桜庭和志

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桜庭 和志
基本情報
本名 桜庭 和志
通称 サク、39
IQレスラー
生ける伝説
グレイシー・ハンター
国籍 日本
誕生日 1969年7月14日(39歳)
出身地 日本
秋田県南秋田郡昭和町
所属 UWFインターナショナル
高田道場
→フリー
→チーム桜畑
→Laughter7
身長 180cm
体重 85kg
階級 ミドル級ライトヘビー級
スタイル レスリング
テーマ曲 SPEED TK RE-MIX
小室哲哉

桜庭 和志(さくらば かずし、男性、1969年7月14日 - )は、日本プロレスラー総合格闘家秋田県南秋田郡昭和町(現・潟上市)出身。UWFインターナショナルキングダム高田道場を経て、Laughter7を主宰。株式会社39代表取締役。3児(男の子3人)の父。

秋田市立秋田商業高等学校卒業、中央大学商学部中退。

レスリングをベースに持つ。1990年代末〜2000年代初頭頃のPRIDEにおいて、強豪外国人に対し、互角以上の戦いを演じた数少ない日本人選手の一人。

総合格闘技の試合では滅多に見られないような変則技を繰り出して対戦相手を翻弄し、観客を沸かせることからIQレスラーと呼ばれ、人気を博した。また、様々な総合格闘家が苦杯をなめてきたグレイシー一族に対し何度も勝利したことからグレイシー・ハンターとの異名もとる。

目次

[編集] 来歴

[編集] レスリング

小学生の頃に当時ブームを呼んだタイガーマスクに憧れ、秋田市立秋田商業高等学校ではレスリング部で活躍。中央大学レスリング部では主将を務め、卒業後にはスポーツクラブのインストラクターに内定していたが、4年間で卒業できず、内定を辞退。5年生のときに入団テストを受け、プロに転向。その際大学を中退。

[編集] UWFインターナショナル

1992年7月にUWFインターナショナルへ入団した。当初は藤原組の入団試験を受けるつもりだったという。UWFインターではレスリング技術に加えて、打撃と関節技を習得。この頃に桜庭の総合格闘家としての下地が築かれた。1993年8月13日にプロデビューを飾るが、UWFインターは1996年12月に解散。在籍中はキモとの対戦もある[1]。またこの時期はサソリ固めを得意技にしており、さらに技を掛ける時は大声を出して気合を入れるなど、総合時代の冷静な試合運びとは対照的な戦い方をしていた。一夜限りのプロレス復帰を果たした2000年12月31日INOKI BOM-BA-YE 2000でも技をかける際に大声を出している。

[編集] キングダム

UWFインター所属選手のほとんどが参加した新団体キングダムへ移籍。キングダムはオープン・フィンガー・グローブを着用した顔面殴打ありのルールを採用した団体で、桜庭にとってはUWFルールからPRIDEルールへの橋渡しとなった。1997年12月21日、怪我で欠場した先輩の金原弘光の代役として急遽UFC Japanヘビー級トーナメントに出場。マーカス・"コナン"・シウヴェイラに一本勝ちし、UFC-J王者となる。このとき「プロレスラーは本当は強いんです」と発言した。なお、このトーナメントは日本大会限定で行われたため、UFCの正式な王者となったわけではない。

[編集] PRIDE

[編集] グレイシー撃破

1998年高田延彦主宰の高田道場へ移籍。PRIDE.2ヴァーノン・"タイガー"・ホワイト戦でPRIDEデビュー。

1999年4月29日PRIDE.5では前年にヴァンダレイ・シウバをKOしたばかりのビクトー・ベウフォートに判定勝ちを収めている。PRIDE参戦後はアラン・ゴエス戦(PRIDE.4)での引き分けを挟んで、ヴァーノン・ホワイト(PRIDE.2)、カーロス・ニュートンPRIDE.3)、ビクトー・ベウフォート(PRIDE.5)、エベンゼール・フォンテス・ブラガPRIDE.6)、アンソニー・マシアスPRIDE.7)に5連勝を飾り、ミドル級のトップコンテンダーに登りつめた。

