ボブ・サップ
| 基本情報 | |
|---|---|
| 本名 | ロバート・マルコム・サップ・ジュニア (Robert Malcolm Sapp, Jr.) |
| 通称 | ザ・ビースト 野獣 暗黒肉弾魔人 無敵の暴走機関車 |
| 国籍 | |
| 誕生日 | 1974年9月22日(38歳) |
| 出身地 | コロラド州コロラドスプリングス |
| 所属 | モーリス・スミス・キックボクシングセンター →チーム・ビースト |
| 身長 | 200cm[1] |
| 体重 | 145kg[1] |
| 階級 | ヘビー級(DREAM) |
| スタイル | キックボクシング |
| テーマ曲 | ツァラトゥストラはかく語りき |
ロバート・マルコム・ボブ・サップ(Robert Malcolm "Bob" Sapp、1974年9月22日[2] - )は、アメリカ合衆国のキックボクサー、プロレスラー、総合格闘家、タレント、俳優。コロラド州コロラドスプリングス出身。元はNFL選手であったものの、日本では2002年からの格闘技の活動から大いなる人気を獲得。ニックネームは「ザ・ビースト」。
目次 |
来歴 [編集]
教育熱心で厳格な家庭で育った。特に両親の離婚後母の教育熱がエスカレートし、テレビは教育テレビのみ視聴することを許されていたとインタビューで語った。
少年時から様々なスポーツに取り組み、高校時で既に体重115kgという大柄だった。17歳でワシントン州シアトルにあるワシントン大学にアメリカンフットボールの奨学生として入学し、学業では社会学と薬学を専攻。カレッジフットボールではオフェンスのラインとして活躍し、NFL入りを表明したため、大学は3年間で特進卒業した。
1997年、NFLのシカゴ・ベアーズにドラフト3巡(全体69位)指名で入団するも、度重なる故障に見舞われ、翌シーズンにミネソタ・バイキングスに移籍。さらにボルチモア・レイブンズへ移籍するも両足のアキレス腱を痛め、負傷前の実力を取り戻すに至らなかったため、2000年に現役続行を断念。代わってプロレスラーに転向し、アメリカのプロレス団体であるWCWに入団したが、WCWが倒産したため数試合の(前座)出場のみにとどまった。後、病院に遺体搬出の仕事に就き収入を得る。NFL時代のパワーリフトMAXは、ベンチプレス266kg、インクラインベンチ363kg、パワークリーン191kgと公表している[3]。また、100mを11秒台で走っていた。
その後、同じく元WCWの選手でかつてK-1に参戦していた友人のサム・グレコの紹介でK-1にスカウトされ、2002年、格闘家としてPRIDE、K-1に参戦。試合ではフットボールの経験を生かした肉弾的な戦いを得意とし、自らをビーストと呼ぶことから、「野獣」「ビースト」といったキャッチコピー(ちなみに、PRIDEにデビューした当初は「暗黒肉弾魔人」)を得た。格闘家として活躍時の体脂肪率は11 - 13%程度で、筋力維持のため毎日400g程度のプロテインパウダーを摂取しトレーニングに励んでいた[3]。来日当初は異国の勝手がわからず、その巨体を小さくして萎縮していたが、活動初期には手にした生肉を貪り食うなど食人を意識したギミック(役付け)で登場。本人のサービス精神旺盛さと、場が盛り上がる的確な乱暴狼藉、表情豊かで大仰なセリフ回しで笑いも取り、一時期お茶の間を席巻する。
2002年8月にPRIDE王者のアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラに善戦し、さらに10月と12月にK-1王者のアーネスト・ホーストに勝利したことで格闘技ファンにも実力を認められ、一方、私生活では知性派であることがメディアに紹介されるにつれ、そのギャップから親しみやすいキャラクターとして話題を呼び、日本の数多くの番組やテレビCMに多く出演することとなった。2004年には映画『IZO』、『デビルマン』に出演した。また、漫画「バビブベボブボブ!!さっぷくん」が月刊コロコロコミック(2003年7月号 - 2006年4月号)に連載された。
2002年4月28日、PRIDE.20で日本デビュー。山本憲尚(現山本宜久)を1R2分44秒で下す。
2002年6月2日、K-1 SURVIVAL 2002で中迫剛と対戦、K-1ルールを無視して中迫を投げ飛ばし上から殴るなど暴走し反則負け。乱闘騒ぎになる大荒れの試合となった。試合後、石井和義館長は「このままでは収まらない。2人にはきっちり決着をつけさせる」と明言した。
2002年6月23日、PRIDE.21で田村潔司と対戦、開始11秒でKO勝利。
2002年8月28日、Dynamite!にてアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラに2ラウンド4分02秒で一本負けを喫するも、ノゲイラのフィニッシュ・ホールドである三角絞めを、持ち上げてリングに叩きつけて阻止するなど、その怪力ぶりを発揮。
