アルベルト・デル・リオ

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エル・パトロン・アルベルト
Alberto Del Rio 2010 Tribute to the Troops.jpg
プロフィール
リングネーム エル・パトロン・アルベルト
アルベルト・デル・リオ
アルベルト・バンデラス
ドス・カラス・ジュニア
エル・イホ・デ・ドス・カラス
ドス
エル・ハテナ・ドス
本名 ホセ・アルベルト・ロドリゲス
ニックネーム メキシカン・アリストクラト
エッセンス・オブ・エクセレンス
身長 196cm
体重 108kg
誕生日 1977年5月25日(37歳)
出身地 メキシコの旗 メキシコメキシコシティ
スポーツ歴 レスリング
トレーナー ドス・カラス
エル・シコデリコ
デビュー 2000年9月29日
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アルベルト・デル・リオAlberto Del Rio)のリングネームで知られるアルベルト・ロドリゲスJose Alberto Rodríguez1977年5月25日 - )はメキシコプロレスラーメキシコシティ出身。現在はAAAにてエル・パトロン・アルベルトEl Patron Alberto)のリングネームで所属している。

ドス・カラス・ジュニアDos Caras Jr.)のリングネームを名乗り、覆面レスラーとしてメキシコのメジャー団体であるCMLL、AAAに所属した経験があり、総合格闘家としてDEEPPRIDEなど団体に参戦した事がある。

父は飛鳥仮面のニックネームで知られるドス・カラス。弟はWWE傘下のNXTに所属した経験があり、現在はIWRGなどのメキシコのインディー団体で活動しているエル・イホ・デ・ドス・カラス伯父ミル・マスカラスエル・シコデリコ従兄弟シコデリコ・ジュニアがいる。

来歴[編集]

14歳でレスリングを始め、体格に恵まれていたこともあり強豪として活躍し、2000年にはシドニーオリンピックメキシコ代表に選ばれた。同年よりプロレスラーとなるために父であるドス・カラスの下でトレーニングを開始し、5月9日にメキシコのメジャー団体であるAAAにてドス・カラスがピラタ・モルガンエル・テハノに襲撃されているところを登場して救出し、ドス・カラス・ジュニアDos Caras Jr.)としてデビューを飾った。

プロレス[編集]

プロレスラーとしてのキャリアが間もないながらも2000年9月29日にはPPVであるVerano De Escandalo 2000に出場し、エル・アリブリヘ & ラ・パルカ & サングレ・チカーナと組んでエル・コバルド & エル・テハノ & エスペクトロ・ジュニア & ピラタ・モルガンと8人制タッグマッチを行い勝利した。

2001年1月21日、ドス・カラスとタッグを組んでメキシコナショナルタッグ王座を保持し、因縁の相手でもあるエル・テハノ & ピラタ・モルガンにキャリア初のタイトルマッチを行うが敗戦した。

同年より総合格闘技を開始。

2002年11月17日、K-1ドリームステージエンターテインメント全日本プロレス共催のイベントであるWRESTLE-1に参戦。仮面貴族の隠し兵器であるサム・グレカラスと組んでカズ・ハヤシ & 太陽ケアと対戦し、ダブル・フライング・クロスチョップを繰り出すなど観客を盛り立てて勝利した。

12月15日、ZERO-ONEに参戦し、同じ2世レスラーであるジミー・スヌーカ・ジュニアと組んで横井宏考 & 佐藤耕平と対戦して勝利。

2003年7月、ZERO-ONEに再び参戦。リスマルク・ジュニアと組んでOH祭タッグトーナメントに出場。同月13日、2回戦で小川直也 & 藤井克久と対戦するが敗戦した。

2004年1月4日、ハッスルの旗揚げ戦となるハッスル1に参戦。ソラールと組んでカズ・ハヤシ & 小島聡と対戦するが敗戦した。

2004年10月23日、再びハッスルに参戦。ハッスル6にてリスマルク・ジュニアと組んで出場。高田モンスター軍の一員としてエル・ハテナ・ドスEl Hatena Dos)、リスマルク・ジュニアはエル・ハテナ・ウノとしてコミカルなキャラクターで登場し、ハッスル仮面きん & ハッスル仮面ぎんと対戦するが敗戦した。

同年11月、メキシコのメジャー団体であるCMLLに入団。同月5日、エレア・パーク & ショッカーと組んでラ・フリア・デル・ノルテエクトール・ガルサ & ペロ・アグアヨ・ジュニア & タルサン・ボーイ)と対戦して勝利した。

CMLLデビュー後、しばらくは6人制タッグマッチを中心に出場するが2005年よりタイトル獲得のチャンスの訪れ、5月10日にはCMLL世界ヘビー級王座を保持するウニベルソ・ドスミルに挑戦するが敗戦。27日にはCMLL世界ライトヘビー級王座を保持するウルティモ・ゲレーロに挑戦するが敗戦し、いずれも戴冠するに至らなかった。

