鈴木みのる
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| 鈴木 みのる | |
|---|---|
| プロフィール | |
| リングネーム | 鈴木 みのる 鈴木 実 |
| 本名 | 鈴木 実 |
| ニックネーム | 世界一性格の悪い男 「風」 ハマの喧嘩屋 カミソリファイター 性悪王者 |
| 身長 | 178cm |
| 体重 | 102kg |
| 誕生日 | 1968年6月17日(41歳) |
| 出身地 | 神奈川県横浜市西区 |
| 所属 | パンクラスMISSION |
| スポーツ歴 | レスリング |
| トレーナー | ビル・ロビンソン カール・ゴッチ 藤原喜明 |
| デビュー | 1988年6月23日 |
鈴木 みのる(すずき みのる、男性、1968年6月17日 - )は、日本のプロレスラー、俳優。本名は鈴木 実。神奈川県横浜市出身。パンクラスMISSION所属。
目次 |
[編集] ファイトスタイル
プロレスラーながら、相手の技をよけることを得意(信条)としている。だがこれは総合格闘技のように短時間で相手を倒すためや試合の組み立てを無視した行為ではなく、本人なりの緩急の付け方や観客の盛り上げ方である。小橋建太とのGHCヘビー級選手権でも、序盤は小橋選手の打撃をかわし続けたが、試合中盤以降はしっかりと受けている。
とにかく試合前・試合中・試合後全てで卓越した話術・レスリング技術を用い相手をおちょくり続ける根っからのヒールを演じている。
[編集] 来歴
[編集] 新日本・UWF時代
横浜高等学校時代はレスリング部に所属。国体2位という実績を残して新日本プロレスに入門。
1988年に飯塚孝之戦でデビュー。翌1989年3月には、デビューから1年という一介の若手にもかかわらず、アントニオ猪木と対戦する機会を与えられ、新日本プロレスから期待されていた存在であったが、当時隆盛を極めていた新生UWFへ移籍。
同年5月には田村潔司のデビュー戦の相手を務め、新生UWF初白星。その後、高田延彦や前田日明といった大物とのシングルが実現した。特に安生洋二との対戦は常に白熱したものとなった。11月には骨折した船木誠勝の代打として東京ドーム大会「U-COSMOS」で、モーリス・スミスと異種格闘技戦で対戦。5ラウンドでKO負けを喫するが、周囲から絶賛を浴びる(ただし、鈴木は後に、「実はビビっていた」と述懐している。周囲が手放しで褒める中、そんな鈴木の内心を見抜いていたのは前田ただ一人だった)。この試合が鈴木の格闘技人生において大きなターニングポイントとなる。その後にスミスに雪辱を果たし注目される。
1990年末から1991年初頭にかけて、UWF分裂騒動が起き、鈴木は盟友の船木らとプロフェッショナルレスリング藤原組へ参加。1990年4月1日、SWSとの提携で行われた神戸ワールド記念ホール大会におけるアポロ菅原戦は、UWFスタイルにこだわる鈴木と、それに付き合おうとしない菅原がまったくかみ合わず、苛立った鈴木が明らかにプロレスの範疇を逸脱した攻撃を繰り出し、不可解な試合となった(船木がかつて担当していた「プロレス格闘技DX」のコラムによれば、当日の試合後、鈴木は楽屋で泣いていたという。またこの興行は、北尾光司がプロレス史上に残る事件を起こしたことでも知られている)。
1991年7月、東京ベイNKホール大会における佐野直喜戦は、佐野が鈴木のスタイルに適応したこともあり大きな反響を呼んだ。1992年10月の東京ドーム大会ではソウル五輪レスリング金メダリストのゴベリシビリ・ダビッドと対戦、チョークで勝利。
藤原組はカール・ゴッチを顧問として据えており、ゴッチが直接指導することもあったため、ゴッチに傾倒したのもこの時期である。アメリカ人選手がゴッチのレクチャーを受けた際、「痛い、これじゃ鈴木じゃないか」とクレームをつけると、「私が鈴木であり、鈴木が私なのだ!」と返答したこともあるなど、ゴッチもまた鈴木に大きな期待を寄せた。
[編集] パンクラス時代