1999年11月21日PRIDE.8ではメインイベントに登場し、当時不敗神話を誇っていたグレイシー一族の一人、ホイラー・グレイシーとの対戦を迎える。1Rから15kgの体重差を生かしてホイラーのタックルを切り続けた桜庭は猪木アリ状態からのローキックでダメージを与えていく。2Rも優勢は変わらず、引き込んだホイラーにハーフガードからチキンウィングアームロックを極めた。ホイラーはタップせず、セコンドのヒクソン・グレイシーもタオルを投げなかったため、島田レフェリーが試合をストップした。ホイラーは抗議するものの裁定は覆らず、桜庭はマイクアピールで「あそこからどうやって逃げたのか知りたいです。次はお兄さん僕と勝負してください!」とヒクソンに対戦を要求した。

2000年1月、桜庭は「PRIDE GP 2000」に出場する。ガイ・メッツァーの試合放棄という幕切れで1回戦を突破すると、5月の決勝大会ではホイス・グレイシーとの対戦が決定した。ホイラー戦での裁定に不満を持つホイスはルール変更を要求[2]、桜庭も受諾し、15分無制限ラウンド・レフェリーストップおよび判定無しで行われることになった。試合は1時間を超す長丁場となったが、桜庭はホイスの道衣を脱がせようとするなど観客を沸かせ続けた。桜庭がホイスの左足にローを蹴り続けたダメージで7R開始直前にホリオンがタオルを投入し、桜庭の勝利で実に90分に及ぶ死闘に終止符が打たれた。その後準決勝に進出するものの消耗が激しく、イゴール・ボブチャンチン戦では途中から押される展開に。1R終了後の判定ではドローとなったものの、陣営がレフェリーにタオルを手渡し、TKO負けとなった。

2000年8月27日PRIDE.10ヘンゾ・グレイシーと対戦。バックを捕られるもアームロックで切り返し、TKO勝ち。12月23日ハイアン・グレイシー戦ではハイアンが直前に怪我をして10分1Rに変更、試合は桜庭が終始優位に立って判定勝ちを収めた。

グレイシー狩り”と呼ばれたグレイシー一族相手の4連勝は、日本国内のみならず格闘技の盛んな国の多数のファンに衝撃を与え、「グレイシー・ハンター」の異名を取った。ただ勝利するだけでなくファンを喜ばせるために戦うというファイトスタイルでファンを魅了し、高く評価された。桜庭の活躍と共にPRIDEは大きく成長を遂げ、2000年の桜庭はPRIDEのエースとして全盛期を迎えていたといえる。

[編集] シウバとの闘い

2001年3月25日PRIDE.13ヴァンダレイ・シウバと初対戦し、この大会から解禁されたサッカーボールキックでTKO負け。続いて参戦したPRIDE.15では初参戦のクイントン・"ランペイジ"・ジャクソンと激突、下からの腕ひしぎ十字固め三角絞めをことごとくパワーボムで返すというジャクソンのパワーに手こずるも、最後はチョークスリーパーで一本勝ちを収める。

2001年11月3日PRIDE.17で新設されたPRIDEミドル級王座が新設され、同時にPRIDEミドル級の設定が93kgとルールに追加された[3]。当時の桜庭の通常体重は83kgから84kgで、桜庭自身が希望していたミドル級は90kg以下だったが、以後のPRIDEで、桜庭はこの条件で戦っていくことになった[4]。PRIDE.17ではミドル級王座を賭けてヴァンダレイ・シウバと再戦するが、シウバの投げでマットに叩きつけられた際に左肩を脱臼しTKO負け。王座獲得には至らなかった。翌2002年8月28日にはDynamite!のメインイベントでミルコ・クロコップと対戦するも、下からの蹴り上げで眼窩を負傷しTKO負け。キャリアでは初の連敗となった。その後も膝に慢性的な故障を抱え、出場が不安定な時期もあった。

