ハッスル (プロレス)

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ハッスルエンターテインメント株式会社
HUSTLE ENTERTAINMENT INC
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
102-0022
東京都港区海岸1-14-24
SUZUE竹芝第3倉庫2階
設立 2006年12月18日
業種 プロレス興行
代表者 代表取締役 山口日昇
資本金 1億円
外部リンク ハッスル公式サイト
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ハッスルは、日本プロレス興行。運営会社はハッスルエンターテインメント。

概要[編集]

PRIDEを主催していたドリームステージエンターテインメント (DSE)とZERO-ONEが手を組み、既成のプロレスとは一線を画したファイティング・オペラと位置付ける新しいスタイルの興行として始められた。

第1回は2004年1月4日にさいたまスーパーアリーナで行われ、メインのビル・ゴールドバーグvs小川直也が話題を呼んだ。

初期の頃は、全日本プロレスも協力して、三冠ヘビー級選手権試合が行われた。その後、ZERO-ONEの崩壊により事実上の後継団体であるZERO1-MAXを運営するファースト・オン・ステージ (FOS)とDSEにより運営されて来た。2005年のハッスル・マニアからDSEとパチンコメーカーの京楽産業.が業務提携をし、以後2009年7月まで、ハッスルは京楽を冠スポンサーとして開催した[1]

2007年4月に新たに運営会社として「ハッスルエンターテインメント株式会社」が設立された。同社には出版社のエンターブレインが資本参加し、同月以降の大会はDSEに代わって同社によって運営が行われてきたが、2009年秋以降、同社の資金難が表面化し、2009年10月に行われた『ハッスル・ジハード2009』を最後に一時興行を休止。一時はFOSの協力を得て興行を再開したが、2010年7月に新団体『ハッスルMAN'Sワールド』が設立され、ハッスルエンターテインメント社は休眠することとなった(詳細は後述)。

概略[編集]

従来、“キャプテン・ハッスル”として小川直也が率いるハッスル軍と、高田総統が率いる高田モンスター軍との抗争を中心とするストーリーが展開されていた。半世紀を超える日本のプロレス史の中でも特異に多彩なアングルギミックを展開し、ユニークな容姿や性格のレスラーが多数登場し、また芸能人や著名人がレスラーとして登場するなど、高いエンターテイメント性を追求するスタイルの興行を行っている。

また試合形態も多岐にわたり、試合中に怪しげなな音楽が流れる中試合をしたり、歌唱力を競い観客にジャッジを求めたり、フードファイターとプロレスラーが大食い対決をしたり(食えんのか!!-PRIDE系総合格闘技イベントやれんのか大晦日2007のパクリネーミングのなかPRIDE方式で大食い対決)、巨大なスロットで大当たりが出るとミルコ・クロコップが助っ人として現れたり、マーク・ハントがパンチ一発で形勢逆転の助っ人として現れたり、試合中にほしのあきが胸を強調してリングに登場したりとバラエティ豊かである。

ファイティング・オペラと称するギミック満載の派手な演出、有料放送の視聴者を意識したカメラワーク、マイクパフォーマンスの重要性、興行までの仕掛けなどは、WWEを参考にしながら練られていた部分もある。しかしながら、2005年のハッスルマニアあたりからWWEでも行われていないような新機軸を打ち出し始め、国内の団体では実券の販売ではトップとなった。また、サラリーマンOL、家族連れが非常に多いのも特徴であるとともに、既存のプロレスでは飽き足らないファンやPRIDEから流れてきた総合格闘技ファンもいるなど多様な客層が特徴であった。

歴史[編集]

前史[編集]

2002年ボブ・サップのブレイクを背景に格闘技イベントK-1全日本プロレスが手を組んでプロレスイベントのファンタジーファイトWRESTLE-1を開始した。これにPRIDEDSEが運営協力しており、同社の関連会社がアメリカ人の著名なプロレスラーのビル・ゴールドバーグと7試合の契約を結んでWRESTLE-1と全日本プロレスに参戦させていた。ところが、2003年にK-1とPRIDEが仲違いを起こし、ゴールドバーグの契約が未消化で残った。かねてからプロレスイベントをやる構想を『紙のプロレス』編集長の山口日昇と語り合っていたDSE代表の榊原信行がこのゴールドバーグの契約に未消化分があることをきっかけとして、同年6月頃から高田延彦ZERO-ONE小川直也橋本真也といったプロレスラーや元プロレスラー、ZERO-ONE専務の中村祥之といったフロントと話し合い、協力体制の元でハッスルを立ち上げることになった[2]

ハッスル立ち上げ後[編集]

2003年12月4日、ハッスル1開催発表会見の席上で、PRIDE男祭りの4日後(2004年1月4日)の開催ということで大丈夫か?(選手の体調面〈ケガなど〉は問題ないのか)という記者の質問に、DSE代表の榊原信行が「プロレスということなんで、大丈夫です!」という発言(PRIDEという格闘技に対してプロレスはPRIDEほどのダメージは無いという、プロレスを蔑んだ言い方)をして小川が机を投げ飛ばして反抗したことでハッスルのストーリーは始まった。その後、橋本真也と共にPRIDE男祭りに登場して高田延彦に宣戦布告、PRIDE戦士を集めたハッスル高田軍と対小川直也・橋本真也+ZERO-ONE連合軍の構図で立ち上がった。(ハッスル1開催直前に高田延彦がアメリカでゴールドバーグと接触し、小川や橋本が先述のDSE榊原に食ってかかったシーンに対するコメントとゴールドバーグと向かい合い上腕部をクロスさせ二人で「ハッスル1」と叫ぶ決めポーズがプロモーションビデオで上映された(そのビデオ内で高田は橋本のことをポーク、小川のことをチキンと呼んでいた)。

ハッスル1(ハッスル旗揚げ戦)(2004年1月4日、さいたまスーパーアリーナ)は毎年恒例となっていた新日本プロレス東京ドーム大会と同日に開催したことで、反発を呼んだ。

