スティーブ・カーン

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スティーブ・カーン
プロフィール
リングネーム スティーブ・カーン
ドインク・ザ・クラウンII
スキナー
ザ・ゲーター
本名 ステファン・ポール・カーン
ニックネーム 南部の虎
皮剥ぎ魔
身長 183cm
体重 98kg(全盛時)
誕生日 1951年9月10日(63歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
フロリダ州タンパ
スポーツ歴 レスリング
トレーナー ザ・ファンクス
ジャック・ブリスコ
ジェリー・ブリスコ
エディ・グラハム
ヒロ・マツダ
デビュー 1972年
引退 2004年
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スティーブ・カーンSteve Keirn)ことステファン・ポール・カーンStephen Paul Keirn1951年9月10日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーフロリダ州タンパ出身。

1980年代スタン・レーンとのタッグチームファビュラス・ワンズ」、1990年代WWFでの「スキナー」などの活動で知られる。近年はWWEのファーム団体FCWおよびNXTレスリングのディレクターを務めている[1]

来歴[編集]

エディ・グラハムが主宰する地元フロリダのCWF(Championship Wrestling from Florida)にて1972年にデビュー。1975年4月には全日本プロレスに初来日している。以降もCWFを主戦場に、正統派レスリングを身上とするベビーフェイスとして活動、1976年にはボブ・バックランドと組んでボブ・ループ&ボブ・オートン・ジュニアからNWAフロリダ・タッグ王座を奪取した[2]

1979年12月10日、前王者ネルソン・ロイヤルの引退で空位となっていた NWA世界ジュニアヘビー級王座決定トーナメントにて、決勝でチャボ・ゲレロを破り新王者となる[3][4]。翌1980年1月、新日本プロレスに来日。札幌WWFジュニアヘビー級王者藤波辰巳とダブル・タイトルマッチを行うが敗退、王座から陥落した(以後、同王座は「NWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座」として日本に定着)[4]

その後はジム・バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリングに参戦し、バロン・フォン・ラシクからNWAジョージア・ヘビー級王座[5]を、テリー・ファンクケビン・サリバンからNWAナショナルTV王座[6]をそれぞれ奪取。1981年からはテネシー州メンフィスCWAに進出、ロン・バスバグジー・マグローら巨漢ヒールを破りミッドアメリカ・ヘビー級王座を獲得した[7]

1982年、フロリダでのライバルでもあったスタン・レーンを相棒に、ファビュラス・ワンズThe Fabulous Ones)をCWAにて結成する。それまでの地味なイメージを払拭し、コスチュームも派手なものに一新。1980年代のアイドル系タッグチームの先駆的存在となり、後のロックンロール・エクスプレスやファンタスティックスなどにも影響を与えた。CWAでは1982年から1985年にかけてAWA南部タッグ王座を通算14回獲得[8]1984年にはバーン・ガニアが牛耳るAWA本隊にも出場し、ロード・ウォリアーズとも抗争を展開している。

1987年のファビュラス・ワンズ解散後はフロリダ地区に戻り、CWFの後継団体FCW(Florida Championship Wrestling)にて1989年頃まで活動。1990年にはCWAの後継団体であるテネシーのUSWAでファビュラス・ワンズを一時的に再結成した。また、この時期よりプロレスリング・トレーナーとしての活動も開始しており、デニス・ナイトマイク・オーサムジム・スティールジェフ・ファーマーなどがカーンの指導のもとデビューしている。

1991年夏、エバーグレーズワニ密猟者をイメージしたヒールスキナーSkinner)に変身してWWFに登場。ボロボロのネルシャツをリング・コスチュームに、噛みタバコで口中を真っ黒に染め、狩猟ナイフやワニの爪を凶器に用いるなど、大胆なキャラクターチェンジを図った。ジョバーのポジションながら、ベテランの中堅ヒールとしてWWFには1993年下期まで在籍し、1991年12月3日にはPPV "This Tuesday in Texas" にてブレット・ハートインターコンチネンタル王座にも挑戦。1993年4月4日のレッスルマニアIXでは2人目のドインク・ザ・クラウンDoink the Clown)に扮した[9]

1994年からはWCWに参戦。盟友スタン・レーンのパートナーでもあった元ミッドナイト・エクスプレスボビー・イートンと組み、新チームのバッド・アティテュードBad Attitude)を結成するも活躍の機会には恵まれず、PPVのダーク・マッチなどに出場していた。WCW解雇後はセミリタイアし、タンパ周辺のインディー団体に単発的に出場。2001年10月には久々に新日本プロレスに来日し、かつてのライバル藤波とのタッグも実現させた。

2004年よりスマックダウンのロード・エージェントとしてWWEと契約し、翌2005年5月にフロリダ州デイトナビーチプロレスラー養成所 "School of Hard Knocks" を開校(後にフロリダ州ブランドンに移転)。2007年には、かつて主戦場としていたフロリダ地区の団体と同じ名称の新団体 "FCW" をWWEのファーム組織として旗揚げ[10]。以降は団体運営と後進の指導・育成に携わり、2012年8月より新人発掘番組NXTとの統合で団体名がNXTレスリングと改称されてからも、引き続き代表職を務めている[1]

得意技[編集]

獲得タイトル[編集]

CWF
  • NWAフロリダ・ヘビー級王座:5回
  • NWAフロリダ・タッグ王座:12回(w / マイク・グラハム×9、ジム・ガービンボブ・バックランドブライアン・ブレアー
  • NWAフロリダTV王座:1回
  • NWAブラスナックル王座(フロリダ版):1回
  • NWA南部ヘビー級王座(フロリダ版):2回
  • NWA北米タッグ王座(フロリダ版):1回(w / マイク・グラハム)
  • NWA USタッグ王座(フロリダ版):5回(w / マイク・グラハム×3、スタン・レーン×2)
GCW
  • NWAジョージア・ヘビー級王座:1回
  • NWAジョージア・タッグ王座:1回(w / ミスター・レスリング
  • NWAナショナルTV王座:2回
CWA / USWA
  • NWAミッドアメリカ・ヘビー級王座:2回
  • AWA南部ヘビー級王座:1回
  • AWA南部タッグ王座:17回(w / スタン・レーン×14、ビル・ダンディー×2、テリー・テイラー
  • CWAインターナショナル・タッグ王座:1回(w / マーク・スター)
  • CWA世界タッグ王座:2回(w / スタン・レーン)
  • USWA世界タッグ王座:1回(w / スタン・レーン)
その他

脚注[編集]

  1. ^ a b NXT Wrestling: Executive Administration”. NXT Wrestling. 2012年11月18日閲覧。
  2. ^ NWA Florida Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月15日閲覧。
  3. ^ NWA World Junior Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2009年12月14日閲覧。
  4. ^ a b NWA International Junior Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2009年12月14日閲覧。
  5. ^ NWA Georgia Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月15日閲覧。
  6. ^ NWA National Television Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月15日閲覧。
  7. ^ NWA Mid-America Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月15日閲覧。
  8. ^ AWA Southern Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月15日閲覧。
  9. ^ Wrestler Profiles: Doink The Clown”. Online World of Wrestling. 2009年12月14日閲覧。
  10. ^ Area Wrestling Will Continue Under A New State Banner”. The Tampa Tribune. 2007年10月24日閲覧。

外部リンク[編集]