2002年9月22日、K-1 ANDY SPIRITSでシリル・アビディと対戦し、KO勝ち。
2002年10月5日、K-1 WORLD GP 2002 開幕戦にてアーネスト・ホーストと対戦、パンチと圧力で攻め1R終了時にドクターストップによりTKO勝ち。K-1を3度制したホーストに勝利したことで知名度は急上昇する。
2002年11月17日に、サップをエースとするK-1によるプロレスイベントWRESTLE-1が旗揚げ。フジテレビは「ボブ・サップのバトル・エンターテイメント W-1」というサップの冠番組としてゴールデンタイムに録画中継した。
2002年12月7日、K-1 WORLD GP 2002 決勝戦のGP準々決勝にてアーネスト・ホーストと再戦、2R2分53秒でKO勝ち。しかし右拳を骨折しGP準決勝を棄権した。王者になったのは、サップに2度負けたホーストだった。
2002年12月31日、INOKI BOM-BA-YE 2002ではプロレスラーの高山善廣相手に打撃では勝負をせずにタックルで倒し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収めた。
2003年3月5日、フジテレビのバラエティ番組「力あわせてゴーゴゴー!!」内の企画で、シングル「SAPP Time!」をリリースした。オリコン週間チャートは最高28位。
2003年3月30日、K-1 WORLD GP 2003 in さいたまでミルコ・クロコップと対戦し、左ストレートでKO負け。試合後、右眼窩内側壁骨折および右眼窩壁骨折と診断された[4]。
2003年8月15日、K-1 WORLD GP 2003 in ラスベガスでキモと対戦、2R1分11秒右フックでKO勝ち。試合終了後、マイク・タイソンを挑発した。
2003年10月11日、K-1 WORLD GP 2003 開幕戦にてレミー・ボンヤスキーと対戦、2Rに倒れたレミーを殴ってしまい反則負け。
2003年12月31日、K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!にて曙太郎と対戦、1R2分58秒でKO勝ち。そのシーンは瞬間最高視聴率で民放がNHK紅白歌合戦を史上初めて上回り、大きな話題となった。
2004年3月28日、新日本プロレスにて佐々木健介と対戦、8分24秒体固めで勝利し、第37代IWGPヘビー級王座につく。
2004年5月3日、新日本プロレスにて中邑真輔と対戦、12分31秒体固めで勝利し、IWGPヘビー級王座の初防衛に成功する。
2004年5月22日のK-1 ROMANEXで藤田和之と対戦、序盤でテイクダウンをとられ、一方的に藤田の打撃を浴びタップアウトで敗北。試合後、保持していたIWGPヘビー級王座を返上。
2004年12月31日、K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!においてジェロム・レ・バンナと、1Rと3RはK-1ルール、2Rと4Rは総合格闘技ルールで行うミックスルールで対戦し、時間切れ引き分け。
2005年5月からサム・グレコの下で修行し、6月14日のK-1 WORLD GP 2005 IN HIROSHIMAで開催されたJAPAN GPに出場。中尾芳広、堀啓、富平辰文を破り優勝。
総合格闘技大会HERO'Sでは、2005年3月26日にキム・ミンスに右ストレートでKO勝利、7月6日にはアラン・カラエフに左ストレートでKO勝利を収めた。11月5日には「HERO'S 2005 in SEOUL」においてキム・ジョンワンに、8秒でKO勝ち。
並行してプロレスにも参戦。2005年8月4日、「WRESTLE-1 GP 2005 開幕戦」においてジャイアント・バーナードと対戦し、5分30秒、横入りエビ固めで勝利。
2005年10月2日、「WRESTLE-1 GP 2005 2回戦」において秋山準と対戦し、7分21秒、ビーストボムからのエビ固めで勝利。
2006年5月13日、K-1 WORLD GP 2006 IN AMSTERDAMにおいて、アーネスト・ホーストの国内引退試合の相手を務めるはずであったが、契約問題のこじれから試合直前になって試合をボイコット。この件でサップは弁護士を介しての声明文や外国人記者クラブで会見を行うなどし、一方、FEG社長谷川貞治もサップへ法的措置をとると会見するなどして、両者で争うことになった[5]。『サンデー毎日』2006年12月31日号では、映画に出演すると共に、獣医を目指して勉強中と報じられた。10月15日にはWWEのトライアウトを受けていた。
2007年2月10日、Cage Rage 20のリングに上がり、4月21日のCage Rage 21への参戦を表明したが、開催直前になって出場がキャンセルされた[6]。