1993年1月に船木誠勝と共に藤原組を離脱、パンクラスを旗揚げ。11月の神戸大会ではモーリス・スミスと無謀にもキックボクシング・ルールで対戦、KO負けを喫するも、翌5月に行われた武道館大会のリベンジマッチでは腕ひしぎ十字固めで勝利し、5年越しの雪辱を果たす。1995年5月のNKホール大会ではケン・シャムロックを破り、第2代キング・オブ・パンクラシストとなった。
しかし、同時期に台頭してきたブラジリアン柔術の技術を導入しようと試行錯誤を試みる船木を「ツキハギだらけ」と公然と批判。この時期から船木に対する反感を露にするなど、盟友の船木とソリが合わなくなっていた。
同年9月の日本武道館大会では、バス・ルッテンを相手にキング・オブ・パンクラシスト初防衛戦を行うが、ギロチンチョークで敗退、王座から転落。1996年1月、ルッテンが負傷により王座を返上し、空位になったキング・オブ・パンクラス王座の暫定王者決定戦をフランク・シャムロックと行うが敗退する。以降、首の負傷が原因で連敗を重ね、6月にはデビュー半年の近藤有己にまで敗退。船木からは「もう両雄ではない」と見切りをつけられてしまう。同年10月より長期欠場した。
1997年5月にジョエル・サトゥン戦で復帰。続くジャグジット・シン戦は、21秒で勝利したが、7月には負傷が再発し再び欠場。以後、山宮恵一郎や、冨宅飛駈などに敗北。熱心なファンからも限界説が唱えられるようになる。
この頃の鈴木は、リングスとパンクラスとのトラブルの発端を生み出し、リングスCEOの前田日明に挑発されたり、当時シュートボクシングに在籍していた村浜武洋に「(言動が)ダサい」とインタビューで発言され、当時蜜月だったフリーライターの安田拡了が村浜に圧力をかけるなど、中立的なファンにも眉をひそめさせる言動が目立っていた。
ほぼ1年の欠場を経て、1999年に唯一行われたパンクラス公式戦である菊田早苗戦はなす術なく敗北。既に鈴木のサブミッション技術が、ブラジリアン柔術を導入した技術には通用しないことを知らしめてしまう。2000年9月のデニス・ケイン戦では、試合中に腰痛が再発しギブアップ負け。
その後は、「キャッチレスリング」という組み技限定ルールと、エキシビションを中心に活動。2002年6月にはDEEP2001に出場し、ルチャドールのエル・ソラールと対戦するが金的蹴りにより反則勝ち。しかし、対戦相手のソラールの評価だけが上がる結果になるなど、様々な面で悪い結果に終わっていた。
DEEP2001で愛弟子である窪田幸生に勝利した元リングスの坂田亘に「横浜の大将」とリング上で挑発されたり、パンクラスのリング上で猛威を奮っていたGRABAKAの郷野聡寛に「美濃輪とやるのは早い」と発言したことに対してリング上で「目をさましてくださーい!」と皮肉混じりにアピールされた。公式に反論できずに、スタンドプレイに必死なロートルという評価がコアなパンクラスファンにも定着。
指導者としても「柔術が嫌いだから」という個人的な理由で「出稽古禁止」などのルールを設け、ますますパンクラスとその他の総合格闘技団体との技術的なギャップを広げる原因を作ったことから、引退していた船木誠勝にも「鈴木を切った方がいい」と言われてしまう。
2002年、パンクラスのリングで獣神サンダー・ライガーと対決し勝利する。本来はライガーではなく、前座のころに激闘を繰り広げてきた佐々木健介と対決する予定だったが、健介は新日本を退社していた。「もうやめようかなぁ」と思っていた鈴木に、ライガーが「俺じゃダメか?マスク脱いででもやる」と強烈にアピール。鈴木は心を打たれたと後に語っている。また、負けたライガーの評価がむしろ上がったことに、対相手だけではなく対客というスタンスもあるプロレスに再び興味を持った。
[編集] プロレスへの再復帰
ライガー戦を最後に、パンクラスを含めて総合格闘技の試合は行っていない。この頃にはハイブリッド・ボディと決別し、プロレスラーらしい脂が乗った体型に変化していた。なお、本文中で名前が挙がった選手のほか、セーム・シュルトやガイ・メッツァーらとの対戦経験がある。
パンクラスの新ブランドである、プロレス部門「MISSION」を立ち上げ、2003年6月13日、日本武道館での成瀬昌由戦より古巣の新日本マットに参戦。2004年にはIWGPヘビー級王座を懸けて健介と対戦した。
