オースチン・アイドル

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オースチン・アイドル
プロフィール
リングネーム オースチン・アイドル
アイアン・マイク・マッコード
本名 デニス・マッコード
ニックネーム ミスター・ガルフ・コースト
黄金の鷲
身長 188cm
体重 120kg(全盛時)
誕生日 1949年10月26日(64歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
フロリダ州タンパ
デビュー 1972年
引退 1998年
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オースチン・アイドルAustin Idol1949年10月26日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。本名はデニス・マッコードDennis McCord)。フロリダ州タンパ出身。

オースチン・アイドル名義での現役選手時代はネバダ州ラスベガス出身を自称し、スーパースター・ビリー・グラハムリック・フレアーを足して割ったような金髪の伊達男系マッチョマンとして活躍。1980年代初頭は、同じくグラハムの影響下にあるハルク・ホーガンと比較されることも多かった(両者は1970年代末、テネシーアラバマで共に活動していた)。

来歴[編集]

1972年に地元のNWAフロリダ地区でデビュー。当時はアイアン・マイク・マッコードIron Mike McCord)を名乗り、オーストラリアにも遠征しタッグ王座を獲得したことがある。1975年2月20日、小型飛行機で移動中に事故に遭い[1][2]、一時は選手生命を危ぶまれたが1978年にカムバック。オースチン・アイドルと改名し、髪をブロンドに染めビルドアップされた肉体を誇示するヒールとしてテネシー地区で再起を図った[3]

1979年ジェリー・ローラーとの敗者追放マッチに敗れアラバマに転戦、6月にザ・ハルクこと後のハルク・ホーガンから南部版のNWAサウスイースタン・ヘビー級王座を奪取している[4]。その後はジム・バーネットの主宰するジョージア・チャンピオンシップ・レスリングに参戦。11月に行われたタッグチーム・トーナメントにマスクド・スーパースターと組んで出場し、決勝でジャック・ブリスコ&ジェリー・ブリスコを破りNWAジョージア・タッグ王座を獲得[5]、12月にはレイ・キャンディを下して同TV王座にも戴冠している[6]

1980年2月にはニューヨークWWFにゲスト参戦してマディソン・スクエア・ガーデンのリングに登場(オープニング・マッチでホセ・エストラーダに勝利)[7]。ジョージアに戻ると3月にミスター・レスリング2号からNWAジョージア・ヘビー級王座を奪取し[8]、5月にはアトランタハーリー・レイスNWA世界ヘビー級王座に挑戦[9]スタン・ハンセンとも抗争を展開するなど、日本でも「まだ見ぬ強豪」として注目を集めた。

同年8月、全日本プロレスに初来日。開幕戦のタッグマッチではジャンボ鶴田から得意のラスベガス・レッグロックLas Vegas Leglock)でギブアップを奪う。同じシリーズに来日していたミル・マスカラスとの抗争アングルでもヒールとしての持ち味を十二分に発揮し、期待に違わぬ活躍を見せた。再来日が待たれたが、帰国後は全日本と提携関係のなかったテネシー州メンフィスCWAやアラバマのサウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリングに定着し、他地区への遠征をほとんど行わなくなったため来日は中断する。

メンフィスでは1980年10月にビル・ロビンソンを破りCWA世界ヘビー級王座を獲得し[10]、アラバマでは1982年8月にジョー・ルダックからNWAアラバマ・ヘビー級王座を、12月にデビッド・シュルツからNWAサウスイースタン・ヘビー級王座をそれぞれ奪取[11][12]。CWAではジミー・ハートマネージャーに、テネシーのヒーローだったジェリー・ローラーやトミー・リッチと抗争する一方、フェイスターンして彼らのタッグパートナーも務めた。初代王者となったCWAインターナショナル・ヘビー級王座には通算4回に渡って戴冠し[13]、スタン・ハンセン、ケン・パテラランディ・サベージリック・ルードバンバン・ビガロらを相手に激闘を繰り広げている。また、1986年にはプロレス界にデビューして間もないポール・E・デンジャラスリーをマネージャーに迎えていた。

1987年8月、WWF入りしたテッド・デビアスに代わり、旧友スタン・ハンセンのPWF世界タッグ王座のパートナーに起用され全日本プロレスに久々に来日したが、天龍源一郎&阿修羅・原龍原砲に敗れた。翌1988年3月にはジョージアとテネシーを通しての盟友トミー・リッチとのコンビで参戦するも、初来日時のような勢いは見られず、これが最後の来日となった。

以降もテネシーやアラバマを主戦場に活動を続けた後、1998年に現役を引退して不動産バイヤーに転身した[2]

得意技[編集]

獲得タイトル[編集]

コンチネンタル・レスリング・アソシエーション
  • AWA南部ヘビー級王座:3回
  • AWA南部タッグ王座:1回(w / ジェリー・ローラー
  • CWAインターナショナル・ヘビー級王座:4回
  • CWA世界ヘビー級王座:1回
  • CWA世界タッグ王座:3回(w / ダッチ・マンテル×2、ジェリー・ローラー)
ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAジョージア・ヘビー級王座:1回
  • NWAジョージア・タッグ王座:1回(w / マスクド・スーパースター
  • NWAナショナル・ヘビー級王座:1回
  • NWAジョージアTV王座:2回
サウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAアラバマ・ヘビー級王座:2回
  • NWAサウスイースタン・ヘビー級王座(北部版):3回
  • NWAサウスイースタン・ヘビー級王座(南部版):1回
その他

脚注[編集]

  1. ^ 飛行機には、1971年日本プロレスに来日したボビー・シェーン、1969年国際プロレスに来日したバディ・コルト、そして後にグレート・カブキグレート・ムタのマネージャーとなるゲーリー・ハートも同乗していた。この事故でシェーンは死亡、コルトは引退。ハートも選手生命を絶たれ、マネージャー業への本格的な転身を余儀なくされた。
  2. ^ a b Austin Idol shoot interview doesn't reveal all”. SLAM! Wrestling: December 8, 2009. 2010年3月9日閲覧。
  3. ^ Austin Idol plans run for Tampa Mayor”. SLAM! Wrestling: July 22, 2009. 2010年3月9日閲覧。
  4. ^ NWA Southeastern Heavyweight Title History: Southern Division”. Wrestling-Titles.com. 2012年4月29日閲覧。
  5. ^ NWA Georgia Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2012年4月29日閲覧。
  6. ^ NWA Georgia Television Title History”. Wrestling-Titles.com. 2012年4月29日閲覧。
  7. ^ WWE Yearly Results 1980”. The History of WWE. 2010年9月1日閲覧。
  8. ^ NWA Georgia Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2012年4月29日閲覧。
  9. ^ The Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1980”. Wrestling-Titles.com. 2010年9月1日閲覧。
  10. ^ CWA World Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2012年4月8日閲覧。
  11. ^ NWA Alabama Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2012年4月29日閲覧。
  12. ^ NWA Southeastern Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2012年4月29日閲覧。
  13. ^ CWA International Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2012年4月8日閲覧。

外部リンク[編集]