飯伏幸太

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飯伏 幸太
飯伏 幸太の画像
飯伏幸太(左)
プロフィール
リングネーム 飯伏 幸太
サミー・リーJr.
本名 飯伏 幸太
ニックネーム ゴールデン☆スター
インディペンデントジーニアス
ハードヒットプリンス
身長 181cm
体重 86kg
誕生日 1982年5月21日(32歳)
出身地 鹿児島県姶良市
(旧・姶良郡姶良町
所属 DDTプロレスリング
新日本プロレス
オスカープロモーション
スポーツ歴 キックボクシング
水泳
ラグビー
新空手
トレーナー MIKAMI
近藤修司
デビュー 2004年
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飯伏 幸太(いぶし こうた、男性、1982年5月21日 - )は、日本プロレスラー鹿児島県姶良市(旧・姶良郡姶良町)出身。DDTプロレスリング新日本プロレス所属。芸能活動においてはオスカープロモーション所属[1]

人物[編集]

  • ファンタスティックに華麗なスピード技、バチバチファイトもこなすまさにノンスタイルイケメンプロレスラー。また、大の「どインディー」マニアである。
  • 非常に変わった性格の持ち主でDDTの公式パンフレットで連載している日記やリング上で独特の世界観を作り出しているが、俗にいう「キレた」状態になると見境が無くなる。
  • 饒舌なタイプではなく、DDTホームリングでのマイクパフォーマンスの際はカンニングペーパーを常用している。また、相手のマイクパフォーマンスへの回答も「いいですよ。」の一言で返すことが多い。
  • 空手小公子 小日向海流に登場するプロレスラー「田伏隼」のモデルである。
  • 以前からインディペンデント・ワールド・ジュニアヘビー級王座の復活を望んでいて、当初は前王者だったTAKAみちのくは復活させないと発言していたが飯伏の大量の電話とメールなどによる説得に折れて復活させた。
  • インディー団体所属ながら実力を認められDDTだけでなく新日本プロレスで活躍する一方、ホームリングのDDTでは本屋やキャンプ場、居酒屋、大学構内などリング外での試合に熱意を燃やしている。
  • タッグ戦線ではケニー・オメガとのタッグ「ゴールデン☆ラヴァーズ」で活躍。活動期間はオメガの来日時に限られるが、ブランクや言葉のハンデも感じさせない息の合ったコンビネーション、多彩なオリジナル連携技を誇る。2010年には新日本のIWGPジュニアタッグ王座を戴冠するなど、団体外での活動も活発。
  • 背筋力が300kg以上ある[2]。そのためか、ヘビー級の選手相手でもパワーボムなどの投げ技を繰り出すことが可能。

来歴[編集]

小学校を卒業した翌日に西日本プロレスを観戦、全試合終了後に強引に入団テストを受け、バク宙やムーンサルトプレスを披露して合格してしまった(結局「中学を卒業してから」と言われ、帰された)。さらに中学校卒業後に新日本プロレスの入団テストを受けようとしたが、親に止められたため断念。また、同時期の時点で既に人とは違う感性で型破りな行動をしており(後述)、その手のエピソードには枚挙に暇がない。

高校(鹿児島県立加治木工業高等学校)ではラグビー部に入部した。高校卒業後は成田空港で旅客機の機内清掃を行う仕事に就くが、空港の入構パスを紛失するなどの失態を重ね、1年ほどで退職した[3][4]

プロレス入り前には新空手大誠塾に所属し、2003年7月21日の新空手道交流大会ではK-2トーナメント(中量級・15人参加)で優勝の経験もある(しかし翌日退団)。

プロレスラーとしての活動[編集]

2004年7月1日、DDT後楽園ホール大会でKUDO相手にデビュー。

2005年3月22日、フジテレビこたえてちょーだい!」に視聴者からの相談として出演。自分がプロレスラーになったことを報告していない両親を試合へ招待した。試合は負けてしまったが、リング上で父親に向かい報告。父親からは「頑張ってくれ」と激励の言葉を貰い、握手を交わした。