2007年6月、サップを契約違反として民事裁判の提訴をしたK-1と和解[7]、6月23日のK-1 WORLD GP 2007 IN AMSTERDAMでピーター・アーツと対戦。試合は、開始早々突進しみぞおちへの左膝蹴りを受けダウン、そのまま立ち上がらず26秒でKO負けを喫した。その姿に観客からは大ブーイングとともにリングに物が投げ入れられた。試合後の会見で谷川貞治K-1イベントプロデューサーは裏切られたと不快感を露わにした[8]。なおこの試合前に発表されたサップの体重は180kgと、1年前に比べ20 - 30kg重く体が緩んでいた。各メディアで練習不足による肥満が指摘された。
2007年10月16日、ハッスルの会場に姿を現し、モンスター・ボノの「バブー」をパロって「ボブー」と言った。11月22日、ハッスルマニア2007でHGに勝利。
2007年12月31日、K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!でボビー・オロゴンと対戦、パウンドでKO勝ち。
2008年2月23日、米国での総合格闘技デビュー戦となるStrikeforce: At The Domeでヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤと対戦し、パンチを連打されTKO負け。Strikeforceとは15試合の長期契約を締結したと報道された。
2008年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜のDJ OZMAプロデュース試合でキン肉万太郎と対戦し、スタンドパンチ連打でTKO勝ちを収めた。
2009年1月、プロ野球北海道日本ハムファイターズの坪井智哉と東京都内のジムで自主トレーニング(格闘技トレーニング)を行った。
2009年5月26日、DREAM.9のスーパーハルクトーナメント1回戦でミノワマンと対戦し、アキレス腱固めで一本負け。
2009年6月27日、Ultimate Chaosでボビー・ラシュリーと対戦し、グラウンドパンチで1ラウンド3分17秒、タップアウト負け。闘争心を見せない試合ぶりに観客からブーイングを浴びる[9]。
2009年10月6日、ゲガール・ムサシの負傷欠場により敗者復活となり[10]、DREAM.11のスーパーハルクトーナメント準決勝でソクジュと対戦し、パウンドでTKO負け。
2010年、格闘家として第一線を退き、韓国でトークショーの司会や、会社の経営に乗り出していると明言[11]。
2010年11月27日、スウェーデンのRumble of the Kingsのメインでユルゲン・クルトとK-1ルールで対戦し、ひざ蹴り一発で戦意を喪失して、タオル投入による1ラウンド98秒のTKO負け[12][13]。
2010年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2010〜で鈴川真一とIGF特別ルールで対戦する予定だったが、試合放棄したため、「サップの戦意喪失」として不戦敗扱いとなった[14][15]。試合放棄の理由の詳細は、#FEGとの争いの2010年Dynamite!!試合放棄およびFEGのファイトマネー未払い問題を参照。
東日本大震災後の2011年8月にはチャリティーオークション参加や避難所へ訪問している[16]。
2013年1月4日、新日本プロレスの矢野通からラブコールを受ける形でCHAOSのサポートメンバーとして出場。試合はタッグメンバーの飯塚高史が対戦組の中西学のアルゼンチンバックブリーカーによるギブアップで敗れるものの、試合後のバックステージでのコメントで新日本プロレスに再参戦する意思を見せている。因みに、この日の試合の対戦組メンバーにかつて2003年12月31日のK-1で対戦した曙がいた。
2013年3月、著書『野獣の怒り』で、谷川貞治の放漫なマネジメントを批判。また自身はドン・フライほか引退したファイターへの支援活動を開始しており、40歳で引退すると表明した。
人物・エピソード [編集]
身長に関しては諸説あるが、PRIDE初参戦時は205cmと紹介されていた。後にK-1にも出場、そのときは200cmに訂正された。大学フットボール時代ならびにNFL時代は6フィート4インチ≒193cmである。利き手(書字など)は左だが、利き腕(ストレートパンチなど)は右である。
一部で「ボブ・サップは元NFLプレイヤーのウォーレン・サップ(2013年プロフットボール殿堂入り)の兄弟(または従兄弟)である」というまったくの誤報が流れ、ボブ・サップとウォーレン・サップとの間に特筆すべき血縁関係はない[17]。
2006年5月13日、K-1 WORLD GP 2006 IN AMSTERDAMにおいて、アーネスト・ホーストの国内引退試合の相手を務めるはずであったが、契約問題のこじれから試合直前になって出場を固辞、試合をボイコットした。FEG側の説明では「(サップ側から)試合前に無理難題を吹っかけられ、拒否したら突然『やらない』と言い出した」としていて、その無理難題の内容は「契約上明かすことは出来ない」として説明を避けた。契約上問題があると法的措置も検討していて、K-1永久追放の可能性も示唆していた。この時谷川の口から4月23日プロレスリング・ノア日本武道館興行のオファーを蹴っていることが明かされた。本人はハッスルに参戦したいと語っていた。2006年6月27日、K-1オランダ大会ボイコットの件に関しての声明を発表し、当時の詳細を語った。その中でサップは、オランダでK-1を共催した人物から脅されたとも語っている[18]。これに対し6月29日、K-1サイドは「事実に反する」と反論し、サップ側から長期契約からのリリースの要求があったと主張[19]。さらに7月3日、ボブ・サップの代理人から、K-1サイドの事実誤認に対する指摘がなされた[20]。その後2007年6月、サップ側の申し入れによりFEGと和解、6月23日のK-1 WORLD GP 2007 IN AMSTERDAMに出場することとなった。しかし、試合内容に激怒した谷川は、損害賠償などの法的措置を取り下げないことを発表した。2010年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2010〜では、エグゼクティブプロデューサーに就任したアントニオ猪木による提供試合として鈴川真一の対戦相手としてIGF特別ルールでマッチメイクされた[21]。しかし大会当日になってサップが試合放棄したことにより、戦意喪失による鈴川の不戦勝と発表された[15]。これを受けて谷川は1月1日の記者会見の場にて「二度と呼ぶことはないでしょう」と事実上のFEG関連興行からの永久追放を宣言した[22]。谷川はサップが「売店で俺のフィギュアが売っているが、ロイヤリティをもらってない」と言っていたという。さらに素手で戦うIGF特別ルールがプロレスなのか格闘技なのかの解釈の違いがファイトマネーのトラブルの原因になったという憶測については、FEGもIGFも格闘技のつもりでオファーしたとしている[23]。一方、サップの側は、3万ドルのファイトマネーでFEGからオファーされたのに来日すると1万5千ドルに半減されたのが試合放棄の原因だとインターネットメディアで主張した[24]。対戦相手だった鈴川が所属するIGFの渉外のサイモン・ケリー猪木はTwitterで、一番悪いのは主催のFEGだとサップに同情するコメントをしている[25]。また、同時期から主催者側FEGが多額の負債により各選手へのファイトマネーが未払いになっていたことがのちに発覚(FEGの項参照)し、サップの主張が裏付けられるかたちとなった。
スポーツマン№1決定戦成績表
- ワークアウトガイズ ミルク缶が連結していなかったので失格
- スピンオフ №1
- ザ・タッグオブウォー 準決勝敗退(3位)
- ザ・ガロンスロー 2004年大会5m50cm 2006年大会7m00cm
戦績 [編集]
キックボクシング [編集]
| キックボクシング 戦績 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 21試合 | (T)KO | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 | |
| 10勝 | 8 | 2 | 0 | 0 | 0 | |
| 11敗 | 5 | 4 | 2 | |||
| 勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
| × | フロリアン・パビッチ | 3R終了 判定 | Steko's Fight Night | 2011年8月26日 |
| × | ユルゲン・クルト | 1R 0:45 TKO(タオル投入) | Rumble of The Kings | 2010年11月27日 |
| × | パトリス・カルテロン | 1R 2:32 KO(右膝蹴り) | A1 World Combat Cup | 2009年11月28日 |
| × | アライン・ンガラニ | 3R終了 判定0-3 | PLANET BATTLE | 2009年10月7日 |
| × | ピーター・アーツ | 1R 0:26 KO(左膝蹴り) | K-1 WORLD GP 2007 IN AMSTERDAM 【スーパーファイト】 |
2007年6月23日 |
| × | 武蔵 | 3R終了 判定0-3 | K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!! 【K-1ルール】 |
2005年12月31日 |
| × | チェ・ホンマン | 3R終了 判定0-2 | K-1 WORLD GP 2005 IN OSAKA 開幕戦 【WORLD GP 1回戦】 |
2005年9月23日 |
| ○ | 富平辰文 | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2005 IN HIROSHIMA 【JAPAN GP 決勝】 |
2005年6月14日 |
| ○ | 堀啓 | 2R 1:54 KO(2ノックダウン:右フック) | K-1 WORLD GP 2005 IN HIROSHIMA 【JAPAN GP 準決勝】 |
2005年6月14日 |
| ○ | 中尾芳広 | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2005 in HIROSHIMA 【JAPAN GP 1回戦】 |
2005年6月14日 |
| × | レイ・セフォー | 2R 0:29 KO(右ボディブロー) | K-1 BEAST 2004 in 静岡 〜JAPAN GP決勝トーナメント〜 【スーパーファイト】 |
2004年6月26日 |
| ○ | トミー・グランビル | 1R 0:33 KO(左フック) | K-1 WORLD GP in LAS VEGAS 【スーパーファイト】 |
2004年4月30日 |
| ○ | セス・ペトルゼリ | 1R 0:57 KO(右肘のダメージ) | K-1 WORLD GP 2004 in SAITAMA | 2004年3月27日 |
| ○ | 曙太郎 | 1R 2:58 KO(右ストレート) | K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!! 【K-1ルール】 |
2003年12月31日 |
| × | レミー・ボンヤスキー | 2R 1:20 反則失格(倒れた相手への攻撃) | K-1 WORLD GP 2003 開幕戦 ALL STARS 【WORLD GP 1回戦】 |
2003年10月11日 |
| ○ | キモ | 2R 1:11 KO(右フック) | K-1 WORLD GP 2003 in ラスベガス 【スーパーファイト】 |
2003年8月15日 |
| × | ミルコ・クロコップ | 1R 1:26 KO(左ストレート) | K-1 WORLD GP 2003 in さいたま | 2003年3月30日 |
| ○ | アーネスト・ホースト | 2R 2:53 KO(2ノックダウン:パンチ連打) | K-1 WORLD GP 2002 決勝戦 【WORLD GP 準々決勝】 |
2002年12月7日 |
| ○ | アーネスト・ホースト | 1R終了時 TKO(ドクターストップ:左眉上部カット) | K-1 WORLD GP 2002 開幕戦 【WORLD GP 1回戦】 |
2002年10月5日 |
| ○ | シリル・アビディ | 1R 1:17 KO(3ノックダウン:パンチ連打) | K-1 ANDY SPIRITS 2002 〜JAPAN GP 決勝戦〜 【スーパーファイト】 |
2002年9月22日 |
| × | 中迫剛 | 1R 1:30 反則失格(倒れた相手への攻撃) | K-1 SURVIVAL 2002 〜富山初上陸〜 | 2002年6月2日 |
総合格闘技 [編集]
| 総合格闘技 戦績 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 20 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
| 11 勝 | 8 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 |
| 8 敗 | 2 | 4 | 0 | 2 | ||
| 勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
| ○ | サスチャ・ウェインポルター | 1R ギロチンチョーク | K-1 ColliZion 2010 Croatia 【MMAルール】 |
2010年3月27日 |
| × | ソクジュ | 1R 1:31 TKO(パウンド) | DREAM.11 フェザー級グランプリ2009 決勝戦 【スーパーハルクトーナメント 準決勝】 |
2009年10月6日 |
| × | ボビー・ラシュリー | 1R 3:17 タップアウト(パウンド) | Ultimate CHAOS | 2009年6月27日 |
| × | ミノワマン | 1R 1:15 アキレス腱固め | DREAM.9 フェザー級グランプリ2009 2nd ROUND 【スーパーハルクトーナメント 1回戦】 |
2009年5月26日 |
| ○ | キン肉万太郎 | 1R 5:22 TKO(レフェリーストップ:スタンドパンチ連打) | Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜 【DREAMルール】 |
2008年12月31日 |
| × | ヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤ | 1R 0:55 TKO(レフェリーストップ:スタンドパンチ連打) | Strikeforce: At The Dome | 2008年2月23日 |
