スティング (プロレスラー)
| スティング | |
|---|---|
| プロフィール | |
| リングネーム | スティング スティーブ・ボーデン フラッシュ フラッシュ・ボーデン ブレイドランナー・フラッシュ |
| 本名 | スティーブ・ボーデン |
| ニックネーム | 超銀盤戦士 銀色狼 THIS IS スティング |
| 身長 | 192cm |
| 体重 | 120kg |
| 誕生日 | 1959年3月20日(54歳) |
| 出身地 | ネブラスカ州オマハ |
| 所属 | TNA |
| トレーナー | ビル・アンダーソン レッド・バスチェン リック・ベースマン テリー・ファンク |
| デビュー | 1985年 |
スティング(Sting、1959年3月20日 - 、本名:スティーブ・ボーデン(Steve Borden))は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ネブラスカ州オマハ出身。1990年代のWCWを代表するスーパースターである。現在はTNAに所属。
顔中に塗られた派手なペイントが特徴のレスラーとして名を馳せているが、ごく稀にペイント無しの素顔で登場する場合もある。かつて入場曲にメタリカの『SEEK AND DESTROY』を使用していた。
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来歴 [編集]
ロサンゼルス郊外ベニスビーチの「ゴールド・ジム」に入会した際、そこでインストラクターをしていたジム・ヘルウィッグ(後のアルティメット・ウォリアー)と共に元AWA世界タッグ王者レッド・バスチェンにスカウトされる。1985年11月、ヘルウィッグとのタッグチーム、ジャスティス&フラッシュの「フリーダム・フォース」としてカリフォルニア地区でデビュー。後にスティング&ロックの「ブレード・ランナーズ」にチーム名を改め、当時大人気だったロード・ウォリアーズのフェイク版となって活動した。
その後、ルイジアナ州のUWF(ビル・ワット主宰)に参戦するが、ヘルウィッグがUWFを離脱したことでチームは解散。単身でUWFに残り、ヒールとしてエディ・ギルバートやリック・スタイナーらとユニットを組む。1987年の夏にUWFがNWAジム・クロケット・プロモーションズに買収され、翌年に同団体がWCWに移行してからはベビーフェイスに転向。以降、NWA世界ヘビー級王者リック・フレアーやグレート・ムタとの抗争で人気を博す。1988年3月27日、WCWがWWFのレッスルマニアIVと同日に開催した「クラッシュ・オブ・ザ・チャンピオンズ」でのフレアーとのNWA世界タイトルマッチは45分時間切れの名勝負となり、トップスターの仲間入りを果たした。
1989年、全日本プロレスへのワンマッチ参戦で初来日。アメリカでの活躍が知れ渡っており期待されたが、ダニー・スパイビーに敗れここでは評判倒れに終わった。1990年7月にはフレアーからNWA世界ヘビー級王座を奪取。1991年1月にフレアーに敗れ王座転落。その後は8月25日、トーナメントを制してWCW USヘビー級王座を獲得した。1992年2月29日には盟友レックス・ルガーを破ってWCW世界ヘビー級王座を獲得した。1995年1月4日には、新日本プロレスの格闘技トーナメントに参加。決勝でアントニオ猪木と激突した。
1996年、レックス・ルガーとのタッグでWCW世界タッグ王座を獲得。nWoとの抗争をきっかけに長期欠場し、復帰後は映画『ザ・クロウ』(邦題『クロウ - 飛翔伝説』)の主人公・エリック・ドレイベンをモチーフとした白黒ペイントを施しギミックチェンジを果たした。
その後もnWoに対抗できる唯一の存在として活躍、nWoがハルク・ホーガン派とケビン・ナッシュ派に分裂すると、ナッシュ派のnWoである「ウルフパック」に加入し、ペイントも同チームのテーマカラーである赤バージョンに変更した。WWF(現WWE)から移籍して来たブレット・ハートに敗退してからは長期欠場。復帰後は白黒ペイントにリターンし、ベビーフェイスの立場を貫き続けてた。
