。この頃、ゲイリー・クーパーマレーネ・ディートリヒ主演のアメリカ映画「モロッコ」が製作され、当時の外人部隊の姿を忠実に伝えていると賞賛された。第二次世界大戦ではフランスは開戦後まもなくナチス・ドイツに降伏したため、フランス国内にいた外人部隊の多くはドイツ軍の指揮下に入り、縮小した。インドシナ植民地は日本軍の平和裡の仏印進駐を受け入れたが、フランス本国の政変(ヴィシー政府の崩壊)にともなう1945年3月の日本軍のクーデターにより外人部隊も多くの犠牲を出し、中国雲南省に逃れた部隊もあった。

[編集] 戦後

インドシナ戦争ではフランス国内の厭戦気分が強く、徴集兵は使い物にならなかったため、外人部隊が重用された。1953年ディエンビエンフーの戦いに投入されたフランス軍17個歩兵大隊中、7個大隊が外人部隊であった。当時は元ドイツ軍兵士が外人部隊に参加することが多く、ディエンビエンフーの戦場にはナチス・ドイツの軍歌が鳴り響いていた。[要出典]その後勃発したアルジェリア戦争でも外人部隊の本拠地であるだけに重要な役割を果たし、1958年には第1及び第2外人落下傘連隊が参加する第10落下傘師団長マルシュ将軍を中心とするアルジェ駐屯軍がドゴール将軍を擁立して大統領の地位に就けた。しかし、ドゴール将軍はアルジェリア独立に傾いたため、1961年にアルジェで外人落下傘連隊を中心とする反ドゴール反乱が起ったが失敗、多くの将軍や将校が逮捕された。ドゴールは外人部隊自体は解散せず、反乱に積極的に参加した第1外人落下傘連隊を解散させるなど大幅な改編を実施、司令部をマルセイユ近郊のオーバーニュに移し、ストラスブールにも駐屯させた。

現在では、旧宗主国として第3世界の紛争への介入などの帝国主義政策など、フランス国民の生命、財産などの保護という国民軍が果たす義務の埒外でフランス国民が犠牲になるのをフランス国民とその世論が許さないダーティな任務に従事している。 最近では2002年コートジボアールの紛争に対しフランス政府は旧宗主国として外人部隊を派遣している。

[編集] 外人部隊の仕組み

白色のケピ帽 (ケピ・ブラン) をかぶり、弾帯の下に青い毛布 (ブーダン)を巻き、FA-MASを持ったフランス外人部隊の兵士

フランス外人部隊は建前として将校以外のフランス人はいないとされる。部隊ではフランス語のみが使用される。[2] フランス陸軍の常設部隊である。したがって、隊員達はフランス陸軍軍人であり、傭兵ではない(「傭兵制度」はジュネーブ条約で禁止されている)。一般的に、各国の正規軍は、同盟国の軍を含めた公的組織からの人材の受け入れや、戦時における徴兵基準の緩和などの特例を除けば、生まれながらのその国民以外・または市民権や永住権を持たない者の入隊を拒否している。フランス外人部隊の場合は、外国籍の人間でも、フランス軍に正式に志願・入隊する事ができる特別部門、と捉えればよいだろう。

外国人であるとする入隊条件はフランス系外国人と申請することで回避できることがある。犯罪歴のあるものは入隊できない。[3]

人材の構成としては、将校は基本的に全員フランス人であり、フランス軍の採用枠で陸軍士官学校や正規軍下士官からの将校任官を経て外人部隊に配属され、外人部隊の下士官以下は基本的に外国人志願者で第1外人連隊(オバーニュ)の募集、人事で採用される。つまり将校は完全にフランス正規軍の採用枠で入隊し、下士官以下とはまったく別物である。しかし、非常に狭き門ではあるが、能力と実績があれば、外国人志願者が兵卒から叩き上げて、将校への道を歩むことも可能である。フランス市民は基本的に外人部隊に志願できないと言われているが実際は多くのフランス人が志願している。その場合は入隊時国籍をモナコやカナダ(フランス語圏があるため)、スイスなどに変更することになる。志願者は全員、氏名、生年月日、出身地、両親の名前、母親の旧姓まですべて変更されて書類上まったくの別人に変わることになる。(通常は年齢と国籍はそのまま変わることはないが、フランス人の場合はその国籍が変更となる)その後すべての正式書類(軍の身分証、生命保険、郵便貯金の口座、社会保障など)は偽の名前、生年月日で発行される。

