平澤光秀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
キャプテン・ニュージャパン
Captain New Japan.JPG
プロフィール
リングネーム キャプテン・ニュージャパン
平澤 光秀
ヒデオ・サイトー
本名 平澤 光秀
ニックネーム 僕らのヒーロー
狂った青義
カリブの悪霊
首絞め王
身長 187cm
体重 104kg
誕生日 1982年3月27日(32歳)
出身地 北海道札幌市
所属 新日本プロレス
スポーツ歴 レスリング
デビュー 2006年1月28日
テンプレートを表示

平澤 光秀(ひらさわ みつひで、男性、1982年3月27日 - )は、日本プロレスラー新日本プロレス所属。北海道札幌市出身。名乗ったリングネームは、本名の他、ヒデオ・サイトーHideo Saito)。現在はキャプテン・ニュージャパンCaptain New Japan)。

来歴[編集]

デビュー以前[編集]

全国少年レスリング連盟育成委員長を務める平澤光志を父親に持ちその父親が営むクラブで3歳からレスリングを始めたとされる。 高校は霞ヶ浦高等学校、大学は専修大学とレスリングの名門校を渡り歩いており、専修大学時代には馳浩の指導も受けている。 高校、大学を通じて国体、全日本学生選手権で活躍した。

その後、国語教員免許を取得し大学卒業後は医療機器販売メーカー“竹山”に就職。営業職をしながらレスリングを続け、2004年の国体ではフリースタイル96kg級で3位という成績を残した。

会社を辞め、2005年3月に新日本プロレスに入団。また、練習生時代に全日本社会人選手権に出場しフリースタイル120kg級で優勝。

「平澤光秀」としてデビュー[編集]

2006年1月28日、後楽園ホール飯塚高史戦で、本名の「平澤光秀」をリングネームとしてデビュー。

4月26日、裕次郎戦で初勝利を果たした。その後、ZERO1-MAX(現:ZERO1)との対抗戦や、永田裕志とのタッグ“青義軍”でG1 TAG LEAGUEにエントリーするなどと様々な経験を積んでいる。

2009年1月4日、レッスルキングダムIII IN 東京ドームの第0試合に出場。

7月19日に昨年3月2日に入籍を済ませている歯科助手の女性と札幌市内のホテルで結婚披露宴を行った。

7月21日の札幌大会で中邑真輔と対戦するも顔面への膝蹴りを受けて敗北。試合後中邑から「情けないよ。情けない。それでも新日の若手か! そんなんだからよ、対抗戦にも呼ばれねぇ! チャンスも潰す! 自覚しろ! 自覚!! 」と酷評を受けた。

8月9日にはTAJIRIと初対戦。バズソーキックでピンフォールを奪われ、試合後にはグリーンミストを喰らうという屈辱を味わった。9月に 永田裕志井上亘スーパー・ストロング・マシンと共に青義軍を結成した。

「ヒデオ・サイトー」へ転身[編集]

2010年9月、プエルトリコ(WWC)へ無期限の武者修行の旅へ。現地でのリングネームは「ヒデオ・サイトー」。同団体で再興された二次的タイトル・WWCカリビアンヘビー級王座を復活後初の王者として戴冠していた時期があった。

2011年5月、新日本プロレス初のアメリカ大会を記念して新設されたIWGPインターコンチネンタル王座の初代王者決定戦トーナメントに出場するも、1回戦の対戦相手の高橋裕二郎の東京ピンプスで敗退する。この時のヒデオはまだヒールターンしていなかった為無精髭は生やしていたものの、ショートタイツ姿で平澤光秀のファイトスタイルで試合を行っていた。

ヒデオ・サイトー

6月、プエルトリコ遠征から帰国。帰国後もヒデオ・サイトーとして参戦。18日、大阪府立体育館大会で永田裕志に永田の試合後襲撃を敢行。青義軍メンバーのキング・ファレの制止をはねのけ、腰に巻いていたしめ縄絞首刑の如く永田を締め上げ、青義軍に決別宣言。CHAOSに寝返った。

7月3日、タッグマッチで永田裕志と対戦。終始、永田の首を締め上げ続けた。翌13日、飯塚高史とタッグを組み、永田・ファレ組と対戦。ファレをカリビアンデスクリップによる首絞めでタップを奪った。また、5日後の18日に初めて永田とのシングルマッチが組まれるもレフェリー暴行による反則負けとなった。