2006年3月4日、闘龍門MEXICOに参戦。ワンデイトーナメントであるヤマハカップにリズマルク・ジュニアと組んでエントリーして決勝まで進出するもチャック・パルンボ & ジョニー・スタンボリーと対戦して敗戦し、準優勝に終わった。

3月31日、2世レスラーのトーナメントであるLa Copa Junior 2006に出場し決勝まで進出。エクトール・ガルサと対戦して勝利し、優勝。プロレスラーとしてのキャリア初のタイトルを獲得した。

2007年7月8日、CMLL世界ヘビー級王座を保持するウニベルソ・ドスミルに挑戦して勝利し、ベルトを奪取。CMLL世界ヘビー級王者となってからは2008年12月22日にウルティモ・ゲレーロに敗戦して王座陥落するまで1年に渡りベルトを守り抜いた。

CMLL世界ヘビー級王座陥落後、タイトル戦線では後一歩というところまで行くも届かない状態が続いたものの2009年にはルードに転身して大活躍し、ストーリーラインを盛り上げた。

6月12日、ショッカーとの3本勝負を行って敗戦したのを最後にCMLLを退団した。

総合格闘技[編集]

2001年、総合格闘家であるマルコ・ファスに師事し、史上初の覆面バーリトゥーダーとなった。当初は覆面レスラーの総合格闘技参戦を疑問視する声が主流だったが2001年8月18日に来日し、DEEP2001 in yokohamaで謙吾と対戦した際に右肘脱臼によるTKO勝ちを収めて高いレスリング技術を見せつけた。

10月14日、格闘探偵団バトラーツの格闘ロマン2001 〜YUKI-BOM-BA-YA〜にて村上和成に4分23秒、反則勝ち。

2002年3月30日、Deep 4th Impactで謙吾とのリベンジマッチを組まれ、チョークスリーパーで一本負けを喫したが総合格闘家としての評価を高める。

9月7日、Deep 6th Impactにて中野巽耀とプロレスラー対決を行い、リアネイキッドチョークで勝利。

2003年10月5日、PRIDE 武士道 -其の壱-にてミルコ・クロコップと対戦して46秒で左ハイキックを喰らいKO負け。

9月15日、Deep 12th Impactにてリングスに参戦した経験のあるブラッド・コーラーと対戦して肩固めで勝利。

2004年2月1日、PRIDE.27にて中村和裕に0-3で判定負けを喫した。

WWE[編集]

2009年6月17日、WWEと契約を交わして入団[1]。傘下団体であるFCWにおいてトレーニングを開始し、7月9日にクリス・ローガンとデビュー戦を行うも敗戦。15日にはリングネームをドスDos)へと変更。従兄弟であるシコデリコ・ジュニアとタッグを組んでクリストフ・ヘルツォーク & ヴァンス・アーチャーと対戦して勝利した。30日、リングネームをアルベルト・バンデラスAlberto Banderas)へと変更し、マスクを脱いで素顔で活動。

2010年5月、WWEのダーク・マッチハウス・ショーにて再びドス・カラス・ジュニアとして登場。7月からSmackDownにてアルベルト・デル・リオAlberto Del Rio)にリングネームを変更してプロモーションを行う。専属リングアナリカルド・ロドリゲスを従え、高級車を乗り回し、メキシコの貴族出身を自称する高慢なヒールとして登場し(スペイン王家の血を引くメキシコの大富豪とアナウンスされた)、8月20日の放送においてレイ・ミステリオから勝利を奪うという破格のデビューを飾った。翌週にミステリオを襲撃し負傷させ、アングル上で休場に追い込んだ。その後クリスチャンと抗争するが、クリスチャンが大胸筋断裂で実際に負傷したため、ミステリオ同様の負傷アングルで抗争は終決。入れ替わりに10月1日の放送局移籍記念のSmackDownにてミステリオが復帰、抗争が再開された。

2010年 Tribute to the Troops

11月に2年ぶりに開催されたキング・オブ・ザ・リングでは、予選で専属リングアナウンサーリカルド・ロドリゲスの援護もありビッグ・ショーにカウントアウトで勝利、1回戦でダニエル・ブライアンを破るが、2回戦でミステリオの邪魔が入りジョン・モリソンに敗れた。同年12月から新人発掘番組であるNXTシーズン4では、コナー・オブライアンブローダス・クレイを指導するプロとして登場した。

2011年1月30日、Royal Rumble 2011ランブル戦で優勝し、WrestleMania XXVIIでの世界ヘビー級王座への挑戦権を獲得。4月3日、WrestleMania XXVIIにて王者であるエッジに挑戦するも敗退した。