契約期間は5年で、初回の契約期間を満了し、きちんと税金を支払い申請手続きが通ればフランス国籍を取得できる。しかし現状は最低さらに2年から3年の延長契約しなければ国籍取得は難しい。近年には、戦闘で負傷した者は契約満了を待たずにフランス国籍が与えられることになっている。引き続き任期を延長する場合は申告制で、続けるか辞めるかの選択は自由で、延長契約は半年、1年、1年半、2年、2年半、3年という様に半年単位で増やすことができる。たとえば半年だけ延長し、その後1年半延長するというようなこともできる。15年以上勤務すれば軍人年金の受給資格を得ることができる。勤務年数と階級によって受給額が変わり(階級が高ければ高いほど、勤務年数が多ければ多いほど、受給金額が増していく)、除隊してから生涯受給できる。なお、契約期間中は、海外派遣で出国する場合は原則としてフランスの発行するパスポートを所持して行動することになる。外人部隊名(アノニマ:偽名制度)を本名に戻す手続き(RSM)が完了し、海外休暇申請をすれば休暇の時のみパスポートが戻ってくる。または5年以上の勤務年数であればパスポートは個人管理となる。しかし、近年では制度が変わり、本名に戻せば5年未満の隊員でもパスポートは個人管理となる。

外人部隊への入隊の際は本名を変更し、アノニマ偽名にすることが義務となる。このため犯罪者が入隊することもあった。 近年では、中等教育修了以上の学歴や正規の国籍が要求され、経歴の調査も厳しく行われる。特に、犯罪により手配中の者や刑事処罰を受けたことがある者は入隊できないなど、採用基準は厳しくなっている。ただし近年は本名のまま入隊できる傾向にある。

なお、外人部隊軍人は、出身国に対する戦闘への参加は拒否できる。現在130ヶ国以上の国籍の者が部隊で活動している。

第一外人連隊と第四外人連隊が新規隊員採用や訓練に関する業務の担当を行っている。[4]

外人部隊の新兵訓練は約4ヶ月間で、この間にフランス語を含めた戦闘訓練を受ける。訓練内容は非常に厳しく、軍隊経験者でも無事に訓練を終えることができるのはごく少数である。部隊配属後も規律や訓練の厳しさに堪えかねて脱走する新兵が絶えない。かつては、契約期間を満了するか怪我による除隊を除いて中途離脱を認めず、脱走者は八方手を尽くして探索していたが、現在は、脱走兵の探索はほとんど行わず、また訓練期間中の自発的な除隊も認めている。

[編集] 編成

以下の8個連隊+1個准旅団+1個分遣隊の編成となっている。

  • フランス本土
    • 外人部隊司令部  南仏オーバニュ駐屯 (外人部隊総司令部)
    • 第1外人連隊   南仏オ-バニュ駐屯 (司令部付の業務部隊)
    • 第4外人連隊   南仏カステルノダリ駐屯(訓練部隊)
    • 第1外人騎兵連隊 南仏オランジュ駐屯 (戦車部隊)
      • 現在の主力戦車はAMX-10RCで、主に威力偵察を担当する。
    • 第2外人歩兵連隊 南仏ニーム駐屯 (歩兵部隊)
      • 機械化が進んだ汎用歩兵部隊。海外派遣が多い外人部隊の中でも特に派遣が多いことで知られる。
    • 第1外人工兵連隊 南仏アヴィニョン近郊駐屯 (工兵部隊)
      • 戦闘工兵部隊。 DINOPS(ディノプス)と呼ばれる水中・水上工作専門の特殊部隊が存在する。旧称第6外人工兵連隊。第2外人工兵連隊創設で改称された。
    • 第2外人工兵連隊 南仏アルビオン高地駐屯(工兵部隊)
      • 新設されたばかりの工兵部隊。兵舎が市街地から隔離された広大な盆地の真ん中に存在するため、買い物一つするにも非常に不便であるといわれている。
    • 第2外人落下傘連隊 コルシカ島カルヴィ駐屯 (空挺部隊)
      • フランスの海兵隊特殊部隊はもとより、同じ外人部隊内でも一目置かれるエリート部隊。48時間以内に世界のどこへでも展開できるといわれている。GCP(パラシュートコマンド)小隊が存在するが、活動内容はほとんど公開されていない。連隊の内訳としては偵察・支援中隊、第1中隊(市街戦)、第2中隊(山岳部隊)、第3中隊(水中・水上活動部隊)、第4中隊(狙撃・破壊活動)、その他(医療施設、整備グループなど)が存在し、「その他」には外人部隊に属さない純フランス軍人が多く所属している。
  • フランス海外県
  • アフリカ

[編集] 出典

  1. ^ 『ヴィジュアル版 世界の特殊部隊―戦術・歴史・戦略・武器』マイク ライアン、アレグザンダー スティルウェル、クリス マン 原書房p81
  2. ^ 『ヴィジュアル版 世界の特殊部隊―戦術・歴史・戦略・武器』マイク ライアン、アレグザンダー スティルウェル、クリス マン 原書房p81-84
  3. ^ 『ヴィジュアル版 世界の特殊部隊―戦術・歴史・戦略・武器』マイク ライアン、アレグザンダー スティルウェル、クリス マン 原書房p84
  4. ^ 『ヴィジュアル版 世界の特殊部隊―戦術・歴史・戦略・武器』マイク ライアン、アレグザンダー スティルウェル、クリス マン 原書房p84

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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