内容面でも格闘技色の強い試合を行ったり、WRESTLE-1の色合いを残すなど方向性が定まらなかった[3]。しかし、ハッスル2(2004年3月、横浜アリーナ)以降は日本プロレス界を壊滅すべく強力な刺客たち=高田モンスター軍を次々と送り込む高田総統が登場。それに対し、キャプテン・ハッスル(小川直也)、ハッスル・キング(橋本真也)、ハッスルK(川田利明、その後モンスター軍へ加入し、モンスターKと命名)を中心とする「ハッスル軍」が登場する。彼らが苦しみながらもこれに立ち向かっていく、という後のストーリーが軸となる基本路線が確立された。

DSE時代[編集]

2004年6月4日、笹原圭一がGM(ジェネラルマネージャー)に、臼杵彩子がPR(パブリックリレーション)に就任して以降(ハッスル4以降)は、事前の記者会見等で抗争や因縁が勃発、それをハッスル・ハウスで発展させ、ナンバーシリーズで決着させるという三幕構成が定着した。

この頃は小川直也がPRIDEヘビー級グランプリに参戦し、ハッスルポーズを披露したこともあって、ハッスルのブランドは世間一般に認知していった。また、『アサヒ芸能』誌で「ハッスル2」の流出した進行台本(勝者やマイクパフォーマンスの言葉が記載)が掲載されるという事件が起こったが、続く「ハッスル3」の煽りで専務(当時)の中村が白紙の台本を持ってスキットに参加し、スキャンダルのアングル化を行った。

一方で、GMとPRの入れ替えも行われ、2005年4月19日には臼杵PRと入れ替わる形で岸本PRが2代目PRを襲名し、2005年『ハッスル・ハウスvol.9』で行われたハッスル総選挙にて草間政一が勝利して草間GMが誕生した。その年の『ハッスル・ハウスクリスマスSP』でのVTRにて入れ替わるかたちで鈴木浩子がGMに就任し、2006年に鈴木浩子のGM退任に伴いRGをGMに推薦するなど、リング内外でストーリーは展開した。

2005年11月3日に横浜アリーナで開催された「ハッスル・マニア2005」では、狂言師の和泉元彌、タレントのレイザーラモンHGの参戦が話題を呼び、連日ワイドショーなどで報道されて一気にブレイクし、満員の観衆を集めることに成功した。しかし、2006年6月、フジテレビドリームステージエンターテインメントとの契約を解除したことで、ハッスルは危機を迎える。当初地上波放送される予定であった「ハッスル・エイド2006」は放送中止になり、「ハッスル・エイド2006」以降興行クレジットから東海テレビが外れている。2006年6月17日には、地上波放送中止になったものの、予定通り「ハッスル・エイド2006」(さいたまスーパーアリーナ)は開催され、「ハッスルで地球を救え!」を合い言葉に骨髄移植推進財団らとの協力で骨髄移植ドナー登録を呼び掛けた。

高田モンスター軍のハッスル支配[編集]

2007年、高田モンスター軍が100億モンスタードルでハッスルを買収したことにより、ハッスル軍の残党狩りが始まった。“キャプテン・ハッスル”としてハッスル軍を牽引してきた小川直也が高田モンスター軍に加わるというサプライズが起こったり、旧ハッスル軍の主力メンバーが高田モンスター軍に引き抜かれてしまったため、ハッスル軍はわずか4名(HG、RG、KUSHIDA、\(^o^)/チエ)という壊滅状態に陥ったが、坂田亘らが協力するかたちで新生ハッスル軍は誕生し、新生ハッスル軍と高田モンスター軍との抗争が再び展開された。

2007年5月1日より、ハッスルエンターテインメントがそれまで運営していたドリームステージエンターテインメント(DSE)から権利譲渡を行ったことで、ハッスルは新体制の中でイベントが行われた。ハッスルを手掛けた旧DSEスタッフがハッスルエンターテインメントに移籍したことでスムーズに新体制へ移行できたが、笹原らPRIDEを手掛けたスタッフがPRIDE FC WORLDWIDEへ移籍したことで旧DSEは2つに分かれる格好となった。K-1との冷戦が終了したことで、K-1関連の用語が解禁され、月2回の興行開催、浜名湖競艇との提携やさまざまな企業のスポンサーがつくようになった。

また、念願だった地上波進出にも成功し、「ハッスル・マニア2007」でようやく叶うことになった。2007年12月31日には、ハッスルでは初めて大晦日興行が行われ、「大晦日!ハッスル祭り2007」(さいたまスーパーアリーナ)を時間差放送したテレビ東京は、視聴率において万年最下位脱出に成功した。因みに、最下位は皮肉にもフジテレビであった。

2008年7月に大変革が行われ、ナンバーシリーズとハウスシリーズを統合したハッスル・ツアーを開始し、同時に『ハッスルGP 2008』が開幕した。また日本HUSTLE化計画が行われ、コンビニエンスストアローソンからカレーパンなどの商品が発売されたり、夏の江ノ島でのイベントや全国の自動車教習所などで試合が行われたり、2008年8月にハッスル初のディナーショーが行われた。2008年10月と11月には、北関東(栃木県茨城県)での興行が行われ、栃木県から公式に県旗などの貸し出しがなされている。

2008年12月30日、再び大晦日興行が行われ、ハッスル祭りがハッスル・マニアに吸収されるかたちで「大晦日!ハッスル・マニア2008」を開催。翌日(12月31日)にテレビ東京系列で放送されたが、前年と異なり当日放送ではなかったこと、「NHK紅白歌合戦」の2部が40%越えを記録したことなどが要因となり、前年視聴率最下位だったフジテレビの「FNS2008年クイズ!!」(生放送のクイズ番組)にも敗れ、3.4%と再び最下位に転落した。 2009年2月にはギャラの未払い分の支払いを求めて、インリン・オブ・ジョイトイ側がハッスルを提訴。このインリンの提訴がきっかけとなって、ハッスルの資金難が表面化した[4]。 2009年7月26日の「ハッスルエイド2009」において、高田総統がキングRIKIの紅のバックファイヤーを喰らい消滅。これによりモンスター軍は解散。7月30日の後楽園大会においてハッスル軍も解散を表明した。

新体制と混乱、大量離脱へ[編集]