9月23日にDDTのKO-Dタッグリーグ戦に先輩の柿本大地とのタッグで優勝、わずか1か月後の10月23日後楽園大会でKO-Dタッグチャンピオンに催冠。DDTのみならず、ハッスルプロレスリング・エルドラド、フーテン・プロモーションへも参戦している。

2006年2月4日のアンディ・オロゴン戦でK-1 MAXデビューが予定されていたが[5]、アンディの負傷により試合自体が消滅[6]

11月14日に第1回GPWA興行に参戦した他、11月22日にはエルドラドでミラノコレクションA.T.とコンビを組む。

2007年5月のディファカップではDDT代表としてHARASHIMAと組んで出場し準優勝。なお、ディファカップ初戦のビッグマウス・ラウド(BML)代表との対戦で飯伏が上段回し蹴りで原学をKOした後も攻撃を続けたことからBMLとの間に遺恨が生じ、5月23日新木場大会でBML臼田勝美および原の襲撃を受けた。

5月26日、契約更改の場で参戦を希望していた学生プロレスにも初参戦。東京大学の学園祭(五月祭)にて、東京大学プロレスリングBAKA道場所属の童 As Infini貞(現・DT-YUTAユニオンプロレス))と対戦。「殺すぞ」との発言を咎められて、試合中に逮捕される一幕もあったものの、最後はジャーマン・スープレックスで3カウントを奪い、「学プロデビュー戦」を白星で飾った。

7月1日から15日にかけてプロレスリング・ノアで開催された、日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦に、ノアの丸藤正道とのイケメンタッグを結成して参加するも、最終戦でKENTA石森太二組に敗れ、勝ち点6の2位に終わった。しかし試合内容は観客からその興行のベストバウトとも絶賛され、彼の実力がインディーはおろかメジャーマットでも十分通用することが証明された。

8月26日、ディファ有明で行われたプロレスサミット in ARIAKEインディペンデント・ワールド・ジュニアヘビー級王座を獲得。また、12月31日には、プロレスサミット in KOURAKUENで高木三四郎からアイアンマンヘビーメタル級王座を奪取し、第735代王者となる。

2008年、前年に引き続き日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦に中嶋勝彦と組んで参戦。リーグ最終日まで優勝の可能性のある3チームに残る好成績。しかし最終日にブリスコ兄弟に負けたため、決勝戦には出られなかった。 8月6日、ビアガーデンプロレスにて、カナダからやってきたケニー・オメガとの初シングル。路上とリング上で1本ずつ先に獲った者が勝者となる変則ルール。路上のみならずリング上でも壮絶な攻防を繰り広げ、飯伏が勝利。この試合は2008年ネットプロレス大賞のベストバウトに選ばれた。 この対戦をきっかけにケニーとの間には不思議な友情が生まれ、翌年のゴールデンラヴァーズ結成へとつながる。

2009年新日本プロレス主催のベスト・オブ・ザ・スーパージュニアへ初参戦を果たした。獣神サンダー・ライガーに勝利するなど、リーグ戦を4勝2敗で終え、決勝トーナメントへ出場したがプリンス・デヴィットに敗れ、決勝進出はならなかった。この際ライガーから「グラウンドテクニックをもっと磨け」「今のままではただのサーカス」とその才能は認こそするものの、アドバイスの意味での苦言を呈されている。

7月12日から25日にかけて開催された、日テレ杯争奪ジュニアヘビータッグリーグ戦に、ノアの青木篤志と組んで出場も、優勝決定戦で金丸義信鈴木鼓太郎組に敗れ、またしても2位に終わった。

