レイ・スティーブンス

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レイ・スティーブンス
プロフィール
リングネーム レイ・スティーブンス
レイ・シャイアー
本名 カール・レイモンド・スティーブンス
ニックネーム ザ・クリップラー
ブロンド・ボンバー
金髪の悪魔
身長 183cm
体重 112kg(全盛時)
誕生日 1935年9月5日
死亡日 1996年5月3日(満60歳没)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ウェストバージニア州ポイント・プレザント
デビュー 1950年
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レイ・スティーブンスRay "The Crippler" Stevens、本名:Carl Raymond Stevens1935年9月5日 - 1996年5月3日)は、アメリカ合衆国プロレスラーウェストバージニア州ポイント・プレザント出身。

現役選手時代は "The Blond Bomber" の異名を持つ金髪ヒールとして活躍した。小柄ながら、気風のいいファイトスタイルとケレン味のある試合巧者ぶりで一時代を築き、スーパースター・ビリー・グラハムリック・フレアーをはじめ彼から影響を受けた選手は数多い[1]

※日本では「レイ・スチーブンス」と表記されていたが、本項では原音に近い表記を使用する。

来歴[編集]

当時売り出し中だったバディ・ロジャースに憧れて1950年に15歳でプロレスラーとしてデビュー[1](日本に紹介されたプロフィールでは生年は1934年で、地元の不良少年だったが父親の死後にオハイオ州コロンバスに移住し、YMCAレスリングをしていたときにロイ・シャイアーに認められ、1949年にプロ入りしたとされている[2])。

ドン・ファーゴやロイ・シャイアーのパートナーとなってキャリアを積み、シャイアーとのタッグでは彼の弟と称してレイ・シャイアーRay Shire)を名乗った。その後、リングネームレイ・スティーブンスRay Stevens)に戻してサンフランシスコ地区を主戦場とし、1960年に同地区認定の初代USヘビー級チャンピオンとなる[3]。以降、同王座を巡ってカウボーイ・ボブ・エリスウイルバー・スナイダーボボ・ブラジルパット・オコーナーキング・カーティス・イヤウケアビル・ワットら強豪と対戦。1967年7月15日には同地区に遠征してきたブルーノ・サンマルチノWWWF世界ヘビー級王座に挑戦し、カウントアウト勝ちを収めている(タイトルは移動せず)[4]

その間にはオーストラリアにも遠征し、ジム・バーネットが主宰していたワールド・チャンピオンシップ・レスリングに参戦。1965年1月にドミニク・デヌーチ1966年12月にスパイロス・アリオンを破り、同団体のフラッグシップ・タイトルであるIWA世界ヘビー級王座を2度獲得している[5]。日本へは1968年7月、日本プロレスの『第一次サマー・シリーズ』に初来日。7月29日に札幌中島スポーツセンターにてスカル・マーフィーと、8月9日には田園コロシアムにてブルーノ・サンマルチノと組み、ジャイアント馬場&アントニオ猪木BI砲が保持していたインターナショナル・タッグ王座に2回挑戦した。

サンフランシスコでは1960年代後半よりパット・パターソンと金髪のヒールタッグチームブロンド・ボンバーズThe Blond Bombers)」を結成[6]し、ザ・デストロイヤー&ビリー・レッド・ライオンモンゴリアン・ストンパー&サイクロン・ネグロペドロ・モラレス&ペッパー・ゴメスなどのチームと世界タッグ王座を争う[7]。弟分のパターソンとは後に仲間割れを起こし、USヘビー級王座を巡り対決したこともあった。

1970年代に入ると当時サンフランシスコ地区と提携していたAWAに参戦。ボビー・ヒーナンマネージャーニック・ボックウィンクルとタッグを組み、1972年1月20日にクラッシャー・リソワスキー&レッド・バスチェンからAWA世界タッグ王座を奪取する[8]。その後、同年12月30日にバーン・ガニア&ビル・ロビンソン1974年7月21日にリソワスキー&ロビンソンに敗れタイトルを失うが、いずれも短期間で奪回。1975年8月16日にディック・ザ・ブルーザー&クラッシャー・リソワスキーに王座を明け渡すまで、AWAを代表する悪党王者チームとして活躍した(ボックウィンクルとのコンビでは1972年にフロリダ地区にも遠征し、同年7月20日にヒロ・マツダ&ティム・ウッズからフロリダ・タッグ王座を奪取している[9])。

この間、1974年11月に国際プロレスの『ワールド・チャンピオン・シリーズ』にAWA世界タッグ王者としてボックウィンクルと共に来日(同シリーズにはAWA世界ヘビー級王者のバーン・ガニアも来日しており、AWAの世界王者3人が揃い踏みしたことで話題になった)[10]。シングルでは11月4日にマイティ井上IWA世界ヘビー級王座に挑戦し、11月15日にはラッシャー木村金網デスマッチで対戦[11]。ボックウィンクルとのコンビでは、11月21日に大阪府立体育会館にて、IWA世界タッグ王者チームのラッシャー木村&グレート草津との「AWA対IWA」のダブルタイトルマッチが行われた[11]

