アパッチプロレス軍

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アパッチプロレス軍(アパッチプロレスぐん)は、日本プロレス団体

概要[編集]

FMW解散後、冬木弘道率いるワールド・エンターテイメント・レスリング(WEW)結成。その目的を冬木は「荒井(昌一・元FMW社長)の構想のなかにあった『WEWの名での新団体設立』を形にした」などとしていた。その冬木の死後、WEWは冬木軍プロモーション[1]としてプロモーション化され、それに伴い元WEWの金村キンタローが筆頭たるプロレスユニットとして結成(第1次アパッチプロレス軍)。冬木軍興行にてZERO-ONEとの対抗戦を行った後、2004年に団体化。インディーの地位向上を目指し、ハードコアとデスマッチを中心にZERO1-MAX大日本プロレスと相互に参戦し合う。

2009年、団体活動休止。残された選手の大半はプロレスリングFREEDOMSを旗揚げ。

2010年12月、XWFTEAM MAKEHENを母体として復活している(第2次アパッチプロレス軍)。

WEWの名はアパッチ管理のタイトルに残されている。

歴史[編集]

WEW - 冬木軍プロモーション[編集]

第1次アパッチプロレス軍[編集]

旗揚げ[編集]

  • 2004年8月30日後楽園ホールアパッチプロレス軍の旗揚げ戦を行った。
  • 2005年1月5日、金村が以前からインディー批判の長州力と対戦し敗れ、「負ければ長州の軍門に下る」という公約をめぐって、金村はアパッチで孤立。長年に渡り、BADBOY非道が仕切っていたが、後に和解した。
  • 2006年新日本プロレス参戦。
  • 大日本に参戦していたアカレンジャーズの佐々木貴と金村の抗争が始まる。後に伊東竜二関本大介そのまんまMIYAWAKI佐野直など加え「たかし軍団(仮)」を結成。やがてHi69BBHTAKAみちのく真壁刀義など団員が増え、アパッチ、大日本と暴れまくっている。
  • この抗争はアパッチ軍も参戦していたLOCK UPにもつれ込むようになった。
  • 2007年、佐々木貴の「生温いアパッチの活性化」の目的が達成されたのか、抗争は一段落。真壁はG・B・HGENTAROジ・ウィンガーHi69とデスマッチ否定派閥「PULP PACKS」結成。葛西純は「045邪猿気違's」の活動範囲をアパッチにも拡大。佐々木貴も3.14大日本後楽園大会・デスマッチヘビー級選手権試合で対戦した宮本裕向を、たかし軍団へ組み入れた。
  • 2006年12月、各選手のセルフプロデュース興行を実施。葛西と佐々木は、「金村・黒田体制からの脱却」という共通の目標が生まれ、「WEWヘビー奪還」を目標とするマンモス佐々木とも意見が一致。「新生アパッチ」と称した新体制の旗揚げを高らかに宣言。
  • 2007年12月、上層部と選手との意見が対立し、後楽園大会の発表・チケット発売が大幅に遅れてしまい、後楽園から撤退せざるを得なくなる。

活動停止[編集]

  • 2008年2月18日、金村キンタローが参戦していた大日本プロレスの女性スタッフに猥褻行為を行っていた事件が公に発覚(詳しくは大日本プロレスを参照)。話し合いの結果、2月22日新木場大会をもって金村の無期限出場禁止(後に懲戒解雇処分)。並びにアパッチプロレス軍としての興行の無期限活動自粛を発表
  • 団体活動停止の間、アパッチファンのために4月17日黒田哲広が、5月16日に佐々木貴が、それぞれ自主興行を打ったが、金村を擁護した折原昌夫を出したため、批判を浴びた。

活動再開、解散[編集]

