KUSHIDA

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KUSHIDA
KUSHIDAの画像
2008年4月に行われたハッスル30にて
プロフィール
リングネーム KUSHIDA
YUJIRO
櫛田 雄二郎
本名 櫛田 雄二郎(旧リングネーム、読みはくしだ ゆうじろう)
ニックネーム トルネード・スター
竜巻KID
プロレス界のハンカチ王子
身長 175cm
体重 80kg
誕生日 1983年5月12日(30歳)
出身地 東京都
所属 新日本プロレス
トレーナー 桜庭和志
TAJIRI
デビュー 2006年9月7日
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KUSHIDA(くしだ、1983年5月12日 - )は、日本の男性プロレスラー。本名・旧リングネーム:櫛田 雄二郎(くしだ ゆうじろう)。東京都出身。

目次

経歴[編集]

幼少時からプロレスラーを志し、前段階として高田道場に入門、ZSTジェネシスライト級トーナメント優勝。

専修大学経営学部経営学科在学中は東京スポーツの編集局でバイトしており、東スポの正社員としての内定も得ていたが、プロレスラーとしての夢を捨てがたく内定を辞退し[1]、4年生進学時に休学し修行のため単身メキシコへ渡った。

現地でYUJIROのリングネームでプロレスデビューし、15試合を戦って帰国した。2006年2月10日に行われたハッスルオーディションで選考からは漏れたもののその素質が買われて練習生となり(この時の合格者は長尾浩志TAJIRI)、TAJIRIの内弟子となってトレーニングを積んだ。

2006年9月7日に行われたハッスル・ハウスVol.20でデビューし、セミファイナルで師匠のTAJIRIとタッグを組んで赤鬼蜘蛛、青鬼蜘蛛と対戦。9分13秒、超新星ラナで見事赤鬼蜘蛛を破っている。2007年3月現在、出場は全てタッグマッチで戦績は1勝5敗。また、アパッチプロレス軍にも参戦し、シングルプレーヤーとしても勉強中。

他団体での活躍[編集]

2007年7月、本名・櫛田雄二郎で全日本プロレスのシリーズ全戦に参戦した。8月20日には、憧れの武藤敬司佐々木健介とタッグを組み、初めてのメイン戦を務めた。2008年のHOLD OUT TOURでは、T28とのタッグでジュニア・タッグリーグ戦に出場。カズ・ハヤシからピンフォールを勝ち取るなど、大活躍を見せた。大阪プロレスにも師匠、TAJIRIとともに参戦し、タッグフェスティバルで健闘するなど、活動範囲を広げている。

2009年の11月には海外修行の道中でチカラのマットに初参戦。フィラデルフィアアリーナを舞台にヘリオスと一戦を交えた[2]

新日本プロレスへの移籍[編集]

2010年には、同年より新たに旗揚げされたSMASHに参加し、同団体を主戦場とした。

5月8日のSUPER J-TAGトーナメントで外道とタッグを組んで出場するも、双方のファイトスタイルの相違が原因で因縁の関係に発展してしまう。 同年6月13日、外道との因縁に決着をつけようと後楽園大会に出場するも、外道の代わりに現れた矢野通と戦うという形になり、終始矢野に叩きのめされ鬼殺しで敗北。試合後、ロープに縛り付けられ矢野と外道に竹刀で殴打されるも、そこに棚橋弘至が救出に入り、その日の抗争は終了する。 翌19日、当時矢野と髪切り闘争を展開していた棚橋がルーザーボールドルールで矢野に勝利するも、矢野の奇襲と飯塚高史の乱入で逆に髪を切られそうになるという事態に対し、TAJIRIと共に救済に入り、矢野の髪を坊主にさせる。そして、バックステージで棚橋・KUSHIDA・TAJIRIの3人でユニット「タナスマ」を結成。同月のJ SPORTS CROWNにこの3人で出場し、見事に準優勝に輝いた。 7月19日、未だ遺恨の潰えていない外道と対戦。ミッドナイトエクスプレスで勝利する。

その後「もっと試合数をこなしたい」という本人の希望もあって、2011年2月より師匠のTAJIRIの許可を受け新日本プロレスに参戦するようになり、試合内容が高い評価を受けたことから、同年4月1日付で正式に新日本に移籍することになった[3]