2003年8月10日ミドル級GPに出場、シウバと3度挑戦する。試合はスタンドで打ち合う展開が続き、1R5分、ローキックに合わせシウバにワンツーを打ち込まれて失神KO負け、対シウバ3連敗となってしまった。

2003年12月31日PRIDE 男祭り 2003のメインイベントでアントニオ・ホジェリオ・ノゲイラと対戦し、判定負けを喫した。開催前には、UWFインターナショナル時代の先輩田村潔司との対戦オファーがあるも、田村が準備期間の短さを理由に拒否したため実現しなかった。

2005年2月20日PRIDE.29で、アリエフ・マックモドと対戦し、精彩を欠いた勝利に終わった田村に対し、リングサイドから「こんな試合じゃつまらないでしょう。田村さん、僕と勝負してください」とマイクアピールをしたこともあったが、田村は無言でうつむいたままリングから去っていくなど、対戦を何度か申し込むもなかなか実現には至らず[5]

2005年、ミドル級GPに出場し、1回戦ではユン・ドンシクを破り、2回戦ではヒカルド・アローナと対戦。タックルをパワー差で切られるとガブりの体勢からアローナに膝蹴りを貰い続け、2R終了時には顔面は鮮血に染まり変形していた。自力で起き上がることもできず、タオルが投入された[6]。この試合を契機に主戦場としていた「ミドル級(-93kg)」は桜庭の適正体重に比べて重すぎるので「ウェルター級(-83kg)」に転向すればいいのではないのか、というファンや関係者からの声[7]があがった。だが本人は「ミドル級より軽い階級には興味はない」と語っていた。

2005年8月、シュートボクセ・アカデミーに出稽古のためブラジルに渡航している[8]PRIDE.30においてケン・シャムロックをシュートボクセ仕込みの打撃でKOした際は、アカデミー会長のフジマールと抱きあって共に勝利を喜んでいる。

2006年3月31日、8年2か月所属した高田道場を退団。フリーに転進し、高田道場時代の後輩の豊永稔高橋渉佐藤豪則と行動を共にする。

[編集] HERO'S

2006年5月3日HERO'Sにおいて、タイガーマスクを被りリングに登場。翌日に会見し、正式にHERO'Sへの参戦を表明した。なお、HERO'Sへの移籍表明の後、高田延彦から「彼とはもう酒も食事もする事は無い」と事実上の絶縁状を叩きつけられた。高田は絶縁の理由として、移籍そのものが原因ではなく、前もってではなく、移籍表明の後に挨拶に現れた桜庭について「筋が通っていない」とし[9]、同時にPRIDEとK-1が敵対していた関係上、PRIDE統括本部長の役職を務めていた自らがHERO'Sの選手と親しくすることは立場上出来ないこと[10]を説明した。

HERO'Sではそれまで各ラウンドを5分で行っていたが、桜庭の要求に伴い、桜庭の階級である85kg級のライトヘビー級だけがPRIDEと同じく1R目を10分という変則的な形のルール変更が行われた[11]

2006年8月5日に行われたケスタティス・スミルノヴァス戦において顎を打ち抜かれ半失神状態にまで追い込まれたが、ガス欠を起こしたケスタティスに執念の打撃を浴びせた後、腕ひしぎ十字固めで勝利した。試合中に桜庭は殴り倒されて意識が朦朧となるが、レフェリーはこの状態をダウンと取らず、ドントムーブから試合再開。この判断が物議を醸した。後日、練習中に嘔吐し、検査の結果、脳には異常が無かったが、椎骨脳底動脈血流不全と診断される[12]。2006年10月9日大会は出場を見合わせた。

