テリー・テイラー
| テリー・テイラー | |
|---|---|
| プロフィール | |
| リングネーム | テリフィック・テリー・テイラー スケアリー・テリー・テイラー テレンス・テイラー レッド・ルースター ドクター・フィールグッド |
| 本名 | ポール・W・テイラー3世 |
| ニックネーム | The Taylor Made Man |
| 身長 | 187cm |
| 体重 | 113kg(全盛時) |
| 誕生日 | 1955年8月12日(57歳) |
| 出身地 | サウスカロライナ州グリーンビル |
| デビュー | 1979年 |
| 引退 | 1995年 |
テリー・テイラー(Terry Taylor)のリングネームで知られるポール・W・テイラー3世(Paul W. Taylor III、1955年8月12日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー、ブッカー。サウスカロライナ州グリーンビル出身。
ブッカーとしての才能をビンス・マクマホンやダスティ・ローデスに認められ、現役引退後の1995年からはクリエイティブ・スタッフの立場でWWEとWCWを股にかけて活動、マンデー・ナイト・ウォーズが激化していた両団体のバックステージで辣腕を振るった[1]。
近年はTNAにてタレント・リレーション部門の取締役を務めていた[2]。
目次 |
来歴 [編集]
エディ・グラハムにスカウトされ、1979年にNWAフロリダ地区のFCWにてデビュー[3]。以降、中西部のCSW、アラバマのSECW、テネシーのCWA、ジョージアのGCWなどを転戦し、各地のローカル・タイトルを獲得。1981年6月7日にはレス・ソントンを破りNWA世界ジュニアヘビー級王座にも載冠している[4][5]。
1983年頃よりビル・ワットが主宰するミッドサウス地区のMSWAに定着。金髪の二枚目ベビーフェイスとして女性の人気を集め、1984年6月にはクラッシャー・クルスチェフからミッドサウスTV王座を[6]、1985年3月にはテッド・デビアスから北米ヘビー級王座を奪取した[7]。1986年にMSWAが団体名をUWFと改称してからも、主力フェイスとしてデビアスやバズ・ソイヤーらと抗争。1987年2月7日に行われたUWF世界タッグ王座決定トーナメントにはクリス・アダムスと組んで出場し、決勝で若手時代のスティング&リック・スタイナーを破りチャンピオン・チームとなった[8]。UWFがNWAのジム・クロケット・プロモーションズに買収されると、1987年11月26日の『スターケード』にてニキタ・コロフとUWFとNWAの両TV王座統一戦を行い[9][10]、この試合に敗れたことを機にNWAを離脱。
その後、テキサス州ダラスのWCCWを経て、1988年にデビアスの仲介でWWF(現・WWE)へ移籍する。ミッドサウス時代と同様にベビーフェイスの "スケアリー" テリー・テイラー("Scary" Terry Taylor)として登場したが、同年下期よりレッド・ルースター(The Red Rooster)を名乗ってヒールに転向。ボビー・ヒーナン率いるヒーナン・ファミリーの一員となり、11月24日の『サバイバー・シリーズ』ではハルク・ホーガン&ランディ・サベージのチームと対戦した[11]。翌1989年1月7日の『サタデー・ナイト・メイン・イベント』でヒーナンと仲間割れしてベビーフェイスに戻るが、ミッドカードのポジションからオーバーすることはできず、1990年の上期にWWFを退団[1]。
WWF離脱後の1990年7月、全日本プロレスに初来日。同年下期よりWCWに参戦し、ヒールとして女性マネージャーのアレキサンドラ・ヨーク率いるヨーク・ファウンデーションに加入する。1992年2月17日にはグレッグ・バレンタインとのコンビでロン・シモンズ&ビッグ・ジョッシュからWCW USタッグ王座を奪取した[12]。同年8月には新日本プロレスの『G1クライマックス』に来日し、NWA世界ヘビー級王座決定トーナメントに出場している。
帰国後の1992年9月、"テリフィック" テリー・テイラー("Terrific" Terry Taylor)の名でWWFに復帰。ヒールのカラー・コメンテーターも兼任したが、翌1993年8月にWCWに戻り、ベビーフェイスの中堅として1994年まで在籍。その後、シカゴのAWFを経て、1995年に現役を引退してブッカーとしてWCWに復帰。エリック・ビショフやケビン・サリバンらと共に、『マンデー・ナイトロ』のシナリオ作成を担当した[1]。