2009年8月15日、ハッスルによるファンイベントが神奈川・クイーンズスクエア横浜で行われ、その会場にてハッスル社長の山口日昇と、これまでのハッスル各大会をサポートし、また学生によるパフォーマンスGP「ハッスルどライヴ」[5]を主催してきたコンサルティング企業である株式会社クォンタムジャンプジャパン社長の酒井正和より、集まったファン2000人に向けて10月10日に東京・両国国技館でハッスルの新展開となる『ハッスル・ジハード2009』[6]を開催することが発表された。同時に10月10日の両国大会から酒井がハッスルの最高顧問に就任することも発表された。 また、2009年8月27日後楽園ホールでの越中詩郎デビュー30周年記念興行で酒井正和氏の社長就任も発表され、自らファンの前で挨拶を行ない、これまでのハッスルを“マンネリしたストーリー”、“山口社長の放漫経営による経営の悪化”と厳しく非難すると、「このたびハッスルの最高顧問に就任しまして、ハッスルをバージョンアップさせていくために、全力でバックアップしていきます」と宣言。さらに、『ハッスル・ジハード2009』の開催を改めてアナウンスすると、集まった観客から大きな拍手が飛び交った。

2009年9月、RIKIが記者会見に登場した。RIKIは、「圧倒的なまでの強さと力」をマニフェストに掲げ、『ハッスル・ジハード2009』にてハッスル連合軍との勝ち抜き戦を行うためにRIKI軍団を結成することを発表した。同時に、魔界の住人であるグレート・ムタに対しても挑発した。2009年10月10日『ハッスル・ジハード2009』が開催され、RIKI軍団がキングRIKIを残してハッスル連合軍との勝ち抜き戦を制した。試合終了後、キングRIKI、マグナムTOKYO、グレート・ムタによる3WAYマッチを『ハッスル・マニア2009』にて行われることがアナウンスされた。

2009年10月28日に記者会見が行われ、年内に予定している5大会のうち、『ハッスル・マニア2009』を除いた4大会の中止を発表した。中止になった大会には、翌日に控えていた後楽園大会も含まれており、異例の記者会見となった。理由としては、翌月開催予定の『ハッスル・マニア』一本に固める意向であることと、会社の状態が非常に不安定であることが挙げられている。さらに京楽が5年契約で結んでいた冠スポンサーを7月を以って打ち切ったことも判明した[7]。この4大会の中止に加えて、ハッスルの携帯サイトも2010年1月13日をもって閉鎖することが発表された。また11月22日には唯一予定されていた『ハッスル・マニア2009』両国開催の断念が報道された。

こうした状況の中で、2009年12月8日に都内ホテルで緊急会見を開き、酒井がハッスル最高顧問を辞任し、新団体『SMASH』の旗揚げを発表した。島田裕二大原はじめTAJIRI小路晃朱里といったハッスルの主力メンバーが大量離脱した[8]。 SMASHの所属選手に天龍源一郎川田利明坂田亘の名前はなかったが[9]、このうち天龍は2010年4月19日に自主興行「天龍プロジェクト」を旗揚げし、2011年5月20日にはSMASHと天龍プロジェクトの業務提携が発表された。

2009年12月23日、ハッスル事務所兼道場から荷物がすべて運び出され閉鎖された[10]

興行再開[編集]

2010年2月には、ハッスル道場跡地において坂田亘が記者会見を行い、ハッスルを再始動させたいとの意向を明らかにした。ただし所属選手は坂田一人しか残っていないことや、興行再開のために必要な過去の未払金問題が依然未解決なままであることも同時に明らかになっている[11][12]

その後同年3月26日には、4月30日に後楽園ホールにて『坂田“ハッスル”亘〜審判の日〜』として興行を再開することが発表された。2009年10月以降の大会中止の影響から危ぶまれた会場確保の問題は、元々ハッスルと友好関係にあるFOS(ZERO1)の名義を借りることでクリアし、ZERO1社長の大谷晋二郎も興行への協力を快諾したという。ただし従来のファイティング・オペラ路線の継承については、坂田は「それをぶち壊して、新しいハッスルを作らないと野垂れ死んでしまう。」と否定しており、大幅に興行の方向性が変わることを示唆した[13][14]

4月11日に行われたZERO1の靖国神社大会において、興行休止発表以来マスコミの前から姿を消していたハッスルエンターテインメント社長の山口日昇が姿を見せ記者会見に応じた。会見で山口は、4月に続き5月30日にも後楽園ホールで興行を行う予定を明らかにした上で「ハッスルエンターテインメントはまだ潰れたわけではありません」と語り、坂田を軸にハッスルを再興する姿勢をアピールした。また同興行において、4月30日の興行に越中詩郎が参戦することも明らかになった[15][16]

4月30日に予定通り興行再開第1弾となる『坂田“ハッスル”亘〜審判の日〜』を開催。当日は大谷・越中らに加えザ・グレート・サスケが参戦したほか、WWEを退団したばかりのフナキも来場しリング上から挨拶を行った。メインイベントでは山口が坂田とのタッグでプロレスラーとしてデビューを果たしたものの、試合中に右上腕骨幹部骨折で全治3か月の大怪我を負ってしまった[17]

休眠[編集]

2010年6月に、9月10日の再開第3弾興行よりイベント名をハッスルMAN'Sワールドに改めることが発表された。しかし、FOSはハッスルとの提携を解消して[要出典]、黒の中村カントクプロデュースによる新イベント「Euro Vintage Action(E.V.A)」を旗揚げすることが発表された[18]

その後7月21日に、「ハッスルMAN'Sワールド」の運営を同名の新会社が行うことが発表された。新会社はハッスルエンターテインメントとは資本関係を持たず、ハッスルエンターテインメントは倒産こそしていないものの事実上休眠会社となる。この結果、ハッスルは約6年半の歴史に幕を下ろすこととなった[19]

主な出場選手[編集]