8月23日、DDT両国国技館大会「両国ピーターパン 〜大人になんてなれないよ〜」のメインイベントにてHARASHIMAを破り、KO-D無差別級王座を獲得。

11月29日、DDT後楽園ホール大会にて石川修司に破れKO-D無差別級王座から陥落。

12月には新日本プロレスのスーパーJカップに参戦するも、初戦(対外道)で敗れる。

2010年1月6日に新日本プロレス事務所を訪れスーパーJカップの雪辱を期すため社長に参戦を直訴した。(が、実は新日本プロレスはこの日から“正月休み”のため応対はたった一人だけ仕事をしていた管理部の社員が行ったが最後まで社長と思い込んでいた。)これを受け1月31日にケニー・オメガとのタッグ「ゴールデン☆ラヴァーズ」で邪道・外道組と対戦するが邪道の負傷によりレフェリーストップとなる。

1月20日、契約更改にて「身体のメンテナンス」のため2月11日以降は現時点でオファーのある試合以外を欠場することを要求し、高木三四郎の「いいよ」の一言で4月4日まで欠場することが決定(オファーされていたのは2月14日新日本プロレス両国大会、2月16日の大石真翔旭志織自主興行、3月6・7日のKOEI主催戦国武将祭り)。

2月11日、ケニー・オメガとのタッグ「ゴールデン☆ラヴァーズ」でHARASHIMA・真霜拳號組と対戦。試合後のマイクパフォーマンスで復帰後にIWGPジュニアタッグ王座へ挑戦したいと表明した。

5月8日には新日本プロレス主催の「スーパーJタッグ」に参戦。1回戦で敗退するもバックステージではケニー・オメガとの「ゴールデン☆ラヴァーズ」でのIWGPジュニアタッグ王座挑戦を再度アピール。

5月、ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアに参戦。予選リーグを1位で勝ち抜き、準決勝・田口隆祐戦を勝利し、決勝・プリンス・デヴィット戦にて敗退するが、見事に準優勝を飾るがこの試合で肩を脱臼し休養。

7月25日のDDT「両国ピーターパン2010 〜夏休み ああ夏休み 夏休み〜」の丸藤正道戦で復帰予定だったが、直前に肩の怪我が悪化し欠場が決定。代役としてパートナーのケニーが丸藤と対戦した(このカードは前年も丸藤の怪我で流れている)。

9月3日、新日本後楽園大会でプロレスプリンス・デヴィットの持つIWGPジュニアにケニーが挑戦、セコンドとして同行し試合後改めてIWGPジュニアタッグへの挑戦を表明。これを受けて10月11日の新日本両国大会での挑戦が決定。

9月12日に行われたキャンプ場プロレスで復帰するが、ヨシヒコ相手に路上プロレスで自身初のピンフォール負け。だが試合終了後のセレモニーにおいて、新団体「キャンプ場プロレスリング・オム」の旗揚げを宣言する。

10月11日、新日本両国大会ケニー・オメガとのタッグ「ゴールデンラヴァーズ」でプリンス・デヴィット、田口隆祐の持つIWGPジュニアタッグに挑戦、王者となる。この試合はプロレス大賞「ベストバウト賞」に選ばれた。

11月14日、DDT大阪大会で新日本両国大会のリマッチ。IWGPジュニアタッグを初防衛。

12月26日、新日本プロレスの邪道・外道組を相手に二度目のIWGPジュニアタッグ防衛。

2011年1月4日、新日本プロレスの「レッスルキングダムV IN 東京ドーム」にて、プリンス・デヴィットが保持するIWGPジュニアヘビー級王座に初挑戦するも敗退。

1月23日、新日本プロレス後楽園大会でプリンス・デヴィット、田口隆祐組相手に敗れIWGPジュニアタッグ王座から陥落。

3月27日、ディック東郷の指名を受けKO-D無差別級王座に挑戦、35分を超える激闘の末敗れる。

5月26日から「BEST OF THE SUPER Jr.XVIII」に参戦、いきなり開幕2戦を落とすが、そこから巻き返しを見せ、6月7日には卓越した空中殺法を武器に活躍し、飯伏が少年時代にプロレスラーを目指すきっかけとなった憧れの選手のザ・グレート・サスケとで念願の初対決を果たし見事勝利してブロック1位通過を果たす。そして6月10日の決勝戦で田口隆祐に勝利し他団体の選手として初優勝を果たした。

