ジョージ・スティール
| ジョージ・スティール | |
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ジョージ・スティール(2009年)
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| プロフィール | |
| リングネーム | ジョージ "ジ・アニマル" スティール ザ・ステューデント アニマル・マシーン |
| 本名 | ウィリアム・ジェームズ・マイヤーズ |
| ニックネーム | 鋼鉄ゴリラ |
| 身長 | 188cm |
| 体重 | 132kg(全盛時) |
| 誕生日 | 1937年4月16日(76歳) |
| 出身地 | ミシガン州デトロイト |
| トレーナー | バート・ルビー |
| デビュー | 1962年 |
| 引退 | 1989年 |
ジョージ・スティール(George "The Animal" Steele、1937年4月16日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。ミシガン州デトロイト出身。本名はウィリアム・ジェームズ・マイヤーズ(William James Myers)。
ジ・アニマルの異名通り、スキンヘッドに全身剛毛の狂獣系ヒールとして一時代を築いた怪奇派レスラーの大御所である。1980年代中盤からはWWF(現・WWE)でコミカルなベビーフェイスに転向し、子供達の人気を集めた。
※日本では「ジョージ・スチール」と表記されていたが、本項では原音に近い表記に準ずる。
目次 |
来歴[編集]
ミシガン州立大学を卒業後、ミシガン州マディソンハイツで高等学校の体育教師をしていた[1]。教職に就く一方、地元デトロイト地区のプロモーターだったバート・ルビーに師事し、1962年にプロレスラーとしてデビューする。当時は教員を続けながら学校の休暇時にリングに上がり、素性を隠すために覆面レスラーのザ・ステューデント(The Student)として試合を行っていた[2][3]。
その後、覆面を脱いで狂乱ファイターのジョージ "ジ・アニマル" スティールに変身。ハイスクールでアメリカンフットボールとレスリングの非常勤コーチを務めつつ、本格的にプロレスに注力するようになる。1967年からはニューヨークのWWWFに進出。翌1968年5月20日には、マディソン・スクエア・ガーデンでブルーノ・サンマルチノのWWWF世界ヘビー級王座に挑戦している[4]。
以降、1980年代初頭までデトロイトのNWAビッグ・タイム・レスリングとWWWF(WWF)を主戦場に、両テリトリーを股にかけて活躍した。本拠地デトロイトではザ・シークやボボ・ブラジルと遺恨試合を繰り広げ、1980年にはNWA世界タッグ王座を獲得[5]。ニューヨークではゴリラ・モンスーンやチーフ・ジェイ・ストロンボーと抗争し、ペドロ・モラレス、サンマルチノ、ボブ・バックランドら歴代王者にも再三挑戦した[6]。
この間、日本には1971年7月に日本プロレス、1974年7月に全日本プロレス、1979年6月に新日本プロレスに来日している。直線的で単調な試合スタイルが日本では受け入れられず、実績を残すことはできなかった[7]。なお、WWFでは1981年にキラー・カーンとタッグチームを組んだことがある[8]。
1984年、ビンス・マクマホン・ジュニアの新体制下で全米侵攻を進めていたWWFと再契約。ミスター・フジをマネージャーに迎え、かつてと同様ヒールのポジションでWWF世界王者ハルク・ホーガンに挑戦したが、1985年5月のサタデー・ナイト・メイン・イベントの6人タッグマッチにおいて、悪党仲間のアイアン・シーク&ニコライ・ボルコフと仲間割れ。これを機にベビーフェイスに転向し、異色の人気者となる。1986年からはランディ・サベージとの抗争がスタートし、サベージのマネージャーだったミス・エリザベスに恋をするという美女と野獣アングルも組まれた。1988年には "Mine" なるハンドパペットを「友人」として帯同するなど、後のマンカインドとミスター・ソッコのギミックの先駆的存在ともなった[9]。
その後もWWFの前座戦線で活躍していたが、1988年にクローン病を患い引退[10]。リタイア後は、その特異なキャラクターを活かし俳優業にも進出[11]、1994年公開の映画『エド・ウッド』(ティム・バートン監督、ジョニー・デップ主演)では、同じく元プロレスラーの俳優トー・ジョンソン(Tor Johnson)の役を演じた[12]。風貌が似ていることから、スティールはレスラー時代にジョンソンと間違えられることが度々あったという。