2005年11月3日に横浜アリーナで行われた「ハッスル・マニア2005」は、狂言師の和泉元彌、タレントのレイザーラモンHGの参戦が話題を呼び、連日ワイドショーなどで報道されて一気にブレイクし、満員の観衆を集めた。また、2006年6月18日にさいたまスーパーアリーナで行われた「ハッスル・エイド2006」では芸能界で最強の主婦と言われているカイヤが参戦したが、翌日のワイドショーなどには報道されなかった。同年11月23日に行われた「ハッスル・マニア2006」には眞鍋かをりの後輩である海川ひとみが参戦した。

橋本真也は「ハッスル4」(2004年7月、横浜アリーナ)を最後に肩の手術のため長期欠場に入ったが、2005年7月に急逝している。小川直也もまた、2007年にハッスルを高田総統に売却した後、主だった成績を上げることなく、旅に出る(かつての師匠であるアントニオ猪木の新団体「IGF」に参戦するため)と称してハッスルの舞台から去っている。

「ハッスル・ハウス クリスマススペシャル」(2004年12月、後楽園ホール)にはアリシンZこと浜田文子Hikaruが女子選手として初出場。以後、Ericaことアジャ・コングを始め女子選手の参加も徐々に増えていたが、のちに縮小した。 2007年になるとケロロ軍曹が地球(地球外の全宇宙人の呼称はポコペン)侵略の一環としてハッスルに参戦、スコット・ノートンらと戦っているが、S・ノートンに無残に子供たちの目の前で圧殺されるなど、奇想天外なストーリーが展開された。その際、実際にテレビの声の出演ケロロ軍曹渡辺久美子)、タママ二等兵小桜エツ子)、ギロロ伍長中田譲治)が会場入りしアテレコを行っている。

ご当地モンスターの登場[編集]

地方開催に合わせて高田総統が発掘した「ご当地モンスター」も登場するのがハッスルの名物である。過去には北海道「マリモブラザーズ(マリオブラザーズ)」、青森「りんごブラザーズ、恐・イタコ(恐山のイタコ、名前は京唄子の洒落)」、仙台「仙台市・ロー(仙台四郎)」、新潟「イナゴライダー(稲作の大敵イナゴおよび175Rのもじり」、静岡「ザ・モンスターT(茶=Teaの「T」から)」、名古屋「ひつま武士&モンスターコメ兵(名古屋料理と当地中古品販売店)、アリマキネン・ミヤキネン・ヤスダキネン有馬記念高松宮記念安田記念)」、大阪「KIDATA・ロー(浪速のモーツァルトことキダ・タローから)」、横浜「鬼妖拳(横浜のシューマイ崎陽軒)」、福岡「ミン・タイ・スー(明太子の中国語読み)」といったモンスターがハッスル軍と激闘を繰り広げた。

ゲスト[編集]

また、対戦とは別でサプライズゲストが登場する時がある。これまでも猫ひろしまちゃまちゃ、そして秀逸なのはモンスターKこと川田利明よりハッスルあちちこと大谷晋二郎が「最近頭髪のあたりが似ている」という指摘を受けたのを機に、2005年のハッスルハウス・クリスマススペシャルに突如観客席から江頭2:50が登場しリング上で江頭とあちちの当人同士の対面が実現した。最後の決めポーズは「がっぺむかつく!」だった[20]2007年にはアントキの猪木がA.猪木となり、ジャイアントビターンを受けたジャイアント・バボがジャイアント馬場となりタッグで対戦し往年のファンの長年の夢をあっさり実現。

試合ルール[編集]

ハッスルの試合は原則プロレスのルールで試合が行われるが、プロレス以外の試合があるのもハッスルの特徴のひとつである。以下に挙げる。

M字ビターンマッチ
回転するお立ち台にてM字ビターンを行う。
ダイナマイト・ハードコア・ハッスル・ウェポンマッチ
選手は各自自由に凶器を持参して入場し、試合中に使用する。試合開始から一定時間が経過すると、入場ゲートにあるパチンコ台のスロットが回転し、会場のどこかにこの回転を止めるボタンが出現して、このボタンを押して「当たり」を出すことができれば、ステージから登場する「スペシャルウェポン」を自由に使うことができる。
ハッスル.3に初登場したが、あまりにも危険すぎるために、以降の大会では封印され続けていたが、ハッスル・マニア2007と大晦日ハッスル祭り2007で復活した。スペシャルウェポンにはジャイアント・シルバ(ハッスル.3)、マーク・ハント(ハッスル・マニア2007)、ミルコ・クロコップ(大晦日ハッスル祭り2007)が登場した。
観客ジャッジシステム
その名の通り、観客が判定に参加するシステムで、現在では歌対決などに用いられている。
エニィウェアフォール・エブリバディレフェリーマッチ
リング内外を問わず観客がレフェリーとして3カウントを入れることができるシステム。2005年3月18日のハッスル8(両国国技館)、島田二等兵(現在の特命係長 島田工作員)vs中村カントクにて。40分を超える試合の末、島田が勝利した。因みにカウント3を入れたのは青木裕子
イリミネーションマッチ
どちらかのチーム全員がフォール、ギブアップ、もしくはOTRで退場されるまで続けられる。これまでに2度行なわれている。

ハッスルの課題[編集]

レイザーラモンHG(住谷正樹)や和泉元彌に代表される芸能人によるハッスル参戦という話題性を先行させるスタイルをとっている。また、興行に於いては芸能人参戦者が中心としプロレスラーが表向き脇役を担うケース、芸能人(特にHGとインリン様〈ニューリン様〉、最近ではRG)が現役のプロレスラー顔負けのムーブなどで観客を沸かせている姿など多角的な取り組みをしている。

プロレスラーの中にも北斗晶のようにハッスルに対して嫌悪感を顕わにしているものもいる。また、ハッスル・マニア2005の成功後、ストロングスタイルの支持者とされるプロレスライターの安田拡了は「日本のプロレスが壊れた」と評した[要出典]。しかし、高田総統はことあるごとに「日本のプロレス界を根こそぎぶち壊す」と宣言しており、ある意味で当然のことであるという指摘もある[21]

