松田丈志

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
松田丈志 Swimming pictogram.svg
Takeshi Matsuda 1.jpg
選手情報
フルネーム 松田丈志
国籍 日本の旗 日本
泳法 バタフライ自由形
生年月日 1984年6月23日(30歳)
生誕地 宮崎県延岡市
身長 184 cm
体重 83 kg
 
獲得メダル
男子 競泳
オリンピック
2012 ロンドン 男子400mメドレーリレー
2008 北京 男子 200mバタフライ
2012 ロンドン 男子200mバタフライ
世界選手権
2005 男子200mバタフライ
2011 男子200mバタフライ
2009 男子200mバタフライ
ユニバーシアード
2003 男子 200mバタフライ
アジア競技大会
2006ドーハ 男子800mフリーリレー
2010広州 男子200mバタフライ
2014仁川 男子800mフリーリレー
2010広州 男子800mフリーリレー
2006ドーハ 男子200mバタフライ
2002釜山 男子200mバタフライ
2006ドーハ 男子400m自由形
2006ドーハ 男子1500m自由形
2010広州 男子200m自由形
東アジア競技大会
2005 男子200mバタフライ
2005 男子800m自由形
2005 男子400m自由形
2005 男子1500m自由形
パンパシフィック水泳選手権
2006 男子200mバタフライ
2006 男子1500m自由形
2010 男子200mバタフライ
2010 男子800m自由形
2010 男子800mフリーリレー
2014 男子800mフリーリレー
テンプレートを表示

松田 丈志(まつだ たけし、1984年6月23日 - )は日本の競泳選手でアテネオリンピック・北京オリンピック・ロンドンオリンピック日本代表。セガサミーホールディングス所属(2014年3月より)。宮崎県延岡市出身。主な競技種目はバタフライ及び自由形。これまでにバタフライ200mや自由形200m・400m・800m・1500mで日本記録を何度も更新してきた。

略歴[編集]

松田の幼少時の練習環境は決して恵まれたほうではなかった。地方都市出身ということもあり、地元には本格的なスイミングクラブも少なく、松田が通っていた東海(とうみ)スイミングクラブは屋根が『ビニールハウス』でできたつくりのものだった。しかし、元旭化成競泳選手だった久世由美子コーチの指導の下、日本選手権で実力を発揮して代表の座をつかむと、その練習環境に注目が集まるようになり、『ビニールハウス生まれのヒーロー』『ビニールハウスのヒーロー』と称されるようになった。

2003年中京大学に進学。延岡学園高等学校卒業までとは一変した恵まれた練習環境で、松田は更に力をつけ、2004年のアテネオリンピックや2005年の世界選手権等の国際競技大会日本代表として数多くの実績を残した。

2007年に中京大を卒業後は、寺川綾らとともにミズノ入社。6月にミズノがSPEEDOブランドライセンシーから自社水着発売に切り替えたのに合わせ、「ミズノスイムチーム」結成に参加。今後は「ミズノスイムチーム」の一員として競技に臨んだ。

北京五輪の代表選考を兼ねた2008年の日本選手権では、水連独自設定のタイムを突破して400m自由形で優勝し、同競技における日本代表選手第1号となった。五輪前のジャパンオープンにて200mバタフライの日本記録・アジア記録を更新。五輪本番では200mバタフライで自身の日本記録・アジア記録を大幅に更新して銅メダルを獲得した。この競技で松田選手は所属するミズノ社の水着を使用せず、スピード社水着で参加した。銅メダル獲得後のインタビューにて銅メダルのことを『自分色のメダル』と言っていた。

北京オリンピックの活躍が認められて宮崎県民栄誉賞と延岡市民栄誉賞を受賞した[1]

2008年12月26日、ミズノ社は同年12月31日を以てミズノスイムチームとの所属契約満了を発表し、松田選手はミズノを退社[2]。その後レオパレス21と契約した[1][3]

2009年12月8日、レオパレス21が「契約を今年限りで満了する」と発表し、契約更新されなかった[4]。そのため2010年から暫定的に東海SC所属という形として、新しい所属先を探していたが、2010年10月17日延岡市創業で福岡県を拠点とするドラッグストアコスモス薬品と所属契約を結んだことが発表された[5]

2010年11月13日広州アジア大会 200mバタフライにおいてアジア大会の個人種目では自身初となる金メダルを獲得。

2012年7月31日ロンドンオリンピック 200mバタフライにおいて二大会連続の銅メダルを獲得。男子400mメドレーリレーでは日本男子史上初の銀メダルを獲得。そのレース終了後のプレスインタビューの際に「(北島康介を)手ぶらで帰らせるわけにはいかない」とコメント。これが2012年新語・流行語大賞のトップテンに選出された。

2012年11月25日、第44回東京SCジュニア優秀選手招待公認記録会に招待選手として50mバタフライに出場した。そして、記者からのインタビューで現役続行の決意を伝えた。

2012年12月11日、都内で会見し、「もう一度世界一を目指すと決めました」と現役続行を宣言した。久世由美子コーチのもとを離れ、東京・国立スポーツ科学センターを拠点に平井伯昌コーチに師事することになった[6]

2013年12月31日、コスモス薬品との所属契約が終了[7]

2014年3月26日、マネジメント会社を通じセガサミーホールディングスと所属契約を結んだと発表した(所属契約期間は2014年3月1日から2016年12月末まで)。再び久世由美子コーチの指導を受ける[8]

主な成績[編集]

 出演 [編集]

出典[編集]

外部リンク[編集]