オットー・ワンツ
| オットー・ワンツ | |
|---|---|
| プロフィール | |
| リングネーム | オットー・ワンツ ビッグ・オットー ブルドッグ・オットー グラン・ラパン |
| 本名 | オットー・ワンツ |
| ニックネーム | 欧州の重戦車 |
| 身長 | 188cm |
| 体重 | 162kg - 175kg |
| 誕生日 | 1943年6月13日(70歳) |
| 出身地 | |
| スポーツ歴 | ボクシング |
| デビュー | 1969年 |
| 引退 | 1990年12月22日 |
オットー・ワンツ(Otto Wanz、1943年6月13日 - )は、オーストリア・グラーツ出身の元プロレスラー、プロモーター。
ヨーロッパを代表するプロレス団体CWA(Catch Wrestling Association)の総帥として知られた。AWA世界ヘビー級王座奪取(第28代王者)やIWGPリーグ戦への連続出場など、アメリカや日本でも実績を残している。
目次 |
来歴[編集]
アマチュア・ボクシングで活動後、ドイツ(当時西ドイツ)のプロモーターだったグスタル・カイザーにスカウトされて1969年にプロレスラーに転身[1]。丸々とした体型のコミカルかつパワフルなベビーフェイスとして、地元のオーストリアやドイツを主戦場に、主に子供ファンからの人気を集めた[1]。1973年1月にはグラン・ラパンのリングネームで国際プロレスに初来日している。
1973年8月、南アフリカのケープタウンにてジャン・ウィルキンスを破り、初代のCWA世界ヘビー級王者となる[2]。以降、ドイツを本拠地とするCWAのエース兼プロモーターとして活躍、1976年にはアントン・ヘーシンクと防衛戦を行い、1978年11月にはローラン・ボックが主催した「欧州世界選手権シリーズ」においてアントニオ猪木の挑戦も受けた(新日本プロレスには、1976年1月にブルドッグ・オットー名義で初参戦している)[1]。この間、1977年9月にヨハネスブルグでドン・レオ・ジョナサンに敗れベルトを失うが、翌1978年7月に奪還に成功した[2]。
1982年よりアメリカのAWAと提携し、ボビー・ダンカンやバロン・フォン・ラシクを招聘してCWA王座の挑戦者に迎える一方、自身もアメリカに遠征。同年8月29日、ミネソタ州セントポールでニック・ボックウィンクルからAWA世界ヘビー級王座を奪取し、世界的な名声を獲得した[3]。
1983年5月には新日本のIWGP決勝リーグ戦に「欧州代表」として参戦。同年11月の第4回MSGタッグ・リーグ戦や翌1984年5月のIWGP王座決定リーグ戦にも出場した。戦績は芳しくなかったものの、新日本との提携強化やアメリカ人レスラーとの人脈形成において、CWA代表としての外交手腕を発揮。アンドレ・ザ・ジャイアント、サージェント・スローター、ディック・マードック、ビッグ・ジョン・スタッド、ブラックジャック・マリガン、キングコング・バンディらのブッキングを実現させている[4]。
CWA王者としても彼らを相手に防衛を重ね[1]、1987年からはブル・パワーとの抗争をスタート。欧州とアメリカを股にかけて、CWA世界王座の争奪戦を繰り広げた[2]。1990年6月30日、ホームタウンのグラーツでブル・パワーから王座を奪回すると、その場でタイトルを返上して引退を表明[1]。同年12月22日のブレーメン・トーナメント最終日におけるテリー・ファンク戦を最後に現役を引退した[1]。
以降、1990年代はフランス系カナダ人のランボーにエースの座を譲り、自身はCWAのプロモート業に専念。当時の欧州マットはWWFの世界戦略の影響で壊滅状態にあったが、CWAはワンツが過去の渉外活動で構築してきたネットワークを活かし、ロード・ウォリアー・ホーク、ルドヴィッグ・ボルガ、パパ・シャンゴ、アルティメット・ウォリアーなどフリーランスの大物選手を招聘して独自の活動を続けた。新日本プロレスとの友好関係も維持し、蝶野正洋、船木優治、山本広吉、小島聡ら当時の歴代の若手選手が海外武者修行としてCWAに遠征。石澤常光は、ワンツのアイデアによりCWAマットで「ケンドー・カシン」に変身した。1990年代半ばからは新日本を媒介にWCWとも提携。アレックス・ライトらがCWA経由でWCWに登場した。
2000年にCWAが活動を停止してからはプロレス界から勇退。近年は俳優として映画やテレビなどのショービジネス界で活動している[5]。本国オーストリアでは根強い人気を誇り、CMなど広告媒体への出演も数多い[5]。
得意技[編集]
- スチームローラー
- ヒップ・プレス
- ビッグ・オットー・スプラッシュ(コーナーへのボディ・スプラッシュ)
獲得タイトル[編集]
- CWA世界ヘビー級王座:4回 [2]
- AWA世界ヘビー級王座:1回 [3]
脚注[編集]
- ^ a b c d e f 『THE WRESTLER BEST 1000』P119(1996年、日本スポーツ出版社)
- ^ a b c d “CWA World Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月22日閲覧。
- ^ a b “AWA World Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月22日閲覧。
- ^ 1988年7月9日のグラーツでのビッグショーにはブルーザー・ブロディの出場が予定され、ワンツとのCWA世界王座戦が組まれていたが、開催3日前に急遽キャンセルされている(『Gスピリッツ Vol.13』P105 / 2009年、辰巳出版 / ISBN 4777807150)。約1週間後、ブロディはプエルトリコで急逝。
- ^ a b “Wrestler Profiles: Big Otto Wanz”. Online World of Wrestling. 2009年10月24日閲覧。
外部リンク[編集]
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