ハッスル自体も旧来のプロレス団体(特に新日本プロレス)を笑いのネタにして批判するテキストを好むため、対立関係が常態化した。

また、同じDSEの主催するPRIDE2006年からフジテレビ系列での放送中止が決定し、母体であるDSE自体が危機になり、立ち上げ当初「DSEの税金対策」と揶揄されたハッスルがこのままの形態で興行を続行できるのか危惧された。2007年に入りDSEからの分離独立が報道され[22]、まず2月1日に高田モンスター軍が総額100億M(モンスター)ドルで買収というギミックで独立が発表され[23]、4月24日付けで正式に新会社「ハッスルエンターテインメント」を設立して独立した[24]

放送形態[編集]

第1回大会から衛星放送ではパーフェクト・チョイスなどのチャンネルでペイ・パー・ビュー (PPV)にて興行の生中継および再放送を行っている。視聴料金は2,100円。

ハッスル公式の有料会員サイト「ハッスル・マニア」では、記者会見の模様や試合のダイジェストなど、膨大な数の動画を視聴することが可能である。

インターネット放送GyaOでは、2005年11月にハッスル・マニア2005が配信され、以後ハッスルナンバーシリーズを全試合配信していた[25]が、2006年11月 - 12月にハッスル20が配信されて以来、2008年現在は配信していない。なお、GyaOでの放送は入場曲は差し替えられていた。

2009年2月、ハッスルの過去のナンバーシリーズを有料で配信するサイト、ハッスル×ムービーゲートがサービスを開始した。

地上波放送では、愛知岐阜三重の3県をエリアとする東海テレビ2004年のハッスル1から全大会を75分枠の特別番組を主に月曜深夜に不定期で放送していた。この特番については地方興行の直前にテコ入れとして青森テレビテレビ新広島テレビくまもとなどローカル放送される例が見られた。さらに東海テレビでは2005年10月29日よりフリーアナウンサーの矢野武を司会に、タレントの吉本衣里をアシスタントに迎え、「ハッスル×ハッスル」(通称ハスハス)という30分の情報番組を毎週金曜日の深夜に放送していた。

地上波での初の全国放送として、東海テレビをキー局フジテレビ系列でハッスル・エイド2006を大会翌日の2006年6月19日に録画放送することが決定していたが、6月5日にフジテレビ側からDSE関連のイベントの放送を打ち切る発表が行われ、ハッスル・エイド2006の放送が中止となったため、地上波全国放送は実現しなかった。系列局である東海テレビもこれに同調してハッスル関連すべての放送打ち切りを決定したため、「ハッスル×ハッスル」も打ち切りとなった。

因みに、大阪で興行が行われる際は近畿圏のフジテレビ系列局である関西テレビはCMの放映や興業のクレジットにも名を連ねないなど一切協力していない(ただしハッスル・マニア2005のみ放送)。大阪で開催されたハッスル16においてはライバル局である毎日放送の情報番組「ちちんぷいぷい」に高田総統が告知のため録画出演し、元同局アナウンサーで同番組の司会者(月〜水曜)の角淳一がよしもと軍団による第3ハッスルのリングアナを担当していた。また、札幌で開催されたハッスル・ハウスVol.7・8については北海道の日本テレビ系列局である札幌テレビが所有していた札幌メディアパーク・スピカで開催され、高田総統が同局で中継した日本ハムvs阪神の始球式に登場するなど宣伝活動を展開した。

東海テレビとフジテレビが放送撤退後初めての地上波の番組として、2006年10月6日に行われるハッスル19のPR番組として10月1日に兵庫県独立UHF放送局サンテレビで「ハッスル上陸大作戦」が放送された。次いで青森県で開催された2007年6月10日のハッスル23は地元局の青森テレビが6月2日に事前PR番組を放送し、6月25日深夜に大会の録画中継を行った。

格闘技専門チャンネルのFIGHTING TV サムライでは、ペイ・パー・ビュー放送から時間を置いて、大会の録画中継番組を放送している。再放送はおよそ各興行の3か月後に放送される。東海テレビの「ハッスル×ハッスル」も放送していたが、フジテレビのショックを受けてハスハスも打ち切りとなった。2006年9月からは「ハッスルFC」を放送。2007年6月にはハッスル・エイド2007応援企画としてPPV放送と同じ内容のハッスル23の生中継が行われた。リピート放送はなく、再放送は同時生中継されるPPVのみだった(しかし後に再放送を行った)。

2006年6月のフジテレビショック以来、一部ローカル局を除いてハッスルの地上波放送はなかったが、2007年9月8日にテレビ東京でハッスル・エイド2007の録画中継番組を放送したのを皮切りとして、同局での放送が実現した。なお、同年10月6日から2008年3月29日までは土曜26:50 - 27:20にケンドーコバヤシを司会に、タレントの折原みかアシスタントに迎えた京楽提供の情報バラエティ番組「どハッスル!!」の放送が関東ローカルのみだが放送されていた。現在は3か月に2回程度の特別番組も放送している(日曜16:00 - 17:15など)。なお、これに伴い「テレビ東京系列外の視聴者にも見られる環境にする」事として、テレビ東京系列のBSデジタル放送局・BSジャパンでもテレビ東京系列の中継を再放送を行い、テレビ東京系列ではない地域でも、地上波放送の方を録り逃した人でも日本全国何処からでも見られる様にすることもやっていく、としている[26]。そして2007年12月31日にはファイティング・オペラ「ハッスル」を初めてテレビ東京系列のゴールデンタイム(21:30 - 23:30 BSジャパンでは別番組でクラシック音楽番組「神尾真由子 優勝の軌跡〜すべて聴かせます!チャイコフスキーコンクール演奏10曲」を放送)で放送(同月10日から4回にわたり月曜21:54 - 22:00でメイキングミニ番組「ハッスル大晦日への道」を放送[27])。関東地方での視聴率は4.0%で、テレビ東京が2002年から設定している大晦日特番(21:30 - 23:30の枠)の中では歴代最高となった。

12月25日放送のものまね王座決定戦で久々に高田モンスター軍のみ久々にフジテレビに登場した。

2008年10月3日から2009年9月25日まで、格闘アニメの実写版★スポーツエンターテイメント「ハッスル」の魅力をラジオで伝える番組として、『高橋大輔と高垣彩陽の夜ナ夜ナハッスル』が毎週金曜日24:00 - 24:30にラジオ関西で放送されていた。