2月20日の新日本プロレス仙台大会にて、6人タッグマッチによるキラーラビットデビュー戦に出場(vs キラーラビット・外道・邪道、パートナーは獣神サンダー・ライガー田口隆祐)。ミッドナイトエクスプレスでキラーラビットにフォール勝ちする。 3月19日の愛知県体育館にて、IWGPジュニアヘビー級王者のプリンス・デヴィットに挑戦。試合終盤にミッドナイトエクスプレスを避わされ、デヴィットのブラディサンデーで敗れるも、タイトルマッチに恥じない試合を見せた。 3月31日SMASH後楽園ホール大会(震災により中止になった3月18日後楽園大会の代替)・vs大原はじめ戦をもってSMASHを退団後、4月3日新日本後楽園大会より新日本所属として試合(vs 小島聡TAKAみちのく、パートナーは真壁刀義)を行うも、試合中にタイチが乱入したことで敗北。 その後は、TAKAみちのく・タイチ組を相手に抗争を展開する。

8月14日G1 CLIMAX最終日のセミファイナルで行われたIWGPジュニアタッグ戦終了後、当時IWGPジュニア王者だったDDTプロレスリング飯伏幸太にIWGPジュニアの挑戦を直訴し、飯伏がこれを承諾し対戦カードが決まる。しかし、飯伏が本拠地DDTの大阪大会で古傷の左肩を脱臼した為、ベルトを返上。急遽、前王者のプリンス・デヴィットとの次期王者決定戦となった。序盤デヴィットを圧倒するも徐々に追い込まれ、最後はブラディサンデーで敗れる。

2012年8月、アメリカに遠征しSWFに参戦。同興行でフォーエバー・フーリガンズロッキー・ロメロアレックス・コズロフ組)に襲撃を受けたアレックス・シェリーを救出。旧知の間柄からタッグチームTIME SPLITTERSを結成。10月8日にフォーエバー・フーリガンズが保持するIWGPジュニアタッグ王座に挑戦するも、敗戦を喫する。

10月21日11月2日両日とも後楽園ホールで開催されたSUPER Jr. TAG TOURNAMENTアレックス・シェリーとのタッグチームTIME SPLITTERSとして出場。1回戦で邪道&外道を仕留め、準決勝でタイチとTAKAみちのくを破り、決勝戦では大本命のApollo55を接戦の末下し、同大会優勝を遂げた。KUSHIDAは新日本プロレス移籍後初の勲章となった

獲得タイトル[編集]

得意技[編集]

ミッドナイトエクスプレス
現在のフィニッシュ・ホールド。ムーンサルトプレスの要領で後方宙返り中に錐揉み回転を加える、スカイツイスタープレスと同型。新日本移籍後はより一層の切れのあるモーションとなっているが、同団体の内藤哲也とフィニッシュ・ホールドが被る為、近年では使用頻度が減っている。幼少時代に既に基本的な形を習得していた。
ムーンサルトプレス
上述のミッドナイトエクスプレスへのフェイント技として使用しているが、フォールを奪うことは少ない。その場飛び式で使用することもあり、タッグマッチの際には二人同時に押しつぶす型も存在している。
9469
相手の背中に膝を置き体重をかけ、手で相手の首を反り上げる変形式のキャメルクラッチ
バズソーキック
中腰の相手の側頭部への回し蹴り。師であるTAJIRIの代名詞的な技。
トラース・キック
片膝をついた相手に対して放つ、レスラーの中でも非常にポピュラーな型を多用している。
ハンドスプリングエルボー
相手にロープへ走らされた際、ロープ直前でハンドスプリングをし、両足にぶつかったロープの反動を生かして後ろにいる相手にバックエルボーをする。師匠であるTAJIRIの得意とする技の一つでもある。またタッグマッチの際は、倒立型で二人同時に打撃を与える型も存在する。
ブレーン・チョップ
主にタッグマッチ時に使用。パートナーからタッチを受け、トップロープ上でバウンドをつけながら相手の脳天に手刀を振りかざすスワンダイブ式を使用。
ジャパニーズ・レッグロール・クラッチ
うつ伏せに倒れている相手両脇に自分の両足首を差し込み、そのまま体を反転させて相手の体を仰向けにひっくり返し、自身が後方へブリッジすることによって、相手をエビ固めに丸め込む技。

入場テーマ曲[編集]

  • KUSHIDA MAKES YOU ROCK
2012年1月 - 現在まで使用。作曲者はGEEKS
  • KEEP ON BURNING
新日本移籍後のテーマ曲。2011年6月 - 2011年12月まで使用。
新日本移籍前より使用していたテーマ曲。

出典[編集]

  1. ^ 東京スポーツ 2010年12月16日付 6面「プロレス応援団長 柴田惣一のズバリ直撃!」
  2. ^ MANHATTAN DROP:KUSHIDA vs ヘリオス
  3. ^ “インディーの帝王”サブゥーが3.18参戦、地獄の使徒退治だ=SMASH(1/2) KUSHIDAが新日本に円満移籍、大森はFCF総帥に轟沈 - スポーツナビ 2011年2月25日

外部リンク[編集]