山田宏一

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山田 宏一
誕生 (1938-09-13) 1938年9月13日(85歳)
オランダ領東インドバタヴィア(現・インドネシアジャカルタ
職業 映画評論家・翻訳者
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 東京外国語大学フランス語学科
ジャンル 映画評論
主な受賞歴 第1回Bunkamuraドゥマゴ文学賞
第5回文化庁映画賞映画功労表彰部門
第35回川喜多賞
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山田 宏一(やまだ こういち、1938年9月13日[1]- )は、日本映画評論家翻訳家

経歴[編集]

オランダ領東インドバタヴィア(現・インドネシアジャカルタ)生まれ。東京を経て秋田県八森に疎開、移住。東京外国語大学フランス語学科卒業。

1963年4月1日から10日にかけて、第3回「フランス映画祭」が東京都千代田区の東商ホールで開催された。『突然炎のごとく』『シベールの日曜日』など計9本の長編と、短編映画『ふくろうの川』が上映された[2]フランソワ・トリュフォーアラン・ドロンマリー・ラフォレセルジュ・ブールギニョンアレクサンドラ・スチュワルトアルベール・ラモリスらが映画祭に参加するため来日した[3]。山田は当時学生だったが、まる一週間トリュフォーの通訳を務めた。フランス人と本格的にフランス語を話すのは初めてのことだったという[4]

あるときひとりのジャーナリストがトリュフォーにインタビューに来た。フランス語に堪能なジャーナリストで、私のへたくそな、ぐずぐずした通訳にがまんがならず、ついにみずからフランス語でトリュフォーに質問し始めた。ところが、トリュフォーはそのジャーナリストのしゃべるフランス語がひとこともわからないふりをしてみせたのである。そして、かたわらで情けない顔をしていた私に、「あいつ、なにを言ってるんだ? ちゃんと日本語で言ってもらって、きみがちゃんと通訳してくれ」とわざと聞えよがしに言った。(中略)その思いやりの屈折ぶりに私は感動した。そのときから、私はフランソワ・トリュフォーという人間と作品に、トコトンつきあおうと決心したのである[4]

1964年11月、フランス政府給費留学生としてパリに移住[5]。1967年まで在住した。その間「カイエ・デュ・シネマ」の同人となる。

アルファヴィル』の助監督についていたジャン=ピエール・レオに頼み込み、1965年2月5日、同作品の撮影現場に潜り込む。このとき初めてジャン=リュック・ゴダールと会った[6]

1968年5月のカンヌ国際映画祭に、羽仁進監督の『初恋地獄篇』がコンペティション外特別招待作品に選ばれた。山田は羽仁プロから宣伝と販売を委託され、ポスターやスチール写真など宣伝材料をかついでカンヌに向かい、中止事件を目の当たりにする[7]

帰国後、『キネマ旬報』『話の特集』などに連載を行い、映画評論活動に入る。フランスの前衛的な映画から、マキノ雅弘などの娯楽映画まで、同じスタンスで論じる評論スタイルで注目される。また、翻訳、インタビュー、聞き書きなども多数ある。なお、マキノ雅弘の自伝『映画渡世』も、マキノの著書となっているが、山根貞男と山田による聞き書きである。

青山学院大学学習院大学で講師をした時期は、自身はほとんど語らず「映像を持って語らせる」手法で、映画論を講じた。

表彰[編集]

著作[編集]

単著[編集]