2004年4月25日、プロレスリング・ノアの日本武道館大会に、IWGPタッグパートナー・高山善廣のセコンドとして初登場。同年7月10日に行われた東京ドーム大会で初参戦を果たし、2005年1月8日の武道館大会では、小橋建太とGHCヘビー級タイトルマッチを行う。敗戦後、不敵な笑みを浮かべながら「おもしれえ」と何度も呟き、以後2005年4月からノアに定着する。
2005年6月18日には、シングル戦以来お互いに興味を持った丸藤正道と共に、スコーピオ&ダグ・ウィリアムス組が持つGHCタッグ王座に挑戦し奪取する。その後は丸藤を正パートナーとして、「ベルトには興味が無いが、ベルトで面白いことをする」と宣言し、イギリスでの防衛戦を成功させた。しかし、10月28日に挑戦者として迎えた森嶋猛&モハメド・ヨネ組に奪取されてしまう。なおヨネとはその後シングルマッチを行い、ヨネに関しては「歯ごたえがある。またやってみたい」という発言し、ある程度実力は認めているようだが、森嶋に関しては「暗い」と発言。
ノア所属の秋山準との初対戦で失神に追い込んで以降、鈴木は「世界一性格の悪い男」、秋山は「NOAH一性格の悪い男」と称され、キャラもかぶっていることからお互いに舌戦を繰り広げ、試合が組まれればえげつなく攻め立てる関係と発展していた。
2006年には佐々木健介20周年自主興行に参戦。全日本プロレス所属選手の不甲斐なさに吼え、それでも絡んでこない全日本に罵声を浴びせたが、怪我欠場中である本間朋晃が反応したことで全日本参戦へのきっかけを作り上げ、2006年4月以降、全日本を主戦場とする。全日本では東京愚連隊のNOSAWA論外が勝手に『みのる軍団』を名乗ったりと、嫌々そうな顔をするものの、実は楽しんでいる姿も見られる。なお、みのるは「NOSAWAはパシリだ」と言っており、論外が『みのる軍団』と言うたびに「『鈴木みのるwith東京愚連隊』だ」と修正している。
6月23日にはメカマミーと戦う。当初は記者会見などで「メカ」という存在を否定していたが、試合の終盤にセコンドから奪ったペットボトルの水でショートさせ、スリーパーで「機能停止」させた。
9月3日の全日本札幌メディアパーク・スピカ大会で太陽ケアを破り、三冠ヘビー級王座を奪取(第35代)。12月12日のリアルジャパンプロレス後楽園大会では、初代タイガーマスクとシングルで対戦し勝利。
2007年1月4日の新日本東京ドーム大会で、因縁の相手で新日本の永田裕志を相手に死闘を演じ、スリーパーホールドで勝利。2月17日、全日本両国国技館大会で小島聡を破り、三冠王者として3度目の防衛を果たした。
3月からのチャンピオン・カーニバルを「挑戦者決定戦」とし出場を否定したが、TAJIRIの挑発を受け一転して出場を宣言。小島・川田利明・RO'Z・TAJIRIと戦ったが、1勝2敗1引き分けという、不本意な戦績で幕を閉じた。
7月1日の横浜文化体育館大会では武藤敬司を下し、5度目の王座防衛を果たしたが、8月26日、両国大会での佐々木健介戦にて、42分の死闘の末に敗れ、1年に渡る長期政権からついに転落した。
12月24日には、ZERO1-MAXに初参戦。崔領二に勝利を収め、同団体に宣戦布告を果たした。
2008年1月26日の大阪大会を最後に、全日本を離脱したという噂が流れていたが、3月1日の両国大会ではテレビ解説者として登場。試合後、チャンピオン・カーニバルへの参戦を表明した。
4月5日〜9日の後楽園ホール・5連戦として行われたチャンピオン・カーニバルでは、西村修とジョー・ドーリングに敗れたものの、優勝者でもある諏訪魔、そして佐々木健介から初勝利を収めるなど充実した戦いぶりを見せつけた。
4月20日の後楽園大会では、スランプ状態で悩める太陽ケアを独特の熱い言葉で説得し、緊急合体。「もう一度この団体のてっぺんに行く」と宣言し、NOSAWA論外、MAZADA、TAKEMURAと共に「GURENTAI」を結成した。
6月17日の後楽園ホールで、鈴木みのるデビュー20周年興行「風になれ」が開催された。鈴木のレスラー人生において、最重要人物とも言えるモーリス・スミスとのエキシビションマッチや、友人であり後輩の高山善廣との2度目のシングルマッチなどが行われた。