2008年10月15日、“第2のインリン様オーディション”が本格始動し、テレビ東京系列で土曜24時55分から放送されていたオーディション番組『イツザイ』の番組内で募集していた“第2のインリン様発掘プロジェクト”の第1次オーディションが行われた。

実況とゲスト[編集]

テレビでの実況はフリーアナウンサーの矢野武高橋大輔、解説は東京スポーツの平塚雅人。解説席には、当初掟ポルシェ、その後ドン荒川らに変更した。しばらくタイガー木原(木原二軍監督)に定着したが、後に姿を消した。ゲストに2004年からハッスル・マドンナこと青木裕子が定着していたが、鈴木浩子第3代GMの強権により降板、坂田軍団入りしてストーリーに絡む様になった後、フジテレビショック後に説明なく姿を消した。「ハッスル・エイド2006」では眞鍋かをりが実況席のゲストとなり、眞鍋はその後もエイドやマニアの大きな大会のゲストとして出演した。2006年9月のハッスル・ハウス20から真鍋と同じ事務所の浜田翔子海川ひとみがレギュラーの実況ゲストとして出演した。海川がハッスル・マニア2006でハッスルに参戦してからは浜田1人の実況ゲスト(ハッスルバックアッパーズ)という形が定着している。

東海テレビで放送していた特番に於ける番組ナビゲーターは、ハッスル1と2では小倉優子が担当し、ハッスル3からインリン・オブ・ジョイトイが高田モンスター軍「セクシー方面司令官」として進行役を務めた。この出演がきっかけとなって、後にインリンは「インリン様」として実際の試合に絡む様になった。

リングアナウンサー[編集]

リングアナウンサー声優太田真一郎とラジオ・パーソナティーのケイ・グラントが務めている。PRIDEのリングアナでもある太田はインリン様の試合に於いてPRIDEの四点ポジションにおける打撃の場合と同じ口調でムチの使用を認めるアナウンスを行い観客の笑いを誘った。会場で流れる選手紹介などの映像ナレーションは諏訪部順一が担当している。

2006年4月開催のハッスル16では元毎日放送アナウンサーで、現毎日放送『ちちんぷいぷい』専属パーソナリティーの角淳一も1度だけ務めた。これは、『ちちんぷいぷい』内で高田総統に「老いぼれの角くん、下品な腰振り野郎(レイザーラモンHG)とリングの上で勝負する気があるのなら、モンスター軍に入れてやろう」と言われたため。自身は新聞で「もう何十年も見てないですから。力道山の時代ですから。ザ・デストロイヤー足4の字固めで苦痛にゆがむ表情は印象に残っているが…」とコメントする。当日はハリーポッターのガウン姿で登場した。

興行形態[編集]

ハッスルは、1万人規模の会場で行う「ハッスル」(「ナンバーシリーズ」とも呼ばれ、主に奇数月開催)と、2千人規模の会場で行う「ハッスル・ハウス」(第1回は2004年6月28日、後楽園ホール)とに分かれる。これらの関係は、まず事前の記者会見等で抗争や因縁が勃発、それをハッスル・ハウスで発展させ、ナンバーシリーズで決着させるというファイティング・オペラの名に違わぬ三幕構成になっている。

また、その年の集大成的な興行として「ハッスル・マニア」を開催している(2005年は11月3日に横浜アリーナにて開催)。さらにクリスマスには「ハッスル・ハウス クリスマスSP」と銘打ったサブタイトル付きでよりストーリー性を明確にした興行が開催される。

ハッスル・マニア級のイベントとして、「ハッスル・エイド」「ハッスル祭り」を開催している。「ハッスル・エイド」はその年の前半部分の集大成という位置づけであり、「ハッスル祭り」はお祭り的な意味合いが強い。2008年から「ハッスル・マニア」は「ハッスル祭り」を吸収するかたちで興行が開催され、2009年には新ストーリーを展開するためのイベントとして「ハッスル・ジハード」が開催された。

2008年に大変革が行われ、「ハッスルナンバーシリーズ」と「ハッスル・ハウス」が1本化され、「ハッスル・ツアー」となった。同時に、「ハッスル軍」、「高田モンスター軍」などの枠組みを撤廃し、ハッスラーNO.1を決める史上空前のトーナメント『ハッスルGP2008』が開催され、「ハッスル・ツアー」の一部として組み込まれた。

スタート当初は首都圏で集中的に開催されていたが、2005年からは首都圏外での興行を増やし、全国展開を進めている。当時は首都圏内のナンバーシリーズをDSEが、ハッスル・ハウスおよび首都圏外のナンバーシリーズをファースト・オン・ステージ(FOS、ZERO1-MAXの運営会社)がそれぞれ運営する形となっていたが、ハッスルエンターテインメント設立後はナンバーシリーズやハッスル・ハウスを含むすべての興行が同社主催となっている。

興行のクレジットは、2006年6月5日まで「主催」がDSE、「協力」が東海テレビ放送などFNS加盟各局(名古屋大会のみ主催)とFOSとなっていた。

ハッスルポーズ[編集]

ハッスル軍の選手が、主に試合後に気勢を上げるために行うポーズである。橋本と小川が考案した。

腰の辺りで両腕を構え(拳は握る)、「スリー、ツー、ワン」のカウントダウンの後、「ハッスル!ハッスル!」と発声しながら、ウォー・クライのポーズで二度、両腕を力いっぱい引くと同時に腰を突き出す。当初は微妙な評価であったが、継続しているうちに同イベントの象徴として定着した。TAJIRIはハッスルに正式参戦した後のサイン会で彼は「6月のECWワン・ナイト・スタンドでハッスルポーズをアメリカに広めたい」と語り、実際にハッスルポーズを黒田哲広と共に披露した。