6月18日、プリンス・デヴィットに勝利し念願のIWGPジュニアヘビー級王座になる。

7月24日のDDT「両国ピーターパン2011〜二度あることは三度ある〜」においてプリンス・デヴィットとのリマッチを制し、IWGPジュニアヘビー級王座を初防衛。

8月28日、男色ディーノとのタッグでKO-Dタッグ王座を獲得。

9月11日のMATRIX大阪大会にて左肩を脱臼し、所持していたIWGPジュニアヘビー級王座とKO-Dタッグ王座を返上した。(尚、ベスト・オブ・スーパージュニアのリーグ戦で負けたKUSHIDAとの防衛戦が予定されていたが、そのカードはKUSHIDAとプリンス・デヴィットの王座決定戦に変更)

9月26日、山梨キャンプ場プロレスリング・OM旗揚げ戦、花火を持って選手・観客を問わず無差別に攻撃するPK(プレイヤーキラー)として登場した[7][8]

2012年5月4日後楽園ホールで復帰。

6月24日、後楽園ホールで火野裕士を下し、KO-D無差別級王者に返り咲く(第42代)。

7月29日、後楽園大会、去年の9月肩脱臼により返上したIWGPジュニアヘビー級王座を奪回するために、同王座を保持するロウ・キーに挑んだタイトルマッチ。最後は復帰後初のフェニックススプラッシュで3カウントを奪い第64代王者となった。

8月18日、DDT初の日本武道館大会のメインカードにてケニー・オメガとのKO-D無差別級王座防衛戦。2階スタンドからのムーンサルト、場外へのフランケンシュタイナー等の荒業を含む37分もの激闘の末、フェニックス・スプラッシュで試合を決め、防衛。

9月30日、後楽園ホールでエル・ジェネリコに敗れ、KO-D無差別級王座陥落。

10月8日、新日本プロレス両国国技館大会にてロウ・キーに敗れIWGPジュニアヘビー級王座陥落。

12月15日、DDTの西日本ツアー「DDTウエストサイドストーリーシリーズ2012 in KAGOSHIMA ~飯伏幸太凱旋興行~」にて初めて団体として地元鹿児島に凱旋。(個人では2009年4月11日の極悪同盟興行『極悪祭りin鹿児島』にて既に凱旋済み)当日はメインでケニー・オメガとのタッグ「ゴールデンラヴァーズ」としてHARASHIMAヤス・ウラノ組と対戦しシットダウン式ラストライドからのエビ固めで飯伏自身がウラノからフォールを奪い勝利。

2013年1月4日、新日本プロレス「レッスルキングダム7」にてプリンス・デヴィットロウ・キーIWGPジュニアヘビー級王座を賭けた3WAYマッチで対戦するも、王者デヴィットの雪崩式ブラッディ・サンデーに沈む。

5月3日後楽園ホールにて、鶴見亜門GMに指名される形で入江茂弘の持つKO-D無差別級王座に挑戦するも敗北。

5月26日、広島産業会館東展示館にて、ケニー・オメガ伊橋剛太との「ゴールデンらんでぶぅ~」でKO-D6人タッグ王座を獲得。

6月23日、後楽園ホールにて、モンスターアーミーに敗れKO-D6人タッグ王座から陥落。

6月28日新宿FACEにて開幕の「KING OF DDT トーナメント2013」に参加、初戦のヤス・ウラノ戦で敗退。

7月5日、新日本後楽園ホール大会にて、8月1日から開催される「G1 CLIMAX 23」への初出場が発表された。

8月18日、DDT両国国技館大会「両国ピーターパン2013」にてオカダ・カズチカと初シングル、レインメーカーで敗れる。

10月7日、DDTならびに新日本プロレスへのダブル所属を発表[9]。以前より新日本・菅林直樹会長から正式所属の話はきていたが、DDTの選手でありたいと本人は熱望。その中で新日本との史上初のダブル所属の話に、DDT・高木三四郎大社長は、前例がなく面白いと成立。DDTとは3年の複数年契約、新日本とは1年契約とし、DDTにはフル参戦、新日本にはビッグマッチ興行等でのスポット参戦という形となる。

