ターザン・タイラー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ターザン・タイラー
プロフィール
リングネーム ターザン・タイラー
ターザン・ターヴィル
ザ・ブート(La Botinne)
本名 Camille Tourville
ニックネーム 密林王
身長 185cm
体重 120kg
誕生日 1927年
死亡日 1985年12月20日(満58歳没)
出身地 カナダの旗 カナダ
ケベック州モントリオール
トレーナー ジャック・ルージョー・シニア
エドワード・カーペンティア
デビュー 1950年代
テンプレートを表示

ターザン・タイラーTarzan Tyler1927年 - 1985年12月20日)は、カナダの元プロレスラーケベック州モントリオール出身のフランス系カナダ人。本名はCamille Tourville。日本での異名は「密林王」。

目次

来歴[編集]

1949年デビュー。悪役レスラーとしてその名を轟かせ、とりわけ1964年2月にテキサス州ヒューストンで大暴走の末に手錠をかけられて警官隊に連行された事件は、プロレス史上に伝説として残っている[1]

1967年9月、日本プロレスに初来日。10月6日に同じく初来日のカウボーイ・ビル・ワットとのコンビでジャイアント馬場&吉村道明からインターナショナル・タッグ王座を奪取している[2]。王座海外流出阻止を期した日本側は吉村に代えてアントニオ猪木を馬場のパートナーとしBI砲が誕生、10月31日大阪府立体育会館での初防衛戦でタイトル奪還に成功している。タイラーはこの後も日本プロレス、国際プロレス全日本プロレスに来日しており、1967年11月1日には蔵前国技館で馬場のインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦したほか、1968年には日本プロレスのワールドリーグ戦に出場している。

北米では地元のモントリオールを中心に、アメリカ合衆国南部NWA圏やニューヨークWWWF(現・WWE)で活躍。WWWFではブルーノ・サンマルチノWWWF世界ヘビー級王座に何度となく挑戦する一方、1971年6月3日にはルーク・グラハムとのコンビで初代のWWWF世界タッグ王者に認定された[3]ルイジアナ州ニューオーリンズで行われたとされる架空のトーナメント決勝戦において[4]ディック・ザ・ブルーザー&ザ・シークを破り優勝したとして戴冠[5])。同年11月12日にはジートベポザ・モンゴルズを下しWWWFインターナショナル・タッグ王座も獲得している[6]

1972年アンドレ・ザ・ジャイアントツームストーン・パイルドライバーで首を負傷し、再起不能を宣告される(以降、アンドレはツームストーン・パイルドライバーを自ら禁じ手とした[1])。その後、奇跡的に復活して1976年1月には全日本プロレスへの来日も果たしたが、かつての迫力は失われていた。1985年、交通事故が原因で死去[1]

エピソード[編集]

  • リングネームの由来は、学生時代にセントローレンス川を泳ぎ切り "ターザン" とあだ名されたことによるものだという[1]
  • 生肉を常食していたとされ、手錠事件での暴走も、対戦相手が試合前のテレビインタビューで「生肉食いの臭い奴」とタイラーを侮蔑してみせたのが一因だといわれている。

獲得タイトル[編集]

NWA
WWWF

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 『THE WRESTLER BEST 1000』P35(1996年、日本スポーツ出版社
  2. ^ NWA International Tag Team Title Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年6月4日閲覧。
  3. ^ History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2010年6月4日閲覧。
  4. ^ Wrestler Profiles: Luke Graham”. Online World of Wrestling. 2010年6月4日閲覧。
  5. ^ WWWF World Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年6月4日閲覧。
  6. ^ WWWF International Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年7月15日閲覧。

外部リンク[編集]