8月、G1 CLIMAXに初出場。矢野通戦では試合開始後にリングの真ん中に寝転がる[1]。その矢野との場外戦では、ハンマーで矢野がヒデオの頭を攻撃したとき、ヒデオがゴングで防ぎ「カーン」と鳴って観客の失笑を誘い、内藤哲也戦ではスーパー・ストロング・マシンのコスチュームとマスクで現れ[2]高山善廣戦では虫取り少年のようなコスチューム(麦わら帽子・ランニングシャツ・短パン・虫取り網・虫篭)で登場。虫とり網を高山の頭に被せる[3]など、奇行に拍車が掛かる。同ブロックの殆どの選手に負け「楽な試合」「リーグ戦の中休み」など言われたが、最終日の永田裕志戦は、入場直前の控え室で永田を襲撃し、腕固めを切り返してのカリビアン・デス・グリップで大会中唯一の勝利を収めると共に永田の決勝戦進出を阻んだ。

9月、神戸大会で永田裕志と再戦。しかし、最後は永田のバックドロップホールドで敗れた。

10月3日、天山広吉のデビュー20周年記念大会『猛牛祭』にタイチとシングルマッチで対戦。リング外の売店で売られていたピンク色のシュシュで前髪を括った姿で現れ、入場直後にゴングを連打する奇行に走っている。試合は終始タイチに取られたシュシュを餌に振り回されるもカリビアン・デス・クリップで勝利する。この試合を境にサイトーは前髪をシュシュで括った姿で入場するようになり、相手選手に奪わる事を考慮して入場直後に尾崎リングアナにシュシュを預けるようになった。

12月4日愛知大会、天コジ再結成戦と銘打たれたテンコジとのタッグ戦で飯塚高史と組んで対戦。試合中アイアンフィンガーフロムヘルを盗み出すというサイトーの行動は最近見られる光景だった。しかし盗み出した後アイアンフィンガーで飯塚を襲撃した直後にバックステージに逃走。結果、置き去りにされた飯塚が天山のアナコンダバイスで敗北。試合後に仲間である筈のCHAOS矢野通石井智宏の手でバックステージから引きずり戻され、飯塚・石井・矢野からイス攻撃&ストンピングを食らい、最後はコスチュームを剥ぎ取り黒のショートタイツ姿にされた後、飯塚から仕返しのアイアンフィンガーを喰らった。今後の展開は不明だが、事実上CHAOS追放に近い仕打ちを受けることとなった。

「キャプテン・ニュージャパン」へ転身[編集]

2011年12月9日、ヒデオ・サイトーとタイチがファン投票ワーストとなった事で組まれたシングルマッチにおいて、ヒデオ・サイトーではなく、キャプテン・アメリカを模作した『キャプテン・ニュージャパン』として突如ヒーローキャラとなって登場。額・胸部・盾にはライオンマークが施されていた。しかし、最後はカリビアン・デス・グリップというヒーローには似つかわしくない技でピンフォールを奪った。

現在は永田の青義軍に戻らず、今まで関わりのなかった田口隆祐プリンス・デヴィットタイガーマスクなどの本隊の選手とも組む事が増えてきている。

2012年2月19日、『ALL TOGETHER 〜もう一回、ひとつになろうぜ〜』では、キャプテン・オールジャパン&キャプテン・ノアと主要団体のキャプテン達が、勢ぞろいしトリオを結成し参戦した。

3月頃からオカダ・カズチカIWGPベルトを掛けた対戦を要求するも、オカダはこれを黙殺。 4月上旬に菅林社長に直談判し、4月8日の後楽園ホール大会でオカダとのシングルマッチを組むことを約束。そして当日の4月8日にオカダとシングルマッチを行うもレインメーカーで敗れる。

11月20日より開催されたWORLD TAG LEAGUEに、棚橋弘至とのタッグ「キャプテン・エース」で出場するも全敗。次の年も棚橋とタッグを組み、戦績は1勝だったがBULLET CLUBプリンス・デヴィットから自らフォールを奪う大健闘を見せた。

現在はデビュー当時の赤だけではなく黄色・水色のコスチュームで登場することが多い。永田裕志と組むときは青色のコスチュームの時が多い。また週プロのプロレスラーの家族への取材ではキャプテンの父として登場せず親友の平澤光秀の父という形で登場した。また2014年4月に開催された井上亘引退記念試合では青義軍としてセレモニーに参加した。

