モーリー・ロバートソン

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モーリー・ロバートソン
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基本情報
出生名 Morley Robertson
出生 1963年1月12日(49歳)
学歴 東京大学(中退)
ハーバード大学
ジャンル ドラムンベース
電子音楽
パンク・ロック
職業 ミュージシャン、ラジオDJ、ジャーナリスト、作家、通訳者
活動期間 1981年 -
公式サイト Office Morley
著名使用楽器
Serge synthesizer

モーリー・ロバートソンMorley Robertson1963年1月12日 - )は、日本で活動しているミュージシャン

目次

[編集] 生い立ち

アメリカ合衆国ニューヨークに生まれ、生後2ヶ月でサンフランシスコに移住。2歳からサンフランシスコの幼稚園に通っていたが、1968年、父の仕事の都合で広島県広島市比治山公園の近所に移住。父は原爆傷害調査委員会放射線影響研究所に勤務し原爆患者の研究にあたった医師[1]。広島市の幼稚園を経て、小学校5年生まで広島市のインターナショナルスクールで過ごす。1973年、小5の2学期から五日市町の公立小学校に転校。1975年広島学院中学校の入試に失敗して修道中学校に入学。1976年、父の転勤により中2の1学期の末に同校を中退して米国ノースカロライナ州チャペルヒルに転居。同年9月、チャペルヒルの公立校に入学したが同校の教育に不信感を持ち、1ヶ月足らずでデューラム市の私立校に転校。ここで1年飛び級したが、1977年夏、父の転勤でサンフランシスコへ転居。同年9月、現地の公立高校に入学。のち留学生として高校から修道に戻るも、友人の自転車に対する器物損壊事件を起こして[2]同校から自主退学を勧告された。

修道高等学校を自主退学した後、カリフォルニア州の予算削減をめぐるストライキで学校が一時閉鎖状態に陥っていたため復学が困難になった上、折あたかも両親が別居生活に入ったため、の実家がある富山県高岡市に母や弟と移住。当初、高岡高校は転入に難色を示し、聴講生の扱いでしばらく通学。その後に編入を認められた。

1981年3月、富山県立高岡高等学校卒業。

1981年4月、東京大学理科一類に入学、日本語で受験した初のアメリカ人東大生となる[1]。同時にハーバードマサチューセッツ工科スタンフォードイェールバークレープリンストンの各大学にも合格[1]。しかし、東京大学は同年7月に中退する。

CBSソニー(現:ソニー・ミュージックレコーズ)から酒井政利のプロデュースで自作自演のパンクロックのアルバムを発表[1]。前後して週刊誌に取り上げられたりテレビ番組にも出演。落ちこぼれなのに東大に入学、という意味が当時の大人には理解されづらく、出演した『ルックルックこんにちは』ではバンド、ストイックスと生演奏を繰り広げ、スタジオで暴れながら歌い、沢田亜矢子竹村健一ら出演者たちの失笑を買っていた。上京していきなり夢が叶えられる一方で、芸能界の現実をも目のあたりにする。子供の頃からテレビで見聞きしていた芸能人がプロダクション経営者になっていて、裏社会につながったような発言を連発する光景に遭遇し、ショックを受ける。ソニー社内でも売り上げ一辺倒の会議にもまれ、消耗品のような立場に置かれていることに不純さを感じる。その後、当初は憧れていた日本の音楽業界に嫌気がさしたために、渡米(つまり、もう一度アメリカへ戻ること)を決意し、1981年9月にハーバード大学へ入学する。入学当初は電子工学を専攻する予定だったが、1982年から電子音楽を研究した。イワン・チェレプニン教授に師事し、特殊なアナログシンセサイザーであるSerge Modular Music Systemを修得した。1983年秋から大学を休学し、1986年に復学。視覚環境学を専攻し、電子音楽とビジュアルを組み合わせたアニメーション制作によって、1988年、美術学部を卒業する。

大学卒業後は、自称ミュージシャンのニートであったと本人が語っている。

[編集] ラジオ番組

特に但し書きの無いラジオ番組については、基本的にJ-WAVEの番組を表す。

[編集] Across The View

1991年より、FMラジオJ-WAVEの深夜番組『Across The View』のナビゲーターを6年半にわたって勤める(新日鉄のスポンサー降板にあわせて降板した)。番組では、バンドザ・スターリン遠藤ミチロウと渡米、サンフランシスコギグを行い、さらにアリゾナ州にあるネイティブ・アメリカン(インディアン)のホピ族を共に訪ねる。バンド突然段ボールとコラボレーションを種々雑多に行い、一年間バンドメンバーとして参加。アルバム『スーパー』を共に発表、クアトロでもライブを行った。また、リスナーを巻き込んだアート式のプロジェクトも目まぐるしく発案。「シンセで勝負」というアマチュア演奏者同士の即興バトルや、リスナーが即興で書いた詩や散文をファックスで募集するという「クリエイター」寄りのものもあれば、大勢のリスナーを動員してのクラブイベント「Love Camp」も主催した。また、ラジオ業界では初めてニフティサーブ(当時)の文字チャットをスタジオ内で立ち上げ、生放送にフィードバックできる方式を作った。