2006年12月31日K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!のメインイベントで秋山成勲と対戦。秋山の打撃のラッシュを浴び、上からパウンドをもらい続け、1R5分37秒TKO負けとなった。しかし、桜庭は試合序盤タックルに行った際に秋山の足が滑ると感じ、レフェリー梅木良則にタイムを要求したが受け入れられず、その後は秋山の打撃を一方的に浴び続けた。パウンドを浴び続けている間も桜庭はレフェリーに「滑る!」「反則だよ!」とアピールしたが受け入れられなかった。結局秋山のパウンドを受け続けている状態が危険と判断され、ゴングが鳴らされTKO負け(レフェリーのストップが先ではなく審判長によるストップ)となるも、桜庭は試合が止められた後も秋山を指さし、「すごい滑るよ!」などと怒りを露にした。数日後、秋山が試合前に全身にスキンクリーム(米国製)を塗っていた事実が明らかにされ、この試合は秋山の反則行為によりノーコンテストとなった(詳細とその後は秋山成勲の頁を参照)。

2007年3月12日、HERO'S開幕戦でユーリー・キセリオから一本勝ちをとった試合後のMCで大晦日の試合内容には一切触れず、ファンに対しての謝罪にとどまった。

2007年4月8日PRIDE.34のリング上にタイガーマスクの覆面姿で登場し、同時に田村潔司もスーツ姿で登場した。この日がDSE代表として最後の興行となった榊原信行の夢のカードであったという田村との対戦を示唆した。

2007年6月3日Dynamite!! USAホイス・グレイシーと再戦。0-3の判定負けを喫した。

2007年8月28日のHERO'S記者会見において、7月16日の大会で現役復帰を表明していた船木誠勝に「桜庭選手と試合をしてみたい」と対戦要求を受けた。

2007年9月頃に高橋渉、佐藤豪則らと自らのチーム「チーム桜畑」を結成。9月17日のHERO'Sで、「チーム桜畑」vs田村潔司のジム「U-FILE CAMP」の対抗戦も行われた。自らは柴田勝頼と対戦。テイクダウンを奪うとパウンドを連打し、最後は腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。試合後、リング上で「次、船木さん試合お願いします」と船木の対戦要求に応え、更にリングサイドで観戦していたヒクソン・グレイシーに「お兄さん、そろそろ僕らも年なんで試合お願いします」と対戦を呼びかけた。

2007年12月31日、「K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!」で船木誠勝と対戦し、チキンウィングアームロックで一本勝ち。

2008年4月1日東京都品川区に自身の総合格闘技ジム「Laughter7」をオープン[13](「桜畑道場」としての仮オープンは2007年12月3日)。

2008年4月29日DREAM.2のミドル級トーナメント1回戦でアンドリュース・ナカハラと対戦し、フェースロックで一本勝ち。6月15日DREAM.4の2回戦でメルヴィン・マヌーフと対戦し、TKO負け。序盤のマヌーフのハイキックを受けた際に左腕尺骨を骨折した。

2008年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜のメインイベントで田村潔司と12年半ぶりに対戦し、判定負けを喫した。

