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黒岩 彰(くろいわ あきら、1961年9月6日 - )は、1980年代に活躍した日本のスピードスケート選手で、元西武ライオンズ球団代表。
[編集] 経歴
- 群馬県吾妻郡嬬恋村出身。専修大学卒業。在学中の1984年のサラエボオリンピックでは500mの優勝候補に挙げられながらも北沢欣浩(2位で銀メダル)の後塵を拝する敗北を喫した。このとき、アウトコーススタート(当時の短距離種目の決勝は一つのスタートコースで滑って順位を決める一発勝負だった)だったことや、天候不良によりスタートが遅れたことなど、黒岩にとっては不利な状況も指摘されたが、それらについては一切コメントをしなかった。同年大学卒業と同時に西武鉄道系の不動産会社・国土計画に入社。スケート部の選手として第一線で活躍し、1988年カルガリーオリンピックでは500m銅メダリストとなる。このときもサラエボと同じアウトコーススタートであった。世界スプリント選手権では、1983年大会、1987年大会と2度の総合優勝を飾った。
- 現役を退いてからは同チームの監督に就任し、中長距離の第1人者となった白幡圭史などを育てる。1998年の長野オリンピックでもコーチとして同行した。
- コクドの観光部広報課長補佐を経てプロ野球・西武ライオンズに出向。広報課長、運営部長を担当した。この西武への出向によりコクドスケート部監督を退任、白幡低迷の原因となった。黒岩本人もソルトレイク五輪に向けて伸びるであろう白幡を1人にしてしまったことを後悔している。
- 2000年9月13日に松坂大輔が起こした不祥事の際には身代わりとして出頭した。しかしその隠蔽行為が写真週刊誌に報道されたことにより、松坂は道路交通法違反(無免許運転、駐車違反)、黒岩ともども犯人隠避の疑いで東京地検に書類送検されている。その結果、略式起訴により松坂は罰金19万5000円、黒岩は罰金10万円の略式命令を受けた。球団職員が駐車違反の隠蔽に関与していたことから、当時の小野球団社長及び黒岩は責任を取って辞表を提出するにまでに至った。
- 2004年12月より、西武球団代表に就任。
- 2006年12月16日付で球団代表からプリンスホテルに人事異動、新高輪プリンスホテル営業支配人に就任。
- プロ野球の裏金問題で、2007年5月18日付で人事部付へ降職となる。
- 2007年7月15日付けをもってプリンスホテルを退社。スケート界への復帰の意向を明らかにした。
- 2008年4月1日付けで、富士急行スケート部監督に就任した。
[編集] 備考
- ダン・ジャンセンとは戦友で彼が悲願の金メダルを獲得した際には自らの事のように乱舞していた。
- 1980年代のスケート界は黒岩彰を筆頭に、同郷の宗久、悟、康志、美智子ら、黒岩姓の選手が活躍し、黒岩ジャックと呼ばれた。(悟と康志は実の兄弟。黒岩姓は嬬恋村に非常に多い。)
[編集] 主な成績
[編集] 自己ベスト
[編集] オリンピック
[編集] 世界スプリント選手権
[編集] 関連項目