冨田洋之

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獲得メダル
男子 体操競技
オリンピック
2004 団体総合
2004 平行棒
2008 団体総合

冨田 洋之(とみた ひろゆき、1980年11月21日 - )は体操選手。順天堂大学スポーツ健康科学部スポーツ科学科助教。

目次

[編集] 人物

1980年11月21日大阪府に生まれる。

8歳から体操を始める。マック体操クラブ洛南高校順天堂大学-順天堂大学大学院を経てセントラルスポーツ所属。
得意種目は鉄棒つり輪平行棒。身長166cm、体重62kg。血液型O型

世界有数のオールラウンダー。「美しくないと体操ではない。ただ派手な技をやるだけならサーカスと変わらない」というのが信条。尊敬する選手はバルセロナオリンピックで6冠のビタリー・シェルボソ連)。

1998年にジュニア3冠。2001年2002年全日本選手権、2002年、2003年NHK杯を連覇し、日本のエースの座に君臨する。2003年世界選手権個人総合3位、2005年優勝。

アテネオリンピックでは団体でエースとして出場。金メダルのかかった最終種目鉄棒の最終試技者としてプレッシャーがかかる中、スーパーE難度のコールマンを危なげなく成功、フィニッシュの伸身の新月面宙返りでは完璧な着地を決め(NHK刈屋アナの実況も話題になった)優勝に貢献。種目別でも平行棒で2位に輝いた。その後も2004年全日本選手権を制している。

表情を顔に出さずに演技するのが特徴だが、それは彼が意識してやっていることである。

その総合力は“10点満点制度下における最高傑作”とまで評されている。

北京オリンピックにおいてはアメリカに猛追されながらも、鉄棒できちっと決め、団体銀メダルに大きく貢献した。 個人総合でのメダルが期待されたが、得意のつり輪で、落下のアクシデントがあり、4位に終わった。

吊り輪での落下で肩を痛め、ほとんど練習せずに望んだ種目別あん馬では5位、得意の鉄棒では着地のミスがあり6位となった。

北京オリンピック後、「幸せなオリンピックだった」「ゆっくり休みたい」とコメントし、一部ファンは引退するのではと心配したが、9月頃には現役続行を明言。しかし11月8日、持ち味として来た"美しい体操"を続けるのが年齢には勝てず、難しくなったと、同期の鹿島丈博に続き引退表明。 得意種目だけに専念し、引退の先送りを推す声も上がるが、全種目に出場する事に重きを置く冨田は、引退を表明。実質、現在の体操王国日本の牽引者であり、まだ27歳での引退を惜しむ声は多くあったが、そんな関係者やファンをよそに記者会見では晴れ晴れと「悔いの無い体操人生でした」と明言した。

2009年1月、国際審判員の資格を取得した。

[編集] その他

  • 愛称は冨やん、洋之。
  • マック体操クラブ時代は目立たない存在で、黙々と練習をするタイプ。声が小さくて、挨拶の練習を100回させられていた。
  • 基本練習を繰り返しやる努力家である。
  • 体脂肪は2%しかなく、体の比重が水より重くなり沈む為泳ぐことができない。
  • オールラウンダーではあるが、あえていうなら、が苦手である。
  • 鹿島丈博選手とはジュニア時代から現在まで、高校を除いて同じ所属である。

[編集] 競技歴

[編集] 賞詞

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク