桜庭和志

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桜庭 和志
Kazushi Sakuraba.JPG
基本情報
本名 櫻庭 和志
通称 IQレスラー
生ける伝説
グレイシー・ハンター
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1969年7月14日(45歳)
出身地 秋田県南秋田郡昭和町
所属 フリー
身長 180cm
体重 83kg
階級 ウェルター級DREAM
ライトヘビー級HERO'S
ミドル級PRIDE
スタイル プロレス
テーマ曲 SPEED TK RE-MIX
小室哲哉
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櫻庭 和志(さくらば かずし、男性、1969年7月14日 - )は、日本プロレスラー総合格闘家秋田県南秋田郡昭和町(現:潟上市)出身。株式会社39代表取締役。3児(男の子3人)の父。新聞などでは常用漢字外の文字の使用には制約があるため、桜庭和志と表記されることが多く、著書などでも桜庭の表記が一般的である。マネージメントはハイタイド

秋田市立秋田商業高等学校卒業、中央大学商学部中退。

レスリングをベースに持つ。1990年代末 - 2000年代初頭頃のPRIDEにおいて、強豪外国人に対し、互角以上の戦いを演じた数少ない日本人選手の一人。

総合格闘技の試合では滅多に見られないような変則技を繰り出して対戦相手を翻弄することから「IQレスラー」と呼ばれ、人気を博した。また、様々な総合格闘家が苦杯をなめてきたグレイシー一族に対し何度も勝利したことから「グレイシー・ハンター」との異名もとる。

来歴[編集]

小学生の頃に当時ブームを呼んだタイガーマスクに憧れ、レスリングの名門秋田市立秋田商業高等学校ではレスリング部で活躍。中央大学レスリング部では主将を務め、卒業後にはスポーツクラブのインストラクターに内定していたが、4年間で卒業できず、内定を辞退。5年生のときに入団テストを受け、プロに転向。その際大学を中退。

UWFインターナショナル[編集]

1992年7月にUWFインターナショナルへ入団した。当初は藤原組の入団試験を受けるつもりだったという。Uインターではレスリング技術に加えて、打撃と関節技を習得。1993年8月13日の日本武道館大会でプロデビューするが[1]、Uインターは1996年12月に解散。在籍中はキモとの対戦もある[2]。またこの時期はサソリ固めを得意技にしており、さらに技を掛ける時は大声を出して気合を入れるなど、総合時代の冷静な試合運びとは対照的な戦い方をしていた。一夜限りのプロレス復帰を果たした2000年12月31日のINOKI BOM-BA-YE 2000でも技をかける際に大声を出している。

キングダム[編集]

Uインター所属選手のほとんどが参加した新団体キングダムへ移籍。キングダムはオープン・フィンガー・グローブを着用した顔面殴打ありのルールを採用した団体で、桜庭にとってはUWFルールからPRIDEルールへの橋渡しとなった。1997年12月21日、怪我で欠場した先輩の金原弘光の代役として急遽UFC Japanヘビー級トーナメントに出場。マーカス・コナンに一本勝ちし、UFC-J王者となった。このとき「プロレスラーは本当は強いんです」と発言した。なお、このトーナメントは日本大会限定で行われたため、UFCの正式な王者となったわけではない。

PRIDE[編集]

グレイシー撃破[編集]

1998年高田延彦主宰の高田道場へ移籍。PRIDE.2ヴァーノン・"タイガー"・ホワイト戦でPRIDEデビュー。

1999年4月29日のPRIDE.5では前年にヴァンダレイ・シウバをKOしたばかりのビクトー・ベウフォートに判定勝ちを収めている。PRIDE参戦後はアラン・ゴエス戦(PRIDE.4)での引き分けを挟んで、ヴァーノン・ホワイト(PRIDE.2)、カーロス・ニュートンPRIDE.3)、ビクトー・ベウフォート(PRIDE.5)、エベンゼール・フォンテス・ブラガPRIDE.6)、アンソニー・マシアス(PRIDE.7)に5連勝を飾り、ミドル級のトップコンテンダーに登りつめた。

1999年11月21日のPRIDE.8ではメインイベントに登場し、当時不敗神話を誇っていたグレイシー一族の一人、ホイラー・グレイシーとの対戦を迎える。1Rから15kgの体重差を生かしてホイラーのタックルを切り続けた桜庭は猪木アリ状態からのローキックでダメージを与えていく。2Rも優勢は変わらず、引き込んだホイラーにハーフガードからチキンウィングアームロックを極めた。ホイラーはタップせず、セコンドのヒクソン・グレイシーもタオルを投げなかったため、島田レフェリーが試合をストップした。ホイラーは抗議するものの裁定は覆らず、桜庭はマイクアピールで「あそこからどうやって逃げたのか知りたいです。次はお兄さん僕と勝負してください!」とヒクソンに対戦を要求した。

2000年1月、桜庭は「PRIDE GP 2000」に出場する。ガイ・メッツァーの試合放棄という幕切れで1回戦を突破すると、5月の決勝大会ではホイス・グレイシーとの対戦が決定した。ホイラー戦での裁定に不満を持つホイスはルール変更を要求[3]、桜庭も受諾し、15分無制限ラウンド・レフェリーストップおよび判定無しで行われることになった。試合は1時間を超す長丁場となったが、桜庭はホイスの道衣を脱がせようとするなどした。桜庭がホイスの左足にローを蹴り続けたダメージで7R開始直前にホリオンがタオルを投入し、桜庭の勝利で実に90分に及ぶ死闘に終止符が打たれた。その後準決勝に進出するものの消耗が激しく、イゴール・ボブチャンチン戦では途中から押される展開になった。1R終了後の判定ではドローとなったものの、陣営がレフェリーにタオルを手渡し、TKO負けとなった。

2000年8月27日、PRIDE.10ヘンゾ・グレイシーと対戦。バックを捕られるもアームロックで切り返し、TKO勝ち。12月23日のハイアン・グレイシー戦ではハイアンが直前に怪我をして10分1Rに変更、試合は桜庭が終始優位に立って判定勝ちを収めた。

グレイシー狩り」と呼ばれたグレイシー一族相手の4連勝を果たし、「グレイシー・ハンター」の異名を取った。ただ勝利するだけでなくファンを喜ばせるために戦うというファイトスタイルで、高く評価された。桜庭の活躍と共にPRIDEは大きく成長を遂げ、2000年の桜庭はPRIDEのエースとして全盛期を迎えていたといえる。

シウバとの闘い[編集]

2001年3月25日、PRIDE.13ヴァンダレイ・シウバと初対戦し、この大会から解禁されたサッカーボールキックでTKO負け。続いて参戦したPRIDE.15では初参戦のクイントン・"ランペイジ"・ジャクソンと激突、下からの腕ひしぎ十字固め三角絞めをことごとくパワーボムで返すというジャクソンのパワーに手こずるも、最後はチョークスリーパーで一本勝ちを収めた。

2001年11月3日、PRIDE.17で新設されたPRIDEミドル級王座が新設され、同時にPRIDEミドル級の設定が93kgとルールに追加された[4]。当時の桜庭の通常体重は83kgから84kgで、桜庭自身が希望していたミドル級は90kg以下だったが、以後のPRIDEで、桜庭はこの条件で戦っていくことになった[5]。PRIDE.17ではミドル級王座を賭けてヴァンダレイ・シウバと再戦するが、シウバの投げでマットに叩きつけられた際に左肩を脱臼しTKO負け。王座獲得には至らなかった。翌2002年8月28日にはDynamite!のメインイベントでミルコ・クロコップと対戦するも、下からの蹴り上げで眼窩を負傷しTKO負け。キャリアでは初の連敗となった。その後も膝に慢性的な故障を抱え、出場が不安定な時期もあった。

2003年8月10日、ミドル級GPに出場、シウバに3度目の挑戦をする。試合はスタンドで打ち合う展開が続くが、1R5分、ローキックに合わせシウバにワンツーを打ち込まれて失神KO負け、対シウバ3連敗となってしまった。

2003年12月31日、PRIDE 男祭り 2003のメインイベントでアントニオ・ホジェリオ・ノゲイラと対戦し、判定負けを喫した。開催前には、UWFインターナショナル時代の先輩田村潔司との対戦オファーがあるも、田村が準備期間の短さを理由に拒否したため実現しなかった。

2005年2月20日のPRIDE.29で、アリエフ・マックモドと対戦し、精彩を欠いた勝利に終わった田村に対し、リングサイドから「こんな試合じゃつまらないでしょう。田村さん、僕と勝負してください」とマイクアピールをしたこともあったが、田村は無言でうつむいたままリングから去っていくなど、対戦を何度か申し込むもなかなか実現には至らず[6]

2005年、ミドル級GPに出場し、1回戦ではユン・ドンシクを破り、2回戦ではヒカルド・アローナと対戦。タックルをパワー差で切られるとガブりの体勢からアローナに膝蹴りを貰い続け、2R終了時には顔面は鮮血に染まり変形していた。自力で起き上がることもできず、タオルが投入された[7]。この試合を契機に主戦場としていた「ミドル級(-93kg)」は桜庭の適正体重に比べて重すぎるので「ウェルター級(-83kg)」に転向すればいいのではないのか、というファンや関係者からの声があがった[8]。だが本人は「ミドル級より軽い階級には興味はない」と語っていた。

2005年8月、シュートボクセ・アカデミーに出稽古のためブラジルに渡航している[9]PRIDE.30においてケン・シャムロックをシュートボクセ仕込みの打撃でKOした際は、アカデミー会長のフジマールと抱きあって共に勝利を喜んでいる。

2006年3月31日、8年2か月所属した高田道場を退団。フリーランスとなり、高田道場時代の後輩の豊永稔高橋渉佐藤豪則と行動を共にする。

HERO'S[編集]

2006年5月3日のHERO'Sにおいて、タイガーマスクを被りリングに登場。翌日に会見し、正式にHERO'Sへの参戦を表明した。なお、HERO'Sへの移籍表明の後、高田延彦から「彼とはもう酒も食事もすることは無い」と事実上の絶縁状を叩きつけられた。高田は絶縁の理由として、移籍そのものが原因ではなく、前もってではなく、移籍表明の後に挨拶に現れた桜庭について「筋が通っていない」とし[10]、同時にPRIDEとK-1が敵対していた関係上、PRIDE統括本部長の役職を務めていた自らがHERO'Sの選手と親しくすることは立場上出来ないこと[11]を説明した。

HERO'Sではそれまで各ラウンドを5分で行っていたが、桜庭の要求に伴い、桜庭の階級である85kg級のライトヘビー級だけがPRIDEと同じく1R目を10分という変則的な形のルール変更が行われた[12]

2006年8月5日に行われたケスタティス・スミルノヴァス戦において顎を打ち抜かれ半失神状態にまで追い込まれたが、ガス欠を起こしたケスタティスに執念の打撃を浴びせた後、腕ひしぎ十字固めで勝利した。試合中に桜庭は殴り倒されて意識が朦朧となるが、レフェリーはこの状態をダウンと取らず、ドントムーブから試合再開。この判断が物議を醸した。10月9日の準決勝で秋山成勲との対戦が決定するも、9月25日の練習中に嘔吐し、検査の結果、脳には異常が無かったが、椎骨脳底動脈血流不全と診断され、欠場となった[13]

2006年12月31日、K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!のメインイベントで改めて秋山成勲と対戦。秋山の打撃のラッシュを浴び、上からパウンドをもらい続け、1R5分37秒TKO負けとなった。しかし、桜庭は試合序盤タックルに行った際に秋山の足が滑ると感じ、レフェリー梅木良則にタイムを要求したが受け入れられず、その後は秋山の打撃を一方的に浴び続けた。パウンドを浴び続けている間も桜庭はレフェリーに「滑る!」「反則だよ!」とアピールしたが受け入れられなかった。結局秋山のパウンドを受け続けている状態が危険と判断され、ゴングが鳴らされTKO負け(レフェリーのストップが先ではなく審判長によるストップ)となるも、桜庭は試合が止められた後も秋山を指さし、「すごい滑るよ!」などと怒りを露にした。数日後、秋山が試合前に全身にスキンクリーム(米国製)を塗っていた事実が明らかにされ、この試合は秋山の反則行為によりノーコンテストとなった(詳細とその後は秋山成勲の頁を参照)。

2007年3月12日、HERO'S 2007 開幕戦でユーリー・キセリオから一本勝ちをとった試合後のMCで大晦日の試合内容には一切触れず、ファンに対しての謝罪にとどまった。

2007年4月8日、PRIDE.34のリング上にタイガーマスクの覆面姿で登場し、同時に田村潔司もスーツ姿で登場した。この日がDSE代表として最後の興行となった榊原信行の夢のカードであったという田村との対戦を示唆した。

2007年6月3日、Dynamite!! USAホイス・グレイシーと再戦。0-3の判定負けを喫した。リベンジを許してしまった。

2007年8月28日のHERO'S記者会見において、7月16日の大会で現役復帰を表明していた船木誠勝に「桜庭選手と試合をしてみたい」と対戦要求を受けた。

2007年9月頃に高橋渉、佐藤豪則らと自らのチーム「チーム桜畑」を結成。9月17日のHERO'Sで、「チーム桜畑」vs田村潔司のジム「U-FILE CAMP」の対抗戦も行われた。自らは柴田勝頼と対戦。テイクダウンを奪うとパウンドを連打し、最後は腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。試合後、リング上で「次、船木さん試合お願いします」と船木の対戦要求に応え、更にリングサイドで観戦していたヒクソン・グレイシーに「お兄さん、そろそろ僕らも年なんで試合お願いします」と対戦を呼びかけた。

2007年12月31日、K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!のメインイベントで船木誠勝と対戦し、チキンウィングアームロックで一本勝ち。

2008年4月1日、東京都品川区に自身の総合格闘技ジム「Laughter7」をオープン[14](「桜畑道場」としての仮オープンは2007年12月3日)。

DREAM[編集]

2008年4月29日、DREAM.2のミドル級トーナメント1回戦でアンドリュース・ナカハラと対戦し、フェイスロックで一本勝ち。6月15日、DREAM.4の2回戦でメルヴィン・マヌーフと対戦し、TKO負け。序盤のマヌーフのハイキックを受けた際に左腕尺骨を骨折した。

2008年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜のメインイベントで田村潔司と12年半ぶりに対戦し、判定負けを喫した。ちなみに、この時の入場では、仮面ライダーをモチーフとした入場がされた。

2009年10月6日、DREAM.11で現役プロボクサーのルビン"Mr.ハリウッド"ウィリアムズと対戦し、アームロックで一本勝ち。大会3日前の10月3日に出場が発表されるという緊急出場となった[15]

2009年10月25日、DREAM初のケージ開催となったDREAM.12に連続参戦。ゼルグ・"弁慶"・ガレシックと対戦し、膝十字固めで一本勝ちを収めた。

2009年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜の開会式にエヴァンゲリオン初号機仕様のマスクを被って登場し、開会宣言を行った[16]。この日に向けて三崎和雄戦も検討されていたが「試合ができるコンディションではない」として欠場[17]。2008年まで4年連続で大晦日興行のメインイベンターを務めていたが、試合への出場はなかった。

2010年5月29日、ケージ開催となったDREAM.14ハレック・グレイシーと対戦し、0-3の判定負け。

2010年9月25日、DREAM.16ジェイソン・"メイヘム"・ミラーと対戦し、パウンドから肩固めを極められ、2分9秒でタップして一本負け。生涯初の一本負けとなった[18]

2010年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2010〜でDREAMウェルター級王者マリウス・ザロムスキーに挑戦し、右耳の裂傷によりドクターストップ負けとなり王座獲得ならず。試合後、応急処置を受けたのちにリング上で「すいません、耳がとれちゃいました」と挨拶した[19]。なお、階級をウェルター級に落としたため、プロ初の大幅減量となった[20]

2011年12月31日、元気ですか!! 大晦日!! 2011に参戦。柴田勝頼タッグを組んで、IGFルールで澤田敦士鈴川真一組と対戦した。

新日本プロレス参戦[編集]

2013年

2012年8月12日、新日本プロレス主催の真夏の祭典「G1 CLIMAX」最終戦となる両国国技館大会に柴田勝頼共に登場。同団体に参戦することを表明した。

9月23日、DESTRUCTIONにおいて、柴田をパートナーに井上亘 & 高橋広夢組と対戦。以降、柴田と共に新日本のビッグマッチにのみスポット参戦している。11月11日、POWER STRUGGLEの第8試合に行われたIWGPインターコンチネンタル選手権試合中邑真輔 vs カール・アンダーソンの試合後、勝利を収めた中邑が次期挑戦者として桜庭を指名し、桜庭もこれを受諾した。

2013年1月4日、レッスルキングダム7 ~EVOLUTION~ IN 東京ドームのダブルメインイベントに登場。中邑の保持するIWGPインターコンチネンタル王座に挑戦したが、敗北を喫する。

3月17日、柴田とのタッグで、永田裕志 & 中西学組と対戦し、久々に永田と相対する。試合は桜庭が中西を三角締めでギブアップ勝ちを収めた。4月7日、INVASION ATTACKにて、再び永田とタッグマッチで対戦したが、レフェリーストップ負けとなる。さらに、試合中に永田の放ったバックドロップの受け身に失敗し「右肘関節脱臼」と診断され、欠場となる。

7月20日、地元の秋田市立体育館で復帰戦を行い、永田と初のシングルマッチで対戦。腕ひしぎ逆十字固めでギブアップを奪った。

10月14日、KING OF PRO-WRESTLINGで、再び永田とシングルで対戦したが、バックドロップホールドで敗北。試合後、永田は翌年東京ドーム大会に参戦するグレイシー一族ダニエル・グレイシー & ホーレス・グレイシーの挑戦を受けること宣言。桜庭もこの永田のアピールに乗っかりタッグを結成。11月9日、POWER STRUGGLEにて、CHAOS矢野通 & 飯塚高史組を相手に快勝を収める。

2014年1月4日、レッスルキングダム8 IN 東京ドームにおいて、永田とのタッグでダニエル & ホーレス組と対戦したが、ダニエルが反則負けを喫し、不透明決着となる。2月11日、THE NEW BEGINNING in OSAKAにて、再びグレイシー一族と相対するも、道着を使用してのチョーク攻撃をホーレスに極められ、ギブアップ負けを喫してしまう。

6月8日、邪道・矢野 vs 飯塚高史・鈴木みのるの試合後、乱入し敗れた邪道・矢野組を救出しタッグを結成。(この時矢野は新作のDVDの出演を条件に出して、桜庭が考えとくという答えだったため組んだ。)以降、CHAOSと共闘している。

人物・エピソード[編集]

  • イメージカラーはオレンジ。UWFインターナショナルとキングダムで先輩だった垣原賢人からたまたま借りたオレンジ色のコスチュームが似合っていたため、以後、スパッツなどでオレンジ色を愛用している[21]。自身のジムのLaughter7のリングもオレンジ色のマットを使用している[14]
  • プロ野球選手下柳剛投手とは親友で、プロ野球のオフシーズンには自主トレーニングに桜庭が同行するなど多方面で交流がある[22]。彼がセコンドに付くこともある[23]
  • 喫煙者[24]
  • 天田ヒロミは中央大学の後輩にあたる。
  • 故郷に里帰りした際、母親が自分の試合を観た経験が無いことが判明。桜庭は「自分の息子の仕事くらい憶えといてよ」と苦笑交じりに駄目出ししていた。
  • あるアーティストの音楽に嵌るとそればかり聴き続けるという傾向がある。しかし何か特定の音楽ジャンルが好きというわけではなく、BOØWY、その前は石原裕次郎、さらにその前はデッドオアアライブと多岐にわたっている。
  • 海外遠征の際にDVDに録画して持って行くほど、タモリ倶楽部空耳アワー」の愛好者。
  • 総合格闘技ジム「Laughter7」を開いていたが、2012年11月末に閉鎖[25]
  • 生前のジャンボ鶴田とは所属団体こそ違ったものの中央大学レスリング部の先輩として、またアマレス界の大物からのプロレス入りした先駆者として、親交があったと著書に記している。

戦績[編集]

総合格闘技 戦績
45 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
26 3 19 3 1 1 2
16 9 3 4 0
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
× ヤン・カブラル 2R 2:42 肩固め DREAM.17 2011年9月24日
× マリウス・ザロムスキー 1R 2:16 TKO(ドクターストップ:右耳の裂傷) Dynamite!! 〜勇気のチカラ2010〜
【DREAMウェルター級タイトルマッチ】
2010年12月31日
× ジェイソン・"メイヘム"・ミラー 1R 2:09 肩固め DREAM.16 2010年9月25日
× ハレック・グレイシー 5分3R終了 判定0-3 DREAM.14 2010年5月29日
ゼルグ・"弁慶"・ガレシック 1R 1:40 膝十字固め DREAM.12 2009年10月25日
ルビン・"Mr.ハリウッド"・ウィリアムズ 1R 2:53 アームロック DREAM.11 フェザー級グランプリ2009 決勝戦 2009年10月6日
× 田村潔司 2R(10分/5分)終了 判定0-3 Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜 2008年12月31日
× メルヴィン・マヌーフ 1R 1:30 TKO(パウンド) DREAM.4 ミドル級グランプリ2008 2nd Round
【ミドル級トーナメント 2回戦】
2008年6月15日
アンドリュース・ナカハラ 1R 8:29 フェイスロック DREAM.2 ミドル級グランプリ2008 開幕戦
【ミドル級トーナメント 1回戦】
2008年4月29日
船木誠勝 1R 6:25 チキンウィングアームロック K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!! 2007年12月31日
柴田勝頼 1R 6:20 腕ひしぎ十字固め HERO'S 2007 〜ミドル級世界王者決定トーナメント決勝戦〜 2007年9月17日
× ホイス・グレイシー 5分3R終了 判定0-3 Dynamite!! USA 2007年6月3日
ユーリー・キセリオ 1R 1:26 腕ひしぎ十字固め HERO'S 2007 開幕戦 〜名古屋初上陸〜 2007年3月12日
秋山成勲 ノーコンテスト(秋山の反則行為) K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!! 2006年12月31日
ケスタティス・スミルノヴァス 1R 6:41 腕ひしぎ十字固め HERO'S 2006 ミドル&ライトヘビー級 世界最強王決定トーナメント準々決勝
【ライトヘビー級トーナメント 準々決勝】
2006年8月5日
美濃輪育久 1R 9:39 チキンウィングアームロック PRIDE 男祭り 2005 頂-ITADAKI- 2005年12月31日
ケン・シャムロック 1R 2:27 KO(右ストレート) PRIDE.30 STARTING OVER 2005年10月23日
× ヒカルド・アローナ 2R終了時 TKO(タオル投入) PRIDE GRANDPRIX 2005 2nd ROUND
【2回戦】
2005年6月26日
ユン・ドンシク 1R 0:38 KO(左フック→パウンド) PRIDE GRANDPRIX 2005 開幕戦
【1回戦】
2005年4月23日
ニーノ・"エルビス"・シェンブリ 3R(10分/5分/5分)終了 判定3-0 PRIDE GRANDPRIX 2004 2nd ROUND 2004年6月20日
× アントニオ・ホジェリオ・ノゲイラ 3R(10分/5分/5分)終了 判定0-3 PRIDE 男祭り 2003 2003年12月31日
ケビン・ランデルマン 3R 2:36 腕ひしぎ十字固め PRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦 2003年11月9日
× ヴァンダレイ・シウバ 1R 5:01 KO(右フック) PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦
【1回戦】
2003年8月10日
× ニーノ・"エルビス"・シェンブリ 1R 6:07 TKO(膝蹴り) PRIDE.25 2003年3月16日
ジル・アーセン 3R 2:08 腕ひしぎ十字固め PRIDE.23 2002年11月24日
× ミルコ・クロコップ 2R終了時 TKO(ドクターストップ:目の負傷) Dynamite! SUMMER NIGHT FEVER in 国立 2002年8月28日
× ヴァンダレイ・シウバ 1R終了時 TKO(ドクターストップ:左肩脱臼) PRIDE.17
【PRIDEミドル級王座決定戦】
2001年11月3日
クイントン・"ランペイジ"・ジャクソン 1R 5:41 裸絞め PRIDE.15 2001年7月29日
× ヴァンダレイ・シウバ 1R 1:38 TKO(サッカーボールキック) PRIDE.13 2001年3月25日
ハイアン・グレイシー 10分1R終了 判定3-0 PRIDE.12 2000年12月23日
シャノン・"ザ・キャノン"・リッチ 1R 1:08 アキレス腱固め PRIDE.11 2000年10月31日
ヘンゾ・グレイシー 2R 9:43 チキンウィングアームロック PRIDE.10 2000年8月27日
× イゴール・ボブチャンチン 1R終了時 TKO(タオル投入) PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦
【準決勝】
2000年5月1日
ホイス・グレイシー 6R終了時 TKO(タオル投入) PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦
【準々決勝】
2000年5月1日
ガイ・メッツァー 1R終了時 TKO(試合放棄) PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦
【1回戦】
2000年1月30日
ホイラー・グレイシー 2R 13:16 チキンウィングアームロック PRIDE.8 1999年11月21日
アンソニー・マシアス 2R 2:30 腕ひしぎ十字固め PRIDE.7 1999年9月12日
エベンゼール・フォンテス・ブラガ 1R 9:23 腕ひしぎ十字固め PRIDE.6 1999年7月4日
ビクトー・ベウフォート 10分2R終了 判定4-0 PRIDE.5 1999年4月29日
アラン・ゴエス 10分3R終了 ドロー PRIDE.4 1998年10月11日
カーロス・ニュートン 2R 5:19 膝十字固め PRIDE.3 1998年6月24日
ヴァーノン・"タイガー"・ホワイト 3R 6:53 腕ひしぎ十字固め PRIDE.2 1998年3月15日
マーカス・コナン 1R 3:44 腕ひしぎ十字固め UFC Japan: Ultimate Japan
【ヘビー級トーナメント 決勝】
1997年12月21日
マーカス・コナン 1R 1:51 無効試合 UFC Japan: Ultimate Japan
【ヘビー級トーナメント 準決勝】
1997年12月21日
× キモ[2] 1R 4:20 肩固め シュートボクシング S-cup '96 決勝戦
【アルティメット特別マッチ】
1996年7月14日

