北島康介

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北島康介
Kitajima.jpg
選手情報
フルネーム 北島康介
国籍 Flag of Japan.svg 日本
泳法 平泳ぎ
所属 日本コカ・コーラ
生年月日 1982年9月22日(27歳)
生誕地 東京都
身長 178cm
体重 73kg
肉のきたじま

北島 康介(きたじま こうすけ、1982年9月22日 - )は、日本の男子競泳の選手。アテネオリンピック並びに北京オリンピック100m平泳ぎ、200m平泳ぎの金メダリスト

東京スイミングセンター(東京SC)、日本コカ・コーラ所属。身長178cm、体重73kg。血液型B型

目次

[編集] 略歴

東京都荒川区出身で、実家は西日暮里にある精肉店「肉のきたじま」(株式会社北島商店)を経営。文京区の区立千駄木小学校文林中学校本郷高校卒業。中学2年生の時に、東京SCのコーチ、平井伯昌に才能を見出される。その後日本体育大学に進学し、大学4年時に、日本学生選手権大会(インカレ)で100m・200m平泳ぎで2冠学生新記録で優勝。大学対抗400mメドレーリレーでも活躍し、5人抜きで日体大を準優勝に導いた。日体大大学院に進んだが、選手活動に専念するため2006年に中退した。

2005年度から日本オリンピック委員会が始めた選手強化キャンペーンのシンボルアスリート制度を用いず、2005年4月から日本コカ・コーラと所属契約を結ぶことになり、スイミングキャップやレーシングゴーグル、水着にCoca-Colaのロゴを入れて大会に出場する。クロールも速く、個人メドレーで日本で5本の指に入るレベルにある。

