内藤哲也

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内藤 哲也
Tetsuya Naitō March 2014.JPG
2014年
プロフィール
リングネーム 内藤 哲也
本名 内藤 哲也
ニックネーム スターダスト☆ジーニアス
赤い彗星
新世代GENIUS
NOLIMITマイトガイ
身長 180cm
体重 102kg
誕生日 1982年6月22日(32歳)
出身地 東京都足立区
所属 新日本プロレス
スポーツ歴 野球
サッカー
トレーナー アニマル浜口
デビュー 2006年5月27日
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内藤 哲也(ないとう てつや、男性、1982年6月22日 - )は、日本プロレスラー東京都足立区出身。新日本プロレス所属。

来歴[編集]

入門以前[編集]

小・中学時代は軟式野球サッカーに明け暮れる[1]

2000年9月、アニマル浜口トレーニングジムに入会[1]。10月より同道場に入門を許され、基礎トレーニングとサブミッションレスリングを学ぶ。途中大きな怪我に見舞われ、プロレスラーを諦めようとしたこともあったが不屈の精神で復活。

2004年2月に開催された高田道場サブミッションレスリング大会にて、最優秀選手賞を獲得(ちなみに、その大会には同じく道場生で、現在はDRAGON GATE所属の鷹木信悟が本名で出場していた)[1]

新日本プロレス入門 - 海外遠征[編集]

2005年11月3日、後楽園ホール大会にて行われた新日本プロレス公開入門テストでは、たった1人の合格者となり、12月1日に入門[1]2006年5月27日、リキプロ宇和野貴史戦でデビューを飾る[1]。9月、試練の5番勝負として、獣神サンダー・ライガー邪道外道金本浩二とのシングルマッチが組まれた。いずれも敗北に終わったが、どの試合も高評価であった。

10月29日神戸大会で、平澤光秀から勝利。プロデビュー初勝利を飾る[1]。また、その試合がテレビ朝日「ワールドプロレスリング」の「2006ヤングライオンベストバウト」に選ばれ、2007年1月4日の東京ドーム大会内で平澤とともに表彰された。

2007年6月に開催されたBEST OF THE SUPER JrXIVに、負傷した邪道のリザーバーとして初出場。外道、エル・サムライといったベテラン勢からピンフォール勝ちを収め、初出場ながら2勝をマークした[1]

2008年3月、裕次郎とタッグチーム「NO LIMIT」を結成[1]。4月13日にライガー & AKIRA組が保持するIWGPジュニアタッグ王座に挑戦するも、敗戦。8月にはプロレスリング・ノアに参戦し、金丸義信 & 鈴木鼓太郎組の保持するGHCジュニアヘビー級タッグ王座に挑戦したが[1]、自身がピンフォール負けを喫し、タイトル奪取はならなかった。

10月13日、DESTRUCTION'08にて、 & プリンス・デヴィット組からタイトル奪取。第22代IWGPジュニアタッグ王者に君臨[1]G1 TAG LEAGUEにも初出場を果たし、12月7日、邪道 & 外道組を相手にジュニアタッグ王座の初防衛に成功した[1]

2009年1月4日、レッスルキングダムIIIにて、モーターシティ・マシンガンズアレックス・シェリー & クリス・セイビン組)を相手に、2度目の防衛戦を行ったが、敗戦しタイトルを流出してしまう[1]。 その後、2月、新日本両国大会での挑戦権を賭けた4wayタッグマッチで勝利し、裕次郎と共に渡米。TNAに参戦し、タイトル奪還のため奮闘し、一時は彼らに勝利した日もあったが、2009年3月30日、TNAオーランド大会でのタイトルマッチで再戦するも、勝利には至らなかった。

5月、メキシコへと遠征し、29日に裕次郎、ドス・カラス・ジュニアと組み、CMLLに登場。以降継続参戦し人気を博したが、12月4日に行われた髪切りマッチに敗れ、髪を刈られ丸坊主の姿へとなってしまった。また、階級をジュニアヘビー級からヘビー級へと転向する[1]

