プリンス・デヴィット

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フィン・バロール
フィン・バロールの画像
プロフィール
リングネーム フィン・バロール
プリンス・デヴィット
ペガサス・キッド (2代目)[1]
本名 ファーガル・デヴィット
ニックネーム 天空の貴公子
アイリッシュ・キャプター
THE UNIVERSE
愛蘭王子
リアル・ロックンローラ
狂乱の貴公子
裏切りの貴公子
身長 180cm
体重 81kg
誕生日 1981年7月25日(33歳)
出身地 アイルランド共和国の旗 アイルランドダブリン
所属 WWENXT
スポーツ歴 サッカー
トレーナー 小林邦昭
アンドレ・ベイカー
ジョニー・モス
デビュー 2001年2月
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プリンス・デヴィットPrince Devitt)のリングネームで知られるファーガル・デヴィットFergal Devitt1981年7月25日 - )は、アイルランドプロレスラーダブリン出身。現在はWWEの傘下団体であるNXTにてフィン・バロールFinn Balor)のリングネームで所属。

来歴[編集]

キャリア初期[編集]

少年時代は10年間サッカーに熱中。WWF(現:WWE)のテレビ番組や英国のインディー団体の興行を生観戦したのをきっかけにプロレスに興味を持ち、カート・ヘニングアルティメット・ウォリアーショーン・マイケルズ[2]ダイナマイト・キッド等に憧れ、1995年に15歳でイギリスイングランド)のNWA加盟団体であるNWA UKハンマーロックのジムに入門[3]、トレーニングを始める。2001年2月ジムのあるアシュフォードでの興行にて8人イリミネーションタッグ戦でデビュー。

新日本プロレス[編集]

2005年 - 2010年[編集]

2005年10月に英連邦王座を獲得し、米国NWA系の団体に出場するため渡米。その後同団体での試合が「新日本プロレス LA道場」の関係者の目に留まりスカウトを受け、同年11月末に米ロサンゼルスの新日本道場に入門。その後、サイモン猪木社長から「日本に行ってみないか」と誘われ2006年3月初来日し、同年4月新日本プロレスに正式に入団。同月16日、エル・サムライ戦でヤングライオンとして再デビュー。

その後は、C.T.Uを経てRISEに入り、2008年1月27日にとのタッグチーム「プリンス・プリンス」でTAKAみちのくディック東郷が保持するIWGPジュニアタッグ王座に挑戦し同王座を獲得したものの、獣神サンダー・ライガーAKIRA組に敗れ王座から陥落。同年7月、ライガー・AKIRA組と再戦し、勝利を果たし第21代ジュニアタッグ王者に返り咲いた。

2009年、田口隆祐とのタッグチーム"Apollo 55"を結成し、モーターシティ・マシンガンズアレックス・シェリークリス・セイビン組)の保持するIWGPジュニアタッグ王座に挑戦。これに勝利し、第24代ジュニアタッグ王座に戴冠。11月に行われたG1 TAG LEAGUEではApollo 55でエントリー。スピード溢れる連携を駆使して数々のヘビー級タッグチームと互角に張り合い、Bブロック2位で通過。準決勝では中邑真輔、矢野通組を撃破し決勝進出。決勝でジャイアント・バーナードカール・アンダーソンと対決するも、あえなく敗戦。しかし、ジュニアながらも準優勝という大健闘を見せ付けた。

11月29日、ZERO1天下一Jr.に初参戦。外敵ながら優勝候補と称され、決勝に進出するも日高郁人に敗れ準優勝に終わる。

12月にはSUPER J-CUP5th STAGEにエントリー。1回戦で青木篤志を撃破し、2回戦の男色ディーノには惑わせられながらも勝利し、決勝でプロレスリング・ノア所属の丸藤正道と対戦。最後はポールシフトで敗れたものの、互いに抜群の身体能力の高さを誇り、屈指の名勝負を繰り広げた。

2010年春にはそれまでの合宿所住まいから独立したため、他の外国人レスラー同様の契約選手に移行している[4]。6月、BEST OF THE SUPER Jr.の決勝戦で飯伏幸太を打ち破り、優勝を果たす。同大会の前に実家に帰っていたところ、アイスランドの火山噴火の影響で日本行きの飛行機が飛べず(2010年のエイヤフィヤトラヨークトルの噴火による交通麻痺)、直前まで大会への参加そのものが危ぶまれる中での勝利だった[4]。そして優勝者に与えられるIWGPジュニアヘビー級王座挑戦権を行使し、6月19日に丸藤正道と対戦。通算3度目の対戦で初めて勝利し、同王座を新日本に取り戻した。8月、G1 CLIMAXに出場を予定されていた丸藤が怪我で欠場し、リザーバーながら初出場を果たした。