2014年1月4日、新日本「レッスルキングダム8」にてプリンス・デヴィットを破り、3度目のIWGPジュニアヘビー級王座を戴冠。

3月6日大田区総合体育館で開かれた新日本「旗揚げ記念日」にてオカダ・カズチカと再戦、IWGPヘビー級・ジュニアヘビー級の王者同士の対決となったカードであったが、またもレインメーカーに屈した。

6月10日、DDTプロレスリングがオスカープロモーションと業務提携を結んだことに伴い、芸能活動においてオスカー所属となることを発表[1]

7月4日、KUSHIDAに敗れ、IWGPジュニアヘビー級王座から陥落した[10]。この試合で脳震盪を起こし、DDTで予定されていた自身の10周年記念試合が延期、また出場予定だった7月21日開幕のG1 CLIMAXを欠場することになった[11]

タイトル歴[編集]

DDT
パートナーは柿本大地ケニー・オメガ→男色ディーノ→ケニー・オメガ。
パートナーはケニー・オメガ伊橋剛太→ケニー・オメガ、佐々木大輔
新日本プロレス
パートナーはケニー・オメガ
その他

得意技[編集]

打撃技[編集]

各種キック
空手出身者らしくキレのある本格的な蹴りを繰り出す。
ロー、ミドル、ハイの他にローリングソバットや、片膝状態や尻餅状態の相手に繰り出すバズソー・キックも多用。中でもハイキックはフィニッシュへの流れの一つとして多用される。
ダッシュ・ミドル
その名の通り走り込んでのミドルキック。レッグラリアットのように自身の身体を流しながら、相手の胸を打ち据える。
オーバーヘッド・キック
バック宙をしながら相手の延髄や側頭部を蹴り込む。形としては片足で蹴る川田利明のものや、新崎人生の輪廻ではなく、初代タイガーマスク武藤敬司の得意とするそれに近い。
ストレート掌打
飯伏がいわゆる「キレた」状態になると頻繁に繰り出す技の一つ。
ラリアット
当初は前述のキレた時や「プロレスごっこ」の際に使うことがある程度だった。現在はフィニッシュへの流れ等でハイキックと共に多用している。
ブラディスロウン
技自体はまだ確認されていないが週刊プロレスにてミラノコレクションA.T.から伝授された。

投げ技[編集]

ジャーマン・スープレックス
ノーモーション・ジャーマンと形容される、しなやかなブリッジで繰り出す高速式。非常に綺麗な形で投げる。この技で勝利することもある。
ハーフネルソン・スープレックス・ホールド
左腕を負傷してドラゴン・スープレックス・ホールドができない間に体得。こちらも上記と同じくノーモーションと形容される投げ方が特徴的。
タイガー・スープレックス'85
フェニックス・プレックス・ホールド
パワーボムの体勢で持ち上げたところで、相手の首を抱え込み後方に反り投げ、そのままブリッジを効かせてフォールに持ち込む技。
小学6年生の頃、プロレス誌に掲載された小橋建太のジャックナイフ式パワーボムの、持ち上げた瞬間と決めている瞬間の2枚の写真だけを見て、「後ろに投げる技だ」と誤解。その後、中学生時代のプロレスごっこ時に開発・実践。
2009年両国大会のHARASHIMA戦にて初公開。技名は大会後にケニー・オメガが命名。
ヘビー級等ウェイトのある選手相手の場合、相手をコーナーポストに座らせてからクラッチし担ぐ。
シットダウン式ラストライド
当初は主にヘビー級選手との対決でパワーボムとして繰り出すことが多かった。しかし2011年に入りジュニアヘビー級選手を相手にしても繰り出すようになり、投げ方も相手のタイツを掴むラストライド式に変わった。飛び技による怪我での欠場があったため、2012年5月以降は主なフィニッシャーとして使用されている。
やり投げ
相手を担ぎ上げてコーナーへダッシュし、ターンバックルへ投げるようにぶつける。
スクールボーイ式スープレックス
スクールボーイの要領で相手を捕らえ、そのまま丸め込まず強引に持ち上げてマットに叩き付ける。同型の技をラ・ソンブラが、ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアで飯伏との対戦以降「シャドードライバー」として使用している。

