IWA・JAPAN

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IWA・JAPAN(アイダブリューエージャパン)は日本のプロレス団体の一つ。正式な会社名および表記はI.W.A.JAPANプロレス株式会社。なお、国際プロレスIWA、レスリング・ユニオンのIWA格闘志塾IWA湘南IWA流山とは無関係である。

目次

[編集] 概要

W★INGプロモーションにて、悪役マネージャーだったビクター・キニョネスが、W★INGプロモーションの崩壊により、残されたレスラー達を救済する目的によって旗揚げされる。

旗揚げ戦は1994年5月21日東京後楽園ホールにて行われる(実際にはこの直前に神奈川・横須賀臨海公園特設リングで旗揚げ前夜祭を行っている)。当時、実際のオーナーはキニョネスだったが、登記その他の理由から、日本人の若手実業家を社長に迎える(後に、団体内のトラブルからキニョネスが代表となる)。

IWA流山(後のユニオンプロレス)から移籍した荒谷信孝をエースに、W★INGプロモーションからスライドした金村ゆきひろが対抗し、それにキニョネスがブッキングした外国人レスラーが絡むと言う図式で興行を行う。

その後、金村がFMWに、荒谷がWARに移籍し、両エースが離脱する事態に直面するが、金村同様、W★INGからスライドした中牧昭二小野浩志が『血みどろブラザーズ』を結成し、過激なデスマッチを展開、それに加えキニョネスのブッキングでテリー・ファンクダン・スバーンカクタス・ジャック等の大物レスラーを招聘し、一時は川崎球場で興行を行う程の隆盛を得る。

だが、小野の引退や中牧の離脱といった事態が発生。さらに1996年にはキニョネスが帰国し、団体運営に携わらなくなり、資金面で苦戦し、何度も崩壊の危機に直面するが、その都度ファンの支えにより何とか団体として持続、一時は若手選手の山田圭介が社長に就任するが、1999年に退団。その後、当時後援者でもあった、浅野起州(あさの たつくに)が社長に就任する。

上記の通り、何度も存続の危機に見舞われるが、その都度危機を乗り越え、ネームバリューのある外国人レスラーの招聘や、プロレスリング・ノアを始めとする他団体との交流を行っている。また、『二丁目劇場』と銘打った、浅野社長を中心とする抗争もマニアからの支持を受け、現在も小規模ながら、継続的な興行を行っている。

2007年より公式サイトが閉鎖(単なるリンク切れ)。

[編集] 現在の所属選手

[編集] レフェリー

[編集] 過去に所属・準所属した主な選手

[編集] 女子部門

[編集] 過去に参戦した主な選手

[編集] 外国人選手

[編集] 他団体選手

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