YAMATO (プロレスラー)

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YAMATO
YAMATOの画像
プロフィール
リングネーム YAMATO
小野寺大和
フードコーディネータードラゴン
本名 小野寺 正人
ニックネーム 微笑みのサイコ・キラー
全知全能
身長 172cm
体重 82kg
誕生日 1981年9月10日(33歳)
出身地 岩手県一関市
所属 DRAGON GATE
スポーツ歴 野球総合格闘技[1]
トレーナー 望月成晃
新井健一郎
デビュー 2006年7月29日
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YAMATO(やまと、男性、1981年9月10日 - )は、日本プロレスラー。本名は小野寺 正人(おのでら まさと)。岩手県一関市出身。DRAGON GATE所属。総合格闘技を経験しており、キレのあるグランドテクニックと綺麗なブリッジを見せる。

経歴[編集]

和術慧舟會を経てDRAGON GATEに入門。小野寺大和リングネームで2006年7月29日京都KBSホールにて対神田裕之でデビュー[1]。デビュー直後にFinal M2Kに見習いとして加入し、オープン・ザ・トライアングル・ゲートのリーグ戦に出場する。

2007年にはNEX-1 トーナメントで優勝を果たし、試合後にはアメリカへ修行に行くと宣言。その後5月7日のSITE-KOBE大会にて日本に帰国。同時にリングネームもYAMATOに変更した。鷹木信悟率いるNEW HAZARDに所属する。しかし6月に左肩を脱臼し長期欠場。同年9月14日の後楽園大会で、B×Bハルクと共に10月12日の後楽園大会での復帰を宣言。それに合わせて9月からハルクとの海外遠征で一足早く復帰した。

2008年から、斎藤了CIMA、さらには同門のハルクに対しても、執拗に敵意を燃やすようになる。2月3日にオープン・ザ・ドリームゲート選手権試合に敗北したGammaと謎の握手をする。3月7日、NEW HAZARD対マッスル・アウトローズの大江戸式カウントダウン・イリミネーションマッチ後(試合はNEW HAZARDの勝利)にDRAGON GATE復帰を表明した、谷嵜なおきに対して真っ先に異を唱え、3月20日にシングルマッチで対決するが敗北。しかしその後に和解・共闘していくことになる。

4月13日、仲間割れしていたハルクとシングルマッチで激突し、試合は神田裕之の乱入があったものの勝利。試合後、ハルクと和解し握手をする。4月17日、共闘していた谷嵜なおきとのタッグでGamma&堀口元気と対戦するが、谷嵜を裏切りマッスル・アウトローズに加入、ハルクの髪を切り、サイバー・コングのマスクを剥ぐ暴挙に出た。そして5月14日に鷹木信悟サイバー・コングも合流し、REAL HAZARDでの活動を開始。同日、自身初のタイトルとなるオープン・ザ・トライアングル・ゲート王座を獲得(パートナーは鷹木信悟、Gamma)[2]

6月6日、オープン・ザ・トライアングル・ゲート王座選手権試合にて、望月成晃ドン・フジイマグニチュード岸和田組と対戦、望月から勝利を奪い初防衛。その望月とは6月12日の後楽園大会で今度はシングルマッチを行うが敗退。6月28日、戸澤塾新井健一郎岩佐拓組に敗れ、トライアングルゲート防衛に失敗するが、7月12日にはGamma、神田をパートナーに再びトライアングルゲートを獲得し、7月27日には、4wayマッチでの防衛に成功した。

8月にはSummer Adventure Tag Leagueでサイバーをパートナーに出場し、新井&岩佐組に敗北した以外は全勝し、リーグ戦首位で決勝トーナメントに勝ち上がったものの、準決勝でドラゴン・キッド&鷹木組に敗れる。また、この頃からフジイとの確執が始まる。9月20日、ドン・フジイとノーピープルマッチで激突するが敗北。10月5日、サイバー・コングをパートナーに土井成樹吉野正人の持つオープン・ザ・ツインゲート統一タッグ王座に挑戦し、勝利。第5代王者となった[3][4]