投げ技・番外編[編集]

下記4つは、2012年の武道館大会でのケニー・オメガ戦に向けての公開練習で披露。
雪崩式フェニックス・プレックスは実際に武道館でのケニー戦で使用。以降も実戦にて、24歳は2013年にヤス・ウラノ、リバース槍落としと雪崩式パイルドライバーはいずれも2014年に伊橋剛太に使用。
24歳
相手をブレーンバスターの要領で持ち上げてから180度反転させるように持ち替えてうつ伏せに落としつつ後頭部をおさえて顔面を叩きつける。
名の由来は24歳のときに思いついたことから。
リバース槍落とし
スプラッシュマウンテンの要領で抱え上げ、脇ではなく相手の首を掴み、自身もうつ伏せに倒れ込みながら相手を脳天から垂直に落とす。
雪崩式フェニックス・プレックス
相手をコーナーに座らせ、自身もセカンドロープに登ってフェニックスプレックスにクラッチし、その場から後方に投げ捨てる。
雪崩式パイルドライバー

関節技[編集]

アンクルホールド
グラウンドが苦手、弱点と言われたそのイメージを払拭するべく使用し始めた。

飛び技[編集]

フェニックス・スプラッシュ
現在のフィニッシュホールド。ハヤブサ以来随一の使い手であり、自動販売機の上から繰り出したこともある。
ファイヤーバード・スプラッシュ
450°スプラッシュ。この技が原因で脱臼により長期欠場(計2回)を余儀なくされたため、2012年5月の復帰以後は使用していない。
フェニックス式ローリングセントーン(仮名)
2005年の年末に行われたインディーサミットで披露。フェニックス・スプラッシュから更に180度回転してセントーンを行うもので、ジャック・エバンスコークスクリュー630°(不死鳥魂)と同型。
後から正式名称を募集するとしていたが、結局2006年11月現在でも付けられた形跡は無い。
ゴールデンスタープレス
スプリングボード式のフェニックス・スプラッシュ。
2005年に行われたディファカップで披露。ただしその時は失敗してやや変形したフェニックススプラッシュになってしまった。
2007年のマッスルハウス3でゴージャス松野を相手に披露、技名は「ゴールデンスタープレス2007」とコールされた。
ムーンサルトプレス
小学生の時から出来たという飯伏のムーンサルトは、両足がピンと伸び、しっかりと足が揃う。
ムーンサルト・ムーンサルト
ムーンサルトプレスに対し、相手が後ろに転がって回避された際に、足から着地しその場から再びムーンサルトをする技。都合2回ムーンサルトをするのでこのように呼ばれる。
ラ・ケブラーダ
主に屋外プロレスでの使用が多く、過去には電柱防波堤から飛んだこともある。
バミューダ・トライアングル
ラ・ケブラーダの派生技で対角線上を走り込み、コーナーを登って三角飛びの要領で場外にいる相手にムーンサルト・アタックを仕掛ける。ドラゴン・キッドが使う同名技とは、微妙に違っている。
その場飛び式シューティング・スタープレス
仰向けにダウンしている相手に助走をつけて走り込み、後方360°回転してのボディ・プレス。サムライTV実況の村田晴郎はグラウンディング・シューティングスターと命名。
ここからヘッドスプリングで起き上がりコーナーに登ってムーンサルト・ムーンサルトを仕掛けることが多い。
タッグマッチではケニー・オメガと同時に繰り出すこともある。
その場飛び式カンクーン・トルネード
尻餅状態の相手に放った蹴りを、相手が後ろに倒れて回避した際に放つ、相手に背を向けたまま切りもみ式に横回転を行ってのボディ・プレス。
スターダストプレス