1996年には自主制作のアルバム『空からモーリーが降ってくる』を徳間ジャパンから発表。フジテレビインターネット紹介の深夜番組『Revolution No.8』の司会や、プラズマ・レーベルと契約し松武秀樹のユニット「Tansu Matrix」にゲスト出演。松武のプロデュースによるミニマル・ミュージックのアルバム『ビーナス』を、オンライン配給形式で発表(Liquid Audio)。その後『ビーナス』は発売元の音楽配信サイトの業務譲渡にともない、市場から消える。

[編集] NOMAD CITY

2000年から2003年まで、『NOMAD CITY 〜THE モーリー・ロバートソン計画〜』のナビゲーターを務める。当初は、J-WAVEのLIVING IN TOKIOキャンペーンの間の期間限定番組であったが、好評のため、その後毎週日曜夜8時より放送された。末期には日曜深夜2時に移る。

番組では、インターネットなど新しいメディアの台頭を独自の視点で解説した。自主制作による表現を後押しするために、自らNOMAD TOOLというMac向け音楽制作ソフトを開発したり、視聴者からの素材をベースに作ったNOMAD SONGも誕生した。

2002年2ちゃんねるムネオハウスムーブメントが起こると、自身もDJとしてイベントに参加しようとしたものの、2ちゃんねる住民との意見の不一致により断念する。

[編集] Jam the WORLD

2001年10月より、『Jam the WORLD』の木曜日と金曜日ナビゲーターを担当するも、突如降板する。

[編集] Elan Vital

2006年4月から福岡県Love FMにおいて『Elan Vital』月曜日と火曜日のエア・ジョッキー(パーソナリティ)を担当した。ちなみに同番組の水曜日 - 金曜日の担当は、親友でもあるJ-WAVEナビゲーターのロバート・ハリスで、東京の六本木にあるスタジオから生放送された。

しかし、2007年初頭より「チベトロニカ」プロジェクトの始動が決まったことなどにより、同年12月26日の放送をもって降板した。担当最終日は、ロバート・ハリスとのダブルキャストで放送された。降板後も数回、ロバート・ハリス担当時にゲストとして出演した。

[編集] Early Morley Bird

2004年から、J-WAVEより時事解説・放談番組『EARLY MORLEY BIRD』を日曜朝5時より放送していた。扱うテーマは国際情勢から国際的な格差問題、文化、旅行、新しいメディア、インターネット等、様々で「世界の小難しい話を分かり易く解説する」と公式ページにはあった。

2007年8月19日の番組ではウィキペディアをテーマとして取り上げた。「モーリー・ロバートソン」の項目、つまりこのページについても言及している。

2009年12月27日の放送をもって番組終了。

[編集] ネット配信

[編集] i-morley

2005年8月より不定期に配信されているポッドキャスト番組。 女優の池田有希子との対談形式で収録されている。

「i-morley」で採上げられる主なトピックは、人権問題、JASRAC及び著作権問題、国際情勢、格差問題、文化、音楽、ヨガ、メディア、インターネット、大麻、環境問題、移民、THE BIG ISSUE、インタビュー等がある。

2009年3月7日の番組では、リスナーにウィキペディアの「モーリー・ロバートソン」のエントリーを日本で一番長くするようにと指令通達がなされた。

[編集] tibetronica(チベトロニカ)

2007年2月6日から3月22日まで、日本ポラロイドが協賛するアート・プロジェクト「tibetronica(チベトロニカ)」で総指揮を務め[3]チベット自治区新疆ウイグル自治区などへ渡航し現地取材した。この取材旅行には写真家の相田年一や前述の池田有希子も同行していた。現地から送られた映像や音声は、ビデオポッドキャストあるいはポッドキャストとして配信されたほか、公式ウェブサイトでも直接視聴ができた(ビデオポッドキャストで配信された映像は、YouTubeにも掲載され、それを公式ウェブサイトでシェアする形式をとった)。また、ライブドアが提供するねとらじを利用して、現地からインターネットラジオの生放送も行い、その一部も編集されポッドキャストとして配信された。

ロバート・ハリスもゲスト出演したこの生放送では、2ちゃんねるのスレッドを読みながら放送したり、生放送を聴いているリスナーをSkypeを通じて出演させたりして、3月末までほぼ連日放送し続け、時には放送時間が5時間にも及んだ。

