大阪プロレス

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大阪プロレス株式会社
OSAKA Pro-Wrestling co.ltd
種類 株式会社
本社所在地 660-0893 
兵庫県尼崎市西灘波町4-6-30
朝日プラザアペックスコート309号
設立 1999年3月4日
業種 サービス業
事業内容 プロレス興行
代表者 代表取締役会長 阪上雄司
資本金 4554万円
従業員数 4人
主要株主 阪上雄司
関係する人物 スペル・デルフィン(創業者)
外部リンク 大阪プロレス公式サイト
特記事項:大阪オフィスは大阪府大阪市西区靭本町3-8-5 松本ビル10階
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大阪プロレス(おおさかプロレス)は、大阪を中心に活動するプロレス興行会社

概要[編集]

1999年みちのくプロレスを退団したスペル・デルフィンが、自らの出身地である大阪に設立したプロレス団体である。旗揚げ戦は1999年4月29日大阪のなみはやドームで行われた。大阪を拠点とするプロレス団体は全日本プロレス協会以来43年ぶりとなる。

大阪市内に常設会場を構え地元の大阪色を強く打ち出している。えべっさんくいしんぼう仮面のような大阪名物をモチーフにした覆面レスラーが多く、楽しさを中心においたコメディ色の強いお笑い試合を行う一方、ルチャリブレの要素を多く取り入れたスピーディーなプロレスを行っている。なお、老若男女誰もが楽しめるように流血や危険な凶器攻撃を禁止している。大阪プロレスのロゴは、デルフィンが「開運!なんでも鑑定団」に出演した時に石坂浩二に直談判してデザインしてもらったものである。

2003年からは、吉本興業とマネジメント契約を結んでいる。ファミリー層を中心とした客層を獲得しているが数度の大量離脱やフェスティバルゲートの倒産に見舞われ、かつて確執のあったみちのくプロレスと対抗戦を行なうなど団体としては正念場を迎えた。

長年正規軍とルード軍(LOV→FLUXxx→岸和田愚連隊→武侍漢:ぶらいかん→ベンダバル)の抗争が売りで、特にブラックバファローはルード軍のわずかな消滅時期を除き一貫してルードとしてデルフィン等と対決してきた。しかし2006年からはみちのくプロレスからGAINAとレフェリーのテッド・タナベを移籍させた事に、ベンダバルだけでなくNew Regular Membersの選手達からもデルフィンを批判する意見が飛び交う。そのGAINAはデルフィン派から離脱、新ルード軍「バッドフォース」を結成し、主にベンダバルとの抗争が激化していたが、ベンダバルも解散し、正規軍とバッドフォースの本来の善悪抗争が主流となっている。なおもともとスキルの優れているレフェリーのテッド・タナベも正統に試合を裁いていた。

土日祝に行われる興業は、内容によって大きく二種にわけられ、だいたいの場合1大会5試合で構成されている。

  • SATURDAY NIGHT STORY : 通称サタナイ。土曜日に主に行われ、正規軍とルード軍の抗争試合などの連続ドラマ的要素などの試合が主軸となる。通常の試合が3試合、楽しい試合が2試合の構成が多い。
  • 大阪HOLIDAY PARADISE : 通称ホリパラ。日祝日に主に行われ、楽しさを前面に押し出している。通常の試合が2試合、楽しい試合が3試合の構成が多い。

かつては讀賣テレビ放送2004年9月撤退)で中継が行われていて、現在はスカイ・A2006年3月から終了していたが2006年10月から再開)で中継が行われている。2006年6月1日からは動画配信ブログが開設された。

また、2006年9月16日、社長でもあるスペル・デルフィンが、将来的に株式上場を視野に入れていることを公表した。まず未上場企業向け証券市場「グリーンシート」への申請手続きを行い、これが認められれば1億円未満の金額で資金調達が可能となるため、その資金で有力選手を招聘して興業レベルを向上させる計画となっている。9月20日から一般への株式購入の先行募集を開始している。

2007年10月には、デルフィン以下大阪プロレスの所属レスラーが多数登場するパチンコ機「CR大阪プロレス」(奥村遊機)が発売された。

2010年3月21日には女子部門とも言うべき「OSAKA女子プロレス」が旗揚げされた。旗揚げに先立ち、大阪プロレスのリングでエキシビションを実施。また、大阪プロレスからはポリスウ〜メンが移籍した他、大阪プロレス教室出身の下野佐和子もOSAKA女子プロレスでデビューさせた。

2003年以降、毎年2月には年間最大の興行「大阪ハリケーン」が行われている。2004年の大阪ハリケーンではスーパーJカップを開催。大阪城ホール大阪府立体育会館第一競技場での興行は実現したが、デルフィンが旗揚げ当初からいつかはやりたいと言っていた大阪ドームでの興行は未だ実現していない。

