原田大輔

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 原田大輔
 原田大輔の画像
プロフィール
リングネーム 原田大輔
本名 同じ
ニックネーム ヤングマスター
身長 168cm
体重 90kg
誕生日 1986年11月13日(28歳)
出身地 大阪府吹田市片山町
所属 プロレスリング・ノア
スポーツ歴 レスリング
デビュー 2006年8月5日
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原田大輔(はらだ だいすけ、1986年11月13日 - )は日本のプロレスラー大阪府吹田市出身。プロレスリング・ノア所属。

経歴[編集]

小学5年の時に、兄が遊んでいたテレビゲーム「闘魂列伝」でプロレスの存在を知る。それからしばらくして98年の新日本プロレス東京ドーム大会の長州力の引退試合からプロレスを観るようになる。

中学卒業前に本格的にプロレスラーになることを決意。中学時代はスポーツ経験がなかったが、レスラーになるため高校でレスリング部に入部。高校3年の時大阪府高校春期大会60kg級で優勝。

高校卒業前に大阪プロレスのプロレス学校に入り、そのまま入門。

2006年8月5日、大阪デルフィン・アリーナにて小峠篤司戦でデビュー。

2007年5月、第2回上方プロレス新人大賞優勝。

7月27日、プロレスサミット大会にて佐々木貴とシングルで対戦。試合には敗れるも当時のBJWデスマッチヘビー級王者相手に物怖じせずに向かっていき大健闘する。

10月14日からKAIENTAI-DOJOにて1か月間参戦。

11月4日、国際武道大学にてSTRONGEST-王者真霜拳號とシングルで対戦。

大晦日のプロレスサミットでは元三冠王者の鈴木みのると対戦するという大チャンスに恵まれる。

ゼウス小峠篤司タダスケと共に「BLOOD&GUTS」を結成し、活動。

2010年2月11日、小峠篤司とのタッグ「桃の青春タッグ」で秀吉政宗組を破り、レスラー人生初のタイトルを獲得した。

2010年10月、第4回日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦に小峠篤司とタッグを組んで出場。

2011年1月15日、プロレスリング・ノア丸藤正道&青木篤志が保持するGHCジュニアヘビー級タッグ王座に小峠篤司と組んで挑戦するも惜しくも敗戦。

2011年12月18日、大阪プロレス最強決定トーナメント天王山初優勝。

2013年4月29日のIMPホール大会を以って大阪プロレスを退団、小峠篤司を追う形でプロレスリング・ノアへ移籍することをエンディングで自ら発表した[1]

2013年5月2日、プロレスリング・ノア入団。

2014年1月12日よりNO MERCYに加入する。

2014年3月8日、有明コロシアム大会で石森太二とGHCジュニア・ヘビー級選手権試合で勝負し勝利し27代王者となる。

人物[編集]

  • 高校時代レスリングの試合中に対戦相手にジャーマンを仕掛けたことがある。それが高得点で、気持ちよかったということでプロレス入りしたらジャーマンを使おうと決意した。
  • インタビューでこれからについて聞かれ、他団体の巡業に参加し、ワンシリーズ全戦参加したいと語った。
  • 高校時代から薄毛を気にしていた。
  • そのため、レスリングの試合で60kg級に出場するため減量をしていたが、当日になって200gオーバーのため、トイレに行っても間に合わなかったが、周りに髪を坊主にすれば大丈夫と言われたが切るのを断ったため、減量失敗に終わったことがある。

得意技[編集]

片山ジャーマンスープレックス・ホールド
プロレス界でも屈指の美しさと威力を誇るジャーマンスープレックスホールド。高山善廣が使うとエベレストジャーマン、中西学が使うと富士山ジャーマンということで自らの出身地片山町から名付けた技である。
ハーフハッチスープレックスホールド
フロントスープレックス
ニーアッパー
命名者は当時プロレス観戦記をミクシィにアップしていた現道頓堀プロレスのTORUが命名していて原田は名前を付けていなかった。
ダイビング・フットスタンプ
ダイビングエルボードロップ

入場曲[編集]

獲得タイトル[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]