ドリュー・マッキンタイア

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ドリュー・マッキンタイア
Drew McIntyre in December 2009.jpg
プロフィール
リングネーム ドリュー・マッキンタイア
ドリュー・ギャロウェイ
ハムレット・マクベス
本名 アンドリュー・ギャロウェイ
ニックネーム 選ばれし者
(The Chosen One)
身長 196cm
体重 115kg
誕生日 1985年6月6日(28歳)
出身地 スコットランドの旗 スコットランドエア
所属 WWE
デビュー 2001年
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ドリュー・マッキンタイアDrew McIntyre1985年6月6日 - )は、スコットランドエア出身のプロレスラー

本名、アンドリュー・ギャロウェイAndrew "Drew" Galloway)、アメリカ合衆国プロレス団体WWEに所属。

来歴[編集]

15歳の頃からプロレスのトレーニングを開始し、2007年中頃までヨーロッパで活動。2006年8月27日にはアイルランドダブリンにて、シェイマス・オショネシーからIWW(Irish Whip Wrestling)インターナショナル・ヘビー級王座を奪取している[1]

2007年9月、当時WWEの下部組織であったOVWでデビュー。同年10月頃から同じ英国出身のデイブ・テイラーのタッグパートナーとしてスマックダウンに登場し、メジャー・ブラザーズなどと抗争を繰り広げる。その後再びOVWに戻り活動を続けたが、2008年2月にWWEとOVWが関係を解消したためFCW所属となった。同じくイギリス出身のステュー・ベネットエンパイアThe Empire)というタッグチームを結成し、5月にエディ・コロン & エリック・ペレスからFCWフロリダタッグチーム王座を奪取。タッグ王座陥落後にベネットとタッグを解消し、シングルで活動。2009年3月19日にジョー・ヘニングからFCWフロリダヘビー級王座を奪取した。6月11日にタイラー・レックスに王座を奪われた。

2009年6月頃からスマックダウンのダーク・マッチに頻繁に登場するようになり、8月のスマックダウンにて入場中のRトゥルースを試合開始前に急襲。これによりRトゥルースとの抗争が展開された。9月には会長のビンス・マクマホン自らが彼と契約を交わすというアングルのもと、未来の世界王者になる男と紹介された。

11月からはIC王者のジョン・モリソンと抗争を開始、12月13日のTLC:テーブルズ・ラダーズ・アンド・チェアーズにてモリソンを破り、インターコンチネンタル王座を獲得した。その後も無敗を継続していたが2010年2月のSmackDown!でのマネー・イン・ザ・バンク予選試合でケイン敗れ無敗記録がストップする。しかし、ビンスが負けた記録を抹消し(ケインのマネー・イン・ザ・バンクへの出場は決定)もう1度無敗のままマネー・イン・ザ・バンク予選試合でマット・ハーディーと戦う。しかしこの試合でも負けてしまうが再びビンスが記録を抹消し、翌週、IC王座とマネー・イン・ザ・バンク出場権の総取り戦をアーロン・ボロと行う。これに圧勝したがレッスルマニアの直前にジ・アンダーテイカーに破れて、さらにレッスルマニアでのマネー・イン・ザ・バンクでも負けてしまう。

レッスルマニア以降はマネー・イン・ザ・バンクで負けた原因をつくったマット・ハーディーを毎週のように襲い続ける。そして5月7日のスマックダウンではGMのセオドア・ロングの制止を振り切りマットに暴行を加えたため謹慎処分となる。それでも暴行をやめなかったため続いてIC王座を剥奪される。それでもさらにマットに暴行を加えたためロングからクビを言い渡されることとなる(もちろんアングル)。しかし翌週のスマックダウンにロングの決定を取り消すという会長からの手紙を持って登場し、スマックダウンに復帰し、王座剥奪もなかったこととなる。その結果トーナメントを勝ち抜き新王者になるはずだったコフィ・キングストンとの抗争が展開する。そして5月23日のオーバー・ザ・リミットでコフィを相手に王座防衛戦をするが試合に敗れ王座を失う。王座陥落後からコーディ・ローデスと共に行動し始める。

9月19日ナイト・オブ・チャンピオンズではタッグチーム・ターモイル形式のWWEタッグ王座戦にローデスと共に出場し、マーク・ヘンリー & エヴァン・ボーン組を破り、王座を獲得する(王者であったハート・ダイナスティはすでにウーソズに敗れていたため、王座から陥落していた)。

10月24日ブラッギング・ライツジョン・シナ & デビッド・オタンガ組に敗れ、王座を失う。王座陥落後のスマックダウンでは王座再冠を目指しビッグ・ショー & コフィ・キングストン組と対戦したが終盤にローデスを見捨てて敗北。試合後のバックステージでも口論になりタッグを解散した。

11月に二年ぶりに開催されたキング・オブ・ザ・リングトーナメントでは予選でMVPを破るが、1回戦でエゼキエル・ジャクソンとダブルカウントアウトで引き分けたため両者共に敗退した。

3MB(スリー・マン・バンド)、(左)マハル、(中央)スレイター

2011年4月末に行われた追加ドラフトでRAWに移籍したが、活躍できず、2012年3月2日のSmackDown!でロングGMより解雇を言い渡された。しかし翌週、一日GMとなったジョン・ロウリネイティスによりホーンスワグルとの試合が組まれ、勝利したことで再び契約を結んだ。 さらに、レッスルマニア28では負傷欠場したクリスチャンの替わりに出場した。 9月、ヒース・スレイタージンダー・マハルと組み3MBを結成。結成当時は左手の親指の付け根を負傷していたためセコンドになったり、訃報により一時期リングを離れていたが、 12月にレスラーとして復帰。

得意技[編集]

フューチャー・ショック
スナップ式ダブルアームDDT。クラッチの位置が通常のリバースフルネルソンよりも深く、相手の腋の下から腕を通しているのが特徴。分かりやすく『フューチャー・ショックDDT』と呼ばれることも多い。
サミング(目潰し)
おもに大一番で逆境の時に使用し、フィニッシャーに繋げる。
バックブリーカー
様々な種類のバックブリーカーを使いこなす。
ビッグブーツ

獲得タイトル[編集]

IC王者時代
FCW王者時代

WWE

FCW

その他

  • IWWインターナショナル・ヘビー級王座 : 1回
  • BCWヘビー級王座 : 2回
  • ICWヘビー級王座 : 1回

その他[編集]

入場曲[編集]

  • Metal Heart A
  • Seeing Red
  • Broken Dreams (Shaman's Harvest) - 現在使用中

脚注[編集]

  1. ^ IWW Title History”. Irish Whip Wrestling.com. 2009年12月25日閲覧。

外部リンク[編集]