遺書

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尼港事件で処刑される直前に監獄の壁に書かれた遺書(1920年5月24日)
「大正九年五月24日午后12時忘ルナ」

遺書(いしょ)は自殺する人、又は死ぬことが確実な人が残す文章である。

概要[編集]

遺書は残される家族友人・知人などに個人的なメッセージを送る手紙の意味合いが強い。その中でなぜ自分が自殺するのかという理由も語られる事が多い。特にいじめに関するものでは、これを元にした裁判が行われる場合がある。

遺書は原則として直筆で書かれる。これはワープロソフトを用いた文書では他人が書くことが可能であるが、直筆の場合は筆跡を真似て作成することが困難であることから、確実に自殺した本人が本当に遺書を執筆したことを証明するためとされる。そのため、ワープロソフトによって執筆された遺書では、偽装自殺による殺人が疑われる事例もある。また、自殺する者は直筆の遺書をあえて自殺現場に残すことによって、彼・彼女の死後に死体を発見した者は、自殺した者の死因は自殺であり殺人や事故死や変死などではないことを客観的に証明しようとする場合がある。

日本では有名なものに、円谷幸吉のものなどがある。

遺書的著作[編集]

科学者などが死を覚悟した際に、その思想などを遺書の意味を込めて書く例がある。日本では第二次世界大戦の頃、出征になりそうな若手の科学者がそのような書物を書いた例がある。たとえば岩田久二雄は、海南島への赴任が決まったとき、その出発前に「自然観察者の手記」という本を出しているが、これは今西錦司が『思い残しのないように』書いておくこと勧めたことを自伝に書いている(岩田、1976)。今西自身も、同時期に『生物の世界』などを出版したが、その序文には「私の命がもしこれまでのものだとしたら、私はせめてこの国の一隅に、こんな生物学者も存在していたということを、なにかの形で残したいと願った」とあり、同所の文庫版の解説では上山春平が「一種の遺書としての意味を持っていた」と指摘している。

参考文献[編集]

  • 岩田久二雄、『昆虫学五十年 あるナチュラリストの回想』、(1976)、中央公論社(中公新書)
  • 今西錦司、『生物の世界』、(1972)、講談社(講談社文庫)

関連項目[編集]