柴田勝頼

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柴田 勝頼
Katsuyori Shibata.JPG
基本情報
本名 柴田 勝頼
通称 狂拳レスラー
狂犬レスラー
烈士徇名
ザ・レスラー
喧嘩ストロングスタイル
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1979年11月17日(34歳)
出身地 三重県桑名市
所属 フリー
身長 183cm
体重 90kg
階級 ミドル級DREAM
ライトヘビー級HERO'S
スタイル レスリング
プロレス
テーマ曲 Takeover
LOW IQ 01
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柴田 勝頼(しばた かつより、男性、1979年11月17日 - )は、日本プロレスラー総合格闘家熊本県生まれ[1]三重県桑名市出身。フリーランス

プロレスラー、レフェリーとして活躍した柴田勝久は実父。

来歴[編集]

三重県立桑名工業高等学校時代はレスリングにて1997年全国高校生グレコローマン選手権81kg級に出場、2回戦で中邑真輔に敗れる[2]新日本プロレス後藤洋央紀は高校の同窓生。

レスリングの推薦で福岡大学への進学が決まっていたが、「大学に行ったら4年間プロレスラーになれない」との思いから高校の恩師と相談の上、恩師・父親と大学に出向き謝罪して推薦を取り消してもらい新日本プロレスの入門テストを受けた[3]

新日本プロレス[編集]

1998年に新日本プロレスに入門。1999年10月10日、井上亘戦でデビュー。ヤングライオン時代はその井上と共にジュニアヘビー級の路線に割って入り、IWGPジュニアタッグ王座に挑戦したことがある。シングルでも当時ケンドー・カシンが保持するIWGPジュニアヘビー級王座に挑戦するなど健闘を見せた。

2000年4月、第8回ヤングライオン杯の公式戦で対戦した福田雅一が事故死。

2002年4月、メキシコへ短期遠征するも、同年6月に目の治療により戦線を離脱する。11月に復帰し、マスクを被り天山広吉と乱闘を繰り広げる。

2003年より魔界倶楽部入りし、魔界4号として活動、ファイトスタイルは蹴りを主体としたスタイルへと変貌し、以後はヘビー級レスラーとして活動をしていく。

2003年11月3日、新日本プロレスのリングで天田ヒロミK-1ルールで対戦。ファーストダウンを奪うものの、膝蹴りでKO負け。

2004年5月3日、K-1戦士・武蔵とも異種格闘技ルールで対決。武蔵からテイクダウンを奪うものの「寝技制限20秒」というルールにより極められず、最後は左ハイキックでKO負け。

2004年5月15日、ブラジルで開催されたJungle Fight 2に参戦。初挑戦となった総合格闘技ルールでアイスマンと対戦し、肩固めで一本勝ち。

2004年初め頃から会社側の意向で、柴田・中邑真輔・棚橋弘至の3人が「新・闘魂三銃士」と呼ばれるようになるが、3人共にこのプランにあまり前向きではない反応を示し、特に柴田は「俺を新三銃士で括るな」と、頑なに拒絶していた。

新日本退団。ビッグマウス・ラウドへ[編集]

2005年1月、新日本プロレスと3度の契約更改交渉を行うも決裂、1月31日付で退団した。同年5月14日の新日本プロレス東京ドーム大会に登場するも、翌週、上井文彦の興行会社ビッグマウスと契約を結んだ。

2005年8月4日のビッグマウス主催大会「WRESTLE-1 GRAND PRIX 2005」に出場。プロレスリング・ノア秋山準と対戦し、13分46秒リストクラッチ式エクスプロイダーで敗北した。

2005年8月10日、ビッグマウスとは7月末に契約を満了し、8月からは関連会社で村上和成が代表を務めるビッグマウス・ラウドに移籍をしたと発表。

2005年11月5日、プロレスリング・ノア日本武道館大会にて、KENTAとタッグを組み初参戦。

2006年3月22日、前田・船木らの脱退騒動もあった「BIG MOUTH ILLUSION III」での門馬秀貴戦は、門馬のプロレスへの適応が高かったこともあり(プロレス参戦2戦目であった)、柴田のベストバウトと言われるほど評価が高い。

