ニュートン・タットリー

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ニュートン・タットリー
プロフィール
リングネーム ジート・モンゴル
ザ・モンゴル
ブラック・ジャック・ダニエルズ
(ブラックジャック・ダニエル)
トニー・ニューベリー
ミスター・ロウバスト
スカンクマン
本名 ニュートン・タットリー
身長 180cm - 185cm
体重 115kg - 125kg
誕生日 1931年7月12日(82歳)
出身地 カナダの旗 カナダ
ノバスコシア州スプリングヒル
トレーナー デイブ・マッキグニー
デビュー 1954年
引退 1982年
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ニュートン・タットリーNewton Tattrie1931年7月12日 - )は、カナダノバスコシア州出身の元プロレスラー

ジート・モンゴルGeeto Mongol)のリングネームで知られ[1]ベポ・モンゴルおよびボロ・モンゴルを従えたモンゴリアンギミック悪役タッグチームザ・モンゴルズThe Mongols)のリーダー格として活躍した[2]

来歴[編集]

12歳の頃に家を飛び出し、第二次世界大戦中はトロントのストリート・キッズになっていたという[3]1954年ボクシングを習おうとして入ったジムでプロレスラーの "ワイルドマン" デイブ・マッキグニーと出会い、彼の指導のもとレスリングを習得するが、体が小柄だったためプロレスを定職とすることはできず、以降10年もの間、油田で働きながらリングに上がっていた[3]

1963年スチュ・ハートの主宰するカルガリースタンピード・レスリングに参戦、飛躍のきっかけを掴む[3]。トロントのジム以来の旧友ワルドー・フォン・エリックの仲介でニューヨークWWWFにも出場し、トニー・ニューベリーTony Newberry)のリングネームでジョバーを務めた[4]南部NWA圏ではブラック・ジャック・ダニエルズBlack Jack Daniels)を名乗り、1967年2月14日にスタン・コワルスキーと組んでフロリダ版のNWA南部タッグ王座を獲得[5]、同月には「ブラックジャック・ダニエル」の表記で日本プロレスに初来日している。

1968年、カルガリーに戻りミスター・ロウバストMr. Robust)の名で活動後、クロアチア移民のヨシップ・ペルゾビッチをパートナーにザ・モンゴルズを結成[3]。自身は「ジート・モンゴル」、ペルゾビッチには「ベポ・モンゴル」と名乗らせ、辮髪に毛皮のコスチュームをまとったモンゴリアンギミックの無法コンビとして、カナダやアメリカ北東部を中心に活動を開始する。

1970年よりWWWFに再登場し、6月15日にマディソン・スクエア・ガーデンのリングでビクター・リベラ&トニー・マリノを破りWWWFインターナショナル・タッグ王座を奪取[6]。翌1971年6月18日にピッツバーグにてブルーノ・サンマルチノ&ドミニク・デヌーチに敗れて一度はタイトルを失うも、2週間後の7月2日に奪回、11月12日にターザン・タイラー&ルーク・グラハムに明け渡すまで、ベポとのコンビで王座を保持した[6]

同時期、ピッツバーグの興行権をブルーノ・サンマルチノから購入してプロモート業にも着手[7]NWFのペドロ・マルチネスに買収される1972年まで、WWWFにおける同地区の興行を担当した[3]。WWWFインターナショナル・タッグ王座も1971年12月18日にジョニー・デファジオと組んでタイラー&グラハムから奪還したが、NWFのピッツバーグ買収に伴い、1972年に同王座は封印されている[6]

1972年7月にはベポ・モンゴルを帯同して日本プロレスに参戦。1973年にベポがモンゴルズを脱退すると、ピッツバーグでスカウトしたビル・イーディーに「ボロ・モンゴル」を名乗らせて後任とし[3]、NWFにてモンゴルズを再編[8]1974年4月には新生モンゴルズとして新日本プロレスの『第1回ワールドリーグ戦』に来日。予選リーグで上位に食い込み決勝リーグに進出し、アントニオ猪木坂口征二キラー・カール・クラップスタン・ステイジャックらと対戦したが、戦績は全敗に終わった。

以降、ペドロ・マルチネスも参画していたエディ・アインホーン主宰のIWAやジム・クロケット・ジュニアの運営するNWAミッドアトランティック地区などで活動[8]1976年7月には新日本プロレスに再来日したが、同年秋にボロとのコンビも解消してモンゴルズを解散させた。

その後はシングルプレイヤーのザ・モンゴルThe Mongol)として、トロント、セントルイスジョージアなど各地への転戦を経て、1982年に現役を引退[3]1985年よりバージニア・ビーチに居住し、レスリング・スクールを5年間運営していた[3]。同スクール出身のヘンリー・ロビンソンとジャック・ワーイングがUNWに来日している。

獲得タイトル[編集]

NWAフロリダ
  • NWA南部タッグ王座(フロリダ版):1回(w / スタン・コワルスキー)[5]
WWWF
  • WWWFインターナショナル・タッグ王座:3回(w / ベポ・モンゴル×2、ジョニー・デファジオ)[6]
NWF
  • NWF世界タッグ王座:1回(w / ベポ・モンゴル)[9]
IWA

指導選手[編集]

脚注[編集]

  1. ^ リングネームの綴りは "Geto" 、読みは「ギト」または「ギート」とされる場合もある。
  2. ^ Tag Team Profiles: The Mongols”. Online World of Wrestling. 2011年7月12日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h Canadian Hall of Fame: Geto Mongol”. SLAM! Wrestling. 2011年7月12日閲覧。
  4. ^ WWE Yearly Results 1965”. The History of WWE. 2011年7月12日閲覧。
  5. ^ a b NWA Southern Tag Team Title History: Florida version”. Wrestling-Titles.com. 2011年7月12日閲覧。
  6. ^ a b c d WWWF International Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年7月12日閲覧。
  7. ^ Wrestler Profiles: Geeto Mongol”. Online World of Wrestling. 2011年7月12日閲覧。
  8. ^ a b Masked Superstar Match Results”. Mid-Atlantic Gateway. 2011年7月12日閲覧。
  9. ^ NWF World Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年7月12日閲覧。
  10. ^ IWA World Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年7月12日閲覧。

外部リンク[編集]