現在は全日本を主戦場とし、ノア、新日本、様々インディー団体などにもスポット参戦を行っている。またテレビ出演、執筆活動等、幅広い活動も行っている。
[編集] 人物
- ギミックはヒールであるが、高山善廣と同様、発言など全てを悪役として通しているわけではない。元来の性格の悪さから、普段はサイン・写真撮影には全く応じないらしいが(企画として開催されてるものは別として)、2007年1月26日の全日本プロレス沖縄興行の会場にて、めずらしくファンと写真撮影をしている姿が見られた。あくまで気分でおこなうものと思われる。
- 人からものを頼まれるのが嫌いらしい。だが、時間がある時は練習生にレスリングを教えたり、パンクラスの「Kids Lab」にレスリングを習いに来ている少年を可愛がり、少年の大会に応援にかけつけるなど、性格のいい一面も合わせ持っている。
- 横浜高等学校レスリング部主将の時、体育祭で各部がそれにふさわしいものを持ってリレーするというときに彼はレスリング部のアンカーとなり、人形を抱えてコースのあちこちで技をかけて見せるというサービスをした。もちろんビリだったが、ゴールでは人形にジャーマン・スープレックスをかけてみせて喝采を浴びた。
- 国体2位の褒美として米国短期留学をしたが、体格の違いは明らかで、目に焼きついた様子だった。
- プロレスに再進出してからは、ヘアスタイルを頻繁に変えるようになり、凝った剃り込みが入っている。常連である横浜の美容室の美容師を「おらが村のカリスマ美容師」と呼び、大きな大会の前にはヘアスタイルを変えている。以前、好きな食べ物に「唐揚げのマヨネーズ和え」と発言した事から、ライン坊主を基調とした独特の髪型は一部のファンから「唐揚げカット」と呼ばれる。
- 普段は黒のショートタイツに黒のリングシューズといういでたちであるが(レガースは着用しない)、パンクラス時代から現在に至るまで、ここ一番の大舞台では白のショートタイツを着用する(近年では先述のパンクラスでのライガー戦、ノアでの秋山準戦、全日本での武藤敬司戦など)。
- 嫌いな食べ物はないが、唯一マシュマロだけは苦手としている。
- 息子は「とても鈴木みのるの子とは思えない程かわいい(北斗晶談)」らしい。さらに2005年7月18日のノア東京ドーム大会にその息子を連れてきたり、「息子に自慢するから」とノアの5周年記念パーティでネブ博士と写真を撮ったり、ドラえもんの映画を息子と一緒に観に行ったりと、ファイトスタイルからは想像できない、いいパパぶりを発揮している。
- 2007年1月には、全日本沖縄大会に参戦するため沖縄を訪れたが、その際に与那原警察署で一日署長を務めた。しかし東京スポーツに「みのる逮捕」なる見出しが載り、本人はブログで笑いと取っていた。
- 中村あゆみの大ファンであり、入場テーマ曲は中村あゆみに直接製作を依頼したオリジナル曲『風になれ』であるが、入場テーマにオリジナル曲を使用する選手の中で、ボーカル曲の例は殆ど無く、日本語でメッセージ性の高いものであった為かみのるファン以外には余り評判が良くなかった。しかし、最近の活躍と、ブログ内で披露した楽曲製作を依頼した裏話により再評価され始め、会場ではリング・インする瞬間にくる「かっぜにぃなれー♪」の部分で大合唱が起こるようになってきている。歌詞に合わせてリングインを決めるタイミングは(サビの前にリングのエプロンに到着したときは、観客に向かい手拍子をしろと囃し立て、サビがくるのを待つ。またエプロンに着いた時にリングのロープを開けて待っている若手を蹴散らす)名人芸の域に達している(曲の作成を依頼したら「作ってもいいけど入場はサビが終わるまで待て」と言われたらしい)。2006年5月21日に参戦した、全日本後楽園ホール大会からは、ニューバージョンの『風になれ Rough-Mix』を使用している。
- 最近は役者としてテレビドラマや映画に出演するようになってきたが、“役者・鈴木みのる”について本人は「週刊プロレス」2008年4月16日号掲載の連載コラム「鈴木みのるの独り言」にて、「大根役者だな〜」と自己ダメ出ししている。