4月25日、ドラフトでRAWに移籍。6日後のExtreme Rules 2011ではエッジの引退によって空位になった世界ヘビー級王座の新王者を決定するラダー・マッチでクリスチャンと戦うも、エッジの介入もあり(自身もクレイやロドリゲスを介入させていた)敗れ王座戴冠は果たせなかった。

7月17日、Money in the Bank 2011において8選手参加のマネー・イン・ザ・バンク・ラダー・マッチに勝利し、いつでもどこでもWWE王座に挑戦できる権利を獲得。8月14日のSummerSlam 2011ではCMパンクジョン・シナを破り統一WWE王者となったが、試合後にケビン・ナッシュが乱入しパンクを襲撃。そこへデル・リオが登場して挑戦権を行使し、パンクをフォール。メキシコ人初のWWE王者となるが、再戦権を行使したシナと9月18日のNight of Champions 2011にて対戦し敗退、王座を失った。

王座陥落後、10月2日のHell in a Cell 2011でのシナ & CMパンクとのトリプル・スレット・ヘル・イン・ア・セルに勝利してベルトを奪還。10月23日のVengeance 2011ではシナから勝利して王座を防衛するも、11月20日のSurvivor Series 2011でCMパンクに王座を奪われた。12月18日のTLC 2011では王座奪還に失敗。翌19日のRAWでは試合中に股関節を負傷し、欠場に追い込まれた。

2012年WrestleMania XXVIIIの直後に復帰。世界ヘビー級王者であるシェイマスに反則勝ちし、世界王座挑戦権を獲得。以後、シェイマスとの抗争が展開されたが、王座獲得には至らなかった。9月よりオートンとの抗争を開始し、11月6日のSmackDownで一騎打ちを行うも敗戦。オートンとの抗争終了後、TLC 2012にてロドリゲスを襲った3MBを倒すためにフェイスターンする。

2013年1月8日、SmackDownにて世界ヘビー級王者であるビッグ・ショーとラストマン・スタンディングマッチでの王座戦に挑戦し勝利。初の世界ヘビー級王座を戴冠した。その後もビッグ・ショーやジャック・スワガーから王座を守ったが、WrestleMania 29直後のRAWのスワガー & ゼブ・コルター戦で足に大ダメージを負ったところをMr.マネードルフ・ジグラーに挑まれ、王座を失う。しかし、Extreme Rules 2013でスワガーとのアイ・クイットマッチに勝利して挑戦権を守り、Payback 2013にてジグラーと対戦。頭部にダメージを受けていたジグラーの頭を何度も蹴って王座を奪還したことでファンの反感を買い、ヒールターンした。

ジグラーやクリスチャンなどを相手に王座を防衛したが、ロブ・ヴァン・ダムとの対戦でロドリゲスが用意した凶器で敗戦。これをきっかけにロドリゲスを襲撃して専属リングアナから解雇とした。RVD & ロドリゲスと抗争を展開して王座を防衛するも、WWE Hell in a Cell 2013にてシナと対戦して敗戦し、王座を奪われた。

2014年Royal Rumble 2014の開催期間が近づき、復帰する事が発表されていたバティスタを倒す事を宣言。バティスタの友人という程でデル・リオに反感を買ったレイ・ミステリオと短期抗争を展開し、勝利したもののバックステージから乱入したバティスタからリング外へと追い出された。Royal Rumble 2014ではロイヤルランブルマッチにて27番目に登場し、続いて28番目に登場してきたバティスタとの対戦を迎えるも脱落させられる結果に終わった。

Elimination Chamber 2014ではバティスタとシングルマッチによる遺恨戦を組まれたものの故障していた事もあり、出場する事を拒否していたもののリングへと入ると故障を偽り、松葉杖を使ってバティスタを奇襲するも敗戦した。

バティスタとの抗争後、IC王座挑戦権争奪トーナメントやUS王座争奪4wayマッチなどに出場するも結果を出せず、Money in the Bank 2014では世界ヘビー級王座争奪ラダーマッチに出場するもベルトを奪取するに至らなかった。

8月7日、スタッフと言い争いを起こしていた事など、素行不良によりWWEから解雇となった[2]

AAA[編集]

WWE解雇後、2014年8月11日、同月17日にAAAにて行われる年間最大のイベントであるTriplemanía XXIIにて復帰する事が発表された[3]。アルベルト・デル・リオはWWEが商標登録しているため、リングネームをエル・パトロン・アルベルトEl Patron Alberto)へと変更した[4]。9月14日、Ring & Rock StAAArs 3にてミステシス & ラ・パルカと組んでラ・ヌエバ・ソシエダードアベルノ & エル・テハノ・ジュニア & ペロ・アグアヨ・ジュニア)と対戦して勝利した。