| ○ | ボビー・オロゴン | 1R 4:10 KO(パウンド) | K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!! 【HERO'Sルール】 |
2007年12月31日 |
| ○ | キム・ジョンワン | 1R 0:08 KO(右膝蹴り) | HERO'S 2005 in SEOUL | 2005年11月5日 |
| ○ | アラン・カラエフ | 1R 3:44 KO(左ストレート) | HERO'S 2005 | 2005年7月6日 |
| ○ | キム・ミンス | 1R 1:12 KO(右ストレート) | HERO'S | 2005年3月26日 |
| △ | ジェロム・レ・バンナ | 4R終了 ドロー | K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!! 【K-1&総合格闘技MIXルール】 |
2004年12月31日 |
| × | 藤田和之 | 1R 2:15 タップアウト(パウンド) | K-1 ROMANEX | 2004年5月22日 |
| ○ | ドルゴルスレン・スミヤバザル | 1R終了時 TKO(タオル投入) | K-1 BEAST 2004 〜新潟初上陸〜 | 2004年3月14日 |
| ○ | ステファン・ガムリン | 1R 0:52 フロントスリーパー | K-1 SURVIVAL 2003 〜JAPAN GP 決勝戦〜 | 2003年9月21日 |
| ○ | 高山善廣 | 1R 2:16 腕ひしぎ十字固め | INOKI BOM-BA-YE 2002 | 2002年12月31日 |
| × | アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ | 2R 4:03 腕ひしぎ十字固め | Dynamite! SUMMER NIGHT FEVER in 国立 | 2002年8月28日 |
| ○ | 田村潔司 | 1R 0:11 TKO(タオル投入) | PRIDE.21 | 2002年6月23日 |
| ○ | 山本憲尚 | 1R 2:44 TKO(レフェリーストップ:パンチ連打) | PRIDE.20 | 2002年4月28日 |
獲得タイトル [編集]
- 第37代IWGPヘビー級王座
- K-1 WORLD GP 2005 IN HIROSHIMA JAPAN GP 優勝
- プロレス大賞 MVP
得意技 [編集]
- ビーストボム
- 自らも前方に倒れこむ形のパワーボムを使用。プロレスでのフィニッシュ・ホールド。
- ドロップキック
- 正面飛び式を使用。あの巨体から繰り出されるとは思えない程、打点が高い。コーナーポスト最上段からのミサイルキックはフィニッシュブローとしても使われた。
- カウンター式のラリアット
出演 [編集]
映画 [編集]
- IZO(2004年) - 門衛の怪物
- デビルマン(2004年) - モリソン
- エレクトラ(2005年) - ストーン
- ロンゲスト・ヤード(2005年) - スウィトウスキ
- Big Stan(2005年) - Big Raymond
- Remarkable Power(2008年) - Tiny
- Player 5150(2008年) - Beno
- Blood and Bone(2009年) - Hammerman
- Frankenhood(2009年) - Frankie
- コナン・ザ・バーバリアン (2011年) - ウカファ
テレビ [編集]
- 日本列島元気満点!力あわせてゴーゴゴー(フジテレビ) - ぼぶはげ
- 笑いの金メダル(テレビ朝日) - 途中降板(実質的出演は3回)
- USO!?ジャパン(TBS) - ゲスト
- 天才てれびくんMAX(NHK教育) - コーナーゲスト
- どっちの料理ショー
- 志村けんのバカ殿様(フジテレビ) - ゲスト
- 東京ラブ・シネマ(フジテレビ)- 第1話ゲスト
- 逮捕しちゃうぞ(テレビ朝日) - 第6話ゲスト
- ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! (日本テレビ) - 七変化シリーズ
- サタ☆ネプ ベストテン!!(TBS) - 初回ゲスト
- オールスター感謝祭'11春20周年超豪華版SP
- 炎の体育会TV
- VS嵐(2013年4月4日、フジテレビ)
- battle for money 戦闘中(2013年4月7日、フジテレビ)
- run for money 逃走中(2013年4月14日、フジテレビ)
CM [編集]
- バイク王
- UHA味覚糖(ぷっちょ、シゲキックス)
- ピザーラ(エビマヨ)
- コカ・コーラ(ジョージア)
- ライオン(ソフト&ドライ)
- ロッテ(モナ王)
- 松下電器産業(DIGA)
- スパワールド