10月11日、両国国技館大会でゴールデン☆ラヴァーズ(飯伏、ケニー・オメガ組)とのジュニアタッグ王座を賭けて対戦。飯伏からピンフォールを奪われ、同王座から陥落したが、12月に東京スポーツ主催のプロレス大賞で同試合がベストバウト賞を受賞。ジュニアタッグの試合としては史上初となる快挙を成し遂げた。

2011年 - 2012年[編集]

2011年1月23日に同タッグとして飯伏、ケニー組と再戦。ブラックサンデーからピンフォール勝ちを収め、IWGPジュニアタッグ王座を奪還。6月18日にBEST OF THE SUPER Jr.を制した飯伏と対決。この試合に敗れ、1年近く保持していたIWGPジュニアヘビー級王座を他団体に流出。9月に飯伏が左肩を脱臼し、復帰の目処が立たず同王座を返上。19日に空位となった同王座の決定戦でKUSHIDAと対戦。これに勝利し、第62代王者となる。

10月10日、No Remorse Corpsデイビー・リチャーズロッキー・ロメロ組)とのジュニアタッグ選手権試合でピンフォール負けを喫し、同王座の8度目の防衛に失敗。

2012年1月4日、レッスルキングダムVIでリマッチ権を行使し、リチャーズ、ロメロ組のIWGPジュニアタッグ王座に挑戦。田口がリチャーズからピンフォールを奪い、同王座に戴冠するも、2月12日に三度対戦し、敗戦した。3月、CMLLに遠征し、現地でボラドール・ジュニアと対戦。これに勝利を収め、NWA世界ヒストリックミドル級王座に戴冠し、二冠王に輝く。しかし、5月3日福岡大会で対戦したロウ・キーに敗れ、IWGPジュニアヘビー級王座を手放した。

8月からはドイツwXwイギリスIPW:UKなどヨーロッパを中心に海外団体を転戦した。10月8日に新日本へ凱旋し、ロウ・キーの保持するIWGPジュニアヘビー級王座に挑戦を表明。11月11日に同王座を賭けた試合でロウ・キーから3カウントを奪い、通算3度目となる王座戴冠となった。しかし、フィニッシュは首固めという不完全燃焼な決着であった為、ロウ・キーが猛抗議。これに対してデヴィットは次期挑戦者候補の飯伏幸太を交えた3WAYマッチを提案した。

11月16日、RPW(Revolution Pro Wrestring)に参戦し、マーティ・スカールと対戦。この試合に勝利し、RPWブリティッシュクルーザー級王座を獲得した。

2013年 - 2014年[編集]

2013年1月4日、レッスルキングダム7でロウ・キー、飯伏を挑戦者として迎え入れた史上初となる3WAYマッチでIWGPジュニアヘビー級王座の防衛戦に挑み、最後は飯伏を雪崩式ブラディサンデーで仕留めて、初防衛に成功した。

3月3日、新日本創立41周年記念興行のメインイベントでIWGPヘビー級王座を保持する棚橋弘至とノンタイトルマッチながら対戦[5]。場外でのイス攻撃など、それまでのファイトスタイルとは一変した戦法で挑むも、敗戦。試合後でも棚橋に対して突き飛ばす行為に及ぼし、終始エキサイトした。以後、それまでの好青年キャラクターとは正反対となる攻撃的な言動・行動が目立つようになり始める(リング上だけでなく、自身のTwitterで他の新日本所属選手のTwitterに向けて挑発するという行動も行っていた)。さらに4月5日、アレックス・シェリーとIWGPジュニアヘビー級王座を賭けた試合で、勝利を収めた後、大の字に横たわるシェリーを足蹴にするなど、暴走は次第に加速していった。

4月7日、INVASION ATTACKにてIWGPジュニアタッグ王座に田口とのタッグで挑戦するも、田口がピンフォールを奪われ、敗北を喫する。試合後も試合中での誤爆などをきっかけに小競り合いにまで発展したが、一旦は二人は握手を交わして和解したかと思いきや、直後に田口を裏切り田口の後頭部にラリアットを見舞って強襲し、直後に乱入してきたバットラック・ファレと共にリング上にいる選手等を排除すると、ファレを自身の「バウンサー(用心棒)」と紹介し、Apollo 55を解散することを宣言した。

5月3日、ファレの凱旋帰国試合のタッグパートナーとして、田口、キャプテン・ニュージャパン組と対戦。この試合に勝利を収めた後、バックステージのコメントで新ユニット「BULLET CLUB」を結成し、ヒールターンを果たす。同日に棚橋弘至とのシングルマッチで敗北したカール・アンダーソンとセコンドに付いていたタマ・トンガと共闘し、リング上で棚橋を袋叩きにした。