- 趣味に釣りがある。釣る場所に特にこだわりはない様子。東京スポーツのインタビュー[1]によれば、元々実家が海に近いことから子供時代は兄弟でよく釣りに出ていたとのことだが、本格的に趣味としてのめりこみ始めたのは「28歳の時にパンクラスで大きなケガをして、ついでに離婚もして(笑)。一人で家でボーっとしていたら友達から誘われて」とのこと。同インタビューでは「引退したら釣り船屋か釣具屋をやろうかな。たぶん一生続けていくだろうな」とも語っている。なお、テレビ東京系列の釣り番組「釣り・ロマンを求めて」に佐藤光留と共に出演したことがある。
- 最初にプロレスに興味を持ったのは1977年の世界オープンタッグ選手権でのザ・ファンクスvsアブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シーク組の一戦で、それ以後プロレスファンを続けていたが1983年のIWGPリーグ戦の決勝戦で猪木がハルク・ホーガンに失神KO負けしたのにショックを受け「俺がホーガンを倒す!」とそれまで自分が持っていたプロレスのグッズを全て捨ててプロレスラーになることを志したという。
- レフェリー和田京平を手こずらせる数少ないレスラーである。徐々に確執が深まっており、リング上で衝突する場面が多い。が、プライベートでは共にパチンコに興じるなど、仲は良いという。
[編集] 主な得意技
UWFの流れを汲んだレスラーであることや、ヘビー級戦線では102kgと小柄であることもあり、基本的に大技を用いることはあまりなく、老獪なテクニックと相手をおちょくる動き、そしてピンポイントで決める投げ技で試合を組み立てていく。
関節技の多さ・正確性から、対戦型格闘ゲーム「鉄拳シリーズ」のキャラクターキングのモーションキャプチャ(コンピュータへの動作の取り込み)に参加。ゲーム内にベルウッド(鈴木)・スペシャルコンボという名称を残す。
本人曰く「大技ではなく必殺技。ハヤタ隊員がウルトラマンに変身していきなりスペシウム光線を出さないのは、怪獣を動けなくさせてからでないと避けられるから。あと視聴者につまらない印象を与えないため」と、ウルトラマンに例えて自分のファイトスタイルを語っている。
- 張り手
- 相手の頬を叩くだけの技。得意技としながらも「ビンタだけなら2歳児でも出来る」と本人は認めており、プロレスラーだからこそ出来る立派な技としてのビンタへ昇華させようとしている。緩急をつけ易い為、思い切り行くと見せかけて途中で止め軽く叩き相手をおちょくったり、掌底のようにフルスイングで打ち付けたりと大きな幅を持って使用している。2006年3月5日のGHCヘビー級選手権試合・秋山準戦では、お互いに213発にも及ぶ張り手合戦を繰り広げた。
- ドロップキック
- 鈴木のドロップキックは、しっかり足を揃えてキックするので形が綺麗。プロレス再復帰戦となった成瀬昌由戦でこの技を綺麗に決め、観客のどよめきを誘った。
- ゴッチ式パイルドライバー
- カール・ゴッチが使用していた、相手の股をクラッチしてのパイルドライバー。元々の「ゴッチ式」は、通常のパイルドライバーの体勢で股をクラッチするように持ち替えて落とすものだが、鈴木の場合は最初から股をクラッチしたまま持ち上げて落としている。
ゴッチ式とあるが、開発者はカール・ゴッチではなく、鈴木みのる本人であると週刊プロレスで述べている。
- クロスアームパイルドライバー
- 2004年、佐々木健介とのIWGP戦のために開発した秘密兵器。相手の腕を交差した状態でのパイルドライバー。太陽ケアとの三冠王座戦でも使用した。
- チョークスリーパーホールド(裸絞め)
- 後ろから相手の首をねちっこく締め上げる。基本的にこの時のみのるは舌を出し、相手や観客を挑発する表情をしながら絞めていることが多い。格下相手にはこれで失神を奪い勝利を決める。
- 逆落とし
- その名の通り、スリーパーホールドの状態から後方へクルっと首を絞めながら払い腰の要領でマットに叩きつけるコンパクトながらも危険な投げ技。投げた後、そのままスリーパーホールドをかけ続けてギブアップを奪う場合が多い。たまに、投げた後フォールにいくこともある。
