伊藤華英
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| 選手情報 | |||||||||||||||
| フルネーム | 伊藤華英 | ||||||||||||||
| ニックネーム | ハナ | ||||||||||||||
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| 泳法 | 自由形、背泳ぎ | ||||||||||||||
| 所属 | セントラルスポーツ研究所 | ||||||||||||||
| 生年月日 | 1985年1月18日(27歳) | ||||||||||||||
| 生誕地 | 埼玉県さいたま市 | ||||||||||||||
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伊藤 華英(いとう・はなえ、1985年1月18日 - )は、日本の水泳選手。セントラルスポーツ研究所社員。
目次 |
[編集] 基本データ
- 専門種目:自由形、背泳ぎ
- 身長:173cm
- 体重:63kg
- 血液型:AB
- 国際大会出場歴
- オリンピック:2008年
- 世界選手権:2001年、2003年、2005年、2007年、2009年
- パンパシフィック選手権:2006年
[編集] 泳ぎの特徴・課題
長身と、日本人離れした手足の長さを生かした伸びやかな泳ぎが特徴的。長い腕による無駄の少ない軌跡により、効率的に水をかいて推進力を生み出していると評される。
水着のカッティングは、男女を問わず泳法により記録などに大きな影響を及ぼす。ライバルであると同時に親友でもある同種目の寺川綾が、会社[1]の方針もあってハイレグカットからロングスパッツ式に変えたのに対し、伊藤は今でもハイレグカットを好み、大会本番でもハイレグカットの水着で出場することが多い(詳細は後述)。
以上の理由から、抜群のスタイルにも注目が集まっている一方で、メンタル面の弱さが課題として指摘されており、2005年までは「世界選手権代表にはなれてもオリンピックやアジア競技大会の代表にはなれない」という状態であった。このため近年では、トレーニング方法の見直しなどによりメンタル面の強化を図り、結果として代表に定着している。
[編集] 略歴
埼玉県大宮市(現さいたま市)出身。小さい頃から、実家近くにある旧岩槻市(現さいたま市岩槻区)にあるセントラルスポーツのスイミングクラブに通い、力をつけてきた。
1997年、東京成徳大学中学校に入学。2000年、東京成徳大学高等学校に入学。以後、高校総体、国体では東京都代表として出場。寺川と並ぶ日本女子水泳界のアイドル的存在になった。寺川からはハナと呼ばれている。学校生活は水泳一色。なかなか遠征や大会のため学校に行けなかったが、学校にいけば皆が快く迎えてくれた。誰からも愛される性格だったらしい。
- 2004年のアテネオリンピックには出場できなかったが、その悔しさをばねに、以後は寺川を圧倒する場面が多い。
- 大学時代は寺川が大学選手として大会に出場していたのに対し、伊藤は大学大会以外では「セントラルスポーツ関係者」として出場していた。
2007年日大卒業後はクラブに残り、そのまま研究所所属の正社員となって、選手育成のためのプログラム開発などに携わりながら北京五輪を目指した。そして2008年4月17日、日本選手権女子100m背泳ぎで日本新記録をマークして優勝。規定により自身初の五輪代表の座を獲得した。
- 伊藤はこの種目、予選と準決勝ではハイレグカットではなく、ロングスパッツ式の水着を着用して出場したが、背泳ぎで日本の頂点に立つ中村礼子には及ばなかった。そこで、決勝で従来のハイレグカットに戻したところ、優勝・初の五輪代表選出となったばかりでなく、前日の予選で中村が出したこの種目の日本記録(59秒96)をあっさりと塗り替えるというおまけつきであった。[2]
大学卒業後、研究所の拠点が千葉に移ったこともあり、選手登録先も東京都から千葉県に変更した。一方で、寺川は大阪府から東京都に登録先を変えた。
北京オリンピック後は調子が出なくなったこと、寺川が再び盛り返してきたことなどもあり、背泳ぎでの代表入りを事実上諦め、活動の軸足を自由形に移している。特に2010年の日本選手権では自由形一本に絞り、同種目でパンパシフィック選手権代表の座を獲得した。但し、同年開催予定の広州アジア大会に出場するためには、パンパシフィック選手権で所定の成績を収める必要がある。
[編集] 水着問題への対応
- 高校時代は学校の部活動ではアシックスの水着でレースに臨むこともあったが、大学進学後、寺川とともに当時ミズノがライセンシーとなっていたSPEEDOのイメージガールを務めていた。
- その関係もありミズノが自社ブランドに切り替えてからはミズノの水着を着用していたが、北京オリンピック代表権を獲得して以降、同僚・森田智己の影響もあり、SPEEDO社の最新式水着「レーザー・レーサー」のロングスパッツ式をテスト。日本水泳連盟が自由化方針を示したことから五輪本番では「レーザー・レーサー」を着用した。[3]
[編集] 戦績
[編集] 国内大会
- 2003年 日本選手権水泳競技大会
- 200m背泳ぎ 優勝
- 2005年 日本選手権水泳競技大会
- 100m背泳ぎ 優勝
- 2006年 日本選手権水泳競技大会
- 100m背泳ぎ 優勝、200m背泳ぎ 優勝
- 2008年 日本選手権水泳競技大会
- 100m背泳ぎ 優勝(タイム:59秒83)
[編集] 国際大会
- 2005年 世界水泳選手権モントリオール大会
- 100m背泳ぎ 6位、200m背泳ぎ 4位
- 2006年 パンパシフィック水泳選手権
- 100m背泳ぎ 優勝(タイム:1分0秒36)
- 2008年 北京オリンピック
- 100m背泳ぎ 8位、200m背泳ぎ 準決勝敗退
- 2009年 世界水泳選手権ローマ大会
- 200m自由形 棄権