橋本真也が途中でそのハッスルポーズはただ下品に終わってしまうとの観点から、従来のハッスルポーズに続けて頭上で手首を交差し「トルネード」と唱えながら腰を三回転半させた後に右足を出して「ハッスル!」と両腕を再度力いっぱい引く「トルネードハッスル」を考案したが、その普及を待たずして橋本が没したため、彼の追悼興行を最後に封印されている(ハッスル・ハウス vol.17で橋本真也没一年追悼公演「ハッスル・キング メモリアル6人タッグトーナメント」優勝の「チーム ハッスル・キング(大谷晋二郎田中将斗安田忠夫)」と橋本真也前夫人ら家族とともに「メモリアルトルネードハッスル」として記念に行われている)。現在はHG考案の「ハッスル!ハッスル!フォー!」と足を4の字に組むなど、HGの得意ネタである「フォー!」のポーズで締めることが多くなっている。ハッスル・ハウス vol.17では、モンスター軍からハッスル軍入りしたニューリン様が台の上に乗り、「ハッスル!ハッスル!トルネ〜ド〜MAX!」という掛け声と共に、橋本真也の考えたポーズにM字開脚を組み合わせたハッスルポーズを行った。

プロ野球読売ジャイアンツの選手・阿部慎之助2004年4月29日の試合で月間本塁打の日本タイ記録をマークした直後、先輩の清原和博タフィ・ローズらと披露したことを端緒に、スポーツ界や芸能界にも広まって流行した。同年7月には日本高等学校野球連盟が『夕刊フジ』の取材に対し「ハッスルポーズなど、試合中の選手による派手なパフォーマンスには注意を与える」と述べ、同年の参議院議員通常選挙の遊説では当時の自由民主党幹事長だった安倍晋三が応援に駆け付けた小川の勧めでポーズを決め、同年11月には競馬のGIのジャパンカップに小川がゲストに招かれ、10万人以上の競馬ファンの前でハッスルポーズを行うなど、社会現象ともなった(しかし、これは小川が当時開催されたPRIDEヘビー級グランプリに参加し、そのリング上で披露した影響が強かったと思われる。そのため、当事者らがプロレスイベントでのポーズであるとの認識は希薄である。)。

因みに、ハッスル軍が行うハッスルポーズに対抗し、高田モンスター軍にもモンスター軍流のハッスルポーズ「ドゥ・ザ・ハッスル」ポーズがある。胸の前で右腕で力こぶを作りながら「ドゥー・ザ・ハッスル!」と叫ぶだけの単純なポーズである。島田二等兵とアン・ジョー司令長官が普及を図っていたが、いつしかフェードアウトしていった。現在、モンスター軍が締める時は高田総統の音頭で「スリー、ツー、ワン、ビターン!」で締めている。退場する際は「バッドラックだ!」と言う(高田総統がその決め言葉を言う前に川田利明がその言葉を先走って言ってしまうことがあり、高田もその瞬間に「おーい、その言葉は俺のだろ」と慌てふためく瞬間が多い。その切り返しを受けた川田が意に介さない表情をするのも爆笑を誘う。)。

2006年にギミック上第3代GMに就任した鈴木浩子が、小川直也細木数子の冠番組に出演した際に教わったという新たなるポーズ「パワーアップでオー!」をハッスルポーズに代わる新たなポーズにしようと試みたが、初めて会場で披露した時には観客の大多数が拒絶反応を示した。

タイトルホルダー[編集]

団体所属或いはフリーランスの選手有志が中立の主催者の下で試合を行うイベントという性質から、当初は自前の認定王座を設けていなかったが、「ハッスル8」(2004年3月、両国国技館)より「ハッスル・ハードコア・ヒーロー」(HHH)が制定され、田中将斗が初代王者に就いている。そのハードコア戦は凶器攻撃であらゆる持ち物が持ち込み可能なため、田中将斗は白い粉が入った白いギター黒田哲広自転車を持ち込み、金村キンタローパイプ椅子竹刀を持参したりして暴れている(田中のギターは一回殴打し白い粉が出てしまえばギターが破壊され終わりであるが、その1回限りの利用を相手に使われてしまうことも度々ある。)。

  • HHH王座(ハッスル・ハードコア・ヒーロー王座)
初代 : 田中将斗
2代目 : 安田忠夫
初代 : 天龍源一郎&安田忠夫
2代目 : 坂田亘&崔領二
3代目 : Erica&マーガレット
4代目 : チーム3Dババ・レイ&ディーボン
初代 : "モンスターK"川田利明

大会一覧[編集]

詳しくは「ハッスルの大会一覧」を参照。

ポスター[編集]

イラストレーター金子ナンペイがポスターを描いていた[28]橋本真也アフロヘアー川田利明ブルース・リーばりの黄色のトラックスーツ、小川直也孫悟空のスタイルなど金子がポスターに描かれていたものが後にリングの扮装に反映されることが起こっていた。2007年頃からポスターはイラストでなく写真を使う様になっている。

オーディション[編集]

ハッスルでは、随時新メンバーを決めるオーディションを開催している。なお、2008年秋にオーディション番組「イツザイ」(テレビ東京TVQ九州放送では土曜24:55 - 25:25に放送)にて「第2のインリン様を決めるオーディション」が開催された。様々な審査が行なわれ、候補者は5名(長澤つぐみ、蓬莱沙織、憂季、小林まり枝、美月あかり)にまで絞り込まれた(その他参加者の中にはアイスリボンのレスラーとしても活躍する安藤あいかの姿もあった。)。しかし、12・24後楽園大会当日、候補者5名に高田総統が告げたのは、“合格者なし”であった。「ハッスル・マニア2008」(有明コロシアム)にてデビューできるイツザイが誕生することのないまま、「第2のインリン様オーディション」は終了した[29]。 そののち、「ハッスル・マニア」はその年の12月で地上波放送が終了。また翌年「イツザイ」は9月に月曜深夜1時に放送時間・タイトル変更されたのも遠因になった。

舞台化[編集]

日本ハッスル化計画の一環として、2008年4月から連載中のケータイ小説「ラブ&ハッスル」が舞台化。

  • 製作総指揮 : 泉忠司
  • ミュージカル統括 : 林浩代
  • プロレス総括 : TAJIRI
ハッスルガールズ
モンスターガールズ
ハッスラー
  • 出演者 : TAJIRI、KUSHIDA、小路二等兵、モンスター℃、\(^o^)/チエ、レイ大原、高田総統