- 卍固め
- 新日本系レスラーが多用するお馴染みの技。みのるはこの技をセカンドロープ上やトップコーナーなど、様々な場所で繰り出す。例によって相手を締め上げている間は良く舌を出している事が多い。
- 腕ひしぎ十字固め
- パンクラス時代から得意としている技。グラウンド・飛びつき式・技の切り返し等、バリエーションは多い。
[編集] タイトル履歴
- パンクラス
- キング・オブ・パンクラシスト…第2代王者(防衛0回)
- 新日本プロレス
- プロレスリング・ノア
- 全日本プロレス
- 三冠ヘビー級王座…第35代王者(防衛5回)
- 世界タッグ王座…第55代王者
- パートナーは太陽ケア。
- アジアタッグ王座…第81代王者
- パートナーはNOSAWA論外。
- チャンピオン・カーニバル優勝:1回(2009年)
- プロレス大賞
- 2004年度プロレス大賞 技能賞、最優秀タッグチーム賞(&高山善廣)
- 2006年度プロレス大賞 MVP
- 2008年度プロレス大賞 最優秀タッグチーム賞(&太陽ケア)
[編集] デビュー20周年興行
2008年4月14日にFIGHTING TV サムライにて記者会見を発表し、その日の生放送番組「Sアリーナ」にも出演し本人から詳細が語られた。
- 大会名 : 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜
- 開催日時 : 2008年6月17日
- 開催場所 : 後楽園ホール
- 観客 : 2300人
- 放送局 : FIGHTING TV サムライ
- 主催 : 鈴木みのる20周年記念大会実行委員会
[編集] 試合内容
| 第1試合 タッグマッチ30分1本勝負 | ||
| ○獣神サンダー冨宅イガー 獣神サンダー・ライガー |
10分37秒 アキレス腱固め |
獣神サンダー菊イガー● 獣神サンダーメカマミー |
| ※レフェリー:獣神サンダー良イガー | ||
| 第2試合 シングルマッチ30分1本勝負 | ||
| ○中嶋勝彦 | 7分37秒 ジャーマン・スープレックス |
佐藤光留● |
| 第3試合 エキシビションマッチ(5分1ラウンド) | ||
| 鈴木みのる | 時間切れ引き分け | モーリス・スミス |
| 第4試合 バトルロイヤル(14人参加) | ||
| ○マッスル坂井 | 25分57秒 冨宅の"泣いてブラザーを斬る"⇒体固め |
"brother"YASSHI● |
| -参加選手- 内藤哲也、真田聖也、太田一平、KUSHIDA、風香、佐藤光留 蝶野三四郎、ジャンボ菊、荒谷日明、男色ディーノ、冨宅飛駈、TAKEMURA |
||
| 第5試合 30分1本勝負 | ||
| ○NOSAWA論外 MAZADA 丸藤正道 |
21分41秒 超高校級ラ・マヒストラル |
カズ・ハヤシ ザ・グレート・サスケ TAKAみちのく● |
| 第6試合 シングルマッチ60分1本勝負 | ||
| ○鈴木みのる | 22分01秒 スリーパーホールド |
高山善廣● |
| ※リングコール:中村あゆみ | ||
[編集] メディア出演
[編集] 映画
- 「タナカヒロシのすべて」(2004年)
- 「ガッツ伝説 愛しのピット・ブル」(2006年)
- 「カブキングZ」(2008年)
[編集] テレビドラマ
- 「ジョシデカ!-女子刑事-」(2007年10月 - 12月、TBS) 溝之口吾郎役
- 「シリーズ激動の昭和・3月10日東京大空襲/語られなかった33枚の真実」(2008年3月10日、TBS) 憲兵役
[編集] ネットドラマ
- 「ジョシデカ!-女子刑事-ウェビソード」(2007年10月 - 12月) 主人公・溝之口吾郎役 ※スピンオフドラマとしてネット配信
[編集] バラエティー
[編集] アニメ
[編集] 外部リンク
[編集] 脚注
- ^ 東京スポーツ・2009年5月14日付「レスラー、格闘家のあんな話・こんな話 豪傑列伝」第4回
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