ジェフ・ハーディー

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ジェフ・ハーディー
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プロフィール
リングネーム ウィロー
ジェフ・ハーディー
本名 ジェフリー・ネロ・ハーディー
ニックネーム カリスマティック・エニグマ
レインボー・ヘアー・ウォリアー
破天荒なカリスマ
身長 185cm
体重 102kg
誕生日 1977年8月31日(36歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ノースカロライナ州キャメロン
所属 TNA
トレーナー ドリー・ファンク・ジュニア
デビュー 1993年10月15日
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ジェフ・ハーディーJeffrey Nero "Jeff" Hardy1977年8月31日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーノースカロライナ州キャメロン出身。現在はTNAに所属している。

兄のマット・ハーディーもプロレスラーである。

体の至る所にタトゥーを入れており、試合時は顔に蛍光塗料でペイントを施し、入場時に紋様が浮かび上がる。

来歴[編集]

キャリア初期[編集]

レスラーとしてのキャリア初期は兄と共に歩んでいる。ドリー・ファンク・ジュニアの元でプロレスラーとしての基礎トレーニングを積んだ後、1993年ECWFにて兄との兄弟対決で共にプロレスデビュー。兄弟はタッグとして歩み、WWF(後のWWE)とは、1994年1996年に契約のチャンスがあったものの契約に至らなかった(何度かジョバーとして試合を行なっている)。その間、兄マットがプロデュースする、オメガ・レスリングなどのインディー系プロレス団体で活動を行っていた。オメガ・レスリングには、後のリタシャノン・ムーアグレゴリー・ヘルムズクリストファー・ダニエルズなども所属していた。彼らはプライベートでも仲が良く、現在でも「The Hardy Show」という番組制作をいっしょに手掛けている。また、1998年には格闘探偵団バトラーツ覆面レスラーウィローWillow)として来日している。

小柄ながらヘビー級戦線で活躍。飛び技を主体とするが、ルチャドール的な華麗さではない捨て身の危険なムーブが特徴である。端正なルックスと派手なレスリングスタイルで高い人気を得ているが、遅刻や薬物など問題行動が多く、団体からのプッシュ中に謹慎を受けるなどチャンスを自ら棒に振ることが少なくない。

WWF / WWE[編集]

1998年 - 2003年[編集]

1998年に兄弟ともにWWFと契約。初期はジンクス・ブラザーズという覆面レスラーのタッグチームで出場していたがまったく成功せずフェードアウト。以降ハーディー・ボーイズとしてタッグ戦線で活躍する。2001年4月10日のSmackDown!にて、トリプルHを破り、当時の最年少記録でIC王座を獲得している。しかし、翌週トリプルHに敗れ、わずか一週間で王座から陥落してしまった。最年少での王座獲得や、相手がトップヒールのトリプルHだったこともあり、本人もこの勝利には思い入れが強い。ちなみに、この王座はハーディー・ボーイズ初のシングル王座である。兄弟でのタッグチーム活動は2002年まで続くことになる。

2002年、ハーディー・ボーイズはRAWデビュー直後のブロック・レスナーの最初の抗争相手を務めたが、レスナーをプッシュするためのジョバーとも言うような役回りであった。ジェフは4月21日に行われたBacklash 2002でレスナーのTVマッチデビュー戦の相手をし、敗退した。レスナーとの抗争が終わると、ハーディー・ボーイズは前年からの遺恨が残るジ・アンダーテイカーに絡むようになる。7月1日のRAWで行なわれたジ・アンダーテイカーとのラダー・マッチ形式のWWE王座戦は、ジェフのキャリアにおいて、自他共に認めるベストバウトと言う程の高評価を得た。この試合をきっかけにジェフはシングルでの試合が多くなり、2002年7月8日ウィリアム・リーガルからWWE欧州王座を奪うなど活躍した。ジェフが活躍が増えるにつれマットの活躍が少なくなり、それに嫉妬したマットがジェフを裏切りSmackDown!へ移籍、ハーディー・ボーイズは解散した。

2003年、シングルでトリッシュ・ストラタスとのストーリーが展開中であったが、4月22日にWWEを解雇された。解雇の原因は、表向きはバンド活動に専念したいとWWEに訴えが、却下され対立したとの発表があったが、実際は、精神的に追い詰められ、ドラッグに手を出し、リハビリも断ったために解雇されたのが真相である。

TNA[編集]

2004年 - 2006年[編集]