2006年7月2日、「BIG MOUTH ILLUSION VI」での佐々木健介戦で、ノーザンライトボムに受け身をとった際に佐々木の顔と柴田の膝が接触、後ほど佐々木は左眼窩底骨折と判明。

2006年8月20日をもって、ビッグマウス・ラウドを退団、フリーランスの形態(本人曰く「これから全て責任を取る」)で他団体に参戦していく意向を明らかにした。本人は「月に一回しか試合が無いことに不安を感じていた」とコメント。仲の良いKENTAが所属し、かねてより継続参戦を希望していたノアのリングがフリーとしての初戦となることが決定。

同年9月9日には、プロレスリング・ノア日本武道館大会にて、タッグマッチが組まれた(KENTAと組んで田上明潮﨑豪組と対戦し、勝利)。

総合格闘技[編集]

2007年3月1日、本格的に総合格闘技大会HERO'Sへの参戦を表明。また船木誠勝とともにチームARMSを発足させたことも明らかにした[4]。同3月12日、山本宜久と対戦し、1R開始9秒右フックでKO勝ち。HERO'S初戦を白星で飾った。試合後、谷川貞治HERO'S実行委員は柴田を「ダントツで良かった」「雰囲気がある。トーナメントに出したい」と絶賛した。また試合に向けて20kg以上の減量を行い85kgにまで絞り、脂肪を落とした格闘技戦向けの肉体に変化した。この試合に勝利した柴田は興奮状態のままコーナーポストに登り絶叫し続け、セコンドの船木に宥められる。この映像シーンは柴田の「狂犬レスラー」をイメージを決定づける場面として、その後もTV等で使われた。

2007年7月16日、HERO'Sでハレック・グレイシーと対戦。ハレックが体勢を崩した隙に一気に前に出るがハレックは無理やりテイクダウンを奪う。腕ひしぎ十字固めで一本負け。試合後、谷川貞治は「素質があるので、HERO'Sだけじゃなく、小さな大会でも海外でもいいから、とにかく試合経験を積んで強くなって欲しい」と話した。

2007年9月17日、HERO'Sで桜庭和志と対戦。入場花道を全力疾走し、途中で転倒し前回り受身を取ってリングイン、試合開始前にセコンドとして来場していたヒクソン・グレイシーから受け取った花束を観客席に投げるなど興奮状態で試合開始。桜庭にテイクダウンを奪われると終始パウンドを受け続け、最後は腕ひしぎ十字固めで一本負け

2007年10月28日、HERO'S KOREA 2007でホ・ミンソクと対戦。1Rの攻防でスタミナが切れ、2Rにパンチの連打を受けKO負け。

2008年5月11日、DREAM.3のミドル級グランプリ1回戦でジェイソン・"メイヘム"・ミラーと対戦し、マウントパンチによりTKO負け。

2008年7月21日、DREAM.5で自ら志願して秋山成勲と対戦し、袖車絞めで絞め落とされ一本負け。

2008年10月23日、DEEP初参戦となったDEEP 38 IMPACTで滑川康仁と対戦し、引き分けた。

2008年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜では桜井"マッハ"速人と対戦した。ゴングが鳴った途端、走って突っ込んで、マッハの顔面から流血させるなど抵抗するも一方的なマウントパンチを浴び続けTKO負けを喫した。試合後にマッハは「もっと経験を積めばチャンピオンを狙えると思います」と柴田を評価した[5]

2009年4月5日、DREAM.8ミノワマンとプロレスラー対決。随所にプロレス技を繰り出す展開で2R終了終盤にジャーマン・スープレックスを繰り出し判定勝ち。2年ぶりの勝利となった。