- olleh(韓国携帯電話)
- 日清食品(日清焼きそばカップ Wからしマヨネーズ)
出版物 [編集]
書籍 [編集]
CD [編集]
- SAPP Time!(ロッテ「モナ王」CMソング、2003年3月5日)[26]
ビデオ [編集]
- SAPP Time!(DVD版・VHS版、2003年5月21日)[26]
脚注 [編集]
- ^ a b ボブ・サップ (BOB SAPP)アントニオ猪木 IGFプロレスリング
- ^ 出生年には1973年生まれ説と1974年生まれ説があるが、これはサップの両親が離婚して、両親の出生届けが父(1973年)、母(1974年)となったためである。
- ^ a b “ビーストの誕生まで ボブ・サップインタビュー”. 2011年1月23日閲覧。
- ^ サップ骨折癒えず 復活に黄信号も「再戦は避けられない」 スポーツナビ 2003年4月2日
- ^ K-1 ついにサップと法廷闘争へ。PRIDE参戦のメレンデスも提訴 BOUTREVIEW 2006年10月11日
- ^ ケージレイジ 4.21 ロンドン:サップまたも急遽欠場。代役アボット BOUTREVIEW 2007年4月20日
- ^ ボブ・サップが緊急来日、K-1と電撃和解! 因縁の地・オランダでピーター・アーツとの復帰戦が決定 スポーツナビ 2007年6月18日
- ^ (レポ) K-1 6.23 オランダ:サップ秒殺負け。スロウィンスキー優勝 BOUTREVIEW 2007年6月26日
- ^ 【Ultimate Chaos】ラシュリーが戦意なきサップを撃破 MMAPLANET 2009年6月28日
- ^ 【DREAM】10・6川尻達也がレスリングの強豪と対戦!ボブ・サップが敗者復活 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年9月18日
- ^ 文化放送大竹まことゴールデンラジオにて2010年7月8日放送
- ^ サップがお決まりの戦意喪失、キシェンコは本領発揮 livedoorスポーツ(MMAPLANET配信記事)2010年11月30日
- ^ Rumble of the Kings 主要試合レポート MMAPLANET 2010年11月30日
- ^ DREAM公式サイトによる試合詳細
- ^ a b 【Dynamite!!】ボブ・サップがまたしても敵前逃亡!当日に試合をドタキャン 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年12月31日
- ^ ボブサップが避難所を訪問 支援とエールを贈る
- ^ なお、ウォーレン・サップはフロリダ州オーランド出身であり、マイアミ大学の卒業生である。
- ^ 「ボブ・サップ声明文 K-1欧州GPの真相について」 スポーツナビ 2006年6月29日
- ^ 「谷川氏、サップ声明文を否定。『事実に反する』」 スポーツナビ 2006年6月29日
- ^ 「ボブ・サップ代理人、谷川氏の反論について重大な事実誤認を指摘」 スポーツナビ 2006年7月3日
- ^ Dynamite!!】12・31石井慧は“K-1の番長”バンナと対戦!猪木特別試合で鈴川VSサップ 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年12月22日
- ^ 【ニュース】谷川代表がFEG再建を発表!春からイベント再開、海外大会も示唆 格闘技ウェブマガジンGBR 2011年1月1日
- ^ 『kamipro』No.155、エンタープレイン、2011年、p.55。谷川貞治インタビュー。
- ^ Bob Sapp explains DREAM "Dynamite!! 2010" no-show, says DREAM is "broke" MMA JUNKIE.COM 2011年1月18日
- ^ SimonInoki 2011年1月17日
- ^ a b ボブ・サップ「SAPP Time!」 FORLIFE MUSIC ENTERTAINMENT公式サイト
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
- K-1sport.de - Complete Fighters Profile of Bob Sapp
- K-1 選手データ
- DREAM 選手データ
- SHERDOG 選手データ
- サップ本人によるアメリカのジャーナリストへの表明詳細(英語)
- Former NFL guard finds sporting success in Japan
- 通算成績と情報 Pro-Football-Reference, or DatabaseFootball (英語)
- アントニオ猪木×九州スポーツ・独占インタビュー(ゲスト:ボブ・サップ)※2012年2月24日
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