以降、ブッカーやライターなどクリエイティブ・スタッフとしてWCWとWWFを行き来し、ライバル関係にあった両団体の番組構成(WCWの『マンデー・ナイトロ』とWWFの『ロウ・イズ・ウォー』)に横断的に携わるようになる[1]。1998年から1999年にかけてはアティテュード路線最盛期のWWFに所属していたが、2000年よりシナリオ・ライターのビンス・ルッソーらと共にWCWに復職[1]。2001年3月のWCW崩壊後はカナダ・オンタリオ州のBorder City Wrestlingに参画した[1]。
2002年9月より『スマックダウン』のロード・エージェントとしてWWEに迎えられたものの、翌2003年7月に解雇[1]。以降はTNAを中心に活動し、2004年1月にはIWAジャパンに来日した。
2011年5月20日付でTNAを解雇され、現在はWWEのファーム団体NXTレスリングのトレーナーを務めている[13]。
得意技 [編集]
- コック・オブ・ザ・ウォーク(Cock of the Walk)
- ルースター・ウイング(Rooster Wing)
- フライング・フォアアーム
- サンセット・フリップ
獲得タイトル [編集]
- SECW
- NWAサウスイースタンTV王座:1回
- NWAサウスイースタン・ヘビー級王座:1回
- NWAナショナルTV王座:1回
- NWAセントラル・ステーツTV王座:1回
- NWAセントラル・ステーツ・タッグ王座:1回(w / ブルドッグ・ボブ・ブラウン)
- AWA南部ヘビー級王座:3回
- AWA南部タッグ王座:1回(w / スティーブ・カーン)
- CWAインターナショナル・ヘビー級王座:2回
- CWAミッドアメリカ・ヘビー級王座:1回
- WCWAテキサス・ヘビー級王座:1回
- WCWA世界タッグ王座:1回(w / アイスマン・キング・パーソンズ)
- WCW世界6人タッグ王座:1回(w / トーマス・リッチ&リチャード・モートン)
- WCW USタッグ王座:1回(w / グレッグ・バレンタイン)
- その他
- NWA世界ジュニアヘビー級王座:1回
- BCWカンナム・タッグ王座:1回(w / サイラス)
脚注 [編集]
- ^ a b c d e f g “Wrestler Profiles: Terry Taylor”. Online World of Wrestling. 2012年11月18日閲覧。
- ^ “TNA News: Sources say VP of talent relations fired Friday”. Pro Wrestling Torch: May 20, 2011. 2012年11月18日閲覧。
- ^ 『THE WRESTLER BEST 1000』P230(1996年、日本スポーツ出版社)
- ^ “NWA World Junior Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2009年12月18日閲覧。
- ^ “Les Thornton - What you DIDN'T know!: By Terry Taylor”. SLAM! Wrestling: February 23, 2005. 2010年2月20日閲覧。
- ^ “Mid-South Television Title History”. Wrestling-Titles.com. 2009年12月18日閲覧。
- ^ “North American Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2009年12月18日閲覧。
- ^ “UWF World Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2009年12月18日閲覧。
- ^ “UWF World Television Title History”. Wrestling-Titles.com. 2009年12月18日閲覧。
- ^ “Starrcade 1987”. ProWrestling History.com. 2010年1月4日閲覧。
- ^ “Survivor Series 1988”. pWw - Everything Wrestling. 2010年10月4日閲覧。
- ^ “WCW United States Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2009年12月18日閲覧。
- ^ “Executive Administration: Terry Taylor”. NXT Wrestling. 2012年11月18日閲覧。