2009年9月、師匠・船木誠勝のプロレス復帰に伴い、ARMSから桜庭和志のチームLaughter7に移籍。

2009年10月25日、DREAM初のケージ開催となったDREAM.12で試合1週間前にオファーを受けた新日本プロレスの元レスラー石澤常光とプロレスラー対決。パウンドでTKO勝ちを収めた。

2009年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜のDREAM vs SRC 対抗戦での泉浩と対戦。総合デビュー2戦目の泉にスタンドで終始圧倒されて判定負けを喫した。

2010年6月6日、DEEP CAGE IMPACT 2010 in OSAKAでRYOと対戦し、0-3の判定負けを喫した。

2010年10月24日、DEEP 50 IMPACTで中西良行と対戦し、パウンドによるTKO負けを喫した[6]

2010年11月8日、K-1 WORLD MAX 2010 -70kg World Championship Tournament FINAL石井慧とDREAMルールで対戦し、アームロックで一本負けを喫した[7]。当初石井と対戦予定であったアンズ"ノトリアス"ナンセンが大会直前のドクターストップにより欠場となり大会前日になって参戦が発表されるほどの緊急参戦となった[8]

プロレス回帰[編集]

2011年12月31日、DREAM&IGFの合同興行「FIGHT FOR JAPAN ~元気ですか!!大晦日2011!!」に桜庭和志と共に参戦し、IGFの鈴川真一&澤田敦士組とのタッグマッチに挑んだ。柴田としては5年ぶりのプロレスルールでの試合であった。 試合は、桜庭が澤田からTKOを奪い勝利したが、柴田は試合中にドロップキックを放ち着地の際に左腕側から不自然な体勢で落下し左手首を骨折してしまった。

2012年8月12日 新日本プロレスの『G1 CLIMAX』最終戦、東京・両国国技館大会にお面をかぶった桜庭和志共に登場。マイクを持ち「喧嘩を売りに来ました。」とアピールした。

9月以降は桜庭と共に新日本の都市部の興行に限定して出場。9月23日、神戸大会では柴田にとって同期の井上亘と高橋広夢組から勝利。

10月8日、両国大会と、11月11日、大阪大会では柴田が新日本に入門した当時の野毛道場併設の寮の寮長であった直属の先輩真壁刀義と井上亘組とのタッグ戦がマッチメイクされ両試合とも柴田組が勝利。

大阪大会の試合後に柴田と真壁が乱闘になり、さらに真壁が柴田にシングルマッチでの決着戦を要求したため、2013年1月の東京ドーム大会での一騎打ちが決定した。

2013年、1月4日、東京ドーム大会で真壁との試合に敗れる。

2月10日、新日本広島大会にて、桜庭とのタッグで井上亘、後藤洋央紀組と対戦。旧友後藤とプロ入り後初対戦を果たす。試合後柴田、後藤共に指を1本立て一騎打ちを希望した。5月3日、福岡大会にてシングル戦で対決し両者KOで決着がつかず、翌6月22日、大阪大会においてPKでフォール勝ち。

8月G1 CLIMAXに9年ぶりに参戦。リーグ戦で後藤と同じブロックに入ったものの、後藤は棚橋戦での下顎骨折により離脱し対戦はかなわなかった。柴田は「早く治せ。復帰戦は俺がやってやる」とコメントした。

9月8日、WRESTLE-1の旗揚げ戦に桜庭和志とのタッグで船木誠勝河野真幸組の対戦相手Xとして参加した。

10月14日両国大会では石井智宏に牛殺し、11月9日大阪大会では本間朋晃に昇天といずれも後藤の技を決めて勝利する。

12月7日、7年ぶりにプロレスリング・ノアに参戦。親友のKENTAからの依頼でマイバッハ谷口への制裁マッチとなった。一時はマイバッハの反則負けとなったものの、引き上げていくマイバッハをKENTAが引き戻し再試合となり、マイバッハのマスクを剥いだ上でスリーパーホールドで勝利を収めた。

