田中千絵

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たなか ちえ
田中 千絵
田中 千絵
田中 千絵(2009年6月撮影)
生年月日 1981年8月17日(30歳)
出生地 日本の旗 日本東京都
職業 女優
ジャンル テレビ
映画
活動期間 1994年 - 現在
家族 父:トニー・タナカ
主な作品
映画
海角七号 君想う、国境の南』(2008年

テレビドラマ
美少女H』(1998年

田中 千絵(たなか ちえ、1981年8月17日 - )は、東京都出身の女優台湾のDragon Fruit(火龍果国際有限公司)所属。父はメイクアップアーティストトニー・タナカ

目次

[編集] 人物・略歴

私立堀越高校玉川大学卒業。

1998年美少女H』(フジテレビ)でドラマデビューする。

1999年から2000年にかけてテレビCMで流れた「東京電話」では、『寺内貫太郎一家』の家族のひとりである娘、静江役として出演していた。

2006年6月台湾へ渡り、国立台湾師範大学中国語を学ぶ。

2008年8月に公開され、台湾歴代映画興行成績のランキングで1位になった台湾映画『海角七号 君想う、国境の南』では范逸臣と共に主演を務めた。

2008年12月3日、台湾Yahoo!による世論調査「2008年台湾マン・オブ・ザ・イヤー」において陳水扁王永慶に次ぐ3位となった[1]

[編集] 台湾渡航後

日本の芸能界に身を置いた10年間は、自分には特徴がなかったと感じていた[2]。自分の実力で仕事をしたいという思いだけで、2006年単身で台湾へ渡る[2]。台湾においては、師範大学で北京語を学ぶ。当初、「北京語を完璧にマスターすること」「そのために日本人の友人をつくらない」、この2つを自らに課していた[2]

台湾に渡った後の1年以上、先が見えない生活を過ごすが、無名の田中に転機が訪れる。台湾生活の悩みをつづっていた田中のブログを見た映画監督、ウェイ・ダーションから、映画『海角七号 君想う、国境の南』のヒロインに抜擢される。当時台湾映画界は、1998年以降の映画不況の真っただ中で10年間ヒット作がなく、この映画の撮影も資金難に遭遇し2度撮影が中断した。しかし、田中は資金集めに協力し、スタッフと一緒になりスポンサーに頭を下げて歩いた[2]。その後『海角七号 君想う、国境の南』は、2008年に公開されると、台湾映画史上におけるNo.1の興行収入を達成する大ヒットを飛ばし[2]、台湾版アカデミー賞といわれる金馬奨において、10部門がノミネートされ6部門が受賞する快挙を達成[2]

近況としては、中国電影集団の会長で『レッドクリフ』のプロデューサーでもあるハン・サンピン(韩三平)が、2010年公開予定の映画『愛情36計』の主演に、田中を指名している[2]

[編集] 中国語における名前の表記

中国語圏では、繁体字(正体字)で「田中千繪」、簡体字で「田中千绘」と表記される。ピンインでは、Tiánzhōng Qiānhuì。

[編集] 主な出演作品

[編集] 映画

[編集] テレビドラマ

[編集] テレビ出演

[編集] CM

[編集] MV

[編集] イメージガール

[編集] 脚注・参考資料

  1. ^ 2008十大發燒新聞人物第三名:田中千繪”. YAHOO!新聞 (2008年12月3日). 2010年8月10日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 「世界を変える100人の日本人! SP」インタビュー, テレビ東京 2010年1月15日放映

^ “2008十大發燒新聞人物第三名:田中千繪”. YAHOO!新聞 (2008年12月3日). 2010年8月10日閲覧。

^ “2008台湾の第45期の金馬奨「最も良くて新しい女優」

^ “2009台湾の10美人は『でやさしくて婉曲で含蓄があって、内心が剛毅で』は第8に位置して、《時報週刊》、《中国時報》から最近芸能界の有名な經紀人に集まって、映画を制作してと娯楽を監督してなど専門の従事する人を閉じ込めて投票によって選挙することを探してきます。

^ い ろ は に ほ へ と 「世界を変える100人の日本人! SP」インタビュー, テレビ東京 2010年1月15日放映

[編集] 外部サイト

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