2010年[編集]

2010年1月4日、レッスルキングダムIVにて、チーム3Dブラザー・レイ & ブラザー・ディーボン組)の保持するIWGPタッグ王座を賭けたタイトルマッチで、BAD INTENTIONSジャイアント・バーナード & カール・アンダーソン組)を交えた3WAYマッチで対戦。この試合に勝利し、第55代IWGPタッグ王者となった[1]

2月14日にはCMLLのエル・テリブレ & テハノ・ジュニア組相手に防衛を成功。3月に行われたNEW JAPAN CUPに初出場し、1回戦でアンダーソン、2回戦では棚橋弘至に勝利を上げ、ベスト4という成績を残す。4月4日、高橋裕二郎と共に「CHAOS」に加入し、ヒールとして活動。

5月3日、レスリングどんたくにて、IWGPタッグ王座の防衛戦として青義軍永田裕志 & 井上亘組)、BAD INTENTIONS(バーナード & アンダーソン組)による3WAYマッチに出場し、井上がアンダーソンからフォール勝ちしたことで、同王座から陥落[1]。 その後、6月19日、DOMINION6.19、7月19日月寒大会で同王座に挑戦するも、返り咲きとはならなかった[1]

10月11日、DESTRUCTION'10にて、新日本エースの座を巡って、棚橋と対戦するも、敗北を喫する。G1 TAG LEAGUEでは、NO LIMITとして出場し、準優勝となった。

2011年[編集]

2011年1月4日、レッスルキングダムVにて、TNA世界ヘビー級王座を賭けて、ジェフ・ハーディーと対戦。敗北するも、その高いポテンシャルを生かしてのファイトスタイルで、次期エースの期待を得るようになる。その後は新日本四天王の一人と呼称されながら、一度もIWGPのベルトを巻いたことがない後藤洋央紀に下剋上を宣言。2月20日、The New Beginningにて、後藤とのシングルマッチに臨むも敗戦。

その後、NO LIMITとしての戦績が低迷し、シングルでの活躍が際立ってしまった事もあり、裕二郎との確執が発生。一時は関係は修復し、5月3日のレスリングどんたくBAD INTENTIONSの所持するIWGPタッグ王座に挑戦するも、未だに消えていなかった不協和音が原因で、裕二郎のラリアットの誤爆に遭い、そのまま自身がピンフォール負けを喰らい、惨敗。リングで倒れている中、裕二郎に叱責された後、リングに一人取り残される。そして26日、試合終了後に裕二郎と仲間割れを起こし[1]田中将斗邪道外道の4人に袋叩きにされ、裕二郎からNO LIMITを解散を宣告される。同時にCHAOSから追放された。

6月18日、DOMINION6.18にて、裕二郎とシングルマッチで対戦するも、返り討ちに遭う[1]。その後、メキシコ遠征を経て、8月、G1 CLIMAXに出場。序盤は3連敗とスタートでつまづくも、その後巻き返し、最終日、同リーグ首位を走っていた棚橋弘至に勝利し[2]Aブロックを1位で通過。決勝で中邑真輔と対決するも、最後はボマイェで敗れ、準優勝[1]

9月19日、未だにシングルで勝ち星を挙げていない裕二郎と三度対戦し、スターダストプレスで勝利。全試合終了後、リングに上がり棚橋の持つIWGPヘビー級王座に挑戦をアピールした。10月10日、DESTRUCTION'11にて、自身初となるIWGPヘビー級王座に挑戦。29分の激闘の末、棚橋のハイフライフローでマットに沈んだ。

11月12日、POWER STRUGGLEにて、MVPとタッグを、組み中邑、裕二郎組と対決。試合はMVPが裕二郎からギブアップを奪い、勝利したが、直後に中邑に襲撃される。その後、マイクで中邑とのシングルマッチを要求し、退場した中邑をすぐさま追いかけバックステージで激しい乱闘を発展させた。