2001年春、WCWは崩壊。しかしスティングはWWEへの移籍を選ばず、WCWの残党が多く集まったWWAに参戦。同団体の活動停止後はTNAにも度々ゲスト参戦(試合はほとんど行わず)。2004年には、ハワイのプロレス団体HCWに、グレート・ムタとのタッグなどで試合している。その後ケン・シャムロックやミック・フォーリーらと、プエルトリコに新団体GCWの旗揚げを計画し、2005年8月の開催とカードも決定していたが、前売りチケットの売れ行きの不振から中止になった。2005年12月にTNAと正式契約し、ジェフ・ジャレットが率いるヒール軍団と抗争を開始。その際、レックス・ルガーとバフ・バグウェルを登場させ、ジャレット達を挑発した。2006年10月22日、ジャレットを下しNWA世界ヘビー級王座を獲得。現在はカート・アングルとTNA世界ヘビー級王座(TNAのNWA脱退によって新設されたベルト)を巡って抗争している。 2010年にはケビン・ナッシュと共にTNAを退団したが、2011年には『TNA iMPACT!』の放送内で「3311」プロモ(同時期にWWEがアンダーテイカーの復帰を予告する為に流していた「2211」プロモと同じような内容)が流れ、3月3日放送のTNA iMPACT!のTNA世界ヘビー級王座戦でTNAに復帰し、ジェフ・ハーディーを倒して新王者となった。その後はミスター・アンダーソンと彼と手を組んだハルク・ホーガンが率いる軍団「イモータル」を相手に王座を巡って抗争、襲撃をされたり黒と白を基調にする前の彼の格好をしたミスター・アンダーソンに挑発されるなどをした。6月12日のSlammiversary Ⅸで行われたミスター・アンダーソンとの王座戦の試合中にエリック・ビショフが介入、介入された隙を狙われて王座から転落した。翌週のImpact! Wrestlingでホーガンを暴行、その後顔のペイントを崩した状態にするようになり、性格も豹変し、アメリカン・コミック『バットマン』に登場する悪役ジョーカーのようになった。
得意技 [編集]
- スコーピオン・デスドロップ(リバースDDT)
- ペイントが白黒バージョンになってからの得意技。使い始めたきっかけはnWoが台頭し始めた当初、試合をせずに乱入だけ行っていたが、その際に急に天井より下りてきて後ろから相手の髪を掴み、そしてリバースDDTを食らわして去っていくというスティング独特の非常に見栄えがするものであった。ジョニー・スミスの使用するブリティッシュ・フォール型や、時にスイング式も使用した。
- スコーピオン・デスロック
- アメリカではブレット・ハートと並ぶこの技の使用者の二大双璧に位置する。大一番等ではえげつない程腰を深く落とす。なおアメリカでこの手の技は、ブレットの影響からシャープシューターと呼ばれる事が殆どであるが、スティングのもののみがスコーピオン・デスロックと呼ばれる。
- スティンガー・スプラッシュ
- 上記の必殺技二つ以上に、スティングの代名詞的な技。コーナーにもたれかかった(背面やコーナーに横たわった場合もあり)相手へ、対角線上から走りこんでのジャンピング・ボディ・アタック。
- フェイス・クラッシャー
- リフトアップ・スラム
- ダイビング・クローズライン
- 黒バット(固有凶器)
獲得タイトル [編集]
- TNA世界ヘビー級王座:3回
- TNA世界タッグ王座:1回(w / カート・アングル)
- NWA世界ヘビー級王座:2回
- WCW世界ヘビー級王座:6回
- WCW世界タッグ王座:3回(w / レックス・ルガー、ザ・ジャイアント、ケビン・ナッシュ)
- WCWインターナショナル世界ヘビー級王座:2回
- WCW USヘビー級王座:2回
- WCW TV王座:1回
- UWF世界タッグ王座:3回(w / エディ・ギルバート×2、リック・スタイナー)
- WWA世界ヘビー級王座 : 1回
その他インディ団体のベルトを含め多数獲得。
逸話 [編集]
- WCW時代に、新日本に参戦した際、武藤敬司とタッグを組んだ時は、武藤に自分と同じようなペイントをさせて試合していたが、決して自分より上手に描かなかったらしい。当時誌面では『ムティング』と呼ばれており、闘魂Vで武藤が解説で出ていた際に『あいつ、自分のよりかっこよく書いてくれないんですよ』と語っている。
- 多くのトップレスラーがWWEと旧NWA系団体(WCW、TNAなど)を行き来している中、スティングは一度もWWEに籍を置いたことがない数少ないレスラーである。これについてリック・フレアーは自身のDVDの中でアルティメット・ウォリアーとの比較で「スティングはビンスの下へ行くべきだった。ウォリアーより10倍はうまかった。スティングがいればホーガンVSウォリアー戦は実現することはなかったんだ」と述べている。
外部リンク [編集]
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