2009年1月18日、REAL HAZARDからGammaを追放し、新たなリーダーとなった。1月23日にはかつての同僚、鷹木信悟とノーロープマッチで勝利。6月、新日本プロレス主催のベスト・オブ・ザ・スーパージュニアへ参戦。獣神サンダー・ライガー(3日)、金本浩二(11日)に勝利したが、リーグ戦2勝4敗で予選で敗退。新日本参戦前からGamma、ダークサイドハルク、フジイ、鷹木と立て続けにシングルマッチで敗れた上にREAL HAZARDの他のメンバーと誤爆を繰り返すなど不和が続き、鷹木戦後の「思い残すことはもうない」などの発言やスーパージュニア終了後も欠場を繰り返していたことから週刊誌などで退団が囁かれていたが、6月26日の関西テレビなんでもアリーナ大会に登場しREAL HAZARD脱退と鷹木との共闘=KAMIKAZE加入を表明(欠場は膝の負傷が原因)。7月19日にその鷹木と組んでオープン・ザ・ツインゲート統一タッグ王座に挑戦するも敗れた。Summer Adventure Tag Leagueには鷹木信悟と組んで出場し優勝を果たし、前王者組にリベンジし斎藤了をギャラリアで仕留め、第8代王者組になった。

2010年3月、両国国技館での土井成樹との試合で土井の必殺技マスキュラーボムを喰らいながらも耐え凌ぎ、最後はギャラリアで勝利。8度防衛していた土井から自身初のシングル王座となるオープン・ザ・ドリームゲート王座を奪取し、第11代王者となった。またデビュー後3年8ヶ月でのドリームゲート王座戴冠はスピード記録である。その後横須賀、鷹木、望月の挑戦を退けるも、7月11日神戸大会で吉野正人に敗北した[3][5]

2011年1月28日、DGUSA・ニューヨークマンハッタン大会でB×Bハルクを破り、オープン・ザ・フリーダムゲート王者になる。10月16日大阪大会の金網サバイバル6WAYマッチにてエスケープ失敗。マスカラ・コントラ・カベジェラ戦だった為、自慢の長髪を丸坊主にされた。

2012年に鷹木、富永千浩三代目超神龍とともにユニット「暁 〜AKATSUKI〜」を結成。7月には鷹木とのタッグでツインゲート王座を獲得した。その後土井吉から防衛を果たすも望月・フジイ組に敗れて王座を明け渡した。

2013年5月の愛知大会で鷹木とのタッグでツインゲートを獲得したが、6月のタイトルマッチで鷹木を裏切りMAD BLANKEY入り。8月1日にはユニット解散マッチで暁を解散に追い込み、MAD BLANKEYから戸澤を追放した。さらに8月23日には因縁の鷹木に勝利し2度目のドリームゲート王座戴冠を果たした。9月には斎藤"ジミー"了の挑戦を退け、10月6日にはトライアングルゲート王座も獲得し2冠を達成するも、10月10日に吉野正人に敗れてドリームゲート王座陥落。12月にはミレニアルズに敗れてトライアングルゲート王座を手放したが、直後にツインゲート王座を獲得するなどベルトに絡む活躍を続ける[1][2][3][4][5]

2014年5月5日愛知大会でリコシェに勝利し、3回目のドリームゲート王座戴冠を果たした。直後のKING OF GATE2014では1回戦で堀口元気H.A.Gee.Mee!!に敗れたが、ドリームゲート防衛戦の対戦相手に指名して勝利、雪辱を果たした。さらにKING OF GATE覇者のジミー・ススムにも勝利して王座を防衛している[5]

得意技[編集]