12月4日愛知大会、自身が望んでいた中邑とのシングルマッチが行われたが、ボマイェで敗北。さらにシリーズ中に負傷した肘の怪我が悪化し、試合後、左肘頭滑液包炎と診断され、年内の全戦欠場が決定。2011年最後の試合となった。

2012年[編集]

2012年1月4日、レッスルキングダムVIのセミファイナルに登場。全日本プロレス武藤敬司と対戦し、武藤のシャイニングウィザードを何発も受けながら果敢に挑むも、最後はムーンサルトプレスで敗れる。

その後は昨年より抗争を繰り広げてきた中邑真輔に執拗に迫り、2月12日、THE NEW BEGINNINGにて、シングルマッチで対戦。試合に勝利を収めると、当時王者であった棚橋弘至を打ち破り、IWGPヘビー級王座に戴冠したオカダ・カズチカに挑戦を表明。3月4日に「新日本創立40周年記念興行」と銘打たれた大会のメインイベントに登場し、オカダと対峙するもレインメーカーでピンフォール負けを喫する。その後も、自身が目標を掲げる「20代でのIWGP王座への戴冠」への為にオカダに喰らいかかるも、結局IWGP王座への挑戦には届かず、潰える事になった。

8月、G1 CLIMAXに出場するも、7日のルーシュ戦で右膝を負傷し、予選落ちに終わる。精密検査の結果、右膝前十字靱帯断裂と診断される[1]も、次期シリーズに強行出場。しかし、10月8日、KING OF PRO-WRESTLINGにて対戦した高橋裕二郎に右膝を極められレフェリーストップ負けを喫し、試合後に椅子攻撃による追撃を受け、再断裂。長期欠場に追い込まれてしまった[1]

2013年[編集]

2013年の上半期は、前年に負傷し手術した右膝のリハビリ、復帰に向けてのトレーニングに費やす[1]

2013年5月3日福岡国際センター大会に来場し、復帰の挨拶を行った。6月22日、「DOMINION6.22」で高橋裕二郎を相手に復帰戦を行い、入場時、白い羽を催したマスクを着用し入場。スターダストプレスで勝利を収めた[1]

8月、G1 CLIMAXに出場し、Bブロック1位で通過。11日、両国国技館の決勝戦で棚橋弘至と対戦。これを制し、四度目の出場にして初優勝を遂げ[1]、翌年の東京ドーム・IWGPヘビー級王座挑戦権利書を獲得。

9月29日、DESTRUCTIONにて、田中将斗の保持するNEVER無差別級王座に挑戦、並びに自身の保持する挑戦権利書の防衛の双方をかけた試合に勝利しNEVERの第2代王者に戴冠、自身初のシングルのベルト戴冠となった。その後、KING OF PRO-WRESTLINGで裕二郎、POWER STRUGGLEで再戦を申し込んできた田中の挑戦を退け、全試合終了後、IWGPヘビー級王座を保持するオカダ・カズチカの前に姿を現し、翌年東京ドーム大会での同王座への挑戦を表明した。

11月11日、WRESTLE KINGDOM8 in 東京ドームの記者会見にて、自身がオカダ・カズチカに挑むIWGPヘビー級王座戦と、同じく決定した棚橋弘至vs中邑真輔のIWGPインターコンチネンタル王座(IC)戦のどちらがメインにふさわしいかをファン投票で決定することが発表される[3]。12月11日、ファン投票の結果IC戦がメインに選ばれ、東京ドームメインイベントの座を逃した。

2014年[編集]

1月4日、レッスルキングダム8にて、オカダ・カズチカの保持するIWGPヘビー級王座に挑戦。30分を超える激闘を繰り広げるも、オカダのレインメーカーでピンフォール負けを喫する。さらに2月11日、THE NEW BEGINNING in OSAKAでは、石井智宏に敗れ、NEVER無差別級王座から陥落する。