[編集] 主な戦績

  • 2000年 日本選手権100メートル平泳ぎで当時の第一人者である林亨を日本記録で破り優勝。シドニー五輪で同競技決勝に進出し、4位入賞となる。
  • 2001年 日本選手権では、男子50、100、200メートル平泳ぎ全てに優勝。
  • 2001年7月26日 世界水泳福岡大会男子200メートル平泳ぎ2分11秒21で銅メダル。
  • 2002年 日本選手権では、昨年に続き男子50、100、200メートル平泳ぎ全てに優勝。
  • 2002年8月25日 パンパシフィック水泳選手権横浜2002 男子100メートル平泳ぎ1分00秒36で優勝。
  • 2002年10月2日 釜山アジア大会男子200メートル平泳ぎ決勝で2分09秒97で世界記録(当時)を更新し優勝。同大会MVPとなる。
  • 2003年 日本選手権では、3年連続で男子50、100、200メートル平泳ぎ全てに優勝。
  • 2003年7月21日 世界水泳バルセロナ大会男子100メートル平泳ぎ決勝において、59秒78の世界記録(当時)で優勝を飾った。
  • 2003年7月25日 同大会男子200メートル平泳ぎ決勝において、2分09秒42の世界記録(当時)で優勝。
  • 2003年7月27日 同大会男子4×100mメドレーリレーでは日本新記録で銅メダル獲得。
  • 2004年 日本選手権では、4年連続で男子50、100、200メートル平泳ぎ全てに優勝。
  • 2004年8月15日 アテネ五輪男子100メートル平泳ぎで金メダル獲得。タイムは1分00秒08。インタビューで「チョー気持ちいい(超気持ちいい)、鳥肌ものです」とコメント。ちなみにこの「チョー気持ちいい(超気持ちいい)」は、この年の新語・流行語大賞の年間大賞にも選ばれた。同日、100メートル背泳ぎ優勝のアーロン・ピアソル(アメリカ)が「北島はスタート時に禁止されているドルフィンキックを行った」と抗議したが、大きな問題にはならなかった。
  • 2004年8月18日 同大会男子200メートル平泳ぎで2位以下を1秒以上突き放し、金メダル獲得、二冠を達成。タイムは2分09秒44(五輪新記録)。
    ピアソルやアメリカ記者団がおこなった「北島泳法違反」の発言は、北島に対する心理的揺さぶりとみる者も居たが、その後違反ぎりぎりの泳法をとる選手の有利を防ぐために2006年シーズンからスタートとターン直後に限りドルフィンキックを1回打つ事を認めるルール改正への流れとなった。
  • 2004年8月21日 同大会男子4×100メートルメドレーリレーで銅メダルを獲得。
  • 2005年4月21日 JAPAN SWIM 2005(世界水泳モントリオール大会選考会兼ねる)男子200メートル平泳ぎ決勝レースに出場も3位に甘んじこの競技の自力での世界選手権出場を逃す。続く23日の男子50メートル平泳ぎは28秒03秒で5連覇目、24日の男子100メートル平泳ぎも1分00秒89で本大会6連覇目を達成した。
  • 2005年7月 世界水泳モントリオール大会男子100メートル平泳ぎは59秒53で銀メダル。男子50メートル平泳ぎでは27秒78で日本記録を更新し、銅メダル。男子4×100メートルメドレーリレーでは平泳ぎで59秒19で泳ぎ、銅メダル。
  • 2006年4月20日 JAPAN SWIM 2006男子200メートル平泳ぎで2年連続の敗戦。続く22日には50メートル平泳ぎでも敗れる。23日、100メートル平泳ぎ1分00秒71で優勝し、辛うじてパンパシフィック水泳選手権の代表権を手に入れる。
  • 2006年12月3日 ドーハアジア大会男子50メートル平泳ぎ28秒38で銀メダル。男子100メートル平泳ぎ1分01秒13で金メダル。男子200メートル平泳ぎ2分12秒05で金メダル。
  • 2007年3月 世界水泳メルボルン大会男子100メートル平泳ぎ59秒96で銀メダル。男子200メートル平泳ぎ2分09秒80で金メダル。男子4×100mメドレーリレーで銀メダルを獲得。
  • 2007年4月 JAPAN SWIM 2007(北京オリンピック代表選手選考会兼ねる)男子200メートル平泳ぎ2分11秒04で2年ぶりの優勝。男子100メートル平泳ぎ1分00秒34で本大会8連覇目を達成。
  • 2007年8月21日 北京五輪の前哨戦という位置づけで日本の千葉県国際総合水泳場で開催された、世界水泳をしのぐ「夢の国際競泳大会」「2007年の真の競泳世界一決定戦」ともいわれる世界競泳2007では、男子100メートル平泳ぎ59秒74で優勝(日本国内のレースで初めて1分00秒を切る)。続く23日の男子200メートル平泳ぎも2分10秒02で優勝。最終日24日の男子4×100mメドレーリレーは日本新記録で優勝。
  • 2008年4月 JAPAN SWIM 2008男子200メートル平泳ぎ2分08秒84の日本記録で優勝。男子100メートル平泳ぎ59秒67で本大会9連覇目を達成(史上最高記録)。
  • 2008年6月8日 ジャパンオープンの男子200メートル平泳ぎで、SPEEDO社のレーザー・レーサーを着用して挑み、5年ぶりとなる2分07秒51の世界新記録(0秒99更新)を樹立。
    北島の世界新記録は、日本人選手が国内長水路レースで記録したものとしては、1972年7月21日の「日本水泳選手権競技大会」で青木まゆみが女子100mバタフライで記録して以来、36年ぶりだった。
  • 2008年8月11日 北京五輪男子100メートル平泳ぎにおいて、ノルウェーの新鋭:アレクサンダー・ダーレ・オーエンらを振り切り、人類史上初、59秒の壁を破る58秒91の世界新記録で優勝し、金メダル。「世界記録を出し、金メダルを獲得する」という試合前の予告をその通りに果たした。男子100メートル平泳ぎの大会2連覇は正式種目となってから初、平泳ぎの同一種目の連覇は鶴田義行以来76年ぶりのことである。この時のインタビューでは、アテネオリンピックの金メダル獲得時のインタビューとは一転、緊張感・責任感から解き放たれたのか、涙をこらえきれず、絞り出すような声で、「なんも言えねえ・・・」というコメントを残した。
  • 2008年8月14日 同大会男子200メートル平泳ぎ決勝において優勝。2分07秒64のタイムは自ら前日の準決勝で打ち立てたオリンピックレコードを更新するものである。アテネに続く2冠王に輝いた。日本人選手が競泳で2大会連続2種目制覇を成し遂げたのは史上初めて。
  • 2008年8月17日 同大会男子4×100メートルメドレーリレーで銅メダルを獲得。北島は第2泳者で登場し、57秒台に迫る58秒07のタイムで泳いだ。