獲得タイトル[編集]

  • 東日本新人戦 優勝
  • 全日本学生レスリング選手権 第4位
  • UFC-Jヘビー級トーナメント 優勝(1997年)
  • プロレス大賞 最優秀選手賞(2000年)

得意技[編集]

腕ひしぎ十字固め
キムラロック(サクラバロック)
グラウンド状態で相手前方から片腕をチキンウィングアームロックに取り、首に足をかけて支点を作り絞り上げる関節技。
ゆりかもめ
グラウンド状態で掛ける複合関節技。かけた後、自ら身体をゆりかごのように揺らすことで更なるダメージを与えることから命名。
はずかし固め
正式名称は「レッグスプレッド(股裂き)」。相手は股を大きく開いて非常に恥ずかしい体勢になる。実はオリジナルはヴォルク・ハンで単なるパフォーマンスでなく、股裂きとして立派に効果がある。女子プロレスの同名技とは別もの。
モンゴリアンチョップ
幸せチョップ
ダブルチョップ。両手のシワとシワを合わせて幸せ。
炎のコマ
相手の片足を掴んでグルグル回ることによって相手の背中に摩擦によるダメージを与える。
サクラバードキック
猪木アリ状態で寝ている相手を飛び越えて相手を踏みつける。
毒霧

メディア出演[編集]

コマーシャル[編集]

テレビ[編集]

