ボブ・ブラウン (プロレスラー)
| ブルドッグ・ボブ・ブラウン | |
|---|---|
| プロフィール | |
| リングネーム | ブルドッグ・ボブ・ブラウン |
| 本名 | ロバート・ハロルド・ブラウン |
| ニックネーム | 猛犬 |
| 身長 | 184cm[1] |
| 体重 | 120kg(全盛時)[1] |
| 誕生日 | 1938年10月16日 |
| 死亡日 | 1997年2月5日(満58歳没) |
| 出身地 | |
| トレーナー | バーン・ガニア ブロンコ・ナグルスキー |
| デビュー | 1950年代後半 |
| 引退 | 1996年 |
ブルドッグ・ボブ・ブラウン("Bulldog" Bob Brown)のリングネームで知られるロバート・ハロルド・ブラウン(Robert Harold Brown、1938年10月16日 - 1997年2月5日)は、カナダ・マニトバ州出身のプロレスラー[2]。
"ブルドッグ" の異名通りのブルファイターとして[1]、カナダ各地やアメリカ合衆国中西部のNWAセントラル・ステーツ地区を主戦場に活動。ブッカーやカラー・コメンテーターを兼任するなどリング外でも活躍した[3]。
目次 |
来歴 [編集]
警察官を経て[2]、1950年代後半にプロレスラーとしてデビュー[3]。以後、1960年代前半までは地元マニトバの団体マディソン・レスリング・クラブにて活動。1965年よりアメリカ合衆国に本格的に進出し、ミズーリおよびカンザスを拠点とするNWAセントラル・ステーツ地区に登場。同地区のプロモーターでもあったボブ・ガイゲルとのコンビでセントラル・ステーツ版の北米タッグ王座を再三獲得した[4]。
1969年にカナダに戻り、バンクーバーのNWAオールスター・レスリングに参戦。ジン・キニスキーやビッグ・ジョン・クインらとのタッグで活躍 [5]する一方、シングルでも1970年10月9日にドン・レオ・ジョナサン、1972年2月7日にマーク・ルーインからパシフィック・コースト・ヘビー級王座を奪取している[6]。
1973年からは再びセントラル・ステーツ地区に参戦し、以降1980年代にかけて同地区に定着。1973年10月11日にはフラッグシップ・タイトルであるNWAセントラル・ステーツ・ヘビー級王座をハーリー・レイスから奪取[7]。その後もレイス(1974年8月1日)、マイク・ジョージ(1976年4月10日、同年9月5日、1980年10月23日)、ボブ・スウィータン(1977年10月30日、1981年12月14日)、キラー・カール・コックス(1980年8月16日)、デューイ・ロバートソン(1983年5月12日)、ビル・ダンディー(1987年2月27日)らを破り同王座を獲得するなど、戴冠歴は通算20回におよぶ[7]。
タッグ王座も再三獲得しており、1974年2月28日にロード・アル・ヘイズと組んでマイク・ジョージ&ジム・ブランゼル、1978年10月14日にはボブ・スウィータンをパートナーにジェシー・ベンチュラ&タンク・パットンから同地区版のNWA世界タッグ王座を奪取[8]。セントラル・ステーツ・タッグ王座には、1980年3月20日にディック・マードックとのコンビでブルーザー・ブロディ&アーニー・ラッド、同年6月18日にもパット・オコーナーと組んでタカチホ&パク・ソン、1984年12月9日にはマーティ・ジャネッティを従えてジプシー・ジョー&ミスター・ポーゴを下すなど、通算10回戴冠した[9]。
また、同地区ではブッキング業務も担当し、NWAの基幹団体「セントラル・ステーツ・レスリング」の番頭格となってボスのボブ・カイゲルをサポート。日本へは1973年2月に全日本プロレスに初来日しており、以降もNWAのエージェント兼任の中堅外国人選手として、1985年3月まで6回に渡って来日した。なお、1986年4月20日にミネアポリスのメトロドームで開催されたAWAのビッグイベント "WrestleRock" ではジャイアント馬場とシングルマッチで対戦している[10]。
WWFの全米侵攻に伴いプロレスリング・ビジネスのテリトリー制が崩壊し、アライアンスとしてのNWAが事実上解体した1980年代後半からは、アメリカを離れ故郷のカナダにて活動。ノバスコシアやニューブランズウィックなど大西洋岸のマリタイム地区を拠点とするアトランティック・グランプリ・レスリングでは、海外武者修行中だったマサ・チョーノこと蝶野正洋をパートナーに、1988年7月にAGPW北米タッグ王座を獲得している[11]。カルガリーのスタンピード・レスリングでは甥のケリー・ブラウン(リック・バレンタイン)[12]とのコンビで活躍し、1989年6月9日にクリス・ベノワ&ビーフ・ウェリントンからインターナショナル・タッグ王座を奪取した[13]。
