バディ・ランデル
| バディ・ランデル | |
|---|---|
| プロフィール | |
| リングネーム | "ネイチャー・ボーイ" バディ・ランデル |
| 本名 | ウィリアム・アンソー |
| 身長 | 183cm - 188cm |
| 体重 | 100kg - 110kg |
| 誕生日 | 1961年8月17日(51歳) |
| 出身地 | テネシー州ノックスビル |
| トレーナー | ボリス・マレンコ[1] |
| デビュー | 1979年[1] |
| 引退 | 2001年[1] |
"ネイチャー・ボーイ" バディ・ランデル("Nature Boy" Buddy Landel、本名:William Ansor、1961年8月17日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。テネシー州ノックスビル出身。
キャラクターからコスチュームに至るまで、"ネイチャー・ボーイ" リック・フレアーのスタイルをそっくりコピーしたヒールとして、アメリカ南部を中心に各団体で活動した。
目次 |
来歴 [編集]
ボリス・マレンコのトレーニングを受け、ランディ・サベージの父アンジェロ・ポッフォが運営していたケンタッキー州レキシントンのインディー団体ICW(インターナショナル・チャンピオンシップ・レスリング)にて1979年11月にデビュー。同団体にはマレンコの盟友ボブ・ループが参画しており、デビュー戦ではループのパートナーだったボブ・オートン・ジュニアの胸を借りた[2]。
若手のベビーフェイスとして各地を転戦しキャリアを積んだ後、リック・フレアーのスタイルを真似た金髪のエゴイスト系ヒールに変身。テネシー州メンフィスのCWAでは1983年にダッチ・マンテルやココ・ウェアとミッドアメリカ・ヘビー級王座を争い[3]、1984年はビル・ワット主宰のMSWAにてジャンクヤード・ドッグと抗争した。
1985年、「にせフレアー」のギミックでジム・クロケット・ジュニアの運営するNWAミッドアトランティック地区に参戦。J・J・ディロンをマネージャーに迎え、自分こそが真の"ネイチャー・ボーイ" であると主張して本家のリック・フレアーと抗争を展開、6月から9月にかけて、フレアーのNWA世界ヘビー級王座に再三挑戦した[4]。11月28日にはテリー・テイラーからNWAナショナル・ヘビー級王座を奪取、12月19日にダスティ・ローデスに敗れ短命政権に終わったものの[5]、フレアー、ローデス、マグナムTA、ニキタ・コロフらとの対戦を通しメジャーテリトリーでの実績を築いた。
1986年はミッドアトランティックと古巣のCWAを股にかけて活動し、CWAではビル・ダンディーをパートナーにジェリー・ローラー&ダッチ・マンテルのコンビと抗争。その後はアラバマのCCW(コンチネンタル・チャンピオンシップ・レスリング)を経て、1988年1月には全日本プロレスに初来日したが、負傷のため途中帰国している。同年はプエルトリコのWWCで活動し、8月20日にTNTを破りカリビアン・ヘビー級王座を獲得した[6]。
その後は初期のWCWなどを経て、1990年代中盤まではCWAの後継団体USWAや、ジム・コルネットが主宰していたノックスビルのSMW(スモーキー・マウンテン・レスリング)を主戦場に活躍。1993年11月22日にはジェフ・ジャレットからUSWAヘビー級王座を奪取[7]、SMWでは1994年12月5日にブライアン・リーを破りTV王座を獲得した[8]。
当時、SMWとUSWAはWWFと提携しており、1995年8月4日にはSMWで開催された "Superbowl of Wrestling" のメインイベントでショーン・マイケルズのWWFインターコンチネンタル王座に挑戦[9]。同年末にはWWF本隊にも出場し、12月17日に開催のPPVシリーズ『イン・ユア・ハウス』の第5回大会 "Seasons Beatings" では、ディーン・ダグラスをセコンドにアーメッド・ジョンソンと対戦するも秒殺された[10][11]。なお、同大会でのランデルの入場テーマ曲は、1990年代初頭にリック・フレアーがWWFに在籍していた際に使用された、WWFのアレンジ・バージョンによる "Also sprach Zarathustra" が用いられた。その後も『マンデー・ナイト・ロウ』のアンダーカードにてボブ・ホーリーや無名時代のマット・ハーディーから勝利を収めたが[11]、WWFにレギュラー参戦することはなかった。
1990年代後半はIWAミッドサウスなどのインディー団体で活動し、1997年11月7日にIWAミッドサウス・ヘビー級王座を獲得[2]。1999年2月にはアンダーカードのジョバーとして再びWWFに登場し、2月15日と16日に収録された "WWF Shotgun" の枠内においてザ・ゴッドファーザーとトリプルHのジョバーを務めた[11][12]。2001年1月には当時WWFの下部団体だったOVWにも出場[11]。同年8月11日、アラバマ州バーミングハムでのトミー・リッチ戦を最後に現役を引退した[1]。
リタイア後の近年も地元のテネシーやアラバマのインディー団体に時折出場しており、2010年11月19日にはNWAレッスル・バーミングハム主催のノスタルジア・ショーに登場。グレッグ・バレンタイン&キャメロン・バレンタインと組み、ジェイク・ロバーツ、ブルータス・ビーフケーキ、ブリックハウス・ブラウンのトリオと6人タッグマッチで対戦した[2][11]。
得意技 [編集]
リック・フレアーのイミテーションをギミックとしていたランデルは、ファイトスタイルもフレアーのムーブをそのまま取り入れ、フレアー自身がコピーした "元祖ネイチャー・ボーイ" バディ・ロジャースのステップも踏襲していた。
獲得タイトル [編集]
- NWAナショナル・ヘビー級王座:1回[5]
- ミッドサウスTV王座:1回[14]
- WWCカリビアン・ヘビー級王座:1回[6]
- WWCカリビアン・タッグ王座:1回(w / テリー・ギッブス)
- WWC北米ヘビー級王座:1回
- WWC北米タッグ王座:1回(w / テリー・ギッブス)
- USWAヘビー級王座:1回[7]
etc.
脚注 [編集]
- ^ a b c d “08/04/01 Interview with Buddy by Ryan Byers”. DDT Digest. 2011年8月4日閲覧。
- ^ a b c d “Wrestler Profiles: "Nature Boy" Buddy Landel”. Online World of Wrestling. 2011年8月4日閲覧。
- ^ a b “NWA-CWA Mid-America Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年8月4日閲覧。
- ^ “The Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1985”. Wrestling-Titles.com. 2011年8月4日閲覧。
- ^ a b “NWA National Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年8月4日閲覧。
- ^ a b “WWC Caribbean Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年8月4日閲覧。
- ^ a b “USWA Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年8月4日閲覧。
- ^ a b “SMW "Beat the Champ" Television Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年8月4日閲覧。
- ^ “Smoky Mountain Wrestling Superbowl of Wrestling”. ProWrestling History. 2011年8月4日閲覧。
- ^ “WWE Yearly Results 1995”. The History of WWE. 2011年6月20日閲覧。
- ^ a b c d e “Matches von Buddy Landel 1995-2010”. Cagematch. 2011年8月4日閲覧。
- ^ “WWE Yearly Results 1999”. The History of WWE. 2011年6月20日閲覧。
- ^ “AWA Southern Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年8月4日閲覧。
- ^ “Mid-South Television Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年8月4日閲覧。
- ^ “SMW Heavyweigh Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年8月4日閲覧。