限定マスクで登場することもあり、2013年7月の北海道大会では、頭に北海道の地図が描かれたマスクを着け「キャプテン・ホッカイドー」として登場。2014年4月の台湾大会ではキャプテンの友人である「キャプテン・台湾」が参戦し、後藤洋央紀と組んで急遽IWGPタッグ王座に挑戦したものの敗れた。

得意技[編集]

キャラクターに関わらず使用する技[編集]

平澤は3度のリングネームとキャラクターを変更しているが、それに関わらず使用し続けている技も多い。

カリビアン・デス・グリップ
ヒール転向後の主要攻撃およびフィニッシュ・ホールド。コブラクローと同型。テーピングでガチガチに固めた指で頸動脈を圧迫する。
新日本のリング上ではキング・ハクのトンガン・デス・グリップと扱いは同等で、ギブアップやレフェリーストップはもちろんフォールカウントも奪える万能な技となっている。仕掛ける前に指を突き立てるアピールを繰り出し、相手の首を締め上げている最中は白目や恍惚とした表情で勢いよく涎をたらすため、非常に不気味な光景となっている。
キャプテン・ニュージャパンに転身してからもフィニッシュとして使用しているが、仕掛ける以前の動作が異なっている。
両手を天高く突き上げ(通称「キャプテンチャージ」)て観衆から力を分け与えるように嘆願するという某漫画を彷彿とさせる身振りと化している。その後、相手が起き上がってきたところを見計らい首を締め上げる。
地獄突き
要所でタイミングよく繰り出すため、チェンジ・オブ・ペースの一つとして使用。ヒデオ時代はカリビアン・デス・グリップ同様、テーピングで固めた指で繰り出すため威力が倍増している。
2011年度のG1タッグリーグではパートナーの飯塚高史のアイアンフィンガー・フロム・ヘルを無断で装着して敢行した。
ヒラ・ボトム
ロック・ボトムと同型。ヒール転向、キャプテン・ニュージャパン転身後も使用している。フォームが崩れてチョークスラムと誤られることもしばしば見られる。
エクスプロイダー
ヒール転向後に使用するようになった。永田裕志も得意とする技であるが永田との対戦以外でも使用している。技の入り方は同じだが、相手を真横に投げるブリザードスープレックスに近いモーションとなっている。
フライング・ボディ・アタック
キャプテン・ニュージャパン転身後、使用し始めた技。
ダイビング・ヘッドバット
自らが試合権利を握っている際に、観衆を煽りつつトップロープ上へと登り放っていく。しかし大抵は相手に余裕を与えてしまい自爆する確率が高い。

ヒデオ・サイトー時特有の技[編集]

ヒデオ・サイトーとしては技らしい技はほとんど使用せずに試合を展開する。レフェリーに暴行を加えようとしたり、終始やる気を見せずされがままであることもあるが、スイッチが入ったように突如として狂乱ファイトに転じることも多い。また、永田裕志との対戦では、いわゆる「掟破り」のかたちで永田の得意技を使用している。

チョーク攻撃
ヒール転向後の主要攻撃。上記、カリビアン・デス・グリップと混合されるが、厳密には別の技であり反則である。
コブラクローの形からチョーククローの形になった場合、このチョーク攻撃と見なされて反則カウントを取られる。
袈裟斬りチョップ
上記二つに並ぶ、ヒール転向後の主要攻撃。肩口ないし脳天へ振り下ろす。
新日本プロレスにおいては橋本真也以来の使い手となる。
大根斬りチョップ
小橋建太が使用する同技と同型。リバースDDTの体勢で捉えた相手の胸元に手刀を落とす。
上記、袈裟斬りチョップのバリエーションの一つ。
ヒップバット
コーナーへ振った相手へ走り込んで、串刺し式で背面からぶつかる。
ここからニーリフトや袈裟斬りチョップを連続で叩き込むことが多い。
ゴング攻撃
攻撃のみならず、ゴングを盾にして矢野通が放つ木槌(ゴング用)攻撃を防いだこともある。
綱紐攻撃
コスチュームの上着を固定している綱紐による首絞め攻撃。トップロープを挟んでエプロン側に相手を放り込む、「吊り下げ式」も使用する。

平澤光秀時特有の技[編集]