3月8日、六年ぶりにプロレスリング・ノアが主催の興行、GREAT VOYAGE 2014 in Tokyo有明コロシアム大会に参戦。丸藤正道とのタッグでKENTA & 田中将斗組と対戦したが、時間切れ引き分けという結果に終わる。

15日に開催されたNEW JAPAN CUPでは、一回戦で石井と対戦し勝利を収める。さらに、シリーズ最終戦の23日でも6人タッグマッチながら、石井から直接ピンフォール勝ちを収め、試合後に石井が保持するNEVER王座への挑戦を表明。4月6日、INVASION ATTACKにて、石井のNEVER王座に挑戦したが、敗北を喫した。

人物[編集]

  • 新日本プロレス野球部ではショート・2番打者として、守備と俊足でチームに一役買っている。
  • 本人は、熱心な新日ファンであり「闘魂戦士」時代からのファンクラブ会員でもある。関東の試合に加えて地方のビッグマッチに遠征することもあったという。選手になった今も「一選手である前に一ファンでありたい」という気持ちでファンクラブに入会しているという、異色の選手。その熱い気持ちに新日社員も笑ってしまったというほどであり、噂によれば、現在は新ファンクラブ名簿の一番上に名前があるという。また、ファン時代から会場・体育館マニアの面もあり、鈴木健.txtに「プレーヤーでこれだけ会場を記憶している人は珍しい」と評されたほどである。
  • 広島東洋カープの熱狂的なファンであり、ファンクラブに入会している他、シリーズの合間をぬって球場での観戦にも行っている。広島市民球場の取り壊しに伴う公式戦最終試合開催日にもわざわざ観戦しに行く程。
  • 3度の飯より寝るのが好きで、日本各地の興行で移動の際はほとんど爆睡。渡米してもその生活スタイルは変わらず、ついには控え室でも寝ていることからついたあだ名が「GOOD NAITO(good nightをかけたもの)」。
  • 忘れ物が多く、数々のエピソードを裕次郎他いろんな選手に暴露されている。
  • 元々武藤敬司の大ファンで、同じく武藤から影響を受けている棚橋がトレーナーであるとメディアに紹介されたこともあり、オレンジタイツ時代の武藤のリングコスチュームやファイトスタイルにその影響が見て取れると言われているが、実際は棚橋がトレーナーというのはメディアが作った話であり、取材の際の1回のみ。また、武藤が新日を去ったことから「大好きだったけど、今は大嫌いな選手」という位置づけであり、あくまで内藤は「新日愛」にこだわる。ただし試合中に見せる仕草はオレンジタイツ時代の武藤そのものであることもしばしばで、解説席の金沢克彦からは「オレンジタイツ時代の武藤そのもの」と評された(ただし、これはあくまで好意見としてである)。
  • 中学時代は、当時サッカーの強豪校だった愛媛県立南宇和高等学校へのサッカー留学を考えていた。

得意技[編集]

ヘビー級ながら素早い身のこなしと伸びのあるバネやしなやかなブリッジを利した闘い方を見せる。ラリアットやパワーボムのような力技はほとんど使用しない。また、いわゆるクイック技もよく使用する。また、技ではないが自身の代名詞とも言える「2本指で目を見開く」ポーズは、「ラテンアメリカ民族によるアジア民族差別と闘う日本人の気概の表れ」と東京スポーツのインタビューで語っている。

フィニッシュ・ホールド[編集]

