ジャック・ブリスコ

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ジャック・ブリスコ
ジャック・ブリスコの画像
2008年WWE殿堂セレモニーにて
(右は弟のジェリー・ブリスコ
プロフィール
リングネーム ジャック・ブリスコ
本名 フレディ・ジョー・ブリスコ
ニックネーム 南部の麒麟児
身長 188cm
体重 108kg(全盛時)
誕生日 1941年9月21日
死亡日 2010年2月1日(満68歳没)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
オクラホマ州ブラックウェル
スポーツ歴 レスリング
デビュー 1965年
引退 1984年
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ジャック・ブリスコJack Brisco)のリングネームで知られるフレディ・ジョー・ブリスコFreddie Joe Brisco1941年9月21日 - 2010年2月1日)は、アメリカ合衆国の元プロレスラーオクラホマ州ブラックウェル出身。日本での異名は「南部の麒麟児」。実弟ジェラルド・ブリスコ(ジェリー・ブリスコ)も元プロレスラー。

来歴[編集]

NCAA全米学生選手権で1964年2位、1965年優勝をはじめ、レスリング時代の戦績89戦87勝2敗という実績をひっさげてオクラホマのプロモーター、リロイ・マクガークにスカウトされ1965年にプロレスラーとしてデビュー。その後テキサス州オーストラリアフロリダ州を転戦。同郷のダニー・ホッジとの連戦で力を付ける。

1967年には日本プロレスに初来日。1971年8月にはアントニオ猪木UNヘビー級王座に挑戦して敗れている。

最初から超大型新人だったこともあって、テキサス北部のプロモーターだったドリー・ファンク・シニアに息子たちの売り出しの道具として利用されるが、次第にスター選手の地位を確立し、1973年7月20日、テキサス州ヒューストンハーリー・レイスを破り第48代NWA世界ヘビー級王者となる。1974年1月には全日本プロレスに初登場し、現王者ブリスコ、前王者レイス、元王者ドリー・ファンク・ジュニアが揃った豪華シリーズで、ジャイアント馬場ジャンボ鶴田、ドリー、レイス、ザ・デストロイヤーの挑戦をすべて退ける。12月2日鹿児島県立体育館で馬場に敗れて王座転落も1週間後豊橋市体育館にて奪回。1975年12月テリー・ファンクに敗れて王座転落後は一度も返り咲いていない。1976年8月にはジャンボ鶴田と復活したUN王座の決定戦で対戦するが敗れている。

1979年には新日本プロレスに登場し、NWF選手権で猪木と再び対戦するが敗戦。最後の来日は1981年、全日本への参戦でチャンピオン・カーニバル及びインターナショナル・ヘビー級王座決定トーナメントに出場した。以上のように、馬場から王座を奪回した試合を除いて日本でのビッグマッチでほとんど勝っていないという奇妙な一流レスラーである。ただし、それぞれの試合の名勝負としての評価は確たるものがある。

以降は主にジェリーとのタッグなどで活動し、第一線からは退いた。NWAジョージア地区(GCW)の興行株を取得し、弟ジェリー、オレイ・アンダーソンポール・ジョーンズジェリー・オーツフレッド・ワードと共に株主になっていたが、1984年4月に自らとジェリー、ジョーンズ、オーツで興行株の持分合計51%をWWF(現・WWE)のビンス・マクマホンに売却し、自分たちもWWFに移籍する。

このブリスコ兄弟の行動は、結果としてNWAの衰退とWWFの全米侵攻を促進したわけで、そのため同業者のプロモーターからの激しい憎悪を買った。WWF移籍後しばらくは番組にも登場したりしていたが、1984年12月を最後に、引退試合を行わないままリングを去っている。それ以来、ブリスコ本人は『プロレスが行われるアリーナには出向いていなかった』という。引退後はフロリダで自動車修理工場を経営していた。

一方、弟ジェリーはWWEに残り、現在も重役の責を担っている。一時期は前述の事情でOB会などにも姿を現さなかったが、近年になって顔を出すようになったという。

2008年3月には弟ジェリーと共にWWE殿堂に迎えられた。

2010年2月1日に死去。68歳没。近年は循環器系の問題や肺気腫にかかるなどに健康に問題を抱えており、亡くなる数週間前に開胸手術を行い、リハビリを受けている最中であった[1]

得意技[編集]

獲得タイトル[編集]

  • NWA世界ヘビー級王座
  • フロリダ地区認定南部ヘビー級王座
  • フロリダヘビー級王座
  • ミズーリ州ヘビー級王座
  • フロリダタッグ王座

その他含め13タイトルを合計45回獲得している。

補足[編集]

  • レスリングのバックボーンを生かし、スマートなスタイルで人気を得たものの、その分力強さに欠け、また技にオリジナルなものが無かったため、同業者からの評価はあまり高くない。ジャイアント馬場は「逃げるレスリングをしていた」と評していて、ブリスコからならNWAベルトを取れると目論んでいたらしい(事実そうなった)。もっとも、ルー・テーズからの評価は高く、「すべてにおいて文句の付けようがない。NWAの権威を守った最後のレスラー」と絶賛している。
  • 生涯のライバルはドリー・ファンク・ジュニア。新人時代にかませ犬にされたことから始まり、キャリアを積んだ後もNWA王座を巡って何度も対戦している(日本でも1974年1月にこの二人の対戦は実現している)。
  • レイス・モデルのNWAヘビー級ベルトを赤のベルベットから黒革に作り変えたのはブリスコである。また同ベルトを最初に使用したのもレイスではなくブリスコである。
  • アメリカン・インディアンの血を受け継いでいる。
  • NWA王者時代の超ハード・スケジュールから、「飛行機のシートが私のベッドだ」という言葉を残した。

脚注[編集]

  1. ^ "Jack Brisco dead at 68”. SLAM! Wrestling. 2010年2月1日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]