スピアー
ジャーマン・スープレックス・ホールド
平澤の場合、そのままブリッジで固めずに自分の体を捻って覆いかぶさるような形でフォールに向かう。
サイド・スープレックス
ナガタロックII
青義軍時代に永田裕志から直接指導を受けた技で、ヒール転向後の2011年7月18日と2011年9月19日の永田裕志戦でも使用した。
永田とのタッグでは平澤が同技、永田がアンクルロックを極める連携技も見られた。

タイトル歴[編集]

WWC
  • WWCプエルトリコヘビー級王座
  • WWCカリビアンヘビー級王座

入場テーマ曲[編集]

  • Where are you from?
キャプテン・ニュージャパン転身後のテーマ曲。2012年 - 現在まで使用。
  • departed spirits
ヒデオ・サイトー時代のテーマ曲。2011年7月 - 12月まで使用。
  • Spread.Wing-beat
  • Root and Roots / TSUTOMU TOYA (AN INFINITE STRING に収録)
平澤光秀時代のテーマ曲。

各団体のキャプテン風レスラー[編集]

上記2人は、東日本大震災復興支援興行ALL TOGETHERでの企画。キャプテン・ニュージャパンとトリオ結成。一応正体は非公開であるが、正体は明らかであった。

その他[編集]

  • 高校総体グレコローマン76kg級で準優勝、全日本大学グレコローマン選手権76kg級3位という成績を残す平澤昌大を双子の弟に持つ。
  • 新日本に入団する前、大学時代より交流のある高橋裕二郎から「会社に辞表をだすのは入門テスト合格してからでいいんじゃない? もし不合格だったら生活できなくなるよ」と言われるも「絶対に合格します! 今の会社に未練はありません!」と宣言し見事合格した。
  • 邪道からは「にょろにょろ」の異名で呼ばれるなど周囲からも愛されている。
  • 入門1日目にレッドシューズ海野に酒を飲まされ泥酔し、中邑真輔を「真ちゃん」と馴れ馴れしく呼び、安沢明也を殴り目から流血させた。
  • 特技はロボットダンス。
  • ヒール転向後、当初は比較的まともな言動で週刊プロレスの取材に永田と会社への不満を口にしていたが、入場中に永田裕志の曲が流れると頭を両手で押さえる、また試合後のバックステージでは「永田ぁ…! 永田ぁ…!」と永田を連呼する、ヒール転向初の青義軍との対決の後のコメントで「永田さん? 尊敬してますよ」と答えるなどの言動が目立つようになった。他にも2011年7月13日の試合では荒れに荒れた戦いを行った後、インタビュアーの湯沢に対しては「一緒に焼き肉食いましょうよ」「さぁてご飯だご飯」など陽気に食事に向かうと言った二面的な言動をとるようにもなった。
  • CHAOS時代飯塚高史とタッグを組むことが多かったが、試合中に飯塚のアイアンフィンガー・フロム・ヘルを奪い、激高した飯塚に攻撃され、挙句その隙を突いた相手に負けるという展開が度々ある。
  • キャプテン・ニュージャパンになると週刊プロレスの記者を「情報屋」と呼ぶ。またIWGPヘビーのベルトやタッグのベルトを「かっこいいの」と欲しがってはいる。オカダ・カズチカのことは「レインマン」と呼んでいる。
  • 学生時代にマクドナルドのアルバイトを経験し、店長代理にまで上り詰めた事がある。
  • 新日本プロレスのキャプテン・ニュージャパンの紹介ページの一行目に「本名は平澤光秀」と明記されたうえ、平澤からヒデオ、キャプテンへの変遷も記されている。しかし、キャプテン自身は平澤光秀は友人であり現在プエルトリコファーストフード店をやっていると語っており、あくまで別人であるというギミックを貫いている。
  • コスチュームは赤が基本だが黄色や水色を着る場合もある。キャプテン自身は「皮膚」と表現している。また永田裕志と組むときは青を必ず着用する。

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 矢野はサイトーを起こさずそのまま押さえ込んでフォール勝ちを狙ったが、サイトーが3カウントを取られる前に寝返りを打ったため阻止された。
  2. ^ 試合開始数分でマスクを剥がされた。この行為について内藤は「その路線で永遠にやってろ!」とコメントした。『週刊プロレス』 2011年8月31日号 P.34より
  3. ^ この行為について高山は試合後「変質者に襲われた感じ、通り魔だよ、恐ろしいね」とコメントした 『週刊プロレス』2011年8月24日号 P.9より。

外部リンク[編集]

リダイレクトの所属カテゴリ[編集]