6月、BEST OF THE SUPER Jr.では全試合においてBULLET CLUBにセコンドを付かせ、ダーティファイトを展開。全勝でいち早く決勝トーナメントまで進出すると、準決勝でケニー・オメガ、決勝戦でシェリーを下し、史上二人目となる全勝優勝を遂げた[6]。22日、「DOMINION6.22」では棚橋とシングルマッチで対戦し、勝利。全試合終了後の勝利者インタビューで、IWGPヘビー級王座を保持するオカダ・カズチカの前に姿を現し、同王座の挑戦表明を行った。それに対してオカダは外道とのIWGPジュニアヘビー級王座防衛戦に勝つことを条件に受諾した。

7月5日後楽園大会において外道を相手に防衛戦、セコンド介入をも封殺する老獪なテクニックに大苦戦を味わうも防衛に成功。7月20日秋田大会で初めてIWGP王座に挑戦しオカダと対戦するも、敗北を喫した。しかし、8月に行われたG1 CLIMAXで再びオカダと対峙し、リベンジに成功。以降、全公式戦においてバッドラック・ファレをセコンドに就かせ、5勝4敗の成績を残した。

その後はジュニアヘビー級でありながらヘビー級の選手と対戦することが多くなり、SUPER Jr. TAG TOURNAMENTには参加せず、バッドラック・ファレと組んでWORLD TAG LEAGUEに参加した。

2014年1月4日、約半年ぶりにIWGPジュニアヘビー級王座防衛戦に臨むものの飯伏幸太に敗れた。なお顔から体にはホラーを意識したようなペイント姿で会場に現れた。

4月6日のINVASION ATTACKでデヴィットがかつてのタッグパートナー田口隆祐とシングルで対戦。試合中セコンドのヤング・バックスの介入を止めさせて戦ったあげく仲間割れし、試合後には田口に握手を求める、そして翌日の4月7日、新日本プロレスに退団の申し入れをしていた事が明らかとなった[7]

WWE[編集]

2014年[編集]

2014年7月28日、WWEと契約を交わして入団した[8]。WWE入団後、WWEパフォーマンスセンターにてトレーニングを開始し、9月25日にはリングネームをフィン・バロールFinn Balor)へと変更している[9]。11月6日、NXTにてジ・アセンションと抗争を展開していたヒデオ・イタミのタッグパートナーとして登場。デビューマッチを勝利で飾った。

その他[編集]

得意技[編集]

ブラディ・サンデー
現在の主なフィニッシュ・ホールド。ハーフハッチの体勢から相手の身体を水平以上に持ち上げてフェースバスター気味に落とすインプラント式DDT。対戦相手によっては頭から垂直に落とすこともある。2009年、スーパーJカップでの対青木篤志戦で初披露。そのときの公式記録では垂直落下式DDTと記載された。また、2010年6月19日の丸藤戦では、雪崩式を披露し、勝利を収めている。技名はデヴィットの故郷・アイルランド出身のロックバンド、U2の楽曲から。
リバースブラディ・サンデー
リバース式DDTとインプラント式DDTをミックスした技。リバースDDTの体勢から相手の片足を掴んで持ち上げ、軽くジャンプしてから落とす技。橋誠の天誅カラス落としと同形で、見た目や落とし方は、左腕側で担ぐ「変形エメラルドフロウジョン」のように見えなくもない。
ダイビング・フット・スタンプ
初期のフィニッシャー。デヴィットの場合は、コーナーなどから高々と跳躍後、空中で屈伸しながら相手目掛けて叩き込む超滞空式。コーナーに登る際に「デンジャラス!」という掛声とともに行う。プリンスズ・スロウンをフィニッシュにしていた頃からは布石として使用していたが、現在は再びフィニッシュとして昇華されている。相手をコーナーに引っ掛けて逆さ吊りにした状態で放つ場合もある。またヒールターンしてからは椅子を乗せて使う。ヒールターン後は奇声を発しながら放っている。
新型プリンスズ・スロウン
下記の技の次に開発されたプリンスズ・スロウンの進化型。フィニッシュ・ホールドとしても使う。カナディアン・バックブリーカーの体勢から、相手の体を回転させ、その勢いで仰向けに寝ながら両膝を相手の腹部に打ち付ける。現在ではほとんど使われていない。
プリンスズ・スロウン
初期のフィニッシュ・ホールド。ファイヤーマンズキャリーに担いで相手を落としつつ、自分は両膝を立てたまま仰向けに寝ることで腹部を打ち据える変形のストマック・ブロック。近年ではフットスタンプへの繋ぎ技。HARASHIMAの山折りと同型。
ジャックナイフ式エビ固め
プリンスズ・スロウンの後にこの技でフォールを取る。
バッククラッカー
変形バックブリーカー。相手の背中に両膝を押し当ててから後ろに倒れこむことによって背中に衝撃を与える技。WWE所属のカリートのオリジナル技。プリンスズ・スロウンやダイビング・フット・スタンプと共に大技として使っている。
ブレーンバスター
「ブレーンバスター!」という掛け声とともに行うが、だいたいは返される。
垂直落下式も見せるがその際は声を放つことは少ない。
トペ・コン・ヒーロ
トップロープを飛び越えるノータッチ式で、時に場外の鉄柵を越える跳躍を見せる。コーナーからやスワンダイブ式も見せる。デヴィット最大の見せ技とも言える。着地によっては、自身へのダメージが大きいために試合に大きな影響が出ることが多々ある。2009年1月4日の東京ドームでコーナーから放ったその際には床に直接落ちたり、2011年のALL TOGETHERでは、稔に対して放った際に足を強く打ってしまい、試合終了までリングに上がれなかった。また、BULLET CLUB結成以降は使用を控えている。
オーバーヘッドキック
ロープに振られる際などの切り返し時に使う。自分がかなりのダメージを負っている際に出されるため主に試合の分岐点といえる技の一つ。
ドリームキャスト
相手が起き上がるタイミングをはかって待機し、一回転して延髄斬りを放つ。初代タイガー・マスクの「スクリュー・ハイキック」と類似。
コーナーからのハイキック
自身がコーナー際のエプロンに立っている際、片腕でトップロープを掴んだまま軽くジャンプして延髄斬りのように放つハイキック。コーナーからの攻撃を狙っている状態で、相手が近付いてきた際迎撃で使用することが多い。ミスティコ丸藤正道も同じような蹴りを放つ。
デヴィットエンド2
相手の左手足に自分の右足を引っ掛け、顎をチンロックで捕らえるデヴィットの数少ないサブミッション技だったが、最近では見られない。
デヴィットデストロイヤー
パワーボムで相手を叩き付け、再度持ち上げてからのプリンスズ・スロウン。上記の技と同じく使用頻度が少なかった。
ギター攻撃
ヒールターン後使い出した技、クラシック・ギターで相手を殴りつける反則攻撃。元WCW所属のジェフ・ジャレットの代名詞とも言える技。