[編集] 主な戦績

総合格闘技 戦績
39 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
24 3 17 3 1 1 2
12 8 1 3 0
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
× 田村潔司 2R(10分/5分)終了 判定0-3 Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜 2008年12月31日
× メルヴィン・マヌーフ 1R 1:30 KO(グラウンドパンチ DREAM.4 ミドル級グランプリ2008 2nd Round
【ミドル級GP 2回戦】
2008年6月15日
アンドリュース・ナカハラ 1R 8:29 フェースロック DREAM.2 ミドル級グランプリ2008 開幕戦
【ミドル級GP 1回戦】
2008年4月29日
船木誠勝 1R 6:25 チキンウィングアームロック K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!! 2007年12月31日
柴田勝頼 1R 6:20 腕ひしぎ十字固め HERO'S 2007 〜ミドル級世界王者決定トーナメント決勝戦〜 2007年9月17日
× ホイス・グレイシー 5分3R終了 判定0-3 Dynamite!! USA 2007年6月3日
ユーリー・キセリオ 1R 1:26 腕ひしぎ十字固め HERO'S 2007 開幕戦 2007年3月12日
秋山成勲 ノーコンテスト(秋山の反則行為) K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!! 2006年12月31日
ケスタティス・スミルノヴァス 1R 6:41 腕ひしぎ十字固め HERO'S 2006
ミドル&ライトヘビー級 世界最強王決定トーナメント準々決勝
2006年8月5日
美濃輪育久 1R 9:39 アームロック PRIDE 男祭り 2005 頂-ITADAKI- 2005年12月31日
ケン・シャムロック 1R 2:27 KO(右ストレート) PRIDE.30 STARTING OVER 2005年10月23日
× ヒカルド・アローナ 2R終了 TKO(タオル投入) PRIDE GRANDPRIX 2005 2nd ROUND
【ミドル級GP 準々決勝】
2005年6月26日
ユン・ドンシク 1R 0:38 KO(パンチ) PRIDE GRANDPRIX 2005 開幕戦
【ミドル級GP 1回戦】
2005年4月23日
ニーノ・"エルヴィス"・シェンブリ 3R(10分/5分/5分)終了 判定3-0 PRIDE GRANDPRIX 2004 2nd ROUND
【ワンマッチ】
2004年6月20日
× アントニオ・ホジェリオ・ノゲイラ 3R(10分/5分/5分)終了 判定0-3 PRIDE 男祭り 2003 2003年12月31日
ケビン・ランデルマン 3R 2:36 腕ひしぎ十字固め PRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦
【ワンマッチ】
2003年11月9日
× ヴァンダレイ・シウバ 1R 5:01 KO(右フック) PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦
【ミドル級GP 1回戦】
2003年8月10日
× ニーノ・"エルヴィス"・シェンブリ 1R 6:07 TKO(サッカーボールキック PRIDE.25 2003年3月16日
ジル・アーセン 3R 2:08 腕ひしぎ十字固め PRIDE.23 2002年11月24日
× ミルコ・クロコップ 2R終了 TKO(負傷) Dynamite! SUMMER NIGHT FEVER in 国立 2002年8月28日
× ヴァンダレイ・シウバ 1R終了 TKO(左肩脱臼) PRIDE.17
【PRIDEミドル級王座決定戦】
2001年11月3日
クイントン・"ランペイジ"・ジャクソン 1R 5:41 スリーパーホールド PRIDE.15 2001年7月29日
× ヴァンダレイ・シウバ 1R 1:38 TKO(サッカーボールキック PRIDE.13 2001年3月25日
ハイアン・グレイシー 10分1R終了 判定3-0 PRIDE.12 2000年12月23日
シャノン・"ザ・キャノン"・リッチ 1R 1:08 アキレス腱固め PRIDE.11 2000年10月31日
ヘンゾ・グレイシー 2R 9:43 チキンウィングアームロック PRIDE.10 2000年8月27日
× イゴール・ボブチャンチン 15分1R終了 TKO(タオル投入) PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦
【準決勝】
2000年5月1日
ホイス・グレイシー 15分6R終了 TKO(タオル投入) PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦
【準々決勝】
2000年5月1日
ガイ・メッツァー 1R終了時 試合放棄 PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦
【1回戦】
2000年1月30日
ホイラー・グレイシー 2R 13:16 チキンウィングアームロック PRIDE.8 1999年11月21日
アンソニー・マシアス 2R 2:30 腕ひしぎ十字固め PRIDE.7 1999年9月12日
エベンゼール・フォンテス・ブラガ 1R 9:23 腕ひしぎ十字固め PRIDE.6 1999年7月4日
ビクトー・ベウフォート 10分2R終了 判定4-0 PRIDE.5 1999年4月29日
アラン・ゴエス 10分3R終了 引き分け PRIDE.4 1998年10月11日
カーロス・ニュートン 2R 5:19 膝十字固め PRIDE.3 1998年6月24日
ヴァーノン・"タイガー"・ホワイト 3R 6:53 腕ひしぎ十字固め PRIDE.2 1998年3月15日
マーカス・"コナン"・シウヴェイラ 3:44 腕ひしぎ十字固め UFC Japan: Ultimate Japan
【UFC-Jヘビー級トーナメント 決勝】
1997年12月21日
マーカス・"コナン"・シウヴェイラ 1:51 無効試合 UFC Japan: Ultimate Japan
【UFC-Jヘビー級トーナメント 準決勝】
1997年12月21日
× キモ[1] 1R 4:20 肩固め シュートボクシング S-cup '96 決勝戦
【アルティメット特別マッチ】
1996年7月14日

