ドン・レオ・ジョナサン
| ドン・レオ・ジョナサン | |
|---|---|
| プロフィール | |
| リングネーム | ドン・レオ・ジョナサン モルモン・ジャイアント マイティ・ロコ |
| 本名 | ドン・ヒートン |
| ニックネーム | 人間台風 モルモンの暗殺者 |
| 身長 | 196cm |
| 体重 | 140kg(全盛時) |
| 誕生日 | 1931年4月29日(82歳) |
| 出身地 | ユタ州ソルトレイクシティ |
| トレーナー | ブラザー・ジョナサン |
| デビュー | 1949年 |
| 引退 | 1980年 |
ドン・レオ・ジョナサン(Don Leo Jonathan、1931年4月29日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。ユタ州ソルトレイクシティ出身。本名はドン・ヒートン(Don Heaton)、日本での異名は「人間台風」「モルモンの暗殺者」。
目次 |
来歴 [編集]
「モルモンの殺人者」と称されたプロレスラー、ブラザー・ジョナサンの息子。父のトレーニングのもと、1949年にプロレスラーとしてデビュー。1958年9月には日本プロレスに初来日を果たし、力道山のインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦している。
1961年1月にネブラスカ州オマハでドクターX(ビル・ミラー)を破ってオマハ版AWA世界ヘビー級王座を奪取。同年4月にもドクターX、5月には王座決定戦でボボ・ブラジルを下し、同王座は通算3回獲得している。ただし、無欲な性格もあってビッグタイトルにはこれ以外縁がなかった。
日本には日本プロレスをはじめ国際プロレスや全日本プロレスに来日し、ジャイアント馬場と名勝負を繰り広げている。馬場とはアメリカ修業時代に巨人コンビを結成した仲で、馬場が全日本旗揚げ直後に行った「世界ヘビー級争覇戦」(初代PWFヘビー級王座の決定戦となった)の対戦相手8人にも起用されているほか、1975年にはオープン選手権に参加。豪華メンバーを集めたリーグ戦にあってナチュラルな強さで存在感を発揮した。ただし、観客動員力はあまりなかったとされている。国際プロレスではアンドレ・ザ・ジャイアントとも対戦し、アンドレ自身にスケールの大きなプロレスを開眼させたという。
北米ではカナダ全土を主戦場とする一方、ニューヨークのWWWFにもヒールのポジションで度々登場。グラン・ウィザードをマネージャーに、ブルーノ・サンマルチノやペドロ・モラレスのWWWF世界ヘビー級王座に挑戦した。
巨体ながらトンボを切れるほどの卓越した運動神経と多彩なレスリングテクニックの持ち主で、またジャイアント馬場のキーロックを片手で軽々と担ぎ上げ(1967年)、若き日のアンドレをハイジャック・バックブリーカーで振り回し(1973年、カナダ)、ジャンボ鶴田のキーロックも場外で担ぎ上げたままリングに上がり(1978年)、果ては狩猟で仕留めた300キロもある大鹿を担いで山を降りたなど、怪力無双のエピソードも尽きない。その底の知れない強さは「その気になればルー・テーズを越えるレスラーになる」といわれていた。
得意技 [編集]
獲得タイトル [編集]
- AWA世界ヘビー級王座(オマハ版) : 3回
- NWA世界タッグ王座(バンクーバー版) : 1回(w / ドミニク・デヌーチ)
- NWAカナディアン・タッグ王座(バンクーバー版) : 18回(w / キンジ渋谷、 ジン・キニスキー、ヘイスタック・カルホーン×2、ドミニク・デヌーチ、ロッキー・ジョンソン、パット・バレット、ジョン・トロス、ジミー・スヌーカ、ダッチ・サベージ、ビッグ・ジョン・クイン、etc.)
- NWAパシフィック・コースト・ヘビー級王座(バンクーバー版) : 5回
- NWAインターナショナル・タッグ王座(ウィニペグ版) : 2回(w / ホイッパー・ビリー・ワトソン、ジム・ハーディー)
- NWAカナディアン・オープン・タッグ王座(トロント版) : 1回(w / ジン・キニスキー)
- NWAカナディアン・ヘビー級王座(カルガリー版) : 1回
- NWAブラスナックル王座(テキサス版) : 1回
- NWAテキサス・ヘビー級王座 : 1回
- WWAインターナショナルTVタッグ王座(ロサンゼルス版) : 1回(w / フレッド・ブラッシー)
- その他
- IWA世界ヘビー級王座(モントリオール版) : 2回
- CWA世界ヘビー級王座(ドイツ版) : 1回
- EWU世界ヘビー級王座(南アフリカ版) : 1回
- IWA世界タッグ王座(オーストラリア版) : 2回(w / Antonio Pugliese)