1995年にWWF Hall of Fameに迎えられ、1997年12月29日にはTAKAみちのくのパートナーとして『Raw is War』に出場(ジェリー・ローラー&ブライアン・クリストファーと対戦)。翌1998年末からはベビーフェイスの怪物軍団ジ・オディティーズ(クルガン、ゴルガ、ジャイアント・シルバ)のマネージャー役となってアティテュード期のWWFに復帰した。
2000年1月10日にはWCWの『マンデー・ナイトロ』でジェフ・ジャレットと対戦、クリス・ベノワとアーン・アンダーソンのフォローを受けて勝利を飾っている。近年もインディー団体にスポット参戦しており、2008年6月8日にはジェイク・ロバーツ、カマラ、ココ・B・ウェアと共にTNAのPPV "Slammiversary" に登場。ジェイ・リーサルとソウ・カル・バルのウェディング・セレモニー(かつてWWFで行われたランディ・サベージとエリザベスの結婚式のパロディ)に出席した。
2010年11月15日、"Old School edition" と銘打って行われたスペシャル版のWWE『Raw』に出演[13]、コフィ・キングストン対デビッド・オタンガ戦に乱入し、往年の"Big Bite"(ターンバックルの噛み破り)を見せた。
エピソード[編集]
- ヒール期のインタビューシーンでは、よだれを垂らしながら緑色に塗られた舌を突き出していた。マネージャーのフレッド・ブラッシーによると、口の中にクロレッツを含んで色を付けていたとのこと[14]。
- 少女時代のステファニー・マクマホンは、スティールを本当の狂人と思い込んで真剣に怖がり、会場で彼に出くわすとビンスの後ろに隠れて怯えていたという[15]。
得意技[編集]
- アニマル・クラッチ(The Animal Clutch) - リフティング・ハンマーロック。相手をハンマーロックに決めたまま担ぎ上げる怪力技。
- ビッグ・バイト(Big Bite) - コーナーのターンバックルを噛み破り、中に入っていた緩衝材を撒き散らす行為。
- ベアハッグ
- ランニング・スプラッシュ
獲得タイトル[編集]
- NWA世界タッグ王座(デトロイト版):1回(w / フランキー・レイン) [5]
- GWAヘビー級王座:1回
- WWF Hall of Fame:1995年度
脚注[編集]
- ^ “The main behind the Animal”. George Steele.com. 2009年8月10日閲覧。
- ^ “Wrestler Profiles: George "The Animal" Steel”. Online World of Wrestling. 2011年5月19日閲覧。
- ^ “George Steele Gallery: The Student”. Online World of Wrestling. 2011年5月19日閲覧。
- ^ “WWE Yearly Results 1968”. The History of WWE. 2009年8月10日閲覧。
- ^ a b “NWA World Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月19日閲覧。
- ^ “WWE Specific Arena Results: MSG 1970-1979”. The History of WWE. 2009年8月10日閲覧。
- ^ 『THE HEEL(プロレスアルバム16)』P4、P49(1981年、ベースボール・マガジン社)
- ^ “WWE Yearly Results 1981”. The History of WWE. 2009年8月10日閲覧。
- ^ “George Steele Gallery: Mine”. Online World of Wrestling. 2009年8月10日閲覧。
- ^ “Pinning Crohn's Disease”. George Steele.com. 2009年8月10日閲覧。
- ^ “George Steele in Movies”. George Steele.com. 2011年5月19日閲覧。
- ^ “Ed Wood”. AllRovi. 2011年5月19日閲覧。
- ^ “WWE Legend roll-call on an "old school" edition of Raw”. WWE.com. 2010年11月16日閲覧。
- ^ 『フレッド・ブラッシー自伝』P346(2003年、エンターブレイン、ISBN 4-7577-1692-3)
- ^ “Stephanie Marie McMahon Biography”. Karma's Wrestling Retro. 2009年12月2日閲覧。
外部リンク[編集]
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