2014年3月1日、全試合終了後に後述する常設会場が閉鎖される4月20日を最後に所属選手及びレフェリー、リングアナウンサー全員が退団し、所属なしになることが発表された[1]

4月29日、15周年記念IMPホール大会は新体制での興行会社としてスタート。今後は主に大阪在住フリーランス選手のサポートの下で区民センターなどでの大会を中心に活動していく。

なお2013年より先駆舎との提携で「大阪プロレスエクスパンドショー」を「魔界少女拳」と「サラリーマンプロレス」の2本立てで開始したが、2014年の団体活動休止に伴い「サラリーマンプロレス」は終了、「魔界少女拳」は先駆舎の単独開催に移行され、加えて同社は元大阪プロレスの一部選手及びレフェリーと契約してプロレス本格参入した。

常設会場[編集]

大阪プロレスは、国内で日本プロレス以降では初めて団体専用の常設会場を持った団体である。

  • 大阪デルフィン・アリーナ( - 2007年8月)
  • デルフィン・アリーナ道頓堀(2007年9月 - 2009年)
  • 大阪ミナミ ムーブ・オン アリーナ(2009年 - 2012年10月 デルアリ道頓堀からの名称変更)
  • ナスキーホール・梅田(2012年11月 - 2014年4月 旧梅田ピカデリー2

常設会場は、最初は大阪市浪速区フェスティバルゲート内に「大阪デルフィン・アリーナ」の愛称で置かれていたが、フェスティバルゲートの今後の動向が不透明であることから、2007年8月をもってフェスティバルゲートから撤退し、同年9月8日に新たな常設会場として道頓堀に「デルフィン・アリーナ道頓堀」を開設した(同じフェスティバルゲート内にあった本社機能も同時に移転)。またそれに伴い、運営母体である「大阪プロレス株式会社」の代表取締役会長に、関西を地盤に焼肉店「喰喰」などを展開するハンジョー株式会社社長の阪上雄司が就任することも発表された。

その後、スペル・デルフィン沖縄プロレスを立ち上げそちらの経営に事実上専念する形となり、大阪プロレスの興行にほとんど出場しなくなったこと、また団体が2009年に設立10周年を迎えることから、2009年に入り会場の新名称の公募を行ったうえで、同年5月に名称を「大阪ミナミ ムーブ・オン アリーナ」へ改名している[2]

アリーナでは原則として月曜日を除く毎日興行が打たれており、週1回は平日昼間にも行われている。

2012年10月20日を最後に大阪ミナミ ムーブ・オン アリーナを閉鎖。同年11月17日に梅田ピカデリー2のあったプラザ梅田ビル8階部分に新会場「ナスキーホール・梅田」をオープンさせた[3]。移転後は定休日が火曜日に変更された。しかし、他団体利用の減少や大阪プロの観客動員伸び悩みを理由に2014年4月を以って閉鎖し、巡業形態に移行することを発表した[4]

なおムーブ・オン アリーナは2013年より「道頓堀アリーナ」と改められ、同年に退団した空牙が旗揚げしたプロレス団体「道頓堀プロレス」などで使用されていたが、ナスキーホールより一足早い2014年3月を以って閉鎖されることになった。

タイトル[編集]

大阪プロレスが管理する王座
タイトル 保持者 歴代 防衛回数 次期挑戦者
大阪プロレス王座 空位
大阪プロレスタッグ王座 空位
大阪プロレスバトルロイヤル王座 空位
大阪プロレスお笑い王座 空位
大阪名物世界一王座 くいしんぼう仮面 第17代
天保山グランプリ王座 空位
世界タコヤキ級王座 空位
大阪プロレスが開催するリーグ戦、トーナメント戦
タイトル 覇者 年代
大阪タッグフェスティバル
天王山〜誰が一番強いねん!トーナメント〜

参戦選手[編集]

過去の所属選手[編集]

過去のスタッフ[編集]

故人[編集]

フリー、他団体参戦選手[編集]

試合中継[編集]

CSのスカイ・A SPORTS+にて月1で「それいけ!大阪プロレス」を放送。

嘗ては地上波関西ローカル読売テレビで多くの吉本興業の芸人を起用した「爆RING」を放送されていた。「爆RING」の終了後も番組名を変え番組が続いたが現在は地上波では放送されていない。

沖縄プロレス[編集]

沖縄プロレスは、2007年春にスペル・デルフィンが応募した沖縄県が支援する「ベンチャービジネスサポート事業」の一環として採択される。沖縄産業振興公社のバックアップもあり、大阪プロレスの傘下団体「沖縄プロレス」を設立。同年7月に旗揚げ。2012年デルフィンの大阪府和泉市議員出馬のため事務所を和泉市へ移転し、デルフィン以外の所属選手は解散となった。

脚注[編集]

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外部リンク[編集]