AWA世界タッグ王座陥落後、1975年下期はザ・ファンクスがプロモートするテキサスアマリロ地区に参戦し、ボビー・ジャガーズらを破りブラスナックル王座を通算3回獲得[12]。翌1976年1月にはアマリロとの提携ルートで全日本プロレスの『新春ジャイアント・シリーズ』前半戦に特別参加、ミル・マスカラスターザン・タイラーとタッグを組み、ジャンボ鶴田ともシングルマッチで対戦した[13]

その後、AWAでパット・パターソンとブロンド・ボンバーズを再結成。1978年9月23日、前王者ハイ・フライヤーズの片割れジム・ブランゼルの負傷欠場による王座剥奪に伴い、新王者チームに認定され世界タッグ王座に返り咲く[8]。翌1979年6月6日にバーン・ガニア&マッドドッグ・バションに王座を奪われてからは、ノースカロライナNWAミッドアトランティック地区に転出。1980年から1981年にかけて、グレッグ・バレンタインジミー・スヌーカイワン・コロフとパートナーを変えて、リッキー・スティムボート&ジェイ・ヤングブラッドポール・ジョーンズ&マスクド・スーパースターなどのチームを破り、同地区認定のNWA世界タッグ王座を3回に渡って獲得した[14]

1982年の下期からはニューヨークWWFを約1年間サーキット。フレッド・ブラッシーキャプテン・ルー・アルバーノの2人をマネージャーに、WWFヘビー級王者ボブ・バックランドに挑戦する一方、NWA時代のパートナーだったジミー・スヌーカと因縁の抗争を展開した[15]

WWF離脱後の1983年末からはベビーフェイスのポジションでAWAに復帰。以降もセミリタイアの状態ながらAWAに単発出場し、1987年5月2日、かつて主戦場としていたサンフランシスコにて開催された "SuperClash II" ではマーティ・ジャネッティ&ショーン・マイケルズのミッドナイト・ロッカーズともトリオを組んでいる[16]。末期のAWAではカラー・コメンテーターも担当し、1991年にAWAが活動を停止するとプロレス界から引退した。

1996年5月3日、心臓発作のため死去[1]。60歳没。

得意技[編集]

獲得タイトル[編集]

NWAミッドアメリカ
  • NWA南部ジュニアヘビー級王座(テネシー版):3回
NWAサンフランシスコ
アメリカン・レスリング・アライアンス
  • AWA USヘビー級王座(サンフランシスコ版):7回[3]
  • AWA世界タッグ王座(サンフランシスコ版):2回(w / パット・パターソン[7]
アメリカン・レスリング・アソシエーション
NWAミッドパシフィック・プロモーションズ
チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
NWAウエスタン・ステーツ・スポーツ
ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング
ワールド・チャンピオンシップ・レスリング

脚注[編集]

  1. ^ a b c Ray "The Crippler" Stevens”. Professional Wrestling Hall of Fame. 2010年2月3日閲覧。
  2. ^ 『THE WRESTLER BEST 1000』P26(1996年、日本スポーツ出版社
  3. ^ a b c NWA United States Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月8日閲覧。
  4. ^ WWE Yearly Results 1967”. The History of WWE. 2009年5月6日閲覧。
  5. ^ a b IWA World Heavyweight Title: Australia version”. Wrestling-Titles.com. 2011年11月6日閲覧。
  6. ^ Ray Stevens & Pat Patterson”. Professional Wrestling Hall of Fame. 2010年2月3日閲覧。
  7. ^ a b AWA World Tag Team Title: San Francisco version”. Wrestling-Titles.com. 2011年11月6日閲覧。
  8. ^ a b c AWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月8日閲覧。
  9. ^ a b NWA Florida Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月8日閲覧。
  10. ^ 『忘れじの国際プロレス』P23(2014年、ベースボール・マガジン社ISBN 4583620802
  11. ^ a b The IWE matches fought by Ray Stevens in 1974”. Wrestlingdata.com. 2014年12月19日閲覧。
  12. ^ a b NWA Texas Brass Knuckles Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月8日閲覧。
  13. ^ The AJPW matches fought by Ray Stevens in 1976”. Wrestlingdata.com. 2014年12月19日閲覧。
  14. ^ a b NWA World Tag Team Title: Mid-Atlantic version”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月8日閲覧。
  15. ^ WWE Yearly Results 1983”. The History of WWE. 2009年5月6日閲覧。
  16. ^ AWA SuperClash II”. Pro Wrestling History. 2011年11月6日閲覧。
  17. ^ NWA World Tag Team Title History: San Francisco version”. Wrestling-Titles.com. 2011年11月6日閲覧。
  18. ^ NWA United States Heavyweight Title: Hawaii version”. Wrestling-Titles.com. 2013年12月25日閲覧。
  19. ^ NWA Florida Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2013年12月25日閲覧。
  20. ^ NWA Mid-Atlantic Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2013年12月25日閲覧。

外部リンク[編集]