同年6月15日にその活動報告会が催された[4]後、公式ウェブサイトではクリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下、取材時に撮影された映像や写真、録音された音声などが公開された。その後、とある上映会にトークゲストとして出演した際に、モーリーが映画化をほのめかすような発言をしたが、出資元のポラロイドの破産などが重なり、立ち消えになっている。

[編集] PWR Live! with Molitter

2009年8月30日から10月31日にかけて行われた旅プロジェクト[5][6]エヌ・ティ・ティ・ブロードバンドプラットフォームが開発した「Personal Wireless Router」を携えて、日本の各地からUstreamによる生の動画番組が配信された。

  • 2009年8月31日、新潟県十日町市松代の旅館より最初の生放送を行う。この回では、生放送のことを「モーリーの車座通信」と呼んでいる。「画面に向かって話すことは大変なんです。僕をほめてください」と語っている。
  • 2009年9月1日、新潟県十日町より生放送を行う。冒頭ではiPod touchの入力に苦戦している様子が伺える。マムシドリンクを飲んだのはこの回が最初で最後。この日の放送の終わりに「アンコールの大絶賛があれば、また放送を再開したい。だが保証はできない」と語っている。
  • 2009年10月24日、講演のため鹿児島に滞在していたラビア・カーディルを取材し、そのインタビューの模様を生中継する。

[編集] その他の活動

  • 2003年1月、いぬん堂よりアルバム「疾風怒濤る」をCD発売。ロック調の仕上がりにコミカルな調子のボーカルが絡む、ガレージサウンド。韓国に遠征ツアーも行ったが、バンドの寿命は短かった。
  • 2006年8月23日、徳間ジャパン・コミュニケーションズより旧譜『空からモーリーが降って来る』がCDで再発売。新たにiTunes Store上でも発売を開始した。モーリー率いるアバンギャルド・バンドが実験的に演奏。電子音・ノイズ・フリー演奏・ロック・カントリー・メキシカンなどのスタイルがごっちゃにあつらえてあり、一言で言うなら本人の趣味をとことん追求した仕上がりになっている。再発盤には、新曲「君の歌」が追加され、この曲のベーストラック・シンセトラック・ボーカルトラックは、それぞれ著作フリーのサンプル音源として同梱されている。
  • 2007年9月、いぬん堂よりアルバム『TRANSHART』を発売。これは1996年頃に一部の店頭にて発売された『無題』の再リリースではあるが、ジャケット、レーベル面、曲名表などが全く無いCDである。当時担当していた『Across The View』の中で放送した楽曲も収録されている。
  • 2008年6月1日、エレクトロ&トランス・レーベルの「Big Crunch」からリリースされたコンピレーションアルバム『E.T.』に、"Analog"名義で「Analog」という楽曲を提供している。
  • 音楽活動・ライブ活動の他にも、ヨガイベントや、食事会、ポッドキャスターを育成するためのワークショップ、「モーリー大学」と称されたセミナーなどの、各種イベントを開催することもある。

[編集] エピソード

  • 服はユニクロを愛用し、収入が多くても、変える予定はないと公言していた。しかし「チベトロニカ」で高地順応をしたことがきっかけでティンバーランドに路線変更。ナイキのスポーツウェアも着るようになった。
  • 番組では度々、ウィキペディアのページをソースとして引用している。

[編集] ディスコグラフィー

  • 空からモーリーが降って来る(徳間ジャパン1996年2006年
  • 疾風怒涛る(いぬん堂出版、2003年
  • Be-nas (プラズマ・レーベル、1997年)
  • 無題(自主出版、1996年
  • ハイパー・ギター・デュオ(日本カセット・テープ・レコーヂング) 
    「モーリー・ロバートソン+ツタキ・シュンジ」名義によるギター・ライブ盤。
  • スーパー(徳間ジャパン1995年
  • かみさまレボリューション(日本カセット・テープ・レコーヂング、1994年
  • トラッシュアート(自主出版、1984年・1996年・2007年)
  • ストイック・哀愁ゼミナール(CBSソニー1981年8月)

[編集] テレビ出演

[編集] 著書

[編集] 脚注

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  1. ^ a b c d サンデー毎日、1981年8月23日号pp.11-13
  2. ^ 『よくひとりぼっちだった』pp.211-219
  3. ^ ポラロイド社とモーリー・ロバートソンの共同ウェブ発信計画スタート 豪華製作メンバーが創る 〜真実・感動・楽しさ!〜(日本ポラロイド株式会社サイト内)
  4. ^ 日本ポラロイドが「チベトロニカ・プロジェクト」の活動報告会(六本木経済新聞)
  5. ^ PWR LIVE - PWR LIVE! 公式サイト
  6. ^ PWR LIVE! NOW - Google マップ - 有志によるPWR LIVE!プロジェクトの追跡地図

[編集] 外部リンク

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