連携技[編集]

ブラックホールバケーション
田口隆祐との合体技。田口がどどんの体勢で持ち上げた相手にデヴィットがプリンスズ・スロウンを放つ。
ムーンランディング
田口隆祐との合体技。田口がパワーボム、デヴィットのバッククラッカーをミックスした荒技。しかし、たまにしか使わない。
ブラックサンデー
田口隆祐との合体技。田口がどどんの体勢で相手を持ち上げたところをハーフハッチでキャッチし、ブラディ・サンデーを放つ。

入場テーマ曲[編集]

  • Real Rock n Rolla
BULLET CLUB結成後のテーマ曲。2013年5月 - 現在まで使用。
  • You're The Best
2008年1月 - 2013年4月まで使用。
新日本初来日に使用したテーマ曲。

獲得タイトル[編集]

新日本プロレス
ZERO1
NWA
  • NWA-UKハンマーロック 英連邦ヘビー級王座
  • NWA世界ヒストリック・ミドル級王座
RPW
  • RPWブリティッシュクルーザー級王座
プロレス大賞
  • 2010年度プロレス大賞 年間最高試合賞(10月11日、両国国技館、プリンス・デヴィット、田口隆祐 vs. 飯伏幸太、ケニー・オメガ)

脚注[編集]

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  1. ^ 写真集より
  2. ^ 参考文献『週刊プロレス』2011年11月2日号 頁63 - 66 掲載「レスラーヒューマンストーリー〈66〉~P・デヴィット編」より
  3. ^ プロレスリング・ノアに参戦していたダグ・ウィリアムスも同ジムの出身のレスラーである。
  4. ^ a b 東京中日スポーツ・2010年6月25日付 「門馬忠雄 カウント2.9」
  5. ^ 現役のIWGPヘビー級王者とIWGPジュニアヘビー級王者がシングル戦で対決するのは1994年の橋本真也対獣神サンダーライガー戦以来19年ぶり2度目。
  6. ^ 史上初は2001年の獣神サンダー・ライガー。
  7. ^ 新日本プロレスリング:プリンス・デヴィット選手から、新日本プロレス退団の申し入れ
  8. ^ WWE signs Fergal Devitt to NXT WWE.com、2014年7月28日閲覧。
  9. ^ Prince Devitt's New WWE Ring Name Revealed WrestlingInc.com、2014年9月25日閲覧。
  10. ^ Fergal Devitt's New WWE Name Revealed - What Does it Mean? Daily DDT、2014年9月25日閲覧。

外部リンク[編集]