  • 2008年6月、団体のロゴマークを一新し、活動を再開。小幡優作新宿鮫が退団し、金村が旗揚げしたXWFへ合流。
  • 新木場1stRINGで、ミスター雁之助を主将とする「FMWレジェンド軍」との抗争と、新たなデスマッチファイターの発掘を軸にして8月に解散したWMF所属選手も一部受け入れながら活動するも、観客動員数の低迷(100人を下回った大会も続出)や求心力の著しい低下など、金村の事件による影響は避けられず、新日本との抗争は無くなり、LOCK UPからも撤退。
  • 12月、運営会社のCF企画が団体運営から撤退したため、年内の活動停止が発表されたが、葛西純プロデュース興行にて佐々木貴を中心とした経営で活動継続を発表。元エルドラドのHELL DOMONS(バラモン兄弟など)を参戦させるなどのテコ入れを図り継続。
  • 2009年5月、試合終了後、XWFの金村キンタローがリングへ乱入、会場が混乱状態となる。これは全くギミック・アングルもなかったため、不審者として会場からつまみ出される。金村と共に観戦していたのはTEAM MAKEHEN橋本友彦とZERO1の佐藤耕平で、佐藤は後に会社から厳重注意され、謝罪コメントを出している。橋本は週プロモバイルにて金村・佐藤とは偶然居合わせたとコメントして謝罪。
  • 6月26日新木場大会直前、「アパッチ」という名前を使うことが困難になったことを理由に、8月の岩手県一関市大会を最後に活動を休止すると宣言し、事実上解散が決定。
  • 解散後、佐々木貴をはじめとした所属選手(黒田哲広、療養中のHi69(現・HIROKI)・マンモス佐々木を除く)は、佐々木貴を中心に設立した新団体「FREEDOMS」の旗揚げに参加。

第2次アパッチプロレス軍[編集]

復活[編集]

  • 2010年10月、金村キンタローがXWFを母体として「アパッチプロレス軍」を復活させると発表、12月17日に新木場1stRINGにて再旗揚げ戦を行った。XWF勢は小幡優作を除きアパッチへ移籍(小幡もフリーとして2012年のZERO1入団まで常連参戦)し、第1次アパッチ在籍時よりXWFにレギュラー参戦した黒田哲広や元TEAM MAKEHENの橋本友彦と小坂井寛も合流。事実上XWFとMAKEHENの合併という形での復活。以前からレスラー志望で大仁田厚自主興行にも参加していた俳優の脇知弘が正式入団する。
  • 出場選手が少ないためか、1回の興行に2試合組まれている選手がでるなどしている(金村も復活興行で第1試合とメイン2試合出場)。また、自前の道場を持たず、練習は主にZERO1道場を借りている。
  • 2011年5月21日、第2次アパッチ生え抜きの力丸(本名:井上貴昭)がデビュー。
  • 6月、力丸が練習中に意識不明となり病院に搬送される。急性硬膜下血腫と診断。
  • 7月13日、都内病院にて肺動脈血栓塞症のため死去。
  • 第2次旗揚げ以降の興行は新木場1stRINGを常打ちとして使用していたが、2012年以降は会場及び日程変更が相次ぎ、TAKESHIBAコロシアム(ZERO1道場)、西調布格闘技アリーナを転々としている。2013年は大阪大会の会場まで変更された。
  • 2012年12月25日、西村賢吾を無期限出場停止処分。
  • 2013年3月30日西調布大会を最後に長らく興行は開かれておらず、3月限りで公式モバイルサイトは終了し、4月29日限りでPC版公式サイトも更新停止した。
  • 2013年7月14日、3ヶ月ぶりの興行を大阪・若獅子会館で開催。
  • 2013年9月1日、5ヶ月ぶりの東京開催として東京スポーツ文化館大会を開催。
  • 2013年11月10日、道頓堀アリーナ大会を開催[2]

アパッチルール[編集]

2009年1月の新体制発足と共に制定されたが第2次アパッチでは行われていない。

アパッチルール
  • 場外カウントなし
  • 決着はリング内のみ
  • レフェリーが特に危険とみなさない限り、あらゆる反則、凶器攻撃が許可される。
アパッチ式デスマッチ
  • レフェリーが特に危険とみなした反則、凶器攻撃も全て許可される。

タイトルホルダー[編集]

アパッチプロレス軍が管理する王座
タイトル 保持者 歴代 防衛回数 次期挑戦者
WEWヘビー級王座 金村キンタロー 第11代 1
WEWタッグ王座 黒田哲広&崔領二 第19代
過去に存在した王座

所属選手[編集]

スタッフ[編集]

リングアナウンサー[編集]

ゼネラルマネージャー[編集]

過去の所属選手、スタッフ[編集]

第1次
第1次解散後にプロレスリングFREEDOMSを設立。
第2次

故人[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 正確には「冬木軍プロモーション」としては“再旗揚げ”となる。
  2. ^ 11/10(日) 道頓堀アリーナ 全対戦カード アパッチプロレス軍 GM 長谷川の人生100% 2013年10月23日

外部リンク[編集]