12月8日名古屋大会では第一試合で小松洋平に格の違いを見せつける圧勝、その後休憩前にリング上に上がり、東京ドーム大会での復帰を宣言した後藤が柴田との対戦を要求すると、柴田も1本指を出し対戦を示唆した。

2014年、1月4日東京ドーム大会において、下顎骨折から復帰した後藤とシングルマッチで対戦し敗れた。

3月6日旗揚げ記念日興行において後藤と組んでIWGPタッグ王者であるカール・アンダーソンドク・ギャローズ組にノンタイトル戦ながら勝利。

3月に開催されたNEW JAPAN CUPに初出場。1回戦ではカール・アンダーソンを下し、週刊プロレスの表紙で「渦巻く柴田待望論」と書かれるほどだったものの、2回戦でシェルトン・X・ベンジャミンに敗れた。

4月6日INVASION ATTACK両国大会において、後藤と組んでアンダーソン&ギャローズ組の持つIWGPタッグ王座に挑戦するものの敗れた。

ファイトスタイル[編集]

新日本 - BML前田在籍[編集]

魔界倶楽部の一員として復帰して以降はキックを主体としたシュート系スタイルで、テレビ、雑誌等では喧嘩ストロングスタイルと呼ばれる。負けても、体が動かなくなっても、立ち上がって相手に向かっていこうとする姿勢は、藤田和之等の先輩レスラーも賞賛の言葉を送った。その代表例が天龍源一郎であり、柴田のことを可愛がっていた。柴田が新日を退団した際、天龍は「柴田くらい負けん気のある若い奴はいない」と語っていた。「技が軽い」、「プロレスが出来ない」などの声もあったが、新日時代は中邑や棚橋と活気に溢れたファイトを展開し、上記の天龍、藤田のような格上の選手相手にも印象に残る試合をしていることからも潜在的な高いセンスを彷彿とさせた。柴田は理想の試合として、1995年10月9日に行われた「新日本VSUWFインター全面戦争」の第1試合、永田裕志石澤常光 vs. 桜庭和志金原弘光戦を挙げている。柴田は「これこそがプロレスなんだ!って思いましたね。この試合を見てプロレスラーになろうと決めました」と語っている[9]

BML前田撤退 -[編集]

柴田の肉体とファイトスタイルはこの頃から変化し、船木の指導により肉体は作り替えられ、二人三脚で「ステロイド剤などを一切使わずに、脂肪ではなく筋肉だけを付けて身体を大きくする」ことを目標に練習を行った。第2回興行の頃からパンクラス時代の船木のように手足が長く見えるようになり(船木曰く「これが理想的な肉体」)、第4回興行以降は今までになかったキレのある動きができるようになった。またクラシカルな動きも随所に取り入れ、そのレスリングの幅も広がっていった。なおこの頃よりアントニオ猪木を意識した動きを各所に見せるようになる。2005年よりほぼ同じファイトスタイルのKENTAとタッグを組むことになり、ノアへの継続参戦が予想されたが、スタイルの方向性の違いからかリング上では一時期距離を置いていたものの、KENTAとの交流自体は続いており、自身の技を伝授するなどしていた。

戦績[編集]

総合格闘技[編集]