[編集] 獲得タイトル

  • 東日本新人戦 優勝
  • 全日本学生レスリング選手権 第4位
  • UFC-JAPAN ヘビー級トーナメント 優勝
  • プロレス大賞 最優秀選手賞(2000年)

[編集] 得意技

腕ひしぎ十字固め
キムラロック
グラウンド状態で相手前方から片腕をチキンウィングアームロックに取り、首に足をかけて支点を作り絞り上げる関節技。
ゆりかもめ
グラウンド状態で掛ける複合関節技。かけた後、自ら身体をゆりかごのように揺らすことで更なるダメージを与えることから命名。
はずかし固め
相手は股を大きく開いて非常に恥ずかしい体勢になる。実はオリジナルはヴォルク・ハンで単なるパフォーマンスでなく、股裂きとして立派に効果がある。
モンゴリアンチョップ
幸せチョップ
ダブルチョップ。お手手のシワとシワを合わせて幸せ。
炎のコマ
相手の片足を掴んでグルグル回る事によって摩擦によって相手の背中にダメージを与える。
サクラバードキック
猪木アリ状態で寝ている相手を飛び越えて相手を踏みつける。

[編集] 人物・エピソード

  • イメージカラーはオレンジ。UWFインターナショナルとキングダムで先輩だった垣原賢人からたまたま借りたオレンジ色のコスチュームが似合っていたため、以後、スパッツなどでオレンジ色を愛用している[14]。自身のジムのLaughter7のリングもオレンジ色のマットを使用している[13]
  • 阪神タイガース下柳剛投手とは親友で、プロ野球のオフシーズンには自主トレーニングに桜庭が同行するなど多方面で交流がある[15]。彼がセコンドに付くこともある[16]
  • 喫煙者[17]
  • 天田ヒロミは中央大学の後輩にあたる。
  • 故郷に里帰りした際、母親が自分の試合を観た経験が無いことが判明。桜庭は「自分の息子の仕事くらい憶えといてよ」と苦笑交じりに駄目出ししていた。
  • あるアーティストの音楽に嵌るとそればかり聴き続けるという傾向がある。しかし何か特定の音楽ジャンルが好きというわけではなく、最近はBOØWY、その前は石原裕次郎、さらにその前はデッドオアアライブと実に多岐にわたっている。
  • 海外遠征の際にDVDに録画して持って行くほど、タモリ倶楽部空耳アワー」の愛好者。

[編集] TBSによる捏造事件

2007年3月12日に放映されたHERO'Sの選手紹介VTRで、TBS2ちゃんねるによく似たネット掲示板を取り上げ、そこには「桜庭は試合がつまらない。もう終わりかな」、「がっかり。メイン失格」、「全盛期の興奮無し」、「昔は勝っても負けても桜庭ワールドがあったのに」といった投稿がされているという映像を放送し、『格闘技ファンは桜庭を非難している』と受け取れる放送を行った。しかしその後の検証によりデフォルトの投稿者名が「通販さん@賛成です」である掲示板は存在しない事が発覚。桜庭を批判する書き込みについてもなぜか大晦日の試合から2週間後の2007年1月13日であったり(ちなみに大晦日の試合後は秋山を非難する書き込みばかりだった)、さらに書き込みの行頭の位置がバラバラで、その映像は掲示板のスクリーンショットをそのまま使っているのではなく、画像編集ソフトを使って作りあげたかのような不自然な見た目であることなどから、ネット上では疑問の声が飛び交っていた。この件について、3月13日にはTBSの担当ディレクターがインターネット掲示板を模倣しそれを実在の掲示板であるように放映したことを認め謝罪したが、捏造については「担当ディレクターの記憶の中にあったファンの声を元に作成した」と弁明し、3月14日には各社メディアが一斉に報じた[18]