[編集] 自己ベスト

ここに掲載するのは、個人種目のみ。

泳法 距離 水路 記録 樹立年 大会名 会場 備考
平泳ぎ 50m 長水路 27秒65 2008年 ジャパンオープン 東京辰巳国際水泳場 日本記録
平泳ぎ 100m 長水路 58秒91 2008年 北京オリンピック 中国・国家水泳センター 世界歴代3位
平泳ぎ 200m 長水路 2分07秒51 2008年 ジャパンオープン 東京辰巳国際水泳場 世界歴代2位
平泳ぎ 50m 短水路 27秒14 2007年 日本短水路選手権 東京辰巳国際水泳場 日本記録
平泳ぎ 100m 短水路 57秒62 2008年 日本短水路選手権 東京辰巳国際水泳場
平泳ぎ 200m 短水路 2分04秒96 2007年 日本短水路選手権 東京辰巳国際水泳場

[編集] 受賞歴

[編集] エピソード

  • 実家は前述のように精肉店だが、名物のメンチカツは本人も大好物である。元々メンチカツは1970年代に製造販売を中止していたが、2003年の世界選手権での北島のインタビューで実家のメンチカツが好物だと言った途端に問い合わせが殺到したため復活した。アテネ五輪では2冠を獲得した直後の休日に、この名物メンチカツを買い求める客が殺到。2時間待ちの行列ができ、交通整理のために警察官が出動する騒ぎとなった。北京五輪で金メダルを獲得した際にも同様の現象が起きており、顧客にはこれを買うために遠方から駆けつける人もおり、最大時50人並びで全長20メートルの行列になるほどの大反響であった。
  • 北京オリンピック閉会式の日本選手団の旗手を務めた。因みに、北京五輪日本選手団の主将の打診もあったが、水泳競技のスケジュールが過密なため、コーチスタッフと相談した結果、辞退したという噂である。
  • 北京で1つ目の金メダルを取った直後のインタビューで、今の気持ちを聞かれ、しばらく黙った後に「なんも言えねえ」と語った。
  • 北京五輪時の中国メディアには「蛙王」の愛称で呼び称えられた[1]
  • 愛読していてファンであると公言する漫画『ONE PIECE』の記念すべき10作目の劇場版に声優として出演。水泳繋がりで魚人役を担当した。

[編集] SPEEDO製水着問題

北島は「SPEEDO」の水着を好んでいたが、所属していた東京スイミングセンターが「arena」ブランドの日本国内でのライセンシー(実施権者)であるデサントと親しかったため、個人の広告活動の解禁まで「arena」製の水着を使用していた。アテネ五輪の年から「SPEEDO」の水着を使用したが、そのライセンシーだったミズノが独自水着の販売に踏み切ると、ミズノとの契約を続けた。2008年三井物産ゴールドウィンが日本ライセンシーとなった「SPEEDO」が新型水着「レーザー・レーサー」を発表し、中村礼子アシックスと契約)は新型水着を試したが、北島はミズノ製の水着を着用し続けた。大会後の記者会見で、「新型水着を試したいという気持ちはあるが、ミズノがそれに負けない水着を開発してくれると思う」と述べ、ミズノとの契約を優先すると表明した[要出典]

また、2008年5月18日に、東京辰巳国際水泳場で行われた競泳早慶戦にオープン参加したとき、北島は日本選手権用の旧タイプ水着を着用した。試合後のインタビュー会見を開いた。そのときに、例の「SPEEDO」新型水着に関して質問が集中するなどメディアが騒ぎ立てる水着問題に対して、北島は「正直言って、うっとい(うっとうしい)ですね。もっと違ったカタチで水泳に注目してほしい」と珍しくイラ立ちを見せた[2]

2008年6月、「ジャパン・オープン」では、英語で「I AM THE SWIMMER」、中国語で「是我在遊泳」と書かれたTシャツでプールサイドに現れ、水着騒動に「泳ぐのは僕だ」と主張して一石を投じた。この大会では、途中までミズノ製の改良型水着でタイムが伸びなかったが、レーザーレーサーを着用して世界記録を更新した。6月11日、公式サイトで「北京オリンピックではSpeedoの水着を着用しようと思います」と表明した。


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