総合格闘技 戦績
16 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
4 2 1 1 0 1 0
11 5 4 2 0
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
× 桜井隆多 2R 3:04 TKO(パウンド) DEEP 55 IMPACT
【DEEPミドル級王者査定試合】
2011年8月26日
× 石井慧 1R 3:30 アームロック K-1 WORLD MAX 2010 -70kg World Championship Tournament FINAL 2010年11月8日
× 中西良行 1R 4:06 TKO(パウンド) DEEP 50 IMPACT 〜10年目の奇跡〜 2010年10月24日
× RYO 5分3R終了 判定0-3 DEEP CAGE IMPACT 2010 in OSAKA 2010年6月6日
× 泉浩 5分3R終了 判定0-3 Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜 2009年12月31日
石澤常光 1R 4:52 TKO(左フック→パウンド) DREAM.12 2009年10月25日
ミノワマン 2R(10分/5分)終了 判定3-0 DREAM.8 ウェルター級グランプリ2009 開幕戦 2009年4月5日
× 桜井"マッハ"速人 1R 7:01 TKO(マウントパンチ) Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜 2008年12月31日
滑川康仁 5分3R終了 判定0-0 DEEP 38 IMPACT 2008年10月23日
× 秋山成勲 1R 6:34 袖車絞め DREAM.5 ライト級グランプリ2008 決勝戦 2008年7月21日
× ジェイソン・"メイヘム"・ミラー 1R 6:57 TKO(マウントパンチ) DREAM.3 ライト級グランプリ2008 2nd ROUND
【ミドル級トーナメント 1回戦】
2008年5月11日
× ホ・ミンソク 2R 1:31 KO(右フック) HERO'S KOREA 2007 2007年10月28日
× 桜庭和志 1R 6:20 腕ひしぎ十字固め HERO'S 2007 〜ミドル級世界王者決定トーナメント決勝戦〜 2007年9月17日
× ハレック・グレイシー 1R 3:05 腕ひしぎ十字固め HERO'S 2007 〜ミドル級世界王者決定トーナメント開幕戦〜 2007年7月16日
山本宜久 1R 0:09 TKO(右フック→パウンド) HERO'S 2007 開幕戦 〜名古屋初上陸〜 2007年3月12日
アイスマン 1R 0:52 肩固め Jungle Fight 2 2004年5月15日

キックボクシング[編集]

キックボクシング 戦績
1試合 (T)KO 判定 その他 引き分け 無効試合
0 0 0 0 0 0
1 1 0 0
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
× 天田ヒロミ 2R 2:08 KO(3ノックダウン:膝蹴り) 新日本プロレス YOKOHAMA DEAD OUT 〜死線を越えた闘い〜
【K-1ルール】
2003年11月3日

得意技[編集]

打撃技[編集]

キック
ローキック、ミドルキックを主に使用する。
P.K.
スリーパーホールドで相手に尻餅をつかせ、スリーパーを解いてロープへ走り、勢い良く胸板へサッカーボールキックを放つ。技名はサッカーのペナルティキックから。
エフケー (FK)
片膝着き、うつ伏せ等、相手の状態を問わずに決めるロープに走ってのサッカーボールキック。技名はサッカーのフリーキックから。
ジーケー (GK)
うつ伏せに倒れている相手の顔面を狙ったサッカーボールキック。技名はサッカーのゴールキックに「顔面」の意味をかけた。
ドロップキック
コーナーで倒れている相手に向かって対角線から走りこんで高く飛び上がりつつ着弾点は低く相手を踏みつけるように決める。KENTAの指導を受けて取得したためKENTAの技と同じようなフォームになっている。

投げ技[編集]

go 2 sleep
ファイヤーマンズキャリーの体勢で抱え上げ、目の前に落とすと同時に胸元、もしくは顔面にかちあげるように膝蹴りを見舞う技。2013年のG1クライマックスに向けて親友であるKENTAと合同練習した際に直接伝授されている。2014年のG1からは、PKへ繋ぎやすいよう90度横に旋回させて蹴りを見舞う形になっている。
高角度ペディグリー
ダブルアームの体勢から相手を持ち上げつつジャンプし、顔面をマットに叩きつけていく。トリプルHの持ち技として有名。
ヘルヘイム
アティテュード・アジャストメントと同型。
デス・パニッシュ
F5(バーディクト)と同型。
武者返し
主にカウンターで使用。両腕をしっかりクラッチするようにして投げる変形のSTO。魔界4号の時は魔界カッターと呼ばれる。YAMATOも同名の技を使用するが、何れも別の技である。
牛殺し
盟友後藤洋央紀の得意技。ファイヤーマンズキャリーの体勢からサイドにスローしつつ自らの左膝を立て、その立てた膝に相手の頭部を打ち据える変形ネックブリーカー。
昇天
これも後藤の得意技。ブレーンバスターの体勢で相手を持ち上げ、その後振り子の要領で前方に放りロックボトムのような体勢で相手を叩きつける。