[編集] メディア出演

[編集] コマーシャル

[編集] テレビ

格闘技の選手としては異例の、レギュラーの冠番組2001年1月9日3月27日(全12回)、毎週火曜21:54〜22:00。提供はスクウェア。団体ではなく、格闘技の選手個人のみにスポットを当てた中京広域圏ローカルのミニ番組
プロフィール、得意技、人柄など「桜庭和志とは一体何者なのか?」という、云わば「桜庭和志徹底解剖」といった趣の内容であった。

[編集] パチスロ

[編集] 著書

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

[編集] 脚注

  1. ^ a b UWFインターナショナル取締役だった鈴木健はキモとの試合は、結末が決まっており、シュートマッチ、真剣勝負ではなかったことを後に明かしている(『kamipro』No.130、エンターブレイン。鈴木健インタビュー)
  2. ^ "ホイス陣営、ルール変更を一方的要求". boutreview.com (2000-03-13). 2008年9月15日 閲覧。
  3. ^ PRIDE.17東京ドーム レポート&写真/桜庭、涙のドクターストップ boutreview.com (2001-11-06)
  4. ^ 『帰ってきたぼく。』p.152。
  5. ^ [英登] (2005-02-21). "十年越しの対決=U という名の大河物語最終章へ 田村vs桜庭は「Uの墓標」か?(1)". All About. 2007年3月17日 閲覧。
  6. ^ "日本人全滅。ミルコ完勝". boutreview.com (2005-06-27). 2008年9月17日 閲覧。
  7. ^ "PRIDE 榊原代表、桜庭戦の負傷ストップ問題に関してコメント". boutreview.com (2005-06-27). 2008年9月17日 閲覧。
  8. ^ "桜庭がシュートボクセに武者修行 宿敵・シウバとガチンコ・スパーリングも". スポーツナビ (2005-08-19). 2009年9月17日 閲覧。
  9. ^ "HERO'S 桜庭移籍について榊原DSE代表「家族に裏切られた気持ち」". boutreview.com (2006-05-06). 2007年3月17日 閲覧。
  10. ^ゲーテ』2006年4月号(幻冬舎)、高田延彦インタビュー。
  11. ^ "やっぱり主役は、”サク咲く”桜庭和志". HERO'S、G.T.Entertainment, Inc. (2006-08-04). 2007年11月25日 閲覧。
  12. ^ "桜庭和志、無念のドクターストップ! 10.9HERO'S欠場「椎骨脳底動脈血流不全」で1カ月の安静が必要". スポーツナビ (2006-09-27). 2008年9月17日 閲覧。
  13. ^ a b "桜庭和志が改めて否定「トーナメントには出ません」 DREAM新拠点「Laughter7(ラフターセブン)」がオープン". スポーツナビ (2008-03-24). 2008年9月17日 閲覧。
  14. ^ 『kamipro』No.130、エンターブレイン。高山善廣金原弘光、ミヤマ☆仮面(垣原賢人)の対談記事。
  15. ^ "桜庭、4月PRIDEで完全復活だ 阪神・下柳と目標は「20勝!」". スポーツナビ (2004-01-14). 2008年9月17日 閲覧。
  16. ^ "桜庭のセコンドに下柳". スポーツナビ (2004-01-14). 2008年9月17日 閲覧。
  17. ^ "桜庭がアキバで吠えた! ホイスの挑発に猛反発=Dynamite!!USA 7年ぶりの“世紀の再戦”に向け闘争心に火がついた!". スポーツナビ (2007-05-21). 2008年9月17日 閲覧。
  18. ^ "“2ちゃんねるそっくり”掲示板放映 TBS「担当者が作成」". ITmedia News (2007-3-13). 2007年3月14日 閲覧。