WWE解雇後はROHへ参戦し、後に2004年7月から自身のバンドPeroxwhy?genの宣伝の一環としてTNAに所属する。TNAでは、Xディヴィジョン戦線のレスラーとして活動していたが、ジェフ・ジャレットとのヘビー級王座をめぐる抗争ではラダーマッチや、アビスとの抗争では画鋲の上に落とされたりとかなり激しいハードコアマッチもこなした。TNA内でのジェフの人気は高く、彼のグッズの売上はTNA所属レスラーの中でも常に上位にあった。

ちなみに、ROH参戦当初は相変わらず治らない遅刻癖と、レスリングよりバンドを選ぼうとしてWWEを解雇されたことから非常に嫌われており、「We want Matt!(マットを出せ!)」と激しいブーイングを受けていた。一方でマットはWWE在籍時ジェフを妨害する形でヒールターンしていたため、「We want Jeff!(ジェフを出せ!)」とヤジられていた。

WWE[編集]

2006年[編集]

入場時のパフォーマンス(2007年)

2006年8月にWWEと再契約し、SummerSlam 2006翌日のRAWに登場している。RAW登場後は、ジョニー・ナイトロとのIC王座を巡る抗争を展開する。そして10月2日のRAWで自身2度目となるIC王座を獲得した。その後11月5日に行われたCyber Sunday 2006では、カリートの挑戦を受け、王座を防衛している。 そしてその後、ナイトロとの抗争が再び本格化し、11月6日に行われたIC王座戦で一度はメリーナの介入による反則で勝利するものの、エリック・ビショフが登場しNO DQで試合を強制再開させ、ナイトロにベルトで殴られ王座から転落する。 その翌週のRAWでもIC王座戦が行われ、ナイトロの一瞬の隙をつきジェフが勝利し3度目の王座に返り咲いた。

2007年[編集]

その後、2007年の1月29日にはザ・グレート・カリとのIC王座戦に臨んだが、カリの長身と怪力には全く歯が立たず、カリの凄まじいチョップを浴び、リング外に転落し10カウントで敗れる。しかしカウントアウトでは王座は移動しないというルールに救われ防衛を果たした。 2月19日のRAWで、WWE会長のビンス・マクマホンウマガにIC王座に挑むチャンスを与えた。これは、ビンスが当時抗争していたドナルド・トランプへの見せしめに組まれた試合であり、実際に試合が始まるとウマガはサモアンスパイクでジェフを圧倒、IC王座はウマガの物となってしまった。

その後、WrestleMania 23マネー・イン・ザ・バンク・ラダー・マッチに出場。その試合には破れたが、大会翌日のRAWで行われた10チームバトルロイヤル戦で兄マット・ハーディーと世界タッグ王座を獲得。4月29日のBacklash 2007では、ランス・ケイド&トレバー・マードック組の挑戦を受け、勝利し防衛する。6月3日のWWE One Night Stand 2007では、ワールド・グレイテスト・タッグチーム(WGTT)とラダー・マッチによる王座戦を行い王座を防衛するが、翌日のRAWでビンス・マクマホンにより王座戦を組まれ、前日の試合でのダメージも影響し、ランス・ケイド&トレバー・マードックに奪取される。

その後再びIC王座戦線に復帰し、7月22日のThe Great American Bash 2007でウマガの持つIC王座に挑戦するも敗れる。この試合を皮切りに、ウマガとのIC王座抗争が繰り広げられる予定であったが、7月23日のRAWで行われたMr.ケネディとの試合で首と背中を痛め、それが原因でジェフが試合を無断で休んでしまったため(本人は許可を得たと主張している)、WWEから1か月の謹慎処分を言い渡され実現には至らなかった。その後、8月27日のRAWでMr.ケネディとの試合で復帰した。ジェフの復帰に伴い本格的にウマガとの抗争が始まると思われたが、今度はウマガが薬物違反での謹慎処分を受けたために、完全に頓挫してしまった。それに伴い、9月2日のRAWでウマガからIC王座を奪う。

12月16日に行われたArmageddon 2007でトリプルHとの勝者WWE王座挑戦権獲得マッチに勝利し、ロイヤルランブルランディ・オートンの持つWWE王座に挑戦する権利を得る。これは、ジェフにとって2度目の王座挑戦となる。

2008年[編集]

1月27日のRoyal Rumble 2008にてWWE王座戦に臨んだが、ランディ・オートンに敗れ、王座獲得とはならなかった。翌日のRAWではGMのウイリアム・リーガルがNo Way Out 2008にて、WWE王座挑戦権争奪エリミネーション・チェンバー・マッチを行うと発表。ジェフもその出場者に名を連ねることになる。そして、2月17日のNO WAY OUT 2008のエリミネーション・チェンバー・マッチでは、最後の二人まで残るがトリプルHに敗れ、WWE王座挑戦権獲得とはならなかった。その翌日のRAWで、ジーン・スニツキーとのマネー・イン・ザ・バンク・ラダー・マッチ予選試合に勝利し、出場権を獲得した。