その後はウィニペグのインディー団体WFWAの運営に携わりつつ、レスラーとしても1992年頃までリングに上がり、クリス・ジェリコ、ランス・ストーム、ドン・キャリスなど当時の若手選手とも対戦[14]。彼らの育成に尽力した。
1996年に心臓発作を起こしてプロレス業界から引退し、1997年2月5日に死去[2][3]。58歳没。晩年は、往時の主戦場セントラル・ステーツ・レスリングの本拠地だったカンザスシティにてカジノの警備員に転じていた[2][3]。
得意技 [編集]
獲得タイトル [編集]
- NWAセントラル・ステーツ・ヘビー王座:20回[7]
- NWAセントラル・ステーツ・タッグ王座:10回(w / ガマ・シン、ディック・マードック、パット・オコーナー、ルーファス・R・ジョーンズ、テリー・テイラー、バズ・タイラー×3、マーティ・ジャネッティ、キューバン・アサシン)[9]
- NWA世界タッグ王座(セントラル・ステーツ版):3回(w / ロード・アル・ヘイズ、アレックス・スミルノフ、ボブ・スウィータン)[8]
- NWA北米タッグ王座(セントラル・ステーツ版):5回(w / ボブ・ガイゲル)[4]
- NWA USヘビー級王座(セントラル・ステーツ版):1回
- NWAオールスター・レスリング
- NWAパシフィック・コースト・ヘビー級王座:3回[6]
- NWAカナディアン・タッグ王座(バンクーバー版):9回(w / ダッチ・サベージ×2、ビッグ・ジョン・クイン×4、ジン・キニスキー×2、アル・トムコ)[5]
- NWAインターナショナル・タッグ王座(バンクーバー版):1回(w / バズ・タイラー)
- アトランティック・グランプリ・レスリング
脚注 [編集]
- ^ a b c 『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P52(2002年、日本スポーツ出版社)
- ^ a b c d “Canadian Hall of Fame: Bulldog Bob Brown”. SLAM! Wrestling: June 21, 2011. 2011年11月20日閲覧。
- ^ a b c d “Wrestler Profiles: "Bulldog" Bob Brown”. Online World of Wrestling. 2011年11月20日閲覧。
- ^ a b “NWA North American Tag Team Title History: Central States version”. Wrestling-Titles.com. 2011年11月20日閲覧。
- ^ a b “NWA Canadian Tag Team Title History: Vancouver version”. Wrestling-Titles.com. 2011年11月20日閲覧。
- ^ a b “NWA Pacific Coast Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年11月20日閲覧。
- ^ a b c “NWA Central States Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年11月20日閲覧。
- ^ a b “NWA World Tag Team Title History: Central States version”. Wrestling-Titles.com. 2011年11月20日閲覧。
- ^ a b “NWA Central States Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年11月20日閲覧。
- ^ “AWA Wrestlerock”. The Smart Marks.com. 2011年11月20日閲覧。
- ^ a b “AGPW North American Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年11月20日閲覧。
- ^ “Wrestler Profiles: "Pitbull" Kerry Brown”. Online World of Wrestling. 2011年11月20日閲覧。
- ^ a b “Stampede Wrestling International Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年11月20日閲覧。
- ^ “Wrestlers Database: Bob Brown”. Cagematch.net. 2011年11月20日閲覧。