スターダストプレス
現在の主なフィニッシュ・ホールド。自身の異名である「スターダスト☆ジーニアス」の由来ともなっている。
トップコーナーに登り、相手に背を向けた状態でジャンプしながら、体を左方向180度捻った後、270度前方回転し、更に180度左方向に錐揉み回転させる難易度の高いプレス技。
元々は獣神サンダー・ライガーが開発した技で、その後、ライガーを含め長らく使い手がいなかった空中殺法とされていたが、2008年3月2日、ZERO1-MAX(現:ZERO1)との対抗戦として対戦した崔領二 & 高西翔太組戦で初披露。同技で高西からピンフォール勝ちを収め、以降フィニッシャーとして使用し始めた。
場外の相手に向かって放つ「スターダスト・アタック」も存在していたが、こちらは短期間で使用を控えている。

打撃技[編集]

ドロップキック
ロープワークの攻防から、走ってくる相手に対して繰り出すカウンター式を主に使用する。
水面蹴り
コーナーへ振られた際に跳び上がってエプロンに着地し、追いかけて来た相手へ繰り出す。ここからミサイルキックへ繋ぐことが多く、2011年メキシコ遠征で習得して来た技の一つでもある。
コーナーミサイル
コーナーでダウンしている相手を蹴り上げてエプロンサイドに着地し、足を払って相手に尻餅をつかせる。その後、サードロープを踏み台にジャンプした反動を利用して、横たわっている相手に串刺しドロップキックを放つ。右膝前十字靭帯断裂の怪我から復帰した時期より使用しており、内藤のオリジナルムーブとして認知されている。

投げ技[編集]

ネックブリーカー
相手と背中合わせの状態で放つタイプのものを使用する。カウンターで相手のラリアットを掻い潜って放つ型、雪崩式、串刺し攻撃を狙ったところを相手がフロントキックで迎撃しようとした際に両足を捉えて、セカンドロープに投げ入れてから仕掛けるパターンも得意とする。
ジャーマン・スープレックス・ホールド
しなやかなブリッジで突き刺すように高角度から放つ。このとき体勢が崩れた場合、すぐに移行してそのまま相手を固める。
ドラゴン・スープレックス・ホールド
上記のジャーマン・スープレックス同様、高角度式を使用する。
エボルシオン
いわゆるリバース・デスバレーボムで、G1 CLIMAX 2011決勝戦の中邑真輔戦にて初披露。
技名はスペイン語で「進化」の意。
グロリア
リストクラッチ式サイドバスター。相手の左腕をハンマーロックで極めて右手で捕らえ、左手で相手の首を抱え込みながら持ち上げて、垂直落下で後頭部をマットから叩きつける。
内藤がこの技を開発するにあたって、丸藤正道タイガー・フロウジョンを参考にしたと語っている。また、技名については自身がファンであるYUIの楽曲「グロリア」からとっており、「IWGP王座奪取のために考案した技でもあるからぴったりだった」と回答している[4]
技名はスペイン語で「栄光」の意。
スイングDDT
トップロープを蹴り上げてから繰り出す型を主に使用している。また、タッグマッチでは対戦相手を踏み台に旋回しながら放っていく型も見られる。

絞め・関節技[編集]

プルマ・ブランカ
変型の三角締め。首投げの要領で相手に飛びつき、うつ伏せに寝転がした後、自らの左足を相手の首に引っかけ、相手の右腕を抱え込みながら後方に体重を移して、頸動脈にダメージを与える。G1 CLIMAX 23に向けて開発した新技と報道されていたが、前年のG1 CLIMAX 22の天山広吉戦でそれらしき技を披露している。
技名はスペイン語で「白い翼」の意。
ニーロック
足へ行うキーロック。ショート・レッグシザースとも称される。
リバース・インディアン・デスロック
うつ伏せの相手の両足を交差させ、自分の片足を掛けた状態から後方に倒れ込み、両足にダメージを与える技。鎌固めに移行することもある。

飛び技[編集]