  • 39 LOVER'S」(さくらばーず)(東海テレビ
    • 格闘技の選手としては異例の、レギュラーの冠番組。2001年1月9日 - 3月27日(全12回)、毎週火曜21:54 - 22:00。提供はスクウェア。団体ではなく、格闘技の選手個人のみにスポットを当てた中京広域圏ローカルのミニ番組
    • プロフィール、得意技、人柄など「桜庭和志とは一体何者なのか?」という、云わば「桜庭和志徹底解剖」といった趣の内容であった。

パチスロ[編集]

著書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ “魅せる格闘技”の申し子が語るおのれを体現していくための哲学 仕事を楽しむためのWebマガジンB-plus 2010年12月1日
  2. ^ a b UWFインターナショナル取締役だった鈴木健はキモとの試合は、結末が決まっており、シュートマッチ、真剣勝負ではなかったことを後に明かしている(『kamipro』No.130、エンターブレイン。鈴木健インタビュー)
  3. ^ ホイス陣営、ルール変更を一方的要求 BoutReview 2000年3月13日
  4. ^ PRIDE.17東京ドーム レポート&写真/桜庭、涙のドクターストップ BoutReview 2001年11月6日
  5. ^ 『帰ってきたぼく。』p.152。
  6. ^ 十年越しの対決=U という名の大河物語最終章へ 田村vs桜庭は「Uの墓標」か?(1) All About 2005年2月21日
  7. ^ 日本人全滅。ミルコ完勝 BoutReview 2005年6月27日
  8. ^ PRIDE 榊原代表、桜庭戦の負傷ストップ問題に関してコメント BoutReview 2005年6月27日
  9. ^ 桜庭がシュートボクセに武者修行 宿敵・シウバとガチンコ・スパーリングも スポーツナビ 2005年8月19日
  10. ^ HERO'S 桜庭移籍について榊原DSE代表「家族に裏切られた気持ち」 BoutReview 2006年5月6日
  11. ^ ゲーテ』2006年4月号(幻冬舎)、高田延彦インタビュー。
  12. ^ やっぱり主役は、“サク咲く”桜庭和志 HERO'S 公式サイト 2006年8月4日
  13. ^ 桜庭和志、無念のドクターストップ! 10.9HERO'S欠場「椎骨脳底動脈血流不全」で1か月の安静が必要 スポーツナビ 2006年9月27日
  14. ^ a b 桜庭和志が改めて否定「トーナメントには出ません」 DREAM新拠点「Laughter7(ラフターセブン)」がオープン スポーツナビ 2008年3月24日
  15. ^ 【DREAM】10・6大会まであと3日!桜庭がYoutube「DREAMチャンネル」で参戦を発表 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年10月3日
  16. ^ FieLDS Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜 対戦カード DREAM公式サイト 2009年12月31日
  17. ^ 「全勝で潰してやりたいと思います」ピリピリムードの記者会見! 青木真也、川尻達也がSRCとの対抗戦に出陣だ!! DREAM公式サイト 2009年12月22日
  18. ^ 【DREAM】石井慧が国内初勝利、桜庭和志は生涯初の一本負け! 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年9月25日
  19. ^ 【Dynamite!!】 高谷が王座奪取!長島☆自演乙が青木をKO!石井はバンナに辛勝 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年12月31日
  20. ^ 【Dynamite!!】12・31桜庭和志、座禅を組んで減量?「体が軽くなって浮いちゃいそう」 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年12月29日
  21. ^ 『kamipro』No.130、エンターブレイン。高山善廣金原弘光、ミヤマ☆仮面(垣原賢人)の対談記事。
  22. ^ 桜庭、4月PRIDEで完全復活だ 阪神・下柳と目標は「20勝!」 スポーツナビ 2004年1月14日
  23. ^ 桜庭のセコンドに下柳 スポーツナビ 2004年1月14日
  24. ^ 桜庭がアキバで吠えた! ホイスの挑発に猛反発=Dynamite!!USA 7年ぶりの“世紀の再戦”に向け闘争心に火がついた! スポーツナビ 2007年5月21日
  25. ^ [1] 2013年1月25日閲覧

関連項目[編集]

外部リンク[編集]