10月8日、WRESTLE-1のWRESTLE-1 TOUR 2014 初代王者決定トーナメントにて11月1日に開催されるイベントであるHOLD OUTに参戦する事が発表された[5]。そして11月1日、WRESTLE-1にて船木誠勝と対戦。船木の蹴り技に苦戦するも最後には隙をついて横入り式エビ固めで勝利した[6]

人物[編集]

初代タイガーマスクの試合をビデオで見てプロレスラーを志した。」と語るほど日本マットへの思い入れが強い[7]

得意技[編集]

現在のフィニッシャー。飛びつき腕挫き十字固め。総合格闘技で四点ポジションと呼ばれる相手が四つん這い状態からの巻き込み式や、仰向けにダウンしている相手に一般的な腕ひしぎ十字固めの要領でかける場合もある。
コーナーにもたれかかっている相手に対してよく使用する。たまにトップロープ上の相手にも使用する。場合によってはフィニッシャーに成り得る(主に不意打ちの時)。
  • ダブル・ニー・アームブリーカー
バックスタバーの要領で相手の腕に飛びつき引き倒しながら相手の腕にダメージを与える。基本的には正面から仕掛けるが、ごくまれに背後から仕掛ける場合もある。
尻もちをついたり膝から崩れている相手の顔面を狙って放つ。2013年6月、この技でジグラーから世界王座を獲ったことで「世界王座を獲った蹴り」とたびたびアナウンスされ、格下の相手に対してはフィニッシャーとなる。
ウルティモ・ゲレーロの得意技ゲレーロ・スペシャルと同型の雪崩式リバース・ブレーンバスター。
コーナーでの攻防時まれに使用する。
  • ダイビング・フットスタンプ
コーナーでの攻防時、相手を逆さ吊り状態にして上から踏み潰すタイプをごくまれに使用する。

獲得タイトル[編集]

WWE
CMLL

戦績[編集]

総合格闘技 戦績
14 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
9 2 7 0 0 0 0
5 2 1 1 1
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
× ヤマモト・ハンシ 2R 2:47 TKO(パンチ連打) Cage of Combat 4: Spanish Bombs 2010年2月27日
アルター・バート 1R 3:51 KO(ハイキック) Cage of Combat 3: San Vale Tudo 2010年2月13日
森谷俊之 1R 3:17 ネッククランク Cage of Combat 1 2009年12月26日
イグナシオ・ラグーナ 2R 2:36 チョークスリーパー Berkman MMA Promotions 1 2008年12月15日
ハト・キヨシ 2R 2:31 チョークスリーパー MMA Xtreme 17 2007年12月15日
フォアオ・トゥア 1R 2:41 フロントチョーク MMA Xtreme 14 2007年10月13日
ジョージ・キング 1R 4:00 チョークスリーパー VFX: Vale Tudo Fighters Mexico 2007年5月27日
× 中村和裕 3R(10分/5分/5分)終了 判定0-3 PRIDE.27 TRIUMPHAL RETURN 2004年2月1日
× ミルコ・クロコップ 1R 0:46 KO(左ハイキック) PRIDE 武士道 2003年10月5日
ブラッド・コーラー 1R 1:25 タップアウト(右肩負傷) DEEP 12th IMPACT in OHTAKU 2003年9月15日
× 伊藤博之 1R 3:21 反則
(ロープを掴んでの攻撃)
DEEP 9th IMPACT in KORAKUEN HALL 2003年5月5日
中野巽耀 1R 4:05 チョークスリーパー DEEP2001 6th IMPACT in ARIAKE COLOSSEUM 2002年9月7日
× 謙吾 2R 3:56 チョークスリーパー DEEP2001 4th IMPACT in NAGOYA 2002年3月30日
謙吾 1R 0:50 TKO(ドクターストップ:右肘脱臼) DEEP2001 in YOKOHAMA 2001年8月18日

入場曲[編集]

  • Funba Rumba
  • Realeza
  • Realeza 2013

脚注[編集]

  1. ^ WWE Signs Dos Caras Jr. 411mania.com、2009年6月18日閲覧。
  2. ^ Alberto Del Rio released WWE.com、2014年8月7日閲覧。
  3. ^ Alberto Del Río en Triplemanía XXII AAA、2014年8月11日閲覧。
  4. ^ Alberto Del Rio's New Ring Name Revealed, Latest On Him Possibly Wrestling On Sunday, More PWMania.com 2014年8月15日閲覧。
  5. ^ 11.1両国に元WWEデル・リオが参戦=W-1 Yahoo Japan ニュース、2014年10月8日閲覧。
  6. ^ 武藤敬司デビュー30周年記念大会「HOLD OUT」第8試合 スポーツナビ、2014年11月1日閲覧。
  7. ^ 東京スポーツ 2012年5月19日号 28面 デル・リオ独占インタビュー参照

外部リンク[編集]