ジャンピング・エルボーアタック
相手の近くに寄りながら当てるのではなく、ロープのリバウンドを利用しながら高くジャンプして体ごと相手にぶつけていく。
リング中央近くまで飛んで行く跳躍力を見せており、ショーン・マイケルズのフライング・フォーアームに近いフォームが特徴。
チェンジ・オブ・ペースとしてよく使用される技の一つ。
「ニコニコプロレスチャンネル」のインタビューで、「GENTAROのロープワークとAJスタイルズのフライングフォーアームからインスパイアされた技」と語っている。
ミサイルキック
ポストは跨がず片側のトップロープに両足を乗せ、一旦静止する武藤スタイルを使用している。
サンセットフリップ
ロープの反動を利用して放つ。非常にフォームが綺麗で、ポストを利用しないセントーン・アトミコに近い。

クイック技[編集]

ジャパニーズ・レッグロールクラッチ・ホールド
形的にはバックを取った際にロープブレイクを狙う相手を押し込み、その反動を利用して仕掛けるローリング・バック・クラッチであるが、この名称で呼称されることが多い。
前方回転エビ固め
ヘビー級選手でコンスタントに使用するのは珍しい技の一つ。
ポルボ・デ・エストレージャ
2011年メキシコ遠征帰国後から使用し始めたリストクラッチ式のグラウンド・コブラツイスト・ホールド。
上述のグロリアの要領で相手を捕らえた後、持ち上げずに後方に倒れ込みながらピンフォールを奪う。
技名はスペイン語で「星屑」の意。
ジャックナイフ式エビ固め
裕二郎とのタッグNO LIMIT時代は、裕二郎がラリアットで相手を倒してから、素早く仕掛けること連携技としても使用。NO LIMIT解散後はほとんど見られなくなった。

合体・連携技[編集]

リミットレス・エボリューション
高橋裕二郎との合体技。相手の体をリフトアップさせ、そのまま相手の両足を下へ引っ張りながら2人は背中からマットに倒れこみ、落下させた相手の背中を叩きつける。
リミットレス・ドリーム
裕二郎との合体技。内藤がブレーンバスターの要領で裕次郎の肩に乗せ、そのまま首を抱えた内藤がネックブリーカー・ドロップ、裕二郎がパワーボムのような格好で後頭部をマットに叩きつける。
リミットレス・エクスプロージョン
裕二郎との合体技。内藤がリバース・パワーボムの形で相手を持ち上げるのを見計らって裕二郎がロープへ走り、相手の首に飛びついてスタナーを叩き込む。
スターダスト・こけし
本間朋晃との連携技。内藤が相手を抑えたところにコーナートップから本間がこけしを放ち、そのあと、内藤がスターダストプレスでとどめを刺す。

タイトル歴[編集]

新日本プロレス

入場テーマ曲[編集]

NO LIMIT解散後、メキシコ修業から帰国後のテーマ曲。2011年8月 - 現在まで使用。
NO LIMIT凱旋帰国後のテーマ曲。2010年1月 - 2011年6月まで使用。
NO LIMIT結成時のテーマ曲。凱旋帰国後は勝利テーマ曲として使用していた。
  • Jumping High
裕次郎(現:高橋裕二郎)とのタッグチームNO LIMIT結成後は勝利テーマ曲として使用。
新人時代のテーマ曲。

テレビ出演[編集]

ラジオ出演[編集]

  • FM‐HiのゆうラジRadio Soulに月一で出演。ゆるラジ・ゆるテレで活躍中。

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 選手名鑑”. 新日本プロレス公式サイト. 2013年12月10日閲覧。
  2. ^ 棚橋、内藤ともに6勝3敗、勝ち点12点で並ぶも、G1予選リーグのルールでは「勝ち点が並んだ場合、直接対決で勝利した方を上位とする」と決まっているため。
  3. ^ http://www.njpw.co.jp/news/detail.php?nid=10590
  4. ^ 参考文献『週刊プロレス』2011年12月7日号 頁36掲載 「選手本人が語る21世紀の技解説」より。

外部リンク[編集]