タイアップコラボ[編集]

2008年12月11日 Nintendo(ニンテンドー)Wii専用ソフト『アルゴスの戦士 マッスルインパクト』(テクモ株式会社)とのコラボレーションイベント『アルゴスの戦士 ハッスルインパクト』が開催された。スペシャルゲストは人気グラビアアイドルの“オシリーナ”こと秋山莉奈

関連商品[編集]

ハッスルカレー[編集]

2004年11月29日から2005年3月までの期間限定で小川直也の「ハッスル チキンカレー・辛口」と橋本真也の「ハッスル ポークカレー・中辛」というレトルト食品カレーを明治製菓が発売した。小売り価格は298円、内容量は250グラム[30]

ハッスル・ドリンク[編集]

ハッスルドリンクという栄養ドリンクサンリッツ株式会社から2004年に発売された。第1弾としてハッスルドリンク・アリシンZが同年11月に発表され、タイアップした女子レスラーの浜田文子扮する覆面レスラーのアリシンZがハッスルのマットに登場する様になった[31]。続いて2005年6月には第2弾の疲れ編と眠気編も発売され、ドリンクのイメージキャラクターには高田総統インリン様が採用されていた[32]。これらの飲み物は会場でも配布されていた。

ハッスルオフィシャルQUOカード[編集]

2008年からJCBより「ハッスルオフィシャルQUOカード」が発行され、楽天市場にて発売された巷で話題のファイティング・オペラ『ハッスル』がQUOカードで登場。インリン様や高田総統などのQUOカードが販売されている。

ハッスルオリジナル携帯[編集]

ハッスル軍仕様とモンスター軍仕様がある。

ハッスルイコライザーTシャツ[編集]

携帯の着信にあわせてTシャツのLED部分(ハッスルのロゴ)が光る。

脚注[編集]

  1. ^ ハッスル公式サイト「ハッスル×KYORAKU 強力タッグを結成!『KYORAKU Presents ハッスル』誕生」2005年10月11日
  2. ^ All About「ハッスル山口日昇新社長に聞く(下)1 / 5」2007年6月24日
  3. ^ All About「ハッスル山口日昇新社長に聞く(下)2 / 5」2007年6月24日
  4. ^ ハッスル消滅危機…年内4大会急きょ中止 デイリースポーツonline 2009年10月28日
  5. ^ ハッスルどライヴ
  6. ^ ハッスルジハード公式サイト
  7. ^ ハッスルが事実上消滅…わずか6年で終止符 デイリースポーツonline 2009年12月9日
  8. ^ “ハッスルが分裂、新団体スマッシュを設立 元オリックス古木が総合格闘家デビューを目指す”. スポーツナビ. (2009年12月8日). http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/text/200912080003-spnavi.html 2011年2月8日閲覧。 
  9. ^ “移籍リスト”から天龍、川田もれるデイリースポーツ 2009年12月8日
  10. ^ ハッスル、事務所兼道場を閉鎖 デイリースポーツ 2009年12月23日
  11. ^ 「俺はこれからもハッスルするぞ!」坂田亘、たったひとりでハッスル再始動を表明!! - ハッスル通信・2010年2月12日
  12. ^ 坂田たった1人でハッスル復帰宣言 - デイリースポーツonline・2010年2月12日
  13. ^ ついに坂田がハッスルの再始動を正式に表明!! 「ボクの全人生と全人格を懸けて臨みます」4・30『坂田“ハッスル”亘〜審判の日〜』の開催を発表!! - ハッスル通信・2010年3月26日
  14. ^ ハッスル、4月30日に半年ぶりの興行 - デイリースポーツonline・2010年3月26日
  15. ^ 坂田が靖国神社でハッスル再始動をPR!さらに越中の4・30後楽園大会参戦が決定! - ハッスル通信・2010年4月11日
  16. ^ 坂田再ハッスル、靖国神社でアピール - デイリースポーツonline・2010年4月11日
  17. ^ 4・30『坂田“ハッスル”亘〜審判の日〜』坂田“ハッスル”亘、山口日昇代表の一夜明けコメント - ハッスル通信・2010年5月1日
  18. ^ 坂田またも裏切られた!? ハッスル興行戦争が勃発 9月新宿で火花! 中村カントク新イベント旗揚げ - スポーツナビ・2010年6月9日
  19. ^ 『ハッスルMAN'Sワールド』がついに始動!新組織の代表には坂田“ハッスル”亘が就任!! - ハッスル通信・2010年7月21日
  20. ^ livedoor Sports 江頭2:50、ハッスル参戦で「テポドン打ち込む」 2006年7月20日
  21. ^ スポーツナビ ケッパレ1試合速報結果 2004年9月26日
  22. ^ Zakzak 地上波復活目論む…ハッスル、PRIDEから分離独立 2007年1月26日
  23. ^ ハッスルがDSEから独立、高田総統が買収を発表 スポーツナビ 2007年2月1日
  24. ^ ハッスル営業権を「ハッスルエンターテインメント」へ譲渡 BoutReview 2007年4月24日
  25. ^ 村松健至「GyaO、和泉元彌やHG参戦のハッスル・マニア2005全試合をノーカット配信」BroadBand Watch 2005年11月16日
  26. ^ スポーツナビ「ハッスル地上波レギュラー番組タイトルは「どハッスル!!」10月6日スタート」2007年9月14日
  27. ^ http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/headlines/wrestling/20071105-00000016-spnavi-fight.html
  28. ^ 『金子ナンペイ公式サイト・ナンペイ魂』お仕事・イベントその他
  29. ^ ハッスル公式サイト “第2のインリン様オーディション”に衝撃的結末!高田総統の重大発表とは、なんと“合格者なし”だった!! 2008年12月25日
  30. ^ 明治製菓 プレスリリース 2004年11月18日
  31. ^ スポーツナビ「高田モンスター軍に「アマゾネス軍」が加入 デビューはクリスマスハッスル」2004年11月24日
  32. ^ ハッスル公式サイト「ハッスルドリンク新バージョン発売! インリン様、改めて川田にM字ビターンマッチを要求!」2005年6月6日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]