3月10日のRAWでクリス・ジェリコにIC王座を奪われる。これは、その直前に薬物違反が発覚し、60日間の謹慎処分(謹慎期間は3月11日から5月11日まで)を受けたための処置であり、WrestleMania24のマネー・イン・ザ・バンク・ラダー・マッチの出場権も剥奪され、欠場することになった。今回のジェフの薬物違反は通算で二度目。WWEは三回の薬物違反で解雇するという規定があるため、再度薬物違反が発覚した場合、WWEから強制解雇になる可能性がある(7月のインタビューで、薬物違反について「自分はファンを裏切ってしまったことを、本当に申し訳ないと思っている」とコメントした。また、週に2、3回ほど採尿検査を受けているとのこと)。

この謹慎中の3月15日に自宅のトレーラーハウスが全焼し、愛犬ジャックが死んでしまうという事故が起きる。ジェフは愛犬がいなくなった時は、WWEの番組収録をサボってまで探しに行くほど溺愛していたため心労で体調を崩した。

5月12日のRAWで無事に復帰を果たし、ファンから大声援を受ける。ファンに復帰の報告している最中にGMでキングのウィリアム・リーガルにウマガとの対戦を命じられるが自らの復帰戦を勝利で飾る。6月23日、RAW3時間特番のドラフトにてSmackDown!へ移籍。WWE王座を巡ってUnforgiven、No Mercy、Cyber Sundayにて同じくドラフトでSmackDown!へと移籍したトリプルHに挑むもいずれも敗北。12月14日のアルマゲドンで行われたエッジ、トリプルHとのトリプルスレットマッチに勝利し、WWE王座を奪取する。

2009年[編集]

Royal Rumble前にノースカロライナ州で当て逃げ事故に遭う。その数週間後、「カッティング・エッジ」に出演する際、入場時の花火がジェフに向かって暴発し、また事故に遭う。(いずれもアングル上の出来事)そして、そのRoyal Rumbleでマットの裏切りに遭い王座から陥落する。2月のノー・ウェイ・アウトでのエリミネーション・チェンバー・マッチで王座を取り戻そうとするも失敗に終わる。ロイヤルランブル以降もマットの妨害や挑発は続き、マネー・インザ・バンク戦出場をかけた試合でもマットの乱入により敗北する。その翌週のスマックダウンではリング上でジェフに起きた一連の事故の犯人は自分だとマットが語ったことに激怒し、本格的に抗争を開始する。そして4月5日のWrestleMania 25で対戦、敗れるが4月26日のBacklash 2009で"アイ・クイット"マッチでマットに勝利し雪辱を果たした。その後世界ヘビー級王座の第一挑戦者となったジェフがJudgment Day 2009でエッジをあと一歩のところまで追い詰めたところでまたもやマットの乱入に遭い王座奪取とはならなかった。6月7日のエクストリーム・ルールズでのラダーマッチでエッジに勝利し世界ヘビー級王座を獲得するが、試合後現れマネー・イン・ザ・バンクの権利を行使したCMパンクに敗れ戴冠後すぐに王座を失った。ここからCMパンクとの抗争が開始され、7月26日のNight Of Cnampions 2009でパンクに勝利し世界ヘビー級王者に返り咲く。その後マットが復帰、ジェフに謝罪したためハーディー・ボーイズが再結成され、ジョン・モリソンと共にパンク、ハート・ダイナスティと闘い、全盛期のように見事な連携を見せた(マットがパンクにツイスト・オブ・フェイトを決め勝利)。続く8月23日のSummerSlam 2009でパンクとの再戦がTLC形式で行われるが、これに敗れ再び王座から転落する。さらにサマースラム直後のスマックダウンにおいてパンクとの間で敗者はWWEから追放となるスティール・ケージ・マッチが行われ、これにも敗れたジェフはWWEから姿を消すこととなった。(実際はジェフの自身の活動に専念したいという希望による離脱)。離脱した翌日、薬物所持の違反で逮捕された。ジェフはこの容疑を否認している。

TNA[編集]

2010年[編集]

1月4日、TNAの番組であるiMPACT!スティールアサイラムマッチ終了後、観客席からホミサイドを襲撃して電撃復帰した。

10月、PPVであるBound For Gloryのメインイベントにて3way世界王座戦で乱入したハルク・ホーガンの持ち込んだ松葉杖を使ってミスター・アンダーソンを殴り、電撃的なヒールターンを果たすと同時にTNA世界ヘビー級王座を奪取した。