締め技・関節技[編集]

スリーパーホールド
スタンディング式の同技から尻もちを付かせP.K.へ繋ぐ印象が強いが、グラウンドで締め続けたり胴締め式に移行する場合もある。
腕極め袈裟固め(鬼殺し)
腕を両足に挟んだ状態で決めるプロレス式の袈裟固め
獣神サンダー・ライガー矢野通も同名の技(鬼殺し)を使うが、何れも別の技である。
チキンウィングフェイスロック
片腕を羽交い絞めにした状態で極めるフェイスロック
トライアングル・アームバー(柴田クラッチ)
裏十字の形で、相手の首に三角絞めの要領で足を絡めて腕を伸ばす。横三角絞めとも言われる。船木とのスパーリングでトライアングル・アームロックを受けてこの技を使うようになったという。
八方塞がり(仮)(腕極め式卍固め
腕ひしぎ十字固め

合体技[編集]

ダブル牛殺し
後藤洋央紀との合体技。相手をコーナーに乗せ、2人がかりでデッドリードライブをかける要領で相手をリング内に投げつつ互いの膝を立て、立てた膝に相手の頭部を叩きつける。
スイカ割り
後藤洋央紀との合体技。後藤がファイヤーマンズキャリーの要領で相手を持ち上げ前方に投げ、柴田が膝蹴りで追撃をかける、2人でかけるgo 2 sleepのような技。杉浦貴&高山善廣も同型の合体技を使用している。技名の由来はIWGPタッグ王座挑戦の際に対戦相手のドグ・ギャローズのフェイスペイントをスイカに例えて「ギャローズを叩き潰す→スイカみたいな物を蹴り飛ばす→なら技名はスイカ割りでいいか。」という理由から。

人物[編集]

  • プライベートでは酒好きとして知られ、レスラーの結婚披露宴で度々泥酔している姿が確認されている。酔うとすぐに服を脱ぐとKENTAにコメントされており、酒癖が悪い。
  • 前述の通り後藤洋央紀とは高校の同級生だが、後藤が大学卒業後に新日本プロレスに入団したのに対して柴田は高校卒業と同時に新日本に入団したため、プロレスラーとしては柴田が4年先輩である。他にも中邑真輔田口隆祐が同い年の後輩であり、棚橋弘至鈴木健想も柴田より年上だが1年後輩に当たる。また柴田の同期である井上亘は柴田より6歳年上である。 
  • 後藤が練習中の負傷で一度新日本を退団した際には、柴田は自分の家に後藤を居候させてリハビリを助けた。

脚注[編集]

  1. ^ 週刊プロレス』2013年8月31日増刊号 頁71, - 74, 掲載「レスラーヒューマンストーリー〈157〉~柴田勝頼編 頁72,74
  2. ^ プロへ進んだ主な選手 日本レスリング協会ホームページ
  3. ^ 『週刊プロレス』2013年8月31日増刊号 頁71, - 74, 掲載「レスラーヒューマンストーリー〈157〉~柴田勝頼編 頁73,
  4. ^ 船木誠勝氏、指導者として総合界本格復帰 BoutReview 2006年3月1日
  5. ^ Dynamite!! 第10試合/DREAMウェルター級80.0kg以下 DREAM公式サイト 2008年12月31日
  6. ^ 【DEEP】死闘!菊野が帯谷を判定で退ける、青木&ミノワマン&長南は快勝 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年10月24日
  7. ^ 【K-1MAX】佐藤嘉洋、無念…決勝戦で力尽きる!ペトロシアン史上初の2連覇を達成 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年11月8日
  8. ^ 【K-1MAX】11・8石井慧の相手が急遽変更!プロレスラー柴田勝頼との対戦に 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年11月7日
  9. ^ 桜庭和志と一騎打ち!! 柴田勝頼インタビュー HERO'S公式サイト 2007年9月4日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]