合体技[編集]

エピソード[編集]

小・中学生時代[編集]

  • 校長先生が毎日通っていた道に1m程の落とし穴を掘った。校長先生は見事に嵌り、肩を脱臼した。
  • 校庭で友人たちと受身を取っていた。
  • 練習場所として丸太やタイヤのチューブなどで海岸にリングを作った。有刺鉄線なども使おうとしたが、ホームセンターで売ってくれなかったため、母親にお願いして買ってきてもらっていた。
  • 「デスマッチ」と称して石の上でプロレスごっこをしたり、「ギャラリーの受けがいい」という理由から高角度ジャーマンをくらったりしていたため、しょっちゅう失神していた。
  • 当時からファイヤーバードスプラシュを習得していたが、あるとき石の上に寝ている相手に放ったところ、相手が避けたため激突し、右の肋骨をすべて骨折した。
  • 校庭や柔道場などでパワーボムなどのプロレス技をかけていた。友達が嫌がることもあり、その際はお小遣いを貯め、相手にお金を払った上でかけていた。
  • あるとき、柔道場で友達にパワーボムをかけようとしたところその相手が暴れたため首を掴んで抑えたところ、苦しそうにしていたためそのままジャーマンの要領で後ろに投げた。これが前述にあるフェニックス・プレックス・ホールドの原形となっている。ちなみにその友達は頸椎を捻挫した[12]

プロレスデビュー以降[編集]

  • 酒に弱く、酒癖が悪い。巡業先において酔っ払い、TAKAみちのくの前髪をハサミで切ったことがある[13]他、様々な奇行が報告されている。
  • Twitterを始めて以後、レスラーの全裸画像(モザイクあり)などを次々にTwitterに投稿していたが、2012年8月4日についに同僚選手の局部画像をモザイクなしで投稿してしまったことから、Twitterよりログイン及びアカウント作成禁止処分を受けてしまった。本人曰く「天罰が下った」とのこと[14]。その後同年9月16日にアカウントが復活し投稿を行っている。

入場テーマ曲[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b オスカー所属の飯伏に“美女タレントと熱愛指令” - 東京スポーツ・2014年6月11日
  2. ^ 背筋力一番は誰だ?「三澤トレーナーのボディヒート日記」2010年6月9日記事より
  3. ^ 飯伏vsリコシェのTWGPジュニア戦は前代未聞の“ダメ人間”対決 - 東京スポーツ・2014年6月10日
  4. ^ 飯伏幸太さんインタビュー記事 - 芸能人と遊ぼう!・2007年12月11日
  5. ^ 【K-1 MAX】2・4ボビー弟の対戦相手はプロレスラーのホープ 格闘技ウェブマガジンGBR 2006年1月24日
  6. ^ 【K-1 MAX】2・4 山本“KID”徳郁が山本優弥にエール 格闘技ウェブマガジンGBR 2006年2月1日
  7. ^ いい大人達がキャンプ場でプロレスしてみた 前編 - ニコニコ動画
  8. ^ いい大人達がキャンプ場でプロレスしてみた 後編 - ニコニコ動画
  9. ^ 契約会見 動画
  10. ^ 飯伏まさかの王座陥落!IWGPジュニア新王者にKUSHIDA”. 東京スポーツ (2014年7月5日). 2014年7月7日閲覧。
  11. ^ 脳振とうのダメージ抜けず…飯伏無念のG1欠場”. 東京スポーツ (2014年7月19日). 2014年7月19日閲覧。
  12. ^ 週刊プレイボーイ 2010年12月27日号 インタビューより
  13. ^ 飯伏にハサミは持たせるな- 多重ロマンチック
  14. ^ 東京スポーツ・2012年9月9日付 23面

外部リンク[編集]