  • 『映画について私が知っている二、三の事柄』三一書房 1971/『シネ・ブラボー2』ケイブンシャ文庫 1985
  • 『映画 この心のときめき』白川書院 1976/早川書房 1989
  • 『友よ映画よ わがヌーヴェル・ヴァーグ誌』話の特集 1978、増訂版1985/ちくま文庫 1992/平凡社ライブラリー 2002
  • 『走れ! 映画』たざわ書房 1979
  • 『映画の夢・夢の女』絵:山口はるみ 話の特集 1980
  • 『美女と犯罪 映画的なあまりに映画的な』早川書房 1984/ハヤカワ文庫 1989/ワイズ出版(増補版) 2001
  • 『シネ・ブラボー 小さな映画誌』勁文社 ケイブンシャ文庫 1984
  • 『シネ・ブラボー3 わがトリュフォー』ケイブンシャ文庫 1985
  • 『きょうのシネマは シネ・スポット三百六十五夜』平凡社 1988
  • 『わがフランス映画誌』平凡社 1990
  • 『トリュフォー ある映画的人生』平凡社 1991、増訂版1994/平凡社ライブラリー 2002
  • 『ビデオラマ 空想の映画館・記憶の映画館』講談社 1993
  • エジソン的回帰』青土社 1997
  • 『山田宏一の日本映画誌』ワイズ出版 1997
  • 『山田宏一のフランス映画誌』ワイズ出版 1999
  • 『恋の映画誌』新書館 2002
  • 次郎長三国志 マキノ雅弘の世界』ワイズ出版 2002
  • 日本侠客伝 マキノ雅弘の世界』ワイズ出版 2007
    • 『マキノ雅弘の世界 映画的な、あまりに映画的な』ワイズ出版〈映画文庫〉 2012 - 元版2冊を再編・改稿
  • 『フランソワ・トリュフォー映画読本』平凡社 2003
  • 『フランソワ・トリュフォーの映画誌』平凡社 2004、増補版2022
  • 『何が映画を走らせるのか?』草思社 2005
  • ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代』[11]ワイズ出版 2010/増補版 同・映画文庫 2020
  • 『映画の夢、夢のスター』幻戯書房 2011
  • 『トリュフォーの手紙』平凡社 2012
  • 『ヌーヴェル・ヴァーグ 山田宏一写真集』平凡社 2013
  • 『映画 果てしなきベスト・テン』草思社 2013
  • 『映画的な、あまりに映画的な 日本映画について私が学んだ二、三の事柄』ワイズ出版〈映画文庫〉 2015
  • 『映画的な、あまりに映画的な 日本映画について私が学んだ二、三の事柄II』ワイズ出版〈映画文庫〉 2015 -「山田宏一の日本映画誌」を全面改稿
  • 『ヒッチコック 映画読本』平凡社 2016 - 集大成決定版
  • ハワード・ホークス 映画読本』国書刊行会 2016

共著[編集]

  • 『たかが映画じゃないか』和田誠共著 文藝春秋 1978/文春文庫 1985
  • 『トリュフォーそして映画 フランソワ・トリュフォー述』蓮實重彦と聞き手 話の特集 1980
  • 『映画となると話はどこからでも始まる』淀川長治・蓮實重彦と鼎談 勁文社 1985
  • 『惹句術 映画のこころ』関根忠郎、山根貞男と鼎談、講談社 1986/増補版・ワイズ出版 1995、同・映画文庫 2022
  • 『映画とは何か 山田宏一映画インタビュー集』草思社 1988
  • 『映画千夜一夜』淀川長治、蓮實重彦と鼎談 中央公論社 1988/中公文庫 上下 2000 
  • 『映画、輪舞のように』秦早穂子対談 朝日新聞社 1996。装丁和田誠
  • キン・フー 武侠電影作法-A touch of King Hu』宇田川幸洋と聞き手、草思社 1997、新装版2017
  • 『映画は語る』淀川長治対談、中央公論新社 1999
  • 天井棧敷の人々ワイズ出版 2000。解説・シナリオ、マルセル・カルネインタビュー
  • 『傷だらけの映画史 ウーファからハリウッドまで』蓮實重彦対談、中公文庫 2001
  • 『銀幕の天才 森繁久彌』ワイズ出版 2003。インタビューほか
  • 『香港への道 中川信夫からブルース・リーへ』 西本正山根貞男と聞き手、筑摩書房 リュミエール叢書 2004
  • 『ヒッチコックに進路を取れ』和田誠対談、草思社 2009/草思社文庫 2016。イラスト・装丁も
  • 『トリュフォー最後のインタビュー』蓮實重彦と聞き手・対談、平凡社 2014
  • 『シネマ・アンシャンテ』 濱田高志共著、立東舎 2017
    ジャック・ドゥミミシェル・ルグランを論じたヴィジュアル・ブック
  • 『映画はこうしてつくられる―山田宏一映画インタビュー集』草思社、2019年9月。ISBN 978-4794224019 

編集本[編集]

訳書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『文藝年鑑』2015年
  2. ^ 映画評論』1963年5月号。
  3. ^ 『映画ストーリー』1963年6月号、雄鶏社。
  4. ^ a b 山田宏一 2002, pp. 312–313.
  5. ^ 山田宏一 2002, p. 319.
  6. ^ 山田宏一 2002, pp. 67–70.
  7. ^ 山田宏一 2002, pp. 442–472.
  8. ^ “「映画本大賞」発表!1位は映画評論家・山田宏一が日本映画の面白さ語った作品”. シネマトゥデイ. (2016年4月20日). https://www.cinematoday.jp/news/N0082148 2016年4月20日閲覧。 
  9. ^ 第35回川喜多賞 山田宏一氏”. 公益財団法人川喜多記念映画文化財団. 2021年7月17日閲覧。
  10. ^ 「PLAN 75」早川千絵監督 「日本映画ペンクラブ賞」邦画ベスト1に選ばれ「やっぱり1位はうれしい」」『スポーツ報知』、2023年3月15日。2023年6月23日閲覧。
  11. ^ 単行判は和田誠の絵・装丁

参考文献[編集]

  • 山田宏一『増補 友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌』平凡社ライブラリー、2002年5月。ISBN 978-4582764338 

外部リンク[編集]