2011年[編集]

1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会で内藤哲也TNA世界ヘビー級王座戦を行って勝利し、防衛を果たす。しかし同月のPPVであるGenesisにおいてミスター・アンダーソンに敗北、世界ヘビー級王座を失った。その後、PPVのAgainst All Oddsで行われたラダー・マッチにおいてアンダーソンに勝利、再び世界ヘビー級王座を獲得した。

2012年[編集]

6月より始まったBound For Gloryシリーズにエントリーし、優勝を果たす。そしてBound For Gloryにて世界ヘビー級王者のオースチン・エイリースに挑戦し、再び王座を奪取した。

2013年[編集]

3月のPPV、Lockdown 2013にてブリー・レイとの世界ヘビー級王座戦を行うが、ディーボンの介入によりハンマーを手にしたブリーから不意打ちを喰らって敗戦し、王座を奪取された。

2014年[編集]

2013年後半よりGMであるディクシー・カーター率いるチーム・ディクシーと抗争を展開していたものの、2月にTNA離脱を宣言した。しかし、3月9日にPPVであるLockdown 2014にてキャリア初期に使用していたウィローWillow)として登場し、メインイベントであるリーサルロックダウンマッチでチームMVPの勝利に貢献した。

得意技[編集]

ハードコアマッチを得意としており、とくに兄のマット同様ハシゴを使っての攻撃には非常に長けている。また、危険な技をよくやることでも有名で、観客席の2階、ハシゴの上、エントランスのセットの上、どこからでも平気でダイブする。また、フェンスに飛び乗って、渡ってダイブするのも得意。

ポエトリー・イン・モーション
スワントーンボム
セントーン・ボム。仰向けの状態の相手の胴体に空中で体を回転させて背中から落ちる飛び技。飛んだ本人にも危険が及ぶラダーの上やバルコニーからスワントーンボムを行うこともある。技名はその美しさからジム・ロスがジェフのセントーンボムを白鳥に形容したことによる。
ツイスト・オブ・フェイト
2006年のWWE復帰時から頻繁に使うようになった。フィニッシュムーブとしての使用も多い。またTNAでは首を捻ってからスタナーの形で落とすバージョンも使用する。
エクストリーム・ツイスト・オブ・フェイト
タッグ解消後、シングル転向した際にマットよりツイスト・オブ・フェイトを使用禁止されたために編み出した技。リバースDDTの体勢からマットのツイスト・オブ・フェイトのモーションでネックブリーカーのように落とす技。フィニッシュムーブだが、フォール率はスワントーンボムに劣る。現在は使用しない。
ウィスパー・イン・ザ・ウィンド
カウンターの飛び技。相手にコーナーに振られて追いかけられた場合に使う。振られた勢いで素早くコーナーに駆け上がり、反転しつつ伸身式のローリングセントーンを、追いかけてきた相手に当てる。
ポエトリー・イン・モーション
マットとのコンビネーション技。マットが踏み台になり、ジェフがその背中を踏んで相手にレッグラリアットを浴びせる。場外に向かってトップロープを越えつつ放ったり、シングル戦では椅子や鉄階段を踏み台にする時も。
イベント・オメガ
マットとのコンビネーション技。ジェフ、マットがそれぞれコーナーのトップロープへ上り(もしくはラダー上)、そして同時に、リング中央に倒れている相手に対してジェフはボディ・スプラッシュをマットはレッグ・ドロップを浴びせる技である。ハーディーズ最大の魅せ技であり、めったに見ることはない。
スパイン・ライン
TNAに在籍時にジェフ・ジャレットと抗争中に使用していた関節技。相手の両足を交差させて片方の手でロックする逆エビ固め。使用したのはタイトルマッチ一試合のみ。それ以後やWWE復帰後は一切使用していない。
コンプリートショット
TNAに在籍時によく使用していた。ジェフの場合、タイガーネックチャンスリーのようなモーションで技を決める。WWEに復帰後は、同系等の技をアンダーテイカーが使うためか一度も使用していない。

入場曲[編集]

元々はハーディーボーイズのテーマ曲。それぞれシングルプレイヤーに移行後はジェフのテーマ曲となっていた。
  • Modest(Peroxwhy?gen)
2010年までのTNA所属時に使用。
現在の使用曲。

タイトル歴[編集]

WWF / WWE
OMEGA Pro Wrestling
  • OMEGA Pro Wrestlingタッグ王座 : 1回(w / マット・ハーディー)
TNA
その他
  • NWA 2000タッグ王座 : 1回(w / マット・ハーディー)

他、アメリカのインディー団体を中心に多数のタイトルを獲得。

外部リンク[編集]