持ち技が豊富。バックボーンが総合格闘技のため、DRAGON GATEでは珍しいグラウンド技が主である。

ギャラリア
リバースのブレーンバスターの状態から持ち上げての開脚式ツームストーン・パイルドライバーTAKAみちのくのみちのくドライバーβと同型であり代表的なフィニッシュ技。
CBV(Cross Bone Vanguard)
うつぶせの相手を、サイドから片羽締めの要領で、片腕を巻き込んで締め上げるフェイスロック。TAKAみちのくのジャストフェイスロックのように、相手の体を強引にのけぞらせつつきめる。技名は機動戦士ガンダムF91に登場する敵組織の名前から。
胴締めスリーパーホールド
総合格闘技のスキルが反映された技。大一番で奥の手として使用され、CIMAや望月成晃もこの技で絞め落として勝利したことがある。また、この技で意識が遠のいた相手をスープレックスで後ろへ叩きつける「逆落とし」も繰り出す。
スピアー
武者返し
スピアーで相手を倒してから、そのまま固める。井上亘のスピアー・オブ・ジャスティスと同型。
ヒダルゴ
相手を斜めにおんぶするように担ぎ、そのまま旋回して放つ変形フェイスバスター。技名の由来は明らかになっていないが、アメリカのニューメキシコ州にヒダルゴという郡が存在しているため、アメリカ遠征の経験があるYAMATOが、ここから名付けたと思われる。最近は全く使用しない。
エルボー・スマッシュ
左右連続でたたみかけるパターンを多く使用する。
フランケンシュタイナー
元々得意技ではあったが、MAD BLANKEY加入後は「全知全能のフランケンシュタイナー」として特に多用するようになった。どんな劣勢からでも一発でひっくり返すフィニッシュホールドである。
ドロップキック
打点が高く顔面を確実に撃ち抜く。とりわけ相手をコーナーに据えての串刺し式を得意としており、一撃で試合の流れが変わるほど。
垂直落下式ブレーンバスター
ジャーマン・スープレックス
ドラゴン・スクリュー
デスバレーボム
タイガードライバー
クロス式STF

タイトル歴[編集]

その他[編集]

  • アメリカ修行から帰国後、デビューまで着用していた『下克上』の文字が入った青のタイツから赤色のショートタイツに変更。日焼けしてビルドアップした肉体、あごひげを蓄える等、ワイルドなイメージになっている。
  • 鷹木信悟からは『YAMAMOTO』と呼ばれている。由来は山本五十六から。
  • DRAGON GATEでは珍しくシュートタイツを着用している。また、入場時には前垂れを着けているが試合中に外している。
  • ガンダム日本史AKB48が好きである[1]
  • 昔ファンだった選手が他団体の選手との頂上決戦に負けた時に、ショックのあまり裸足のまま夜の町に飛び出したことがある。
  • 実家はリズム食堂。カツ丼の味は濃い。
  • 調理師免許を取得している。2012年末にはフードコーディネーター3級の資格も取得した。
    • この経緯からヒールターンまでは道場の食事担当をしていた。プロレス団体の道場のちゃんこ番と呼ばれる食事担当は基本的に新人や練習生が担当する為、トップ級の選手が担当しているのは珍しいケースであった。
    • オフィシャルブログに加え、料理のブログも開設している。
  • 試合前に覗きこむ鏡はプレゼントされたものである。
  • 全知全能」を自称し、ナルシストキャラクターを演じるため、しばしば対戦相手がポーズをまねて挑発する。また英語がわからなかったため、戸澤陽から「全知全能、でも英語はちょっと苦手」とおちょくられた。
  • 岡村隆志社長はベルトの調印式のとき必ずYAMATOと対戦する側の選手を応援してYAMATOとは肩を組むことはない。

出演[編集]

Web[編集]

関連項目[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c d 「2014プロレスラー カラー写真名鑑」p.12、週刊プロレスNo.1714、2013年12月5日増刊、ベースボール・マガジン社
  2. ^ a b DRAGON GATE データベース> オープン・ザ・トライアングル・ゲート2014.5.8閲覧
  3. ^ a b c 週刊プロレスEXTRA vol.9「ドラゴンゲート大百科」2013年11月5日、ベースボール・マガジン社
  4. ^ a b DRAGON GATE データベース> オープン・ザ・ツイン・ゲート2014.5.8閲覧
  5. ^ a b c DRAGON GATE データベース> オープン・ザ